松久:
秋のフォーラムでは、 「風景」をテーマにしようということになりました。 そして今年はセミナーもフォーラムに関連させてやっていこうということになり、 今日、 最初の議論をさせていただくことになりました。
まず今回、 風景をテーマにした狙いについて、 少しご説明します。
バブル経済が崩壊した後、 今までの制度が疲労し、 世の中は混乱して不確実な時代と言われるようになりました。 そんな中、 人々はお金よりも綺麗な水やおいしい空気、 落ち着いた暮らし、 心の安定を求めるようになっています。
今までの価値観が喪失し、 不安な時代です。 そんな時代には美しい国土づくりが人々に安心感を与え、 明確な目標を与えるに違いないと、 風景がクローズアップされるようになりました。 本屋に行っても風景がらみの本がたくさん並んでいますし、 国や行政も景観や美など、 かつては一顧だにしなかったテーマを大々的に取り上げるようになりました。 これは時代の大きな変化だと思います。
日本の都市は一見すると栄えているように見えますが、 実は今までの経済至上主義によって潰してきた風景がたくさんあったのではないでしょうか。 なくしてみて我々は初めて風景を意識するようになったのだと思います。 おりしも時代は人間中心から生態学的なものを意識するように変化してきました。 そこで生態系の要求に応える新しい風景モデルとは何かについて、 フォーラムをやってみようということになりました。
ただ、 風景と一口に言っても概念がひろいですから、 まずは今までの風景原論のおさらいを兼ねて、 今どんなことが語られているのか、 考えられるのかを、 二人の先生に講演いただこうと思います。
フォーラム委員会で今まで討議されたことを少し報告しておくと、 荒れた風景を乱景と捉えると、 貧景(貧しい風景)との違いは何か、 文化住宅がまとまっても美しくない、 良い風景とは何か、 逆に醜い風景とは? また、 風景に流行はあるのか、 風景の進化論、 因縁と因果の関係の世界か、 時代が見たい風景とは何かという議論、 そして風景は誰が見るのか、 失われた風景とは誰もが関係していて、 それに後ろめたさを感じているのかもしれない。
あるいは農の風景論、 工業の風景論、 郊外の風景論はあっても都市の風景論がない。 商業地やビジネス街が都市の風景なのか。 部分にスポットを当てると、 光景とか情景とか言われる。 パーツと全体を関連づけた風景モデルはあるのだろうか。 目標設定型とシステム型を考えたときに、 モデルは予想調和の設定型か。 これ以外にもいろいろと討議をしてきました。 今日は、 こうした議論をふまえた上でお二人にお話しいただこうと思います。
最初は丸茂先生です。 よろしくお願いします。
いまなぜ風景モデルか
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