上田篤「日本人の心と建築の歴史」を語る
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明治維新と「日本人の文化意識の解体」とは?

 

橋本

 予告タイトルに「すべての原因は日本人の文化意識の解体にある」と書かれていますね。明治維新の時、どんな風に解体されたのか、その辺をうかがいたいと思います。


天皇制にみる日本文化への訣別

上田

 一番大きいのは、伊藤博文、大隈重信、井上馨らが文明開化つまり欧米崇拝を進めようとしたとき、天皇を利用したことです。まず京都に住んでいた天皇を東京へ連れていった。

 江戸時代が終わるまでの天皇とは、お化粧をし、お歯黒をし、髪も長くして女性的な存在でした。歌会の時も自分を女性になぞらえて恋に破れた歌をつくる天皇が多かった。これは日本の皇室の伝統です。もっとも、これは丸谷才一さんの受け売りですが。

 これには重要な意味があるんです。つまり日本の天皇は女性的な存在が伝統だった、ということです。

 ところが東京に来て江戸城に入ると、なんと日本文化とは一切縁を切ることになってしまいました。畳の部屋じゃなくてベッド。日本料理じゃなくてフランス料理。天皇陛下ご自身もひげをはやして、軍服を着て、軍馬に乗って、剣を下げられました。天皇自ら剣を下げるなんて、日本の歴史上あり得なかったことなんです。

 何故かというと、天皇の一番大きな仕事は、女性に妻問いすることなんです。各地の有力な豪族の娘とたくさん結婚して、これを神婚と言いますが、子どもが生まれると沢山の子ども達の中から豪族達が優秀だと認めた子どもが次の天皇になるわけです。必ずしも長男が継ぐわけじゃありません。歴史上も、長男が天皇にならなかったケースのほうが多いんです。

 天皇は豪族達に認められることによって天皇になり、それで全体の支配つまり国家をまとめるという大任を負うのです。

 それが天皇というものですから、天皇は常に妻問いをして恋の歌を詠むのが仕事だったんです。なのに軍刀を下げて馬に乗り、大元帥陛下になったんですから、こんな馬鹿な話はない。犯罪的行為です。

 こうした行為のお手本としたのは、ドイツのカイゼルです。大日本帝国憲法もドイツのプロイセンの憲法を元にしています。こうしたことが日本百年の悲劇の始まりだったと思います。

 こうして日本の文化は抹殺された、と言っていいでしょう。邦楽だって学校教育じゃ教えないでしょう? 絵画だけはフェノロサというアメリカ人が認めたから芸大に残りましたが、それ以外は壊滅です。日本にはいろんな彫刻や家具・工芸品なんか素晴らしいものが沢山あったのに、全く評価されませんでした。

 建築だってそうです。大学では鉄筋や鉄骨ばっかり教えますが、木造は「大工に任しときゃいい」と教えないまま来ています。日本の大学で建築学科は百ぐらいありますが、木構造の知識や技術を教える所は皆無に近いのです。つまり日本の大学は木構造の建築文化を伝えることは捨ててしまったんです。鉄・ガラス・コンクリートの建築を教えるのが悪いと言っているわけではありませんが、それまでの文化を捨ててしまったのは大問題です。

 そうしたことの根元が天皇陛下にあります。つまり欧米文化を崇拝し、日本の文化を抹殺するための「カイゼル式天皇主義」だったのです。洋風文化の頂点が天皇なんです。今も天皇は和服を着てはいけないんです。一切、日本文化を排除するのが明治以降の天皇の仕事になってしまったんです。

 戦後は手本がヨーロッパからアメリカになりました。軍国主義から経済主義です。軍隊で負けたものですから、今度は経済で勝ってやろうと、公害をどんどんばらまき、道路を日本中に作りまくりました。これが戦後の日本の姿で、上から見ると、どこも同じ四角いビルの街並みしか見えません。

 ビルの形で言うと、ヨーロッパの高層ビルはいろんな形があるのに、日本はどれもミース・ファンデル・ローエ型ですよね。おそらくこの形が一番経済的だったんでしょう。こんなビルをどんどん建てるから、外国人にリトルアメリカと言われてしまうのです。こういう街しか子孫に残せないとしたら辛いことです。


いまだに続く文化への軽視

 ついでにトリノオリンピックで、なぜ日本人はメダルが取れなかったのか、の話をします。まあ最後に荒川静香さんが1個だけ取りましたが。

 1個だけとはいえ、取れたのは荒川選手だけじゃない、女子フィギュアの層の厚さが背景にあったからです。村主、安藤もすごかったし、出られなかった人のレベルも相当高いというじゃないですか。シドニー・オリンピックで金を取った女子マラソンの高橋尚子選手も次のオリンピックでは外されてしまいました。しかし野口みずきがちゃんと金を取ってきました。この競技の日本の層は厚い、ということです。メダルを取れたのは、その選手だけがすごかったのではなく、日本にその競技人口の厚みがあるのです。

 言い換えれば、メダルを取れなかった競技は層が薄い、ということになります。今回のオリンピックではまずそれを感じました。

 層の厚さに関しては、もうひとつ思ったことがあります。女子フィギュアの主な選手はほとんどアメリカで練習しています。それはコーチの問題もありますが、より大きな問題は日本にはフィギュアを練習できるだけのアイスリンクがないことです。あってもとても高い。アメリカだと、フィギュアの練習には安く借りることができるんです。

 なぜこんな話をするかというと、私の思い出で恐縮ですが、1980年から4回、大阪でウォーターフロントをテーマにした建築の展覧会をしたことがあるんです。安藤忠雄君や渡辺豊和君、その他多くの建築家も参加してくれたのですが、その頃「大阪を水の都にしよう」というテーマが初耳だったのか、スポンサーを募って企業を訪ねても「それは江戸時代の話じゃないですか」と夢物語扱いでした。

 ともかく文化的催しに相応しい会場を借りるためにも日本ではお金がいるんですよ。情けないと思いましたね。その時、聞いたことですが、アメリカではこういう文化的な催しだったらタダで貸してくれる所がいくらでもある、というんです。

 日本の行政は文化にたいして冷淡であると思いました。そこで私はその後大阪21世紀協会で「大阪は文化立都であるべきだ」と主張しました。大阪府下の市町村も賛同してくれたので、この20年間で美術館や博物館、競技場などの箱物をたくさん作ってきました。

 しかし、箱はできたけど、中は空っぽであるのが実情です。使おうとすれば、高いからです。民間とたいして違わない値段です。つまり日本は経済至上主義の国なんだから、文化・スポーツも採算がとれるようにするべきだ、というのが今の行政の考え方です。国や行政が文化を助けようという気はさらさらないんです。

 ここで最近盛んになっている韓国映画について触れておきます。ご承知のように韓国政府は、自国の映画産業をものすごく援助しています。外国映画4:自国映画6の割合でないと外国映画の上映は認めなかった。そうした徹底した自国映画の保護・育成が今日の韓流映画隆盛に繋がっているんです。

 江戸時代、日本では歴代将軍が学問を奨励しました。城の中にも沢山の障壁画を描いたから狩野派などいろんな芸術家が活躍する場がありました。大名家の姫君の輿入れともなれば、その道具のために優れた工芸師が腕を発揮することができました。これだって当時の芸術家育成と言えます。活躍できる場が様々にあったから、当時の日本の芸術はとても華やいだんです。

 残念ながら、今の日本にはそれがない。日本の文化はもうダメです。もちろん芸術家はたくさんいますが「グローバルな世界」に目を向ける人ばっかりです。

 これは仕方のないことなのかもしれませんが、こんな環境は日本だけです。他の先進国はみんな自国の文化をちゃんと守っています。

 次の世代に日本文化をどう伝えたらいいんでしょうか。すいません、言いたいことを全部言ってしまって。今少し荒れております。


おわりに

鳴海

 そろそろ終了の時間となりました。この後の続きを知りたい人は、ぜひ本を買ってお読みください。

 今日はとても興味深い話でした。先生、どうもありがとうございました。

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