祭りとコミュニティ
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質疑応答

 

 

なぜ祭りは80年代に復活したのか

鳴海

 ではここから質疑応答に入ります。

 ひとつお断りをしておくと、 私の故郷である青森のねぶた祭りは、 関西圏の祭りと違って地域の縛りが全然ないことを発見しました。 面白いことだと思います。

丸茂(関西大学)

 私の研究室でも、 愛媛県西条市の祭りを題材に同じようなテーマで調査しており、 今日の話を大変興味深く聞きました。 祭りは高度成長期に衰退し、 昭和50年代に復活したというご指摘がございましたが、 西条市の祭りでも屋台(山車)が80年代以降に倍増しているという現象があります。 一体その復活の原因は何なのか? また、 こういう現象は全国的なことなのかどうかをうかがいたいと思います。

 岸和田のだんじりのテレビ放映が復活のきっかけになったとのお話でしたが、 それ以外に社会的な事象の中に復活の要因は考えられますか。

杉本

 まず、 1980年代以降の祭りの盛り上がりについてですが、 大阪の場合も1980年代以降に復活した祭りの事例が多いようです。 しかし、 何が復活の原因なのかについて「これだ」と明快な答えを聞いたことがなく、 お話しをうかがった方々もみんな「さあ?」と首をかしげるばかりです。

 その復活の要因としてテレビ以外のことを、 私なりに推測してみました。 姫路の提灯祭りのように有名で大きな都市のお祭りはとぎれることなく、 昔から今までずっと盛り上がっていますよね。 また、 三田の貴志集落のように昔から変わることなく守られている農村のお祭りもとぎれることなく続いています。 ところが、 都市と農村の中間にある小さなお祭りは、 高度経済成長期に続けるかどうかの選択を迫られたと思うんです。 結果、 お祭りを止めてしまったところがかなり多かったのではないでしょうか。

 それがなぜ1980年代に続々復活したかについては明確にお答えできませんが、 こんなことが考えられるのではないでしょうか。 (1)都市的社会に傾いていたところが少し農村的社会に戻りたくなった、 (2)区民祭りなど地域の新しいイベントをやる場合、 だんじりなどの伝統的資源に頼らないと出し物が準備できない。 大坂城築城400年祭の時、 大阪中のだんじりを集めようとするなど、 そうしたイベントがけっこうあって、 それがお祭り復活のきっかけになったという話しも聞いたことがあります。


新興市街地住民を巻き込む祭りと巻き込まない祭りとの差は何か

田端(大阪芸術大学)

 杉本さんのお話では、 大阪の祭りはもともとの旧集落が回りに出来た市街地の人たちと一緒にお祭りをやっているということでした。 なのに岡さんのお話の三田のニュータウンの人たちはそうした旧集落の祭りの中に入りづらいという話です。 その差は一体どうして出てくるのでしょうか。

 実を言うと、 大阪の祭りの場合も、 たいていの場所では中心に運営しているのは村の人ばかりなんです。 村人がはっきりしているところはそんな実情で、 大阪のように市街化した時期が早く、 村人がはっきりしていないところではその辺があやふやなんです。

 村人がはっきりしているところというのは、 村としての財産を持っているところです。 本来なら「村入り」の時にお金を出して村人になる権利を買うものだったんですね。 共有財産として大きなものを持っているとよその人はただでは入れないというシステムがいまだに残っているようです。 ところが、 今は大金を出してまで村人になってお祭りに参加する必要はないのです。 しかし、 その名残はあるのではないでしょうか。 祭りに参加するしないの上で、 村の財産が関わってくる面は大きいと思います。


地域の祭りは有志が担える仕組みにするべき

林田(大阪大学大学院)

 私も学生の時、 東北4大祭りに参加したことがあり、 中でも青森の「ねぶた祭り」が印象に残っています。

 多分今でもそうだと思うのですが、 ねぶた祭りの「ハネト」は、 誰でも参加できる形です。

 山形の「花笠祭り」や「秋田の竿灯」も自由参加のお祭りでした。

 東北のお祭りは衣装もデパート等で売っていて、 村の人達でなくとも参加しやすい仕組みになっていたと思います。

 またお祭りではないのですが、 浅草の「ほおづき市」に行ったときは、 地元の人手が足りなくて、 千葉や埼玉の方からも若い女性をバイトとして雇っているという話を聞いたことがあります。

 実際「ほおづき市」に行ってみると、 「この人、 地元じゃないな。 」と思える人が地元の人のような顔をして売っていたりします(笑)。

 観光化された大きな祭りと地域の小さな祭りを一緒にはできないとは思いますが、 祭りを支える地元の人手が足りないときは、 地域外に人手を求めることも祭りの役に立つと私は考えています。

 祭りに必要な人材を広く公募する等、 地域を超えて人材の交流を計ることは可能かどうかについて、 コメントをいただければと思います。

 御神輿を担いだり、 引いたりという人たちは有志として出てくると思います。 青年会有志もただ「やりたい人」のことで、 氏子で村入りしている人であっても参加したくない人は出なくていいという雰囲気が出てきました。 半世紀前まではとにかくある年齢に達したら義務的にお祭りに参加しなくちゃいけなかったのですが、 最近ではそれを拒否する権利が出来てきたのです。 それと同時に、 若い人たちは「村人でなくてもやりたい人がやればいい」「よそから友達を呼んでこよう」という風に考え始めました。 ですから、 今の若い人たちが長老になったときには、 祭りの性格はゴロッと変わっていると思います。

 ただ、 「村人」という概念は祭りとは違う次元の話で、 それはそれとして残り続けると思います。


開かれたコミュニティ、 開かれてないコミュニティ

鳴海

 今日はこのテーマを一緒に研究して下さった民俗学の森栗先生、 澤木先生もいらっしゃっています。 ここで、 お二人の立場から感想やコメントをいただきたいと思います。

森栗(大阪外大)

 今日のテーマはなかなか難しいなというのが感想でして、 村と祭礼は本当に関係ないのか、 いやそうでもなさそうだと思いました。

 開かれたコミュニティと開かれてないコミュニティをどう考えればいいのかは難しい問題だろうという気がします。 開かれてないコミュニティも、 (例えば、 大阪の今里のように)なぜある時突然開くようになるのかもよく分からないですし、 それをどう考えれば良いのかも私はよく分かりません。

 また、 形態としては都市なのに、 入ってみると村だったということもよくあります(神戸の長田なんかそうです)。 まだまだ課題は続くという感じですね。


祭りの性格によって関わり方も違ってくる

澤木(大阪大学)

 今日はお祭りをテーマに報告がされましたが、 この研究会の主題は地域型のコミュニティを考えることでして、 地域コミュニティにとって祭りがどんな意味を持つのかをいろいろ考察しました。 やはり、 地域や祭りの性質が様々ですから、 ひとことでは語れないことがあります。

 祭りの性格によって、 参加しやすいものとそうでないものがあります。 例えば、 網干の祭りのように、 地域コミュニティが互いに競い合うような形で行われる祭りであれば、 祭りはコミュニティを活性化しながら生き延びていくだろうと期待を持てます。 反対に、 小さな集落の村祭りでは、 外部から見ると「参加して面白いんだろうか」と思ってしまうものもあります。 あまりに素朴なお祭りだと、 仕掛けの面白さが乏しいのですね。 そういう祭りでは、 「入るのにも大変そうだし、 入っても面白そうでない」とニュータウンの住民たちは思ってしまうのです。 祭りとコミュニティはそれぞれケースバイケースで、 1つの結論には収束しないのです。

 ところで、 丸茂先生がおっしゃった「なぜ80年代に多くの祭りが復活したのか」についてですが、 私としては次のように考えられると思います。

 まず第一に、 1970年の大阪万博で、 各地の伝統的な祭りが初めて見せ物になったことです。 その後、 いろいろなイベントでそうした祭りを「人に見せる」ということが普遍化していきました。 ちょうどその頃、 アンアン、 ノンノといった雑誌や「ディスカバー・ジャパン」の流行語に代表されるように、 日本各地の伝統や文化、 地域性を再発見することが一大ブームとなりました。 祭りの復活の背景には、 そんな時代の空気もあったと思います。 他にもいろいろな要素があると思いますが、 時代の空気に敏感に反応した地域で祭りが復活したのではないかと推測します。


神輿の引き回される場所について

杉浦(ランドスケープアーキテクト)

 祭りの拠点になる場所や神輿が引き回されるルートについてうかがいます。 それ
らは既存の村のバウンダリーとか周辺に新しくコミュニティが出来ているバウンダリー
とは関係するのでしょうか。 また、 祭りの拠点となる場所は神社の境内や参道が多い
と思いますが、 それ以外にも使われる場所があれば教えて下さい。

杉本

 神輿が練り歩くのは、 村の鎮守の神様が自分の領内を見回るというのがもともとの発想でした。 しかし、 現在のだんじりのルートはもっと即物的と言うか、 回れるところは全部回って花代を稼ごうという発想ですね。 ただ、 そのルートは旧村落の範囲内に限られています。 また、 隣に団地が出来るとそこは別の町会になるので行きません。 その辺は、 境界が露骨に出ていると思います。

 祭りの拠点について言えば、 だんじりを引き回す先の御旅所となる場所が町内にない場合、 グランドや公園を借りています。 今里は町内にそれもなくて、 会社や個人のガレージを借りています。 場所を貸した会社はお花代の代わりに、 そこで飲み物を出しています。

鳴海

 みなさん、 今日はいろいろとありがとうございました。 では、 これで本日のセミナーを終了します。

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