「まちづくりは闘争である」というお話や「まちづくりの担い手を作ることが大事だ」というお話をしていただきました。 りんご並木のように時間をかけて勝ち取ったものこそ、 みんなに愛されるのだということだと思います。
ここで会場のみなさんからの質問を受けたいと思います。 何かございますか。
今、 私は宮崎のまちづくり協議会に入っています。 まちづくり協議会はボランティア活動のようなものだというお話でしたが、 宮崎もそんな感じです。 私が所属している所は障害者が主体の活動をしていて、 障害者とその看護の人とで構成されています。 ですから、 身障者用トイレや駐車場が整備がされているかどうかの調査や清掃活動が主な活動です。 今、 全国的にまちづくり協議会が増えているそうですが、 どんなメンバーで構成されていることが多いのでしょうか。 また、 どんな活動が多いのかをうかがいたいのですが。
脇本:
構成メンバーや活動は、 協議会によってまちまちでしょう。 私が知っている例で言うと、 広がりのある活動をしているところは中心メンバーに商業者がいることが多いようです。 商業者は同時にその地域の住人ですから、 住民の感覚で物事をとらえ、 商業者の才覚で活動を続けるという両面を持っています。
活動の中身は協議会それぞれですから、 多岐にわたります。 あなたがおっしゃったような特定の分野に特化したところもありますが、 そういう例は少なく、 どちらかというと街全体の問題をとらえていこうというケースが多いようです。
また、 まちづくり協議会と行政の関係もまちまちだと言えます。 いま評価されている例は、 大阪の豊中市のまちづくり協議会です。 豊中の場合は、 市のまちづくり条例でまちづくり協議会を認定していますが、 先進の神戸と違う点は対象地域の住民の過半数の同意を得ることが認定の条件になっていることです。
飯田でワークショップが最初に失敗した理由は町のボスを集めてやろうとしたことでした。 それでは旧来の自治会と変わりません。 豊中の場合、 ボスではなく住民の同意を前提としています。 その代わり行政はまちづくり協議会を信頼するという関係が成立したと言えます。
ただ、 まちづくり協議会は住民が勝手につくっていい組織ですから、 行政のお墨付きがないとダメということでもなく、 一概に行政との協働を前提にしている組織だとは言えません。
中景についてうかがいます。 古くからある町には中景になりうる空間や要素があると思います。 しかし、 日本各地に続々と誕生した新しい町はどうなんでしょう。 ニュータウンにも中景になるよう整備された公園環境がありますが、 うまくいっている、 あるいはいってないなどの実状をご存知であれば教えて下さい。
脇本:
公園がうまくいっているかどうかは、 正直言って知りません。 私自身も新興住宅地に住んで20年近くになるのですが、 実を言うとニュータウンが嫌いです。 300戸あまりの住宅地ですが、 誰が言うともなく公園で地蔵盆のお祭りが始まったことがあります。 自治会の中にその部会もできて十数年続いたのですが、 5年ほど前になくなりました。 それはお祭りの中心になる子供たちが大きくなってしまったこともあるのですが、 私は結局地域への愛着の有無がお祭り継続の決め手だったと思います。 これは自分への反省も込めて言っているのですが。
私は今、 早く自分の育った天神橋や空堀といった大阪の都心に戻りたいと思っています。 私は船場で育っていますし、 東住吉にずっと住んでいました。 どうしてもごちゃごちゃした猥雑なところが好きだという気持ちが強いんです。 若い頃はそんな大阪が大嫌いだったんですが、 年を重ねたのか近頃は人のいるところにいたいという欲求が強くなっています。 また、 モータリゼーションくそ食らえと思っているうちに、 今まで見落としていた町中の良さに気がついたことも理由でしょう。
個人的な話になって恐縮ですが、 ご質問のニュータウンの公園は中景となりうるかについては、 おそらくどこかにあるだろうとしか言えません。 それは、 地域の住民の思い入れの強さ弱さで決まるのだろうと思います。
中景を作ることはまちづくりに限らず大切だと思っています。 しかし、 今はボランティア的に行われているのが現状です。 そうした活動は仕事にならないと続かないだろうと感じるのですが、 その辺はどうお考えですか。 また、 中景作りが仕事につながる可能性があれば教えて下さい。
脇本:
確かに仕事になり、 経済活動にならないと継続しません。 ですから、 専門家が育ったり専門家が集まってくるようにならないと本物じゃないと思います。
例えば大型店の立場で考えると、 彼らにとっては中景を作ることは中途半端な、 効率の良くない、 無駄な行為です。 しかし、 中景が必要だという立場からすると、 ボランティア的な活動に止まっていてはダメでしょうし、 その先に進まないといけないでしょう。 行き着く先は、 アメリカの事業会社的なNFPOなら可能なのかもしれませんが、 今日本で雨後のタケノコのようにできているNPOではないと思いますので、 株式会社にならざるを得ないと思います。
では現実にそんな活動をしている団体があるのかと言われると、 例えば飯田市にある「まちづくりカンパニー」にはその可能性があると思っています。 飯田市の再開発は組合施行の事業ですが、 通称「三連蔵」と呼ばれる三つの蔵を市が買い上げて、 そこの運営をまちづくりカンパニーに委託したのです。 市が運営しようとするとどうしても博物館的な案しか出てきませんから、 そこの再利用の計画案作成と運営をまちづくりカンパニーにまかせ、 カンパニーはそこで収益事業をやるわけです。
カンパニーには建築家もいればインテリアデザイナーもいるし、 飯田の名物である水引を作る業者も入っています。 一方でNPOの活動拠点もカンパニーの中に作ろうという動きもあります。 このように、 まちづくり会社の中から収益事業として発展していく可能性はあろうかと思っています。
それから私は長浜の「黒壁」はさほど評価していないのですが、 あそこと提携した岩手県江刺市のまちづくり会社「黒船」は注目しています。 今、 歩けるまちづくりをしようとしています。 まだ緒についたばかりで成功するかどうかわかりませんが、 「歩く」ことに着目したことが面白いと思います。 資本の論理が「車」だとすれば「歩く」ことには資本以外の論理が必要となりますので、 それへのアプローチは企業だけでは出来ないと思います。 企業と住民が組んで出来る可能性はあるんじゃないかと考えています。
下町や都心に住みたいということには私も同感です。 私は町中(まちなか)の研究をずっとしているのですが、 多くの人が都心回帰の欲求を持っているのに、 どうもなかなか進まないのが現状です。
中景や「共」の空間は生活上のニーズがないから作れないという話もされましたが、 ニーズについては大勢の人が声をあげたら出来てくるという感じもするんです。 どうも郊外が住みにくいから都心に帰りたいとみんな思っているのに、 それが大きな声になっていかない。 専門家が言うだけでは大きな声にならないので、 世間の人がその気になって大きな流れとなるような方法はないかと考えているのですが。
脇本:
それには土地の値段がもっと下がればいいと言えるでしょう。 しかし、 緑や広さ、 空気など郊外で得られていたものをそのまま都心に持ってくることは無理です。
都心における中景に生活上のニーズがないと申し上げたのは、 今までそういうマインドが一切なかったからなのですが、 今はそれが出てきています。 団塊の世代は1200万人とも2000万人とも言われていますが、 特に今おおきな声をあげなくても、 彼らが高齢化してくるとその辺のニーズは自然に強くなると思います。
マーケットが出来てきたから企業がそれを用意しましたというのは必ずしも望ましい形ではないのでしょうが、 日本のパターンからすると、 まず企業が突破し、 あとから行政がそのほかのこともしましょうという形になると思うのです。
しかし、 今までと違うのはそうしたものを受益する私達が、 黙ってそれを受け取るだけというのではないだろうということです。 私たちは提案していくということを、 この20年あまり体験しています。 ですから、 いったん都心居住が進み出すと、 そのスピードは速くなるし、 内容も豊富になりそうだという気がします。
ただし、 それも土地の値段がどこまで下がるかによるのではないでしょうか。 地価は無視できない要素です。
まちづくり会社についてうかがいます。 日経流通新聞でもTMOの記事をよく拝見しますが、 TMO自身が自分で儲ける仕組みを持たない限り、 組織としてはダメだということはすでにいろんな人が指摘しています。 各地の事例で、 会社として成立する、 つまり収益の仕組みを持っているTMOをご存知であれば紹介していただきたいと思います。 また、 もしもそうしたTMOがないのであれば、 中心市街地活性化法とかTMOは何だったのかを総括していただきたいと思います。
脇本:
二つの質問のうち、 総括の方が簡単です。
私は大規模小売店舗法が廃止になるなんて夢にも思っていなかったんです。 廃止には自民党から共産党まで全部が反対だったんですから。 にもかかわらず中心市街地活性化法が出てきた背景には、 やはり未曾有の大不況があったということじゃないでしょうか。 結局、 建設省が賢いと言えるのではないでしょうか。 悪者になった公共事業に代わる新しい枠組みを作りたかったんだと思うのです。 その時、 新聞も含めて中心市街地活性化に反対しずらい状況があり、 その流れをうまくとらえて法制化したんだろうと考えています。 ただ、 法律や制度は中立的な存在ですから、 私の主観で今それを評価するのは傲慢だと思いますので中身の評価は避けます。
最初のご質問の「会社としてやっていけるTMO」についてですが、 そんなにたくさんは知りません。 高松の丸亀町は、 商店街の人たちが地域にとどまるために、 欠けているものは自分たちで作るしかないと再開発を始めた例です。 方法論としては定期借地権を利用して、 まちづくり会社が再開発組合から床を全部買い取って、 賃貸にするというものです。 地権者には賃貸料を地代として払えば、 高い地価が事業費に反映しなというメリットがあります。 もちろんこの事業には商店街だけではなく専門家も入っているのですが、 そういう取り組みが10年前からあります。 その途中で中心市街地活性化法ができたので、 それに乗っかったという話です。 飯田の場合も同様で、 まちづくり会社が計画されたのはもう7年も前のことです。
ではそうした所が成功かと言われると、 まだそうは言えません。 ことの成否はこれからですが、 成功の可能性は充分あると考えています。
それとのからみで、 中心市街地活性化法を考えてみると、 一方に極めてネガティブな見方があると思えば、 反対に肯定的な見方も出来るだろうと思います。 制度は、 使う側のやり方次第です。 ですから、 一方的な見方で決めつけることはしたくないのです。 高松の丸亀や飯田はうまく使い始めているようですから、 それを見守っていきたいと思っています。 まちづくり事業という言葉自体も新しいもので、 着手されたばかりの分野ですが、 見守っていく価値のある所は出てきていると思います。
角野:
少しお聞きしたい点からずれています。 まちづくり会社はリスクをしょっているからこそ収益を出そうということだと思います。 TMOはリスクを負わない代わりに収益の仕組みもなく、 運営費の出どころもない。 それだけじゃなくて、 そこで活動している人は、 何を生き甲斐にしているのかもさっぱり分かりません。 地域全体をひとつのショッピングセンターに見立て、 それをアレンジするという発想でしょうが、 本当にそんなことが可能な
要するに丸亀や飯田には事業費を捻出する仕組みがあるのかどうかをうかがいたいのです。 まちづくり会社の収入は何なのですか。
脇本:
まだ完璧な仕組みではないのですが、 収益の仕組みを作ろうとしています。 具体的に言うと収入はコンサルタント料、 テナントの斡旋料、 それに施設の設計料です。 これらはデベロッパー事業と言い換えても良いでしょう。
コンサルタントをしているものです。
先ほどのお話しについては、 中心市街地活性化法は建設省よりもむしろ通産省の意向ではないかと思います。 ガットウルグアイラウンドで自由化を迫られた農業にいろいろ補償をしていましたよね。 同様に半導体摩擦などを背景に、 一連の規制緩和・市場開放を迫られ、 大型店への規制を捨てた小売業者に対する代償という感じがします。
ここで質問ですが、 まちづくりの現場にいると、 紆余曲折を経た結果、 まちづくりの目標を見失うことが時々あります。 再開発ビルや広場ができれば、 それでまちづくりは終わるのかどうか。 特に公共事業でまちづくりを行う場合、 住民は言うだけ言ってサッと手を引くという構図になっていくので、 まちづくりの目標って何だろうと考え込んでしまうのです。 ですから、 その事業ごとに成果が出たという評価は私自身はする気にはなれず、 結果よりもまちづくりへ向かう動きの方が必要なのではないかと思うことがあります。
客観的に見て、 まちづくりの目標をどう捉えるのが一般的だとお考えですか。
脇本:
けっこう難しい問題です。 まちづくりの目標は、 暮らしやすい生活の場を作ることとしか言いようがありません。
先ほどの話に補足して言えば、 だからこそまちづくり協議会の役割が今日性を持っていると思うのです。 再開発でしたら再開発組合が事業を施行すればそこで終わりということになるのですが、 まちづくり協議会の役割はその後も続いていきます。 まちづくりは言ってみれば造園のようなもので、 いつも手入れして世話をしてやらなければいけません。 まちづくりはどこかで終了するものではなく継続していくものですから、 継続させる組織が必要になってくるのです。
今までは会社人間として地域のことを省みずに暮らしていて、 自治会も順番が回ってくるとしぶしぶやるというスタイルが一般的でした。 これからの地域はそうしたスタイルではもたないということがはっきりしてきたのではないでしょうか。
例をあげると、 私の住んでいる住宅地では先頃、 自治会長を選ぶ選挙が行われたのですが、 これは珍事です。 やはりそこに骨を埋めたいと思う人にとっては無関心ではいられなくなっているようです。 そういう動きが出てくると、 地域社会も変わってくるという気がします。 そのためにも、 誰でも参加できて、 自分の発想でいろんな活動が出来る組織が地域に必要になってくるだろうと思います。
飯田のお話で、 ルールに抵触することをクリアしてきたというお話がありました。 苦労しながら勝ち取っていったわけですが、 そういうことをやった人たちはどういう風に出てきたのでしょうか。 たまたま、 そこに住んでいただけですか。 行政に理解があったのか、 それともそういう人たちをバックアップする組織があったのでしょうか。
脇本:
行政マンについて言うと、 商業畑の人でした。 長いこと商業調整の仕事をやっておられた方です。 調整と言っても、 大型店は最初から増床用のスペースまでふっかけて申請してくる。 だから町のことを考えるためには商業の切り口だけではダメだと思っていたらしいのです。 大型店は自分の論理だけでどんどん進出してきますから、 商業の論理で対応しても地元の商店街では対抗できないのです。 町というものはもっと多様な切り口で考えていかないとダメだというのが、 彼が10年やって出した結論です。 そして市民の動きを見ると、 まちづくりの動きが出始めていたので一緒に乗ってやってみたということです。
一方、 市民の方はどんな動きがあったのかですが、 りんご並木を例にとると、 もともと飯田市が大火に遭った後、 松島先生という中学校の先生が生徒に呼びかけて始まった運動です。 りんご並木が全国的に有名になったのは、 実ったりんごが盗まれ、 それを朝日新聞がデカデカと記事にしたからです。 その結果、 課外活動として育てていた中学生や沿道に住む人たちも、 自分たちの町のりんご並木はなかなかたいしたものだと認識したのです。 それからは、 沿道の人たちも競って自分の家の前のりんごを世話しだしたそうです。
ですから、 最初は町をどうこうというよりは、 よその人のところより自分の家の前のりんごを立派にしたいという競争意識だったんです。 それがそのうち、 りんご並木の回りにも目が行き、 並木全体のことや周辺のことも考えるようになったのです。
市民サイドでリーダー的な活動をしている人は、 「飯田ケーブルテレビ」というCATVを創業した人です。 サラリーマンをやめて故郷に帰って、 地域共同体に貢献する事業をやりたくてCATVを起こしたんですが、 その頃市民の間でりんご並木の運動が盛り上がっていたことから、 彼も参加して地域で共同体を守ることがいかに大事かを説いて回ったのです。
こうして市民の活動と行政マンが考えていたことがうまくリンクしたのですが、 私はこれは偶然ではなくある種の必然的な流れだったような気がします。
もうひとつ飯田で有名になっているものに「飯田人形劇フェスタ」があります。 世界から人形遣いが来て市内百カ所で開かれるのですが、 これも20年の歴史があります。 人形劇フェスタが開かれるようになったのも偶然ではなく、 「りんご並木を大事にする町だったら、 文化度が高いだろう」ということから本家のフランスから世界人形劇フェスタの声がかかったんだそうです。 飯田市も昔から人形浄瑠璃が盛んな土地柄ですから、 人形劇を支える土壌はあった。 また市内百か所もの分散公演を可能にする公民館活動もあった。 だから人形劇フェスタも続いてきたのです。 そうするうちに飯田は文化度が高い町だという評価が高まり、 夏の音楽祭も開かれるようになりました。 これもなかなかレベルの高いものです。
地域文化がまちづくりの切り口になっているとは、 こういうことなんです。 りんご並木の精神性がいろんな所で花開いたわけです。 私は社内でも「飯田かぶれしている」とよく言われますが、 30年の記者生活の中で取材して良かったと感動したのは、 飯田が最初で最後です。 ちょっと飯田びいきの面があるかもしれませんが、 間違っていないと思います。
飯田市の再開発で社会的サービスを核にした事業が行われたというお話でしたが、 具体的にはどんなサービスがあるのですか。
脇本:
飯田市の丘の上(中心市街地)は、 この30年で人口が6割以上も減少して、 高齢化比率が3割を越えました。 そこで住むことを重視した再開発を行おうとすると、 やはり高齢者が暮らしやすいように工夫しないといけません。 ですから、 施設としては高齢者用のケア施設、 サロン的な空間、 買い物の場を用意するということを考えました。
これに先立ち、 事前の調査をしています。 高齢者一人一人に聞いてみたところ、 (1)身近に買い物できる場がない、 (2)友達がいない、 (3)病気になったときが心配だの3点が生活の不安材料だというので、 再開発事業ではこれを解決するプランを入れたのです。 食品スーパーが地権者だったのですが、 普通の食品スーパーではない業態を作ることにしました。
ただ商業部分は業者がテナントとして入るので良いのですが、 ケア施設とサロンはコストがかかるのでどうしようかということになりました。 解決策として、 行政が市民サービス部門を市役所から再開発ビルの中に移すことになり、 新しくかかるコストを吸収することにしました。
結果として、 商業を切り口とした再開発ではなく、 公共サービスを切り口にした再開発として事業にこぎ着けたというわけです。
この会は都市環境デザイン会議といって、 まちづくりの専門家が多数参加しています。 ジャーナリストの立場から専門家の役割や動きを見て、 何か気づかれたことや言っておきたいことがあればお聞かせ下さい。
脇本:
職能と言う言葉がありますが、 まちづくりの専門家の職能とは何か、 専門家とは誰のことを言うのかと思うことがあります。 高松や豊中の協議会でも「まちづくりの専門家とはどういう人か」と聞いたことがあるのですが、 みなさん考え込んでしまうのです。 もちろん、 それぞれの分野の専門家はいますが、 まちづくり全体を掌握できる専門家はあり得ないと私は思うのです。 それぞれのテーマや段階においての専門家に過ぎないんじゃないでしょうか。
今のまちづくりは市民主体ですから、 それに専門家として関わろうと思ったら、 重箱の隅をつつく専門家像ではもう通用しないでしょう。 例えば会議の段取りをどう決めるか、 次は誰が何を調べるのかをテキパキ決めていくのも専門家の仕事だという気がします。
私は、 専門家はハードとソフトの二つに分かれていて2種類の専門家がいるのだと思っていたのですが、 どうもそうではないらしい。 実際に取材すると、 いくつも種類があるのだと思いました。 すべての場面に通じるトータルなまちづくりの専門家は必要な気もするし、 一方ではそんな存在はありえないという気もします。 正直なところ分からないのです。 まちづくりの段階によって、 必要とされる専門家は変わってくるとも思えます。
神戸の震災復興の時にも専門家って何だろうと思いました。 あの現場ではもっと大きな制度的な問題があったのですが、 専門家のわりに専門家らしくないと思う場面に何度も遭遇しました。 そのうち、 専門家という存在が分からなくなりました。 ひょっとしたら「私はまちづくりの専門家じゃない」と自己認識している人が専門家かもしれないと言う気もします。
防災を専門に大学で研究しています。 ですからまちづくりの話題ではどうしても防災面を見てしまうのですが、 一方で17m道路を作れば安全だという防災一辺倒のまちづくりは良くないと思っています。 その点、 飯田市が30m道路にりんご並木を作ったのは新鮮だし、 そういう解答が正しいのではないかと思いました。 他にもそうした例はあるのでしょうか。 また、 まちづくりを進めている人は、 防災についてどんな考え方を持っているのでしょうか。
脇本:
実は取材している私自身が防災のことを意識したことがないので、 あんまり聞いたことがないのです。 もちろんまちづくりをしている人たちは防災のことも考えているのでしょうが、 私は質問に答えられません。
私が知っている範囲でお答えするならば、 後に兵庫県知事になった阪本勝さんが尼崎市長の時、 議会で防災の質問に答えた話を紹介したいと思います。 昭和30年代、 大阪湾沿岸では地下水を大量に汲上げたものですから地盤沈下が起こり、 尼崎市でも高潮の被害をたびたび受けていました。 尼崎市議会は5mの防潮堤を作ろうと提案したのですが、 阪本市長は「当市の予算では3mが限界です。 あとの2mを超えて高潮が来たとしたら、 それはしゃあないです」と答えたのです。
この答えはひとつの考え方だと思うのです。 作ったものはいつか壊れるのですから、 絶対に安全というものはありえまえせん。 ですから、 限界を超えるものは仕方がないと言うのも、 ひとつの考え方じゃないかと思います。
私自身はまちづくりの専門家とは言えないのですが、 大学にいる関係でまちづくりに関して話してくれと言われることが増えています。
最近も二つあり、 一つは私の昔の教え子が、 不動産屋をやりながら奈良のJCの会員にもなっているのですが、 彼はJCの活動がイベント中心でどうも面白くないらしいのです。 「もっと具体的なまちづくり活動をしたいので、 会員をアジテートするような話をして欲しい」と頼まれました。 もうひとつは、 小さな自治体から「住民を巻き込んで何かをしたい。 とりあえずシンポジウムのコーディネーターをしてくれ」と頼まれたことです。
やはりこういうことは、 何かテーマを見つけないと仕方がないので、 テーマを見つけなさいと言おうとは思っています。 もうひとつはニーズを見つけるということになるのでしょうか。 しかしテーマやニーズもないと言われそうな気もします。 そういう裏付けがなかったら何もできないものなのでしょうか。
また、 まちづくり活動はボランティアを超えて仕事にならなければならない、 しかし大型店のように経済効率を考えていてもまちづくりにはならないというお話でしたが、 そうするとまちづくり会社は効率を考えてはいけないんでしょうか。 効率を考えると、 大規模店舗と一緒になってしまうのだとすると、 一体どんなやり方をすればいいのだろうと考えてしまいます。
JCの会員や小さな自治体の人びとに「こうすればいい」という提案がありましたら、 教えていただきたいと思います。
脇本:
JCに提案するというのは難しいと思います。 というのもJCは単年度主義ですから、 長期的な時間がかかるまちづくり活動には向いていません。 1年ごとにスケジュールがコロコロ変わるようなJCに町の問題は取り組めないのです。 ただ、 組織の中で人材は育っていると思います。
住民相手にまちづくりの話をしようと思ったら、 まずその町で困っていることは何かを聞いてみることです。 困っていることがあるならば、 どうすればいいのかと次へ進むことができます。
私が今住んでいる町に愛着がないのは、 困ってないからなんです。 今は郊外でも車があるから移動にも困りませんが、 仮に何か問題があったら、 大阪市内に移って解決したいという気持ちがあります。
私が取材した飯田、 高松、 福岡ではどこでも住民が困った問題を抱えていて、 何とかそれを解決しようとしていました。 もし、 そんな「困っていること」がなければ、 まちづくりなんてする必要はないと思います。
ただ、 困っていることを解決するために形にしていこうと思ったら、 「困った困った」と言うだけではすまなくなるということです。
質疑
全国のまちづくり協議会はどんな活動を?
山本(南九州大学):
ニュータウンの公園は中景となりうるか
岩永(関西電力):
まちづくり活動はボランティア活動を
杉本(大阪大学):
脱しないといけないのでは?
都心回帰はなかなか進まない
田端(大阪芸大):
会社としてやっていけるTMOはあるか
角野(武庫川女子大):
のでしょうか。
まちづくりの目標とは何だろう
堀口(アルパック):
まちづくり組織で動く人たちについて
司会(千葉):
飯田市における社会サービスは
鳴海(大阪大学):
どんなものだったのか
ジャーナリストの目で専門家を見ると
前田(学芸出版社):
防災面からまちづくりを見てみると
薗城(神戸大学):
まちづくりのとっかかりは何か
榊原(大阪産業大学):
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