ニュータウンを超えて
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ニュータウン前期

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写真7左 多摩自然地形案(1965)システム図
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写真7右 多摩自然地形案システム図
 私が社会に出て最初に都市開発、 ニュータウン計画に関わったのが、 写真7に示した多
摩ニュータウンの自然地形案という計画です。 これは大高正人さんをチーフとして、 大高事務所に何人かのスペシャリストがメンバーとして加わって作りました。

 写真7左は私が最初に提案したシステムです。 ここでは尾根を中心とした保全域の骨格
を作って、 それに公園などを緑のネットワークをつくるように組み込んでいくという事と、 もう一つは住宅地の中のペデ(歩道)を土地利用の枠を越えて一つのネットワークとして全体を作るという考え方を提案しています。

 尾根を中心としたのは、 現況地形(スカイライン)をなるべく残そうとしたからです。

 写真7右はそれをベースに大高さんの所で建物配置などをプロットした段階の絵です。

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写真8左 多摩自然地形案/全体計画図(大高 原図)
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写真8右 多摩自然地形案/模型(大高 原図)
 写真8左がそのときの検討エリア全域の図です。 このような形で尾根を中心にしたオー プンスペースの骨格で住宅地を形成しようというものでした。

写真8右はその模型で、 大高さんの所でつくったものです。

 この案自体は土地の利用効率も悪く、 コストが高くなりボツになりました。 当時の住宅公団は標準型の住棟を並べる事でコストダウンをはかっていたので、 地形ごとの個別解を要求する形態は実際の事業には結びつかなかったのです。

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写真9左 港北(1970)/初期スケッチ
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写真9右 港北/パイロットプラン
 これは1970年に携わった港北ニュータウンのパイロットプランです。

 写真9左が一番初期に私が描いたイメージで、 港北ニュータウンの骨格に対する私の意 見を集約しています。

 左手前にあるのが屋敷林を持つ既存集落とその後ろの斜面地です。 中央の平坦地は水田の跡地で、その右手台地に新しい住宅地があるという構成です。

 ここでは谷戸と斜面地を中心としたオープンスペースを骨格とし、 それに沿った台地や斜面上に集合住宅や戸建、 あるいは施設をつくっていく事で、 ニュータウンの骨格構造を形成しようと考えました。

 この案は当初、 学校や公園などのオープンスペースを持った土地利用を集めて並べていくことで、 全体の骨格を作っていけないかという案だったのですが、 それに対する公団側の意見は、 一つの谷戸に学校を集めると学区との関係など色々解けない問題が出てくるので、 学校はやはり学校配置の論理で考えていきたいということでした。

 そこで写真9右は、 公園だけで骨格を作ったらどうなるかという検討案です。 区画整理 事業 で全体の公園面積が限られていたので、 近隣公園を幅50m、 街区公園(当時は児童公園) を幅20mとして、それらを連続させて帯状に配置したものです。

 これを持って建設省に行き説明したのですが、 ダメとは言われないまでも、 公園の誘致圏で説明できないとダメとのことでした。 しかし実際には誘致圏内に公園がないところができてしまい、 やはり難いという結論になりました。

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写真10左 港北/オープンスペースによる骨格(1971)
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写真10右 港北/現在のオープンスペースの全体骨格(住・都公団提供)
 写真10左がその後、 紆余曲折を経て作り上げたオープンスペースの骨格の主用部分です。 図のなかの黄色部分がフリースペースになっている谷戸部分、 緑部分が緑地を含む斜面地です。

 このように緑に囲まれた谷戸のオープンスペースが、 街の環境の安定装置(stabilizer)となり、それが街の骨格を形成する都市構造を考えたわけです。

 写真10右が現在のオープンスペースの全体骨格です。 濃い緑の所は公共のオープンスペース、 薄い所が集合住宅または業務用地で、 こういったものの束ね合わせによって全体の骨格を形成しています。

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写真11左 港北/草笛の道
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写真11右 港北/笹舟の道
 写真11が骨格となるオープンスペースの現在の姿です。

 左は第1地区の幹線緑道で、 緑道の右側が造成面、 左が既存の斜面地となっています。

 造成の際、 土量や住宅地の勾配の問題があって、 まともにやるとかなり既存林が埋まってしまいます。 そこで途中に緑道をとって、 その部分の勾配を急にすることによって、 造成によって無くなる既存林を最小限に減らす事ができます。

 また、 このようなグリーンで囲まれたオープンスペースを創ることで、 この緑道を一つの街の骨格空間として考えました。

 写真11右は第2地区の緑道です。 緑道の左側の地形はほぼ現況地形ですが、 もともと樹 木が少なく樹木はほとんど植え直しています。 右側は全部が造成法面となっています。

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写真12左 港北/せせらぎ公園(1978)
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写真12右 港北/鴨池公園(1981)
 写真12も港北ニュータウンの中の公園です。

 左は第2地区の近隣公園です。

 奥に見える家は、 江戸末期の民家を移築したもので、 現在公開しています。 その手前には5mほど盛り土した地盤の上に池が造ってあり、 その奥は既存の樹林となっています。

 港北では既存の樹林を残しながら、 都市環境の安定装置として保全系の空間による都市骨格を作っていこうと考えました。

 写真12右の地区公園では、 奥が既存樹林で、 それに向ってて手前側から造成していって、ちょうど昔の田んぼだった谷戸の一番奥あたりに池を造っています。

 池の向こう岸にちょっと葦が見えますが、 池は現在ここで仕切られています。 この奥は、 生物相保護区域、 いわゆるサンクチュアリー(sanctuary)になっています。 仕切って いるのは、 池のこちら側に釣りをする人がブラックバスなどを放しており、 そういうものが保護区域に入ってこないようにするためです。

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写真13左 港北/10号ペデ
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写真13右 港北/ボンネルフ(1980代)
 以上が港北の「緑で骨格を作る」という考え方の例でしたが、 港北にはそれともう一つ、 都市の利便性として歩行者専用道(歩専道)のネットワークをつくるという考え方があります。 このグリーン系とオレンジ系という2つのネットワークが重層して街の骨格を造っています。

 先ほどの緑地系の空間ではかなり非都市的な造りをしてきましたが、 写真13左の歩専道ではいわゆる並木道のような、 どちらかといえば都市的な空間形態で造っています。 これはグリーン系の空間とオレンジ系の空間を意図的に作り分け、 街全体としては多様な空間要素を併存させるようにしています。

 写真13右は区画街路の一つで、 元々は9mの幅員に6mの道路と3mの歩専道があったのを、 一体にして9mのボンエルフ(woonerf)にしました。 車道の中にも木を植え区画街路もな
るべく緑多い空間にしていこうという試みの一つです。

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写真14左 港北/スキップ広場(1992)
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写真14右 港北/総合公園(1992)
 写真14左は現在の港北ニュータウンのセンター南エリアにある「スキップ広場」と名付けられた広場で、 先ほどの歩専道が集まるオレンジ系の一番中心的な空間になっている広場です。 したがって、 ある意味で徹底して都市的なつくり方をしています。

 写真14右はセンターに隣接する総合公園で、 これがグリーン系の空間の中心となる空間です。 この写真は立体駐車場の屋上の広場から向こう側の保全された既存林を見ています。 その間に人工の池を造っています。

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写真15左 港北/スキップ広場“水の宮”
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写真15右 港北/茅ヶ崎公園 せせらぎ
 写真15左はスキップ広場の水施設で、 人工の滝があって、 水のスクリーンが下りるようになっています。 この中にベンチがありちょうど水に囲まれて、 夏は涼しく過ごせるように造った空間です。

 写真15右はグリーン系の水で、 茅ヶ崎公園の中の水路です。

 この源流は元の農業用水で、 それをそのままサンクチュアリーとして保全しています。 左岸は既存の地形がずっと下がってきた自然護岸ですが、 右側は造成された土手です。 切り盛りの境界部分にこういう形で水路をとっています。

 このように、 歩専道系と緑道系あるいは公園系の空間に強いコントラストを意図的に持たせていくことで、 都市全体の空間の多様性を生み出していくという試みもしています。

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