日本の原風景の源流を探る
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風景とアイデンティティ

関西大学/現代計画研究所大阪 江川直樹

 

   ブータンから学ぶことはたくさんあると思うのですが、それよりも、帰国後、ずっと考え続けていることがあります。『(国の)アイデンティティと風景』についてです。美しい田園風景や素晴らしい農家、ちょっときわどい近代化の風景などを愉しんでいたのですが、私の心の平静をやぶるある光景を目にしたことがきっかけでした。詳しいことは最後のほうで述べさせていただきますが、世界中どこでもあるような風景かもしれない(今の日本では見ないけど)と思いつつ、ブータンのGNHの世界で見たがゆえに、私にはショッキングで、実は、写真にも撮れなかったほどだったのです。
 まずは、私にとって印象的だった写真を織り交ぜながら、ブータンを扱った書物からの文章をご紹介したいと思います。ブータンがどういう国だと思われているかが良くわかります。文章には、先に報告された方々のご紹介と重複するところもありますが、全体像の再確認だとお思いいただければ幸いです。書かれた当時の年代を記してありますが、今から5〜6年前で、今日、見たようなティンプーの近代化の様子などは、あまり述べられていません。

 「人々の生活のリズムから、生きかた、建築や集落の佇まい、それらを支配するのはあやしげな風水思想ではなくて、まさに地に足つけた風と水、天と地のありかたを受けとめる姿勢である。そして、いたずらに近代化に走らず、その意味をしっかりと考えながら進もうと云うこの国の政治は、後進国が総て失敗した近代との遭遇を見事に乗りきったように見える。民族衣装を着、懐に椀や小刀を忍ばせた伝統的な姿で、政庁と信教が同化してゾンという形にまとめあげた建物の中庭で、凛とした英語をかたる人々の会話を聞いている
 と、私たちは江戸時代の江戸や、中世のボローニヤにでもいる気持ちになってしまう。この人間の力以外加わっていない大地、その上にごく自然に素直に載っている建築、そして静かな瞳で世界を見つめながら自分たちの生活を考えている生活。私たちがあわただしく置いてきてしまった過去の意味を、この国の風土の中に無数に見いだすことができるのが、ブータンの感動である。」
(天と地が支配する世界の感動 宮脇檀 1999)

 「ブータンの建築はいずれも分厚い石積み、土壁(版築)で構造体がつくられており、その防御的形態はヒマラヤ山脈を越えた北側のチベット高原一帯に見いだすことができる。いっぽう色鮮やかな絵画的な装飾を含め、華頭窓や柱頭の形、肘木、軒蛇腹などに見られるイスラム的あるいは中国的な意匠上の特徴は、古代シルクロードを経由し、遠くイラン高原と中国との東西交易によってもたらされた数々が、チベット文化に色濃く反映されたものと考えられる。今日造られる建築物の窓や軒周りの細部にも、こうした伝統的な意匠が見受けられるが、これは建物の外観は伝統的な様式に従うよう法律で定められているからである。ブータン建築のもうひとつの特徴は大きな屋根である。土で固められた最上階の床の上に、軒を深く突き出すようにして載せられた木造の単純な仕掛けの佇まいは、日本の倉の屋根に見られるようないわゆる「置き屋根」に近く軽快である。」
(ブータン独自の複合建築 猪野忍 1999)

 

 「地理的な条件を利用して尾根や谷筋など見晴らしの良い場所に建てられたゾンは、分厚い意思と土で築いた壁で囲まれた大規模な「要塞建築」である。17世紀前半、チベットからの僧によって造られたのが始まりで、現存するゾンの多くは国の政庁や各地方の行政庁舎として使われているが、内部に重要なラカン(仏教寺院)を有するものも多く、宗教的活動の中心の場としても機能している。要塞であると同時に宗教的な役割を併せもつゾンは、これらブータン建築の特質が最も理想的な形で表現された建築である。高度な木工技術や優れた意匠は云うにおよばず、収蔵されている貴重な美術品までも含めて、隅々にまでこの国の精神的エネルギーと仏教文化の表出を感じとることがえきる。
(ブータン独自の複合建築 猪野忍 1999)

 「ところがブータンには押入れというものがない。布団は折り畳んで部屋の隅に置かれたままで、季節ものの衣類は行李に入れられ仏間に置かれている。食事も、家族が集まり輪を描いて床に直接座るから、テーブルもイスもいらない。・・・・・そこには、さしたる家具のない住まい方の中で、不釣りあいなほどの立派な家具があった。ク(khu)と呼ばれる仏壇である。・・・・・生活道具と仏具のこのような不釣り合いをどのように理解したらよいのであろうか。20世紀、先進国は文明の名のもとに物の豊かさを追求し続けてきた。ブータンは逆だった。ひたすら個々の内面に向かって精進し、豊かさとは何か、心のやすらぎは何かを自問し続けてきた。物の豊かさは公害を生み、地球環境の危機すら叫ばれている。ブータンの人々が歴史のなかで仏具に投じ続けたエネルギーを、私たちは笑うことができない。国民総生産量・GNPより国民総幸せ量・GNH(Gross National Happiness)を大切にする政策も、こんな理由によるのかもしれない。ブータンの民家を見ていると、近代的な価値観のなかで失われたものが喚起されてくる。その土地にはその土地の知恵があり、化学的な面だけでは捉えることができないものがある。自然に逆らわず、家畜と共生し、あるがままに生きる豊かさを、私たちはいつ、どこに、置き去ってしまったのだろうか。信仰のなかに見いだすその生活とそのシステムは、生きるとは何かをわれわれに語りかけているのである。」
(風の国ブータンの民家と暮らし 最勝寺靖彦 1999)

 「自国の伝統的価値と礼儀作法を守ろうとするディクラム・ナムシャ運動のおかげで、ブータンを訪れた人の多くが、この国を伝統が残された古い国であると感じる。建物には伝統的装飾が施され、人々はゴ(Go)やキラ(Kira)といった民族衣装を身に纏う。彼らは敬虔にチベット仏教を守り、寺院に行かずとも日常の生活の中で仏と一緒であることを感じながら穏やかに暮らしている。しかし、これらは単に長い時間の蓄積だけで育まれてきたものではない。そこには幾多の闘いの歴史があった。古くはチベットとの闘いであり、イギリスとの闘いであり、さらには国内での地域間の闘いである。そして、今、伝統的価値を守る闘いは、近代化との闘いでもある。日本や世界のほとんどの国が近代化を全面的に受け入れたことと引き換えに失ってしまったものを、ブータンの人々は知っている。ブータンは近代化ということを自らの国の価値に照らして選択し、第3の道を探す闘いを続けている。」

雷龍の国に魅せられて 井上洋司/笹原克/村山隆司

 「「近代」が、世界という存在を前提として生き、生きざるを得ない時代と考えるとすれば、長い鎖国の時を経て、今、まさに、新たに世界との交流を始めたばかりのブータンは、近代化のとば口に立ったところといえる。ブータンを訪れるたびに、首都・ティンプーでは街を走る車が増え、観光客も増え、ヴィデオ・ショップも多く見られるようになってきている。各国からの援助による橋や道路、通信システムの建設に携わる近隣諸国からの労働者たちによってもたらされる膨大な情報や物資が、これまで培われてきたこの国のアイデンティティを脅かすような事態も各所に見受けられる。近代化は、まさにこれからが正念場といえよう。チベット仏教に支えられ、チベット仏教がすべてを包み込み、育んできたブータン文化をいかに未来につなげてゆくか。これは、これから、ここブータンを訪れる人々にも与えられる大いなる課題でもある。」
 ノスタルジア・ブータン 猪野 忍 1999

僕達がブータンから学ぶことは?
 僕達がブータンとともに考えることは?
 
 風景とはなにか、地域性とは、
 そして、国のアイデンティティとは何か?
 
 ブータンから帰国後、常に僕の胸に残っているモヤモヤがある。
 それは、小学生の民族衣装の風景だった。
 
 「ブータンは、個人と社会の全体的開発にとり、開発が国民の経済的、社会的、情緒的、精神的、文化的要求の間に、持続的な調和を保つことが重要であり、個人と社会における物質的な要求と無形な要求との間の調和をはかる絶え間ない課程として開発を考える。」と言う。
(窓から見るブータン ドゥック・ユルまたは雷龍の国 2005)
 「「ハイヴァリュー、ローインパクト」政策により、観光客の数を制限し伝統文化を守る。」
(Bhutan Land of the Thunder Dragon 2005)
と言う。
 「幸せは相互に与える関係であり、相互信頼に基づく有意義な関係を持つことである。」
(Bhutan Land of the Thunder Dragon 2005)
と言う。

 

 今、
 幸せは、
 誰の幸せを考える時代なのだろうか?
 
 制限するのは観光客の数なのだろうか?
 多くの、次代を担う若者が、
 訪れて、考えることのできない国で
 良いのだろうか?
 
 民族衣装を着て意気揚々と小学校に通う多くのブータン人の脇で、
 現場小屋に住み、道路工事に励む、
 多くのインド人の家族が居ることも又、
 ブータンの事実なのである。
 民族衣装を着て意気揚々と小学校に通う多くのブータンの子供の脇で、
 現場小屋に住み、道路工事に励む、
 多くのインド人の子供がいることも又、
 ブータンの事実なのである。
 
 そういう風景にちょくちょく遭遇した。
(写真がなくてごめんなさい。とても、カメラを向けられなかったのです。)
 
 もっと、交じり合う人々の風景の創出が必要ではないのか?
 そのなかにも、
 風土や地域に拠って立つ、
 風景としてのアイデンティティがあり、
 創造の楽しみ溢れる世界観が見つけられるのではないのか?
 
 ブータンから帰って、
 考えているのはこんなことばかり。

 翻るダルシンの風景は、たしかにブータンそのものの風景だろう。
 だが、そのブータンの心にだけでなく、
 もっとコスモスな感動を得る素晴らしい風景だった。
 
 小学生の民族衣装とダルシンに、何の違いがあるのかが悩ましい。

 民族衣装といえば、イエメンに行ったときのことを思い出す。現代の衣装と、民族衣装が入り混じり、渾然となった現代のイエメンがある。その昔、イエメンは、「幸福なアラビア」と言われた。古代からインドと地中海を結ぶ、「海のシルクロード」の要地として栄えてきた。アラビア半島の3つの国、サウジを中心とした「砂のアラビア」、シリア、ヨルダンの「岩のアラビア」に対してこう言われる。時代は移り、現在のイエメンは、「アラブの最貧国」。しかし、イエメンはアラブの人びとにとって、心のふるさとだという。アラブ文明発祥の地とされるこの国で、イエメンの人びとは古きよきアラブの習慣を大切にしながら、数千年もの間、大地に足を着けて生きてきた。アラビア半島を旅してきた若者は、こんなことを言うそうだ。「イエメンにきて、初めてアラブのよさがわかった気がする」と。小柄で頑固なイエメン人、彼らの懐の大きさが「幸福のアラビア」を守り続けているのだという。現代の衣装と、民族衣装が入り混じる現代のイエメンがそうなのだ。そして、そこに、僕はコスモスな感動を得て、地球人としてうれしくなる。
 
 ベトナム、ハノイの風景を小田実は、「横に伸びる百貨店」と言っている。
 「大きな通りの両側にズラリと行けども行けども小さな商店が並んでいて、いや、ひしめきあっていて、・・・街全体が何階、何十階もの建物のなかで上に伸びる百貨店ではなくて、長く横につらなって伸びる百貨店になっている・・・「この百貨店にも3世紀があるよ。18世紀、19世紀、20世紀」・・・今のベトナムには3世紀が共存している・・・その隣がインターネットカフェ「21世紀まであるよ」・・・しかし、これからのベトナムはどこに行くのか。一つの未来は、今ホーチミンやハノイで建てられつつある高層、超高層建築のように、近代化の名の下に、横に伸びる百貨店を叩きつぶして、高層、超高層建築にかえてしまう未来だ。しかし、その未来は、3世紀の共存、ひしめきあいを根だやしにする未来だろう。それは、その共存、ひしめきあいが発する活力を殺す未来になる。」
 これは、ベトナムの話から、神戸の復興計画に意見する話なのだが、僕は、この混在の風景が大好きだ。そこには歴史が見え、今に生きている実感を得る。世界を感じる。
 
 先日見たTVで、ブータンの若者が言っていた。
 「僕達は、映画に出てくるような、現代的な格好をしたいのです。」
 
 決して間違った発言だとは思わない。
 僕自身、自衛隊や軍隊、学生服のように、強制された制約の風景は大嫌いだから。
 民族衣装で文化を保存するのではなく、もっと、ワールドワイドな暮らしの中に、ブータン人としてのアイデンティティや、風景が実はあるのではないのか。
 過去と現在が、歴史の共存が、せめぎあうところに、若者の興奮も、観光客の興奮もあるのではないのか?
 守るのは、そして考えなくてはいけないのは、民族衣装ではなく、小林さんのおっしゃるように(質疑の項参照)、美しい自然と共存するやわらかくてかつ靭性の高い土木的施設の創出であり、屋根だけがついている巨大なホテルに代表されるような伝統様式ではなく、時間と自然との共生の中で育んできたヒューマンなスケールのような気がする。そして、同じことを日本に対しても言いたい。伝統様式を、形だけで語るのではなく、継承すべきはスケールの捉え方であると。
 
 
(注)江川は、セミナー当日は出張中のため、PPTによる「映像とコメント」報告でしたので、今回、あらたに書き起こしています。

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