神戸市の新長田地区との関わりは、 震災後1週間目に住宅・都市整備公団から「このエリアの区画整理の案を早急にまとめたいので来て欲しい」と電話がかかってきたことから始まりました。 神戸市が公団に頼んで、 専門家のコンソーシアムを作ったんです。 このメンバーでこの地区の区画整理案を大急ぎで作りました。 申し訳ない話ですが、 現地を見る暇もなく、 住宅地図を見ながら作成しました。
まず、 太い道路を第一段階の都市計画決定でやって、 後日第二段階として、 細い道路を計画していくといった内容です。 この作業は1月の後半にやって、 2月中旬にはレポートを提出し、 その後議会にかけられて3月14日に都市計画決定をするという慌ただしい仕事でした。
その後で僕が手がけたのは住宅の共同建て替えです。 狭小敷地の家が多かったので、 飛び換地で集めて集合住宅を作る手法です。 ちょうど都市計画家の久保さんがこの地域でどうやってまちづくり協議会を作るかに関心を持っていて、 僕にも声をかけてくれたので「それなら一緒にやりましょう」ということになりました。
僕と久保さんは似たようなノウハウを持っていたのですが、 久保さんがまちづくり協議会をテーマに地域をまとめたいとおっしゃったので、 僕は共同建て替えで地域を見ていきたいと5つぐらいの地区でその案をスケッチしました。 そして、 久保さんと一緒に各地区を回って説明会を行ったり、 自力で家が建てられそうにない人に「こういう手法もありますよ」と説明して回りました。
その中から5カ所が動き出してきたんですが、 当時の状況を言うとみんな目が血走っている状態なので、 僕は「とてもじゃないが5カ所の面倒は見られない」と4カ所を他の事務所に割り振って、 僕は一つだけ担当することにしました。 それが川西・大道4・5丁目の共同建て替えです。 実はそこが一番早く出来るだろうと思っていたのですが、 いざ動き出すとなかなか難しい問題が出てきて、 竣工できたのは2000年10月のことでした。 みなさんが住めるようになったのは2001年のお正月からですが、 今はとても喜んでもらっています。
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