緑としての建築
左三角
前に 上三角目次へ 三角印次へ

 

都市の環境問題を解決への道

 

今までの経緯

司会(中村)

 昨年8月に上野先生による「ニュータウンを超えて」と題したセミナーを開催しました。 これは、 上野先生が手がけてこられた多摩ニュータウン、 港北ニュータウンのランドスケープ計画をふまえて、 今後の都市づくりの方針を示すというお話でした。 そのとき出された方針は、 「街の遺伝子を創っていこう、 外科手術のように都市の骨格を創るやり方ではなく、 むしろ個々の要素から発想して都市環境をよくしたい」というものでした。 中でも「緑としての建築」、 つまり建築を緑化することで都市環境を改善していくという提案を、 これからの都市づくりの一つの柱として示されました。

 その可能性を具体的に示せる実験的な例はないかと上野先生と話をしているうち、 JUDIのメンバーでもある江川さん(現代計画研究所)が、 京都の都心でユニークなマンション計画をしているという話を聞きました。 その計画は、 私達が考えていた緑としての建築にピッタリでしたので、 その計画案をケーススタディの対象として「緑としての建築」というテーマを膨らませていこうというのが、 今回のセミナーの目的です。

 今回は、 このセミナーを開く前に4回のワークショップを行って、 発表する内容を詰め整理しました。 ワークショップのメンバーは上野先生を始め、 アクロス福岡を手がけられた田瀬先生、 NEXT 21を担当された加茂みどり先生、 先ほどご紹介した江川先生、 それに私こと中村、 学芸出版社の前田さんです。

 このメンバーで、 京都における緑としての建築の可能性を探ってきました。 特に京都は町家との関係性や街区構成の問題もあり、 緑としての建築にはなかなか難しい問題もありましたが、 それらの点も交えながら、 上野先生に語っていただきたいと思います。


都市の3類型

上野

 今日の話は大きく二つに分かれます。 一つは昨年のセミナーでお話しした「緑としての建築」についてもう少し具体的に考えていきたいということです。 もう一つは、 実際のケーススタディとして、 実現可能な建築計画の中で緑としての建築を考えるとどうなるかを検証してみようということです。

 この二つについて今日はお話ししますが、 まずはプロローグとして、 緑としての建築とは何か、 どういうことを考えてきたかをざっとご説明します。

 ここで問題としているのは、 都市環境の再生であり、 都市における自然環境をどう再生していくかということです。 その方策を探っていくのがそもそもの趣旨です。

 世界の中の様々な歴史的な都市の構造を自然環境との関わりで見ていくと、 だいたい三つの類型に分けて考えることができます。

 第1の類型はコンパクトな都市があってその周辺に非都市が広がり、 それが1セットになって機能している都市形態です。 例えばヨーロッパの中世都市のように、 コンパクトな都市域の中は自然的な要素はあまりなく、 周囲は田園や森林が広がっているという形です。 しかし、 都市+周辺の自然で出来上がっている1セットのバランスが崩れてしまうと、 都市の環境自体も破壊されてしまうという構造です。

 第2の類型はアジアの都市に見られるように、 都市域の中にも多くの自然的な要素を持ちながら、 一方で都市の境界(バウンダリー)はあいまいで、 いつの間にか田園につながっていくような都市形態です。 この都市形態は、 都市の中の密度が高くなって都市に内在していた自然的要素が破壊されてくると、 バランスが崩れていきます。 あるいは都市域が拡大し、 内部構造との矛盾が発生して環境破壊が起きてしまいます。

 第3の類型として、 近代の産業社会以降に登場した都市の形が挙げられます。 これは、 公共や共用の自然的要素を都市の基盤構造として整備していることが特徴で、 それを前提に個々の土地利用を純化していくことによって都市を成立させていこうとするものです。 現代の計画的都市の基礎となっている考え方ですが、 現実には都市基盤としての自然環境を公共が全部担保していくのは難しく、 多くの都市が基盤構造と個々の土地利用の動き方の矛盾によって、 今、 環境破壊に直面している状況です。

 第1の類型であるコンパクトな都市もヨーロッパの産業革命に伴う都市域への人口集中によって都市域が拡大してしまうか、 あるいは都市内の密度が高くなりすぎることによって、 元々あった都市周辺の自然とのバランスが崩れてしまいました。 第2の類型であるアジアの都市も、 都市に内在していた自然的要素がどんどん失われてしまうことによって環境が破壊されました。 第3の類型である計画都市は、 公共や共用でカバーしていくはずの自然環境が、 都市の動きについていけなくなって現在に至っていると言えるでしょう。 つまり都市環境構造と都市の「振る舞い」のミスマッチングがおきていると考える事が出来ます。


アジア的な都市と緑のあり方の復権

 そういうことを考えていくと、 特に日本の都市の中でこれからどんなことが可能かを考えると、 もう一度第2の類型に近い形で「それぞれの土地利用が都市の環境に責任を持っていく」ことが必要ではないかと思うのです。 そう考えていかないと、 都市環境の再生は難しいだろうというのが、 この問題に対する私の基本的な考えです。

 ただ、 それによって現在の都市の環境問題が全部解決するということではなく、 現実には都市をコンパクト化することがどうしても必要になると考えています。 その中でも、 公共や共用によって担保していかねばならない都市環境構造は当然出てくるでしょう。 しかし、 都市のコンパクト化と公共の担保という二つの方法だけでは、 やはり都市環境の再生は難しいのではないかと思います。

 そこで、 三つ目の方法として個々の土地利用が都市環境に対して積極的な役割を果たす、 というところに私は重点を置きました。

 現実の都市では、 第3の類型である近代的な都市計画は、 経済的効率を上げるための論理となってしまっています。 その結果、 個々の土地利用は環境を外部に依存するという形になりました。 あるいは外部の環境を収奪するという形が発生し、 公共ではカバーしきれないほど環境負荷が増大しているのが現状だと思います。

 ですから、 外部の公共が環境を担保するという発想を転換して、 環境内化型に変えてみてはどうかというのが私の提案です。

左三角前に 上三角目次へ 三角印次へ


このページへのご意見はJUDI

(C) by 都市環境デザイン会議関西ブロック JUDI Kansai

JUDIホームページへ
学芸出版社ホームページへ