ジャワ島中部地震 復興状況の報告
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質疑応答

 

 

今現地に必要なものは何か

鳴海(大阪大学)

 これで私どもの報告を終わりますが、最後にひとつだけコメントさせてください。

 先ほどの大野先生の報告の中で出た「これから何が必要か」とも関係するのですが、とりわけプロの方々にはもし可能であれば、小規模RC建築の鉄筋の組み方やコンクリートの打ち方・混ぜ方など簡単な基本のやり方を現地の方に教えていただきたいのです。ガジャマダ大学などに来ていただいて、実際にやって見せてくれるワークショップをしていただければ大変役に立つと考えています。

 技術的な支援が必要なことは分かっていますし、各NGO団体もいろんな方法でも取り組んでいるのですが、一番単純な「RC建築の作り方の基本」が伝わってないのです。

 写真の例でもありましたが、コンクリートを打っても型枠をはずすとガサガサになっている例がいくつもあります。そんなことにならないよう、みなさんの中からきちんと基本を教えられる人を派遣してワークショップをしたら役立つのではないでしょうか。単純だけど技(わざ)がいる所はちゃんと学んでもらわないとうまくいかないんです。

 そんな内容の依頼を現地の大学からメールでいただいたこともありまして、私はこれからそんなことも呼びかけてみようと思っています。

 現場を視察すると、普通なら当たり前のことが盲点になっていることが分かってきましたので、最後にみなさんにお願いという形でコメントさせていただきました。

 ではこれからは質疑応答の時間にしたいと思います。


地域によって復興の度合いは違うか

篠原(大阪ガス)

 小浦先生に質問です。

 復興プログラムには1から3まであるとご説明いただきましたが、1、2、3の線引きはどうやって決められたのでしょうか。「これがこのぐらい復興したから次のプログラムに」ということはあったのでしょうか。

 地震後には住むところの復旧だけでなくて、仕事場の復旧や文化財の保護などが必要になりますが、報告をうかがうと地震後2カ月にしてはいろんなことをされているなと感じました。それはおそらく地域によって、進んでいるところと、まだ最低限のことしかできない所があるんだろうと推測したのですが、やはり地域によって復興の度合いは違ってくるものでしょうか。

小浦(大阪大学)

 はい、地域差はあるようです。プログラム1〜3は私が書きましたが、ひとつひとつのことは、コアハウスのプログラムのようにまた細かくあります。

 ただ、どのぐらいで復興したと見なすかは、現地の人も支援する人もそれぞれの考え方で違ってくると思うのです。地域ごとにいろんな組立てがあります。それをトータルに考えてやるんじゃなくて、同時多発的にいろいろやっているように私は感じました。実際にどうなっているのかは私には分からないのですが。

 ですから、どこかが統括的に情報を整理していくという風にはまだなっていないという感じはします。

 仕事場の復旧や文化財の保護については、現地のみなさんがこれまでやってこられたことの積み重ねの上にあります。これまでの人的ネットワークや資金調達力が大きくものを言うという感じがします。

篠原

 復興が進んでいる所で、チームを組んで復興のための人的育成をするという話は、すごく進んでいるなあと感心しました。その反面、鳴海先生のお話にあった「建築の基本のワークショップが必要」という点では、すごく差があるように感じました。同じ支援依頼でも場所によって全然内容の違うことが求められているのかなと思った次第です。

小浦

 支援が必要とされているのは、どの地域でも共通だと思います。そのうち支援が進んでいるところではワークショップが行われ、集落で自主的にコアハウス型の再建を進めているところもあります。

 スタートラインは一緒なんですが、その後の動き方は地域ごとにいろいろあって、まだまだスタートラインの所で基本的な支援を必要としている所があるというふうにご理解いただけたらと思います。


火災被害はなかったのか

西(都市機構)

 今回の地震で火災による被害はあまりなかったのでしょうか。報道でもなかったように記憶していますが、火の気のない家が多かったということなんでしょうか。

鳴海

 台所が簡単な作りだし、炊事は外でする家も多いということが反映してか、火災は余り無かったようです。


コタグデの細街路はどうなったか

千葉(URサポート)

 コタグデに行ったとき、街の路地が印象的でした。そういう細街路は地震後、どうなったんでしょう。また、住民の人々はそういう細い路地をどう評価したんでしょうか。日本だったらすぐに「細街路は災害に弱い」という話に結びつくところなんですが。

小浦

 確かに地震後、細街路の壁は大被害でかなり壊れていました。細街路の中にいると本来は見えないはずの住居部分が見えて、それ以前と風景が全然違っていました。今までコタグデを印象づけていた「コタグデらしい風景」の白い壁を元通りにできるかどうかは、今後の課題になってくるでしょう。

 しかも、いくつかの伝統的建築物(ペンドポ)の天井が落ちているし、その修復も考えないといけません。

 住民が今までの街の細街路を地震後どう感じたかについては、シータさんにうかがってみます。

シータ

 英語で発言。

小浦

 シータさんによると住民の評価については二つあるそうです。

 まずひとつは、こんな突然の災害で住民自身もどうしていいか分からないと感じていること。今後、どうやって街を作り直していけばいいのか分からないというのが第一の反応です。

 もうひとつの反応は、景観を元に戻すかどうかです。自治体はコタグデはツーリズムのための大きな資源と考えていてマスツーリズムを呼ぶために道路を拡幅したいと希望したらしいのですが、さすがにそういうもんじゃないだろうと、自治体や住民に対して元の風景が持つ魅力や伝統的な町並みこそコタグデの資産であることを一生懸命プロモーションしているところとのお話でした。


宗教者の支援について、またNGOのPRの仕方

丸茂(関大)

 台湾の地震の時は、佛教関係の人が支援にいろいろ活躍したと聞きました。インドネシアでは宗教関係、モスリムの人たちはどう動いたんでしょうか。

小浦(シータさんに質問、回答、通訳)

 特にどこかの宗教団体だけが動いたというわけではなく、モスリムはもちろんですが、仏教、キリスト教といろんな団体が支援したそうです。

鳴海

 日本でも阪神の震災を始め大きな災害が起きた時に、県や市などいろんな自治体が支援したのを思い出していただければいいと思うのですが、インドネシアでも広範な支援の輪が広がっています。スマトラからは「津波でお世話になったから」と支援が届いたとか。

 ちょっと気になるのは、ヨーロッパ系のNGOの援助物資にはそれぞれ国旗マークが付いているんですね。PRがとてもウマイと思いました。日本からの援助には何も顔になるものが見えなくて、ここでもPR下手を感じてしまいました。ドイツとイギリスの国旗は幹線道路沿いのそこら中に見えるんです。言い替えると、各国のマークが見えない所は復興が遅れている地域とも言えるでしょう。


公共建築の被害について

金澤(大阪産大)

 質問の前にひとつお知らせがあります。梅田大丸の13階で2004年の「スマトラ沖巨大地震と津波」の報道写真展をやっています。関心のあるかたはどうぞ行ってみてください。

 さて質問ですが、今の三つの報告は住宅・住環境の被害とその復興についてのお話でした。例えば、橋などのインフラ、学校や病院など公的施設の復興はどうなっているんでしょう。

鳴海

 これは調査したわけではなく伝聞ですが、インフラ被害としては水田地帯の灌漑施設が大きいそうです。つまり、地盤の高低差が動くと水の流れが変わるからです。道路や橋などの被害はあんまりないと聞いています。

 また公的施設ですが、今回大型の建物の被害はけっこうありましたが、とりわけ学校などの公共施設の被害が多いんです。これはジャイカ(JICA)がいち早く小学校などの全被害調査をして復興の計画づくりに入っているらしいです。それももう一ヶ月前に立ち上げているようです。まあ、今回の地震で学校建築が弱かったのは問題でしょう。

金沢

 日本では小学校が地域住民の避難場所になりますが、インドネシアでは事情が違うのでしょうか。

金沢(シータさんに質問、シータさん英語で回答)

 今度は私が訳しましょうか。

 まず、小学校やコミュニティ施設に関しては、政府の再建のプライオリティが高いので、それをもとにやっています。またジャイカなど外部の支援団体の力でそれらが再建されつつあります。

 大きな建物では政府関連の施設も大きな被害を受けたのですが、その再建もプライオリティが高いです。実態は他の国の力を借りて対応中。以上のようなお話でした。

鳴海

 大きい建物では再建計画が未定というのも多くあります。

小浦

 シータさんがおっしゃるには、政府からの援助を受けるには被害査定が必要なんだそうです。何がどれくらい壊れたかの調査が済むまでは手が付けられない。だから解体もできないということです。


ハンディキャップの人たちへの対応

北野幹夫(大阪府)

 生活弱者やハンディキャップのある人(ケガをした人も含んで)に対して、コミュニティはどんな支援やケアをしたのでしょうか。例えば、住宅に入るのに優先されるとか、そういうことはありましたか。

鳴海

 それは誰かが調査して決めるというわけにいかないので、地元コミュニティがそういう人を順番づけるということになるのではないでしょうか。そういう話はしていました。

小浦

 どの順番で家を建てるかは、多くの場合、コミュニティが決めていました。

エリサ

 インドネシアでも身障者は増えていて、体の不自由な人がこういう災害時にどう配慮されるかのルールは決まっているんです。災害があった場合、いち早く避難を誘導するというもので、私の学生もそれを研究していました。でも実際に災害になってみると、なかなか難しいですね。

 ただ面白いのは、そういう人の家はトイレは身障者対応型になっているけれど、家自体が小さくてシンプルなので、(地震後も)部屋はそのまんまでした。

 身障者の対応は日本に比べたら、まだ進んでないですね。インドネシアでも増えているから、必要なんですけど。法律上は対応するための優先ルールがあるのですが。

鳴海

 ちょっと質問と答えが食い違ってきているようです。エリサさんの答えはバリアフリー環境を作るべきだというガイドラインはあるということですが、質問は地震で怪我をした人も含めてハンディキャップの人への優先配慮はあるかということでした。

エリサ

 それはあんまり気にしてないですね。


なぜ伝統の木造建築で建てないのか

前田(学芸出版社)

 大野先生の写真を見ていると、あんな鉄筋コンクリートの建物を作るぐらいだったら、木で作った方がナンボかマシなのではと思ってしまいました。木造の建物がないのは、材料になる木材とかそういう伝統がないということなんでしょうか。

鳴海

 大野先生より前にお答えしますと、インドネシアは木造建築の素晴らしい伝統があって、職人も沢山います。ですから、本来なら木造で住宅を作るべきなんですが、材料が高くなっているんです。だから今では木造で作るのは相当上等な建物だけになってしまったんです。普通の人が住宅を作ろうとすると、レンガ積みや技術がなくても作れるようなものになってしまいます。一種の粗悪なプレハブ住宅が蔓延しているのが住宅事情だと理解していただければいいのではないでしょうか。

 木造の伝統はあるけど、高い!んです。

エリサ

 私も大野先生の写真を見ましたが、バントゥールはもともとレンガ職人が多い所なんですが、バントゥールの人は建物を作るとき、地震のことあまり考えずにそれまでと同じものをつくっているんです。例えば、プロの建築家が「こんな風に作ると大丈夫」と図面を描いてくれても、全然気にせず建ててしまうから、また地震が来ると同じように倒れてしまうことになりかねません。そういう風土があるんです。

大野

 私もインドネシアは木材も豊富だし木造でやってみてはどうかと思っていたのですが、現地に行ってみて、ここではレンガ造が合っているのかなと思い直しました。その理由は今、鳴海先生がおっしゃったとおりです。それに木造建築は技術が必要になってきますよね。それに対して、レンガ、石、ブロックはそれほど技術はいらない。

 もうひとつの理由は、日射を遮断する点でレンガ造は優れていますので、居住性がよく住みやすいんです。ただ構造的には弱いので、鉄筋コンクリートで、柱・梁からなる枠を作っています。これはインドネシアに限らず、ペルーやパキスタンなどでは日干しレンガで作る家は鉄筋コンクリートで補強するというマニュアルが出来ています。それをどうインドネシアで指導していくかが活動のポイントになります。そうでないと、地震にあうとすぐ壊れてしまいますから。

 ただ別の観点で見ると、数百年に一度の地震に対しては、壊れることを前提として建てるという考え方もあるかなとは思います。しかし、その場合も、人的被害の生じないように作っておくべきでしょう。

 そんなことを考えました。

鳴海

 これ以外にもいろいろ議論すべきことはあろうかと思いますが、そろそろ終了の時間になりました。

 先ほどバントゥールの街にはレンガ積み職人が伝統的に多いというお話がありました。我々が現地でヒヤリングした時に、やはり今までのままではダメらしいと認識しているようでした。こういった仕事にたけた日本の職人さんを2、3人派遣して、現地の職人さんを指導することが求められていると思います。

 では今日はどうもありがとうございました。

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