上田篤「日本人の心と建築の歴史」を語る
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昼は人が作り夜は神が作る

 

井口(京都造形芸術大学)

 レジュメにあります「昼は人が作り、夜は神が作る」という魅力的な言葉が印象的でした。このあたりのことをもう少し説明してください。


ヤマトトトビモモソヒメ(倭迹迹日百襲姫)の逸話

上田

 ありがとうございます。私もそれをぜひお話ししたいと思っていたところです。

 私は先ほど偉そうに日本の町づくりには哲学がない、と言いました。じゃあどんな哲学があるのか、ということになります。それが「昼は人が作り、夜は神が作る」ということになると思います。これが日本の町づくりの哲学です。

 「日本書紀」という古い本があります。神話が多く書かれていますが、日本の最初の正式な歴史の記録つまり正史です。ただ現代の中・高校では教えられていませんので、ほとんどのみなさんは内容をご存知ないと思います。

 この中に崇神天皇の伯母の話があります。名前をヤマトトトビモモソヒメと言います。この人については巫女としていろんな霊感を発揮した逸話が書かれていて、彼女こそ卑弥呼である、という説もあります。

 その一つに、三輪山の神が毎夜モモソヒメの所に通う、という逸話があります。これは妻問い婚という古い結婚の形です。昔は男が女の所に通ったんです。

 しかし、夜通ってきて朝には帰ってしまうから、夫の顔が分からない。ある時モモソヒメが「あなたの顔を見たい」と頼んだところ、神が小箱を渡して「これを見たら私の姿が分かるけれど、決して驚いてはいけない」と言う。そこでモモソヒメは朝、三輪山の神が帰った後、おそるおそる箱を開けてみたら、そこには小さな蛇が一匹入っていた。それを見たモモソヒメは驚いて倒れてしまいました。

 「驚くなと言ったのにそんなに大げさに驚くようでは、私はもうあなたの所に行かない」と神が怒ったために、モモソヒメは悲しみに耐えかねて死んでしまった、という話であります。


モモソヒメの箸墓建設にみる民の合意形成

 モモソヒメの死後、それを悼んだ人民がモモソヒメの墓を造りました。三輪山の山麓にある「箸墓」がそうです。前方後円墳では一番古いとされているものです。

 この墓を造るとき、逢坂山の石を運んで造ったのですが、墓まで20kmの距離があります。その距離を人民が一列に並んで手渡しに石を運んで造った、と書かれています。どのくらいの人数がそれに必要だったのか。1メートル間隔で並べば2万人、2メートル間隔でも1万人が必要です。この話を信用するなら、とてつもなくたくさんの人が石を運んだことになります。20kmの間には川や池もあるし、誰がどのようにして運んだのか、面白い話なんです。

 そして日本書紀には、このような難事業をどうやってやり遂げたかについて「昼は人が造り、夜は神が造った」と書いてあります。その解釈についてはいろんな説がありますが、私の説はこういうものです。

 箸墓以降、日本歴史にはいろんな土木工事が出てきます。例えば田んぼにどうやって水を順番に流すか、どうやって共同作業をするかなど、いろんな細かい決め事が必要になってくるのですが、その時人々は鎮守の森に集まって、何日も会議を行って決めていくんです。鎮守の森で会議をするときは、一カ月も二カ月もかけて議論して決めていきました。みんなが納得するまで案を修正し、7割が賛同したら決定です。後の3割はそれに従うのが日本の寄合いの暗黙のルールです。

 そこでは西欧的な多数決というやり方は絶対に採らない。つまり3分の2が積極的に賛成するとあとの者はそれに従う、というやり方です。

 それで決定したら、その文書を神様に奉納します。その後は、その内容に違反することは許されません。違反すると、村八分になるのが日本の掟なんです。

 その日本的な決め事の原型がこの「箸墓」の時にすでに出来ていたのではないか。それが私の説です。

 つまり、逢坂山の石を運ぶとき、運河を掘るとか荷車で運ぶとかいろいろ案があったはずです。でも結局、技術がなくても誰でもできる人民が手で運ぶことを3分の2の決定で決めたのではないか。そして、そういう柔軟な発想で全員が参加してモモソヒメのためのモニュメント造りをやったのではないか。

 そこに私は人民による町づくり、国づくりの原点があると見ているのです。

 外国では川を治めるものが国を治める、と言われます。中国では禹とか舜という帝王が黄河の治水に成功して王朝を築きました。ヨーロッパや中国では、そうした権力による上からの都市計画はあるのですが、日本では、人民が町を造るときにみんなの利益が錯綜しますから、その調整をするために何日もかけて議論しました。その結論を神様に奉納した。以降それは「神様の託宣」ということになって、ルール違反は許されない。日本の決め事は神様を入れることによって成功してきたのです。

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