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「プロフェッション」として都市をつくる

 空間的確信を持って都市をデザインする、そういうデザイナーやプランナーこそが、プロフェッションとして都市をつくるべきではないか─────
 そんな確信犯たちに集まってもらい、第一部では「こうだと思う、これからの都市と僕のデザイン(※)」を自作・プロジェクトをとおし語ってもらう。建築・ランドスケープ・都市計画・土木・デベロッパーと、異なる立場・分野に身を置く第一線のプロは、それぞれに一家言以上のものを持っているはずである。各分野の視点からみたあるべき都市環境の姿に対して、第二部では、心おきなく議論を闘わせてもらいたい。その議論は「都市環境デザイン」が総体として直面し、葛藤する今日の状況そのものを浮き彫りにしてくれるのではないだろうか。そのためには、レベルの高いパネリストと議論が必要だ。
※"デザイン"という言葉の定義として:@下絵。素描。図案。A意匠計画。生活に必要な製品を製作するにあたり、その材質・機能および美的造形性などの諸要素と、技術・生産・消費面からの各種の要求を検討・調整する総合的造形計画。
(広辞苑)
"デザイナー"は、上記の総合的造形計画を行う人のことを示す。

久保貴孝






まちづくりに感じる確信の無さへの不安

 都市は一人ではつくれない。都市を取り巻く厳しい経済状況や法的規制はいくらでもある。市民参加の時代と謳われ、日本の社会や風土に適したまちづくりが求められる。そういう気の遠くなるような課題を考慮するべきなのは本当だろう、そして、そんな議論が一日で終わる訳がないのもきっと本当だろう。
 しかし、この瞬間にも、街にはクレーンがゴーゴーと鳴り響き、高層マンションが積み上げられている。そんな現実を前に、誰が何を信じて「じゃあ、これをつくろう」と最後のスイッチ(※)を押しているのか?実際に出来上がってきた空間たちに「何でこうなっちゃったの?」と尋ねたくなることが少なくないし、そのたびに実は確信無くスイッチが押されまくっているのではないかという不安が湧いてくるのである。
※デザインの最終決定を行い現実の都市空間において実行する
橋岡佳令







モラルと価値観

 資本主義社会の現在において、例えばマンションなどは資本投下の対象としてしか見られていない。しかしそれでもなお、モラルがあればいいもの・優れたデザインはできるのだろうか。

林田大作




 例えば、一般的にマンションのスタイルを思い浮かべてみると、決まり切って南面を重視したウナギの寝床のようなプランが出てくる。
 価値観の多様性ということが謳われて久しいのだが、実際には我々が自覚するまでもなく、知らない間のスタンダード があるのではないだろうか。パッケージデザイン、商業デザインの蔓延と、それを消費の対象としてしか見ていない現在において、プロのデザイナーは何をなすべきか?

忽那裕樹



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