そういった経験をベースにして、 これから見ていただく多摩ニュータウンの三つのエリアでは、 保全系だけではなく、 様々なオープンスペースのあり方によって都市の骨格を造っていこうと試みています。ニュータウン中期
今紹介した港北ニュータウンと多摩ニュータウンの自然地形案は、 都市の中に都市開発以前の空間要素を取り込んでいくことによって、 都市環境の安定装置とするとともに都市全体の空間を豊かにしていくことができると考え、 保全系を中心とした都市骨格をつくろうとしたものです。
写真16左 多摩B-3/初期のスケッチ(1978) |
写真16右 多摩B-3/土地利用計画(住・都公団提供) |
例えば右側の永山地区は、 当時の誘致圏対応の考え方による点状の公園が散在するという形態でした。
次に中央の貝取や豊ヶ丘地区になると、 点状の公園が歩専道で繋がれて一つのネットワークをつくっていくという形になっています。
そして私達が携わったのが、 落合・鶴牧という、 ちょうど京王線と小田急線の多摩センター駅の南側に広がっている二つの住区です。 ここでは歩専道で繋がれた公園という形がさらに発展し、 公園同士が繋がっていくことで、 全体としてオープンスペースの骨格が形成され、 それに住宅群がはりついていくという形態をとっています。
写真16左は一番初期に骨格部分だけを取り出して描いた絵です。 中央にちょうど富士山に向かうような軸線を描いています。
写真17左 多摩B-3/アクソメ(山設計工房 原図) |
写真17右 多摩B-3/富士見通り |
写真17右はその富士山への軸線、富士見通りです。 ちょっとギャップが見える所に幹線 道路が走っています。 手前から画面奥まで大体500mあります。
写真18左 多摩B-3/鶴牧東公園 |
写真18右 多摩B-3/鶴牧東公園 |
こういった地形のアンデュレーション(undulation)を入れることで、 街全体の空間にバラエティを創り出し、 また住んでいる人がこういう所に登ってくることによって自分の住んでいる街の全体的姿を具体的に把握することができるようにしたものです。
写真18右はこの山すそに作られた野外劇場での住民主催のコンサートの模様で、 今年で満20周年くらい迎えるはずです。 毎年こういう催しが開かれております。
写真19左 多摩B-3/ペデ プラス・ワン住宅 |
写真19右 多摩B-3/ペデ リング |
左はオープンスペースの骨格を繋いでいる歩専道で、 駅の方からオープンスペースの方へと向かっている道です。
この奥に見えている住宅は公団の「プラスワン住宅」で、 いままでの住宅の間取りに加え、 お稽古事など多様な用途に使えるフリースペースを付けた企画でした。
当初は企画に沿っていろんな試みがなされたようですが、 物販等の営業ができないなどの条件もあり、 今では単なる居間の延長のような使われ方をしているようです。
写真19右は今のオープンスペース骨格を取り巻くリング状の歩専道です。 こちらは港北の歩専道と同じような、 並木の続くかなり整然とした形をとっています。
これが先ほどのオープンスペースと一種のコントラストをつくって、 都市全体に色々な空間の要素を作り出しています。
写真20左 多摩B-6/“緑の環”(住・都公団提供) |
写真20右 多摩B-6/全体計画(日本都市総合研究所 原図 1984) |
このプロジェクトの特徴的な所は、 このエリアの計画の前提条件が「緑の環」という上位計画で示されていた事です。
「緑の環」は、 多摩川と市街化調整区域で形作られる「大きな環」と、 その中の「小さな環」の二つの入れ子のような構造によって、 稲城市全体のオープンスペースの骨格を形成するというものでした。
これまでなら、 上位計画の段階ではニュータウンのエリアはいわば白抜きになっていて、 実際のニュータウン計画によって初めてそこの最終的な都市構造が決まってくるという場合がほとんどでした。
しかしこの場合は、 ニュータウン計画の前に与件としてあった都市骨格の構造を、 ニュータウン事業の中でどう具体化していくかが課題となったわけです。
写真20右はその大きな骨格構造です。 中央上部がかつて米軍に占領されていた多摩弾薬庫跡地で、 いずれ開放される事になっています。 その下は多摩カントリークラブです。
樹林が残っている所も多く、 環境の良い所です。
全体が3住区に分かれていて、 1住区から順に開発されました。 ここでは尾根筋が地区の境界になっていて、 尾根筋で住区が囲まれる形になっています。 また、 主尾根から二つの尾根が住区内に貫入してきています。 こういったものが1住区の骨格になっています。
この稲城市域の計画で一番重要な所は、 オープンスペースを街を分節する要素として考えている点です。
ここでは「まち」と「まちはずれ」という考え方をとっています。 街がべったり連らなっていくのではなく、 あるコンパクトなまとまりごとに分断され、 その境に違った土地利用が入ってくることで「まちはずれ」を形成していくことを狙ったわけです。
例えば、 1住区と2住区の間では総合公園と近隣公園を一体化し、 一つの公園として取扱っています。 また2住区と3住区の間では、 既存の川と集落をゴルフ場につなげるような形で公園をとっています。 このようにまとまった公園をとることによって、 街を分節して「まちはずれ」を形成しています。
写真21左 多摩B-6、 向陽台/航空写真(住・都公団提供) |
写真21右 多摩B-6、 向陽台/生活環境軸 |
ここの計画の特徴は、 高い建物をなるべく道路から離して奥の方に持っていった事です。 地形的には手前側が低く、 山すその高い所に高いものを建て、 眺望の良さを売り物にしています。 これは亡くなった日本都市総合研究所の松本敏行さんのアイディアです。
幹線沿道沿いは全て戸建で埋め、 道路沿いに高い建物があって街全体の姿がわからないといったことにならないようにしました。
またそれまでの歩車分離の考え方を改め、 この「生活環境軸」と呼んでいる道路沿いの空間を豊かにしていく事によって、 そこに全ての動線を集めています。
写真21右は生活環境軸です。 正面に公園の中の見晴し台があります。
写真22左 多摩B-6、 向陽台/生活環境軸 |
写真22右 多摩B-6、 向陽台/カルチャーパス |
これまでのニュータウンのように、 集合住宅が道にいきなり並んでいるという形ではなく、 集合住宅を戸建街区の奥に下げて、なるべく道路側に出さない事で、 スケールダウン をしてまち全体を親しみのもてるものにしています。 さらに戸建街区の道路に面した所に様々な店舗が出てくるようにしていきたいと考えていました。
実際にはこの道沿いにわざわざ高い土地を買ってまでして店を出す人は少ないという事もあり、 なかなか理想の形では進んでおらず、 現在でもかなり空地があります。
写真22右は、 生活環境軸の骨格に対して、 学校を中心とした歩専道の骨格です。
これは「カルチャーパス」と呼んでいる小中学校を結んでいる道ですので、 プラスワン型の住宅を並べ、 そこに文化教室のようなものが出てくる事を期待していたわけですが、 現実にはそういった使い方はされていません。
とにかく、 都市全体の構成をつくる時に、 なるべく都市の要素を多様で豊かなものにしていこうと、 いろいろな試みをしてきたわけです。
写真23左 多摩B-6、 向陽台/城山公園 |
写真23右 多摩B-6/くじら橋=街はずれ(97) |
写真23右は住区と住区の間の「まちはずれ」の部分です。 写真は幹線道路をまたぐかなり大きな橋ですが、 コンペで募集したもので、 私も審査員として加わっていました。 この橋で公園の二つの部分を繋いでいるわけです。 写真左手がゴルフ場、奥が弾薬庫跡です。
このように道路で分断された公園を橋などで繋ぐことで、 一体的なオープンスペースとして、街を明確に分節しようという意図です。
写真24左 多摩B-6/長峰、 アクソメ(山設計工房 原図、 1991) |
写真24右 多摩B-6/長峰 |
第2住区では、 第1住区で考えた生活環境軸のようなものに加え、 集合住宅地内のオープンスペースと建物のバランスを取り戻したいと考えました。
というのもかつてニュータウンや団地が生まれたときには、 中層住宅とそれに見合うオープンスペースがワンセットとなった、 住宅地あるいは街のある一つの完成された形態があったと思うのです。 それが建物の密度がだんだん高くなり、 また車の保有台数が増えてオープンスペースが駐車場として潰され、 初期のバランスが崩れてしまいました。
ですからもう一度ここで、 かつて中層住宅でやっていたオープンスペースと住宅のバランスのとれた開発を、 中層では今の密度条件をクリア出来ないので、 今度は高層住宅で実現できないかとトライしたのが、 この第2住区なのです。
つまり高層化する事でオープンスペースを沢山とり、 裏のゴルフ場などと一体化した形で「緑の環」をさらに補強していくことを狙ったのです。
さらにここではもう一つ、 オープンスペースの管理を居住者に担ってもらうために「クラブグリーン」という管理システムを立ち上げて、 このオープンスペースを利用した果樹園やハーブ園の運営を居住者にまかせる事を考えました。
当初の構想では20階以上の高層棟だったのですが、 このロケーションでは事業的に無理だという事で、 実際には写真24右のように14階建てになりました。
建物が低くなったため住棟の数が増え、 オープンスペースが狭くなったので、 当初イメージよりはかなり建物が多くなってしまいましたが、 それでもかつて中層住宅がつくりあげてきたようなオープンスペースと集合住宅が創り出す、バランスのとれた空間をある程 度再現できたのではないかと思います。
写真25左 多摩B-4/2核構造(1987) |
写真25右 多摩B-4/土地利用計画(住・都公団提供) |
今までのニュータウン開発では利便性の高い街づくりが一つの大きな使命だったので、 駅周辺は評価が高く、 駅から離れるにしたがって利便性が悪いポテンシャルの低い土地という評価になっていました。
しかし駅の利便性とは違うポテンシャルが駅から離れた側にもあれば、 違った価値を求める人達が駅から遠い側を高く評価するのではないかと考えました。
つまり、 駅から離れた側にオープンスペースを中心とする環境重視の街の質をつくることができれば、 それを評価する人にとっては駅前よりも遥かに魅力のある空間になってくるだろうというのが、「二核構造」という考え方です。
利便性の高いエリアと、 駅から離れているけれども非常に環境の良いエリアという特徴を際立たせたうえで、 今度はその二つの核を、 元の農業用水を水源とするせせらぎや、 造成の切盛り境界から出来てくる保全斜面の緑、 リング状の道路さらに区画整理エリアなどで繋いでいって二つの核を持つ全体構造を形成しようとしたわけです。
写真25右がそれの土地利用です。
写真26左 多摩B-4/堀之内駅前 |
写真26右 多摩B-4/築池 |
写真右手前のオブジェは、駅前の商業施設のもので、イタリアのアーティストによるものです。
写真26右はその反対側の核となる長池公園にある築池という溜め池です。 この池のさらに上流に長池という池があって、 この二つの池を含む保全系の空間を中心として、 緑豊かな住宅地をつくっていこうというのが基本的な考え方でした。
写真27左 多摩B-4/別所公園 |
写真27右 多摩B-4/せせらぎ |
新住事業では、 事業の中で創り出せなかったものはかなり長期間たたないとフォローできません。 しかし区画整理事業は新住地区にない色々な特徴を持った地区を形成でき、 需要と供給のバランスで色々なサービス施設が出てくるということがあり得るので、 そういったエリアをむしろこの地区の戦略的な骨格に据えていけば、 より柔軟なまちづくりが出来てくると考えました。
写真27右は二つの核を繋ぐ緑と水の骨格のうちの水の骨格です。 先ほどの長池・築池を水源として、 そこから流れてきている小さな川です。 これはもとの別所川という、 ほとんど農業用水みたいな小川の付け替えという位置付けで造っています。
当初ここでは住棟と水との関係をもっと密接にしたいという考えがありました。 ちょうど高瀬川のような形で、 窓から水が届きそうな関係を創り出せたらと考えていたのですが、 工期のバッティングや、 防水の関係で住宅側が水を敬遠したり、 あるいは水の底で用地界ができるのは管理上困る、という理由で結局建物が水とは縁が切れたような形になって しまいました。
写真28左 多摩B-4/コミュニティー・コレクターリング |
写真28右 多摩B-4/長池見附橋(1993) |
写真28右は先ほどの長池公園の下流ですが、 ここにかつて赤坂見附にあった見附橋を移築してきています。 この橋にあわせて、 先ほどのせせらぎの上流に様式的な池をつくっています。
これまでのニュータウンではもっぱら利便性ばかり追求した、いわば実用本位の空間づ くりが多かったのですが、 ここではこうした全国的な歴史的文化財を持ってくることによって、 さらに時間的な奥行きのある豊かな空間を創ろうとしました。