質疑応答
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鳴海:
では今から質疑応答に入ります。今の丸茂先生のお話、どなたか反論のある方はいませんか。
井口:
丸茂先生への反論は全くありません。
ただ最後にこれからのブータンがどうなっていくのかと述べられましたが、僕も旅行しながらいろいろ考えました。一番目の「普通のアジアの一国になる」、これは一番ありそうな将来図です。二番目の「アジアのスイス」という選択肢がありますが、これは実現したら一番望ましいし素晴らしいことだと思います。
しかしその時のブータン人はどういう生活をしているのか。やっぱり生活はアジアの普通の国と同じように一番目の内容になっているのかもしれません。つまり、いつまでも変わらないブータンという外見を売り物にしていく近代化です。観光公害の心配はありますが、それでもこれが一番良いかなと思います。三番目の選択、ブータンからの文明の逆流はまずないと思います。それだけの力はブータンにはありません。あるとすれば、それはむしろスローライフ等に見られるヨーロッパでしょう。
千葉:
ブータンの人は保存という意識はないのかもしれません。ただ、ある様式を次の世代に継承していくことを日常的にやっているのでしょう。我々はそれを保存と呼びましたが、彼ら自身の意識としてはそうじゃないかもしれない。
丸茂先生があげた将来のシナリオの三つは面白く聞きました。私はこうあってほしい順番は3、2、1だろうと考えました。辺境から文明の逆流が始まるという話は仮説として面白くて、我々も見て来たものの中からぜひそれを見つけてみたい。例えば、国の森林面積が年々増えている。世界でも珍しい国であるとか。
それから英語と伝統文化を守るのは根が同じだとおっしゃいましたが、これはよく理解できませんでした。機会があれば教えていただきたいと思います。
難波:
地産地消の話は私も感じるところです。日本人もお米をしっかり食べないといけないと思っています。
文明の逆流についてはブータンから発信するんじゃなくて、逆に我々がどう受け止めるかがポイントだと思います。我々がうまく受け止めたらブータンも発展するんじゃないかという感じがします。
小林郁雄:
私も10年ほど前にブータンに行ったことがあります。その時と比べると自動車と高い建物が増えた感じです。
ただ私がブータンで一番印象的だったのは、町中の建物より圧倒的な量の自然、氷河の跡や雪をいただくヒマラヤの姿とともにある自然でした。あんなすごい急斜面でダムができるとは思えません。そうすると自然環境はほとんど変わらないでしょう。建築よりも圧倒的な自然と土木工事の量の関係の方が景観的には問題ではないかと思います。建物がどうなるかより土木的なことの方がブータンにとって考えるべきことだと思います。
反対に氷河の跡地のような大草原の風景や峠の上の旗(ダルシン)がひらめく風景は、いつまでも残るような気がします。
玄道:
私は10年ばかり前(95年4月)、ラサを中心にチベットを訪れたことがあるのですが、今回報告されたブータンのスライド写真を拝見して、その中の数コマがチベットの寺院で見た情景ととてもよく似ている印象を受けました。ただ、チベットは自然条件が厳しくて牧畜中心なんですが、ブータンは水に恵まれて米作中心という大きな違いがあるように思われます。食生活についての言及がありませんでしたが、おそらく米を中心に魚を捕って食べているのでしょうか。
本日の報告は、大変刺激的な内容の話だったと思います。ありがとうございました。
鳴海:
今年は景観をテーマにセミナーを開催してきましたが、回を重ねるごとに重たいテーマになっていきました。できればこうした関心を持って来年も展開できればいいと思っています。
では今回のセミナーについて私の感想兼コメントを述べさせていただきます。
昔、原広司さんという人が東洋には西洋の建築を入れると壊れてしまう何かがあるとおっしゃっていました。空間の使い方が違うと問題提起されていたのを思い出しました。
文明について言うと、福沢諭吉が言った文明論とは近代文明を標的にした限定的な文明論で、日本にもそれ以前から文明は存在するのです。梅棹さん的な文明論で言うと日本もひとつの文明ですし、その辺も考えないといけないと思いました。
以前、私は試みに日本の文明・文化を論じた人のうち、和辻哲郎さんと柳田國男さんの文献で日本の風景や景観がどんな風に考えられていたかを調べたことがあります。
和辻さんの文献ではもうボロクソに書いてあって、狭い道路に車が入ると側溝に鯨が入ったようだとか、道路を広げると大名行列に家々が土下座をしているような風景になるとか、スゴイ悪口です。
柳田さんは反対に、いろいろなものが景観に混じるのも日本の元気の現れだからいいと書いていました。柳田さんの見方にその後の日本人が染まってしまった可能性もありますが、そんなことも今日思い出しました。
いつから景観はこうなったかを、学校では両方同時に教えられないこともあって難問なんです。来年、機会があればもっと掘り下げてこのテーマに取り組んでみてもいいのではと思います。
とりあえず今年最後のセミナーはこれで終わります。今日発表していただいたみなさん、どうもありがとうございました。
ブータンの人々の精神生活について、17世紀にチベットの僧が仏教を伝えたということですが、私はむしろその前はどうだったんだろうと気になりました。そして、チベット仏教と今日のブータンの人々の生活との関係はどうなっているのか、これからその辺りも勉強してみたいという感想をもちました。
というわけは、私のチベット体験の話に戻りますが、彼らは厳しい自然条件の下、物質的には決して豊かな生活水準にあるわけではない。しかし、いろんな所で出会った人達の表情が大変明るいわけです。私は何故だろうと考えました。彼らの日常生活では、自分たちの食するバターの量を減らしてでも、寺院の祭壇へ献灯を欠かさないといわれます。こんな仏教に対する深い信仰心がチベットの人々の明るい表情の背景にあるように思えたのです。そこで、ブータンの場合はどうなんだろう、と素朴な興味を覚えました。
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