中瀬:
私は最近のまちづくりの動向と景観園芸学校への期待というテーマでお話したいと思います。
平成5年頃、 当時の日本各地では緑や環境、 生き物に関する研究調査がかなり進み、 その中でも兵庫県はランドスケープやビオトープ・プランニングなどに力を入れていました。 その流れで景観園芸学校の構想計画委員会のようなものが出来て、 鳴海先生達と一緒に県に出向いて侃々諤々の議論をしました。
まず議論の中心となったのは景観、 園芸といった細分化された分野をどう統合していくかということで、 最大の問題はそれぞれの分野における方法論、 ターゲットが異なることでした。 例えばアグリカルチャーに従事する人々はあまりまちづくりを意識してはおらず、 一方ランドスケープに携わる人達は植物に関してそれほど詳しくないというわけです。
そういった課題を解決するため「まちづくり」という観点からランドスケープやアグリカルチャーを統合できないかという意見がありました。
はじめは学校の名前も決まっておらず景観学校か、 園芸学校にするかといったことも議論されましたが、 結局それらを統合した学校・研究機関を淡路につくろうという事でまとまりました。
また、 そのときの委員会のメンバー全員で一致していたのは、 先ほど斉藤先生もおっしゃっていた「学校教育法の制約を受けない学校をつくろう」ということでした。
学校教育法に縛られない学校づくりを基本にしながら、 もっと外部の先生方に来て頂いて様々な新しい事を学生に学んでもらう実践的教育をしていこうという話もすでに出ていました。
ところが平成7年に震災が起こった事によって、 兵庫県は予算が逼迫しかなり厳しい状況になりました。 私達はこの計画は駄目になるだろうと思っていたところ、 震災後すぐに当時の貝原知事から「この学校は是非創る必要がある」という方向性を頂きました。
要するに震災から立ち上がり、 これからまちづくり・地域づくり・緑づくりをしていく中で有用な人材を是非兵庫県で育てていきたいということで、 厳しい予算の中、 この学校設立計画が震災復興のモデルプロジェクトに位置づけられたのです。
このような経緯で平成11年に無事オープンしたというわけです。
景観園芸学校の経緯
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