ニュータウンを超えて
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ニュータウン後期

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写真29左 九州学研・南部地区(1995)
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写真29右 九州学研・南部地区/グリーンクロス
 以上、 多摩ニュータウンの3つの地区を見ていただいたわけですが、 これらはいずれも オープンスペースを骨格とした住宅地にはどのような可能性があるかというトライアルだったわけです。 その答えはそれぞれのエリアの持っていた開発条件によって多少違いましたが、 基本的には公的なオープンスペースや公園、 あるいは歩専道といった公共インフラを骨格として街の骨格構造をつくっていくという考え方でした。

 これまで見ていただいたニュータウンの考え方を二つの段階に区分してみると、ニュー タウン第1期は、 多摩の自然地形案あるいは港北ニュータウンのような保全系の空間を都 市環境の安定装置として中心に据えて行くという考え方であったと整理できます。 すなわちそれは、 都市が立地する“母体”(Matrix)としての自然的環境基盤を都市のなかに露出させ、 それを骨格とした都市構造を考える、 というものでした。 この考え方では、開発以前の要素や空間的秩序を、いかに新しい都市の構造として取り込むか、と いうことが重要 なポイントになります。

 次の第2期では、 先ほどの多摩の3地区のように保全域ではありませんが、 公的なオープンスペースを骨格として街をつくっていくという考え方でした。 このやり方は第一期のものに比べて、大きな自由度をもっているといえます。

 これらに対して、 これから見ていただくのは第3期とも言うべき例です。

 第1期(前期)、 第2期(中期)が公的なオープンスペースによって骨格となる空間を創っていこうという考え方であったのに対し、 第3期(後期)では、 第1期、 第2期ほど大規 模ではなかった事もあって、 その開発条件にもよりますが、 公的なオープンスペースだけで骨格をつくっていくということが難しくなりました。 そこで、 公的なオープンスペース、 あるいは公的な土地利用を中心としつつも、 それに民有地のオープンスペースを付加していくという公民の連携によって、 全体のオープンスペース骨格をつくろうという考え方をしています。

 写真29左は北九州市の学術研究都市南部地区のプロジェクトでの基本的な考え方を示しています。 このエリアの骨格は2本の幹線道路によってつくられており、 農業用水のため 池がいくつかあるなど、 地形的にはかなり複雑です。

 このプロジェクトに関わった時には、 既にこの道路の形態等は決まっていました。 したがって、 この道路の骨格を使って、 全体的なオープンスペースの骨格をいかにつくっていくかが、 ここでの課題であったわけです。

 そのためにまずは、 この幹線道路を中心としたオープンスペースの骨格をつくっていこうと考えました。 それからもう一つは、 図中央辺りに大学があるのですが、 この大学用地を使って、 中に歩専道あるいはボーンエルフによる骨格をつくり、 それに公的なオープンスペースや大学の中のため池などを絡み合わせることを考えました。

 つまり道路系のグリーンの骨格と、 歩専道系あるいはボーンエルフ系の骨格という「二重構造」で考えていこうとしたのです。

 写真29右はちょうど二つの幹線道路が交差する、 この街の中心的な場所です。 交差点の左が大学のエリアで、 下が研究所等の予定地、 上が近隣センターになっています。

 道路の上に一点鎖線が見えていますが、 ここまでが公共用地の幅です。 ここから民有地のそれぞれの土地利用の中でセットバックをしてオープンスペースをつくり、 全体として緑の帯をつくっていこうと考えたのです。

 それからもう一つ、 都市の“へそ”になっている所は最も緑の濃いところにしたいと考えました。 近隣センターについても、 こうした旧来型の商業施設形態が果たして成立するのか、という事は当時も問題になっていましたが、 いわゆる路線型のどこにでもあるセン ターではなく、 むしろ緑の中に埋没するような形を持った特化したものにしていくことを考えていました。

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写真30左 九州学研・南部地区/本城・小敷線
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写真30右 関西学研・精華大通り(1992)
 写真30左は先ほどの幹線道路です。 真ん中の道路と黄緑色の部分の半分位までが公共用地、 そこから外が民地のセットバック部分です。 ここは研究施設と大学施設のあるエリアです。 こういう形で公共用地と民地が一体になったオープンスペースをつくって、 それを 都市の骨格に据えて行こうと考えたわけです。

 写真30右は、 それにほぼ近い考え方で進めた、 関西学研都市の光台にある精華大通りです。 ここでも公共用地とそこに接する研究所とが一体となったオープンスペースをつくっています。 写真の舗装の色が変わる所が官民界なのですが、 このように民地側の通路と公共側の通路とを一体とし、 ネットワークをつくっていくことを目指した例です。

 写真は松下の研究所前です。 ここは一番うまくいった所で、 この隣になると全然ダメでした。 各企業によって対応も違っており、 計画のタイミングが遅すぎたためもあって、必
ずしも上手くいっているとはいえません。

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写真31左 浦安II期地区(1996)
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写真31右 浦安II期地区/システム図
 写真31左は千葉県浦安市にある埋立て地の開発で、 浦安II期地区というエリアのシンボルロードの計画です。

 これも九州と同じように、 公共用地と民地を重ね合わせて、 オープンスペースの骨格を形成し、 都市の骨格を創っていこうとしています。 境界線の内側が公共用地で、 そこに通路を一本だけとって、 あとは全てグリーンにしています。 そこからセットバックした形で民地側にもオープンスペースをとり、 施設へのアクセスは施設の中にとったペデストリアンデッキによってサービスしています。

 実は当時、 このエリアの開発ポテンシャルはそう高くなく、 はたしてちゃんと埋まるだろうかと危惧されていました。 また整備されたとしてもあまり人が通らない空間になるかもしれないという心配もありました。

 そこで、 沿道の施設を暫定土地利用として考えて行くことで、 かなり思いきった事をしていけるんじゃないか、 それに将来交通が多くなってきて必要になってから、舗装をちゃ んとやっていこうというような時間系を入れた考え方もあって、 こういったシステムを考えたわけです。

 写真31右はそのダイアグラムです。 この線(緑色部分の真ん中にかすかに見える線)から道路側が公共用地で、 道路の歩道としての細い通路以外は植込となっています。

 施設内のオープンスペースとして二層の回廊をとっています。 回廊の途中には、 例えばテラスを造り、 アトラクション等に使う空間としています。

 全体としては、 道というよりも、 むしろこういった色々な庭園がシリーズとしてつながっていく空間で街の軸をつくっていこうと考えました。

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写真32左 浦安II期地区/模型
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写真32右 浦安II期地区/模型
 これが今の模型です。 写真32右の真ん中あたりに水平に走っている赤い線が官民界で、 手前で蛇行しているのが公共の通路です。 これに沿って暫定的な建物が建って、 さらにこの場合では二層の回廊ができ、 回廊の一部となっているデッキには、 カフェテラスのようなものがあったり、池や植込があるといった、 公共用地では造りだせない魅力溢れる空間 にようとしました。 そして、 通り全体は庭がシリーズみたいに繋がって行く空間とし、そ
れを骨格としてこの街を創っていこうと考えました。 残念ながらこの案はボツになりました。

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