都市デザインと都市の魅力アップ
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質疑応答

 

 

司会(千葉)

 約40年間、いろんな切り口で都市デザインを考えてこられて、たくさんの仕事に携わってこられたことが改めて分かりましたが、底に流れている視点はパブリックデザインへの思いだろうと思います。我われも若いときに持った志は、何十年か経って形は変わっても、そこから発想が展開してきたんじゃないかというようなことを考えました。

 ではここから質疑応答に入りたいと思います。


●日本人の景観に対する感性について

久保(久保都市計画)

 以前オギュスタン・ベルクさんの『都市の日本』を読んだことがあります。この本の中で、鳴海先生がされた景観アンケート調査が引用されていましたが、このアンケート調査は先生のお仕事の中ではどういう位置づけにあるのでしょうか?。

 関連してもうひとつお聞きいたします。先生はオギュスタン・ベルクさんの言葉として「日本人は環境の実体よりも、環境と人間、あるいは環境によって引き出された人と人との関係などに関心があるのではないか」を引用して日本の環境と人間の関係をお話しになりました。私はこの背景に日本の都市空間の特質、すなわち西洋では都市と自然が分離しているけれど日本では都市と自然が融合していることがあるのではないか、このことが自然に対する見方を違えているのでないかと思っています。このことについて、先生はどのようにお考えですか。

鳴海

 まず、景観アンケート調査についてですが、調査自体は80年代前半、阪大に来て最初に指導した大学院生の修士修士論文の調査で「住宅の表構えの研究」というものでした。住宅の外観デザインは何によって一番影響されましたかという内容で、千里の藤白台・帝塚山・箕面の桜ヶ丘を調べました。

 すると、戦前に開発された箕面の桜ヶ丘では「世間体を気にする」ということを発見したんです。千里の藤白台では「隣と違っている」ことの方がポイントが高いのですが、古いところでは周りと折り合いたいという反応がとても強かったんですね。その調査結果を『景観からのまちづくり』という本の中で書いたのですが、それをオギュスタン・ベルクさんが引用したんだと思います。

 この本の「生きる景観」という項目でその調査結果を記述しました。その頃、景観のことをいろいろ調べ始めた時期で、「世間体」という言葉を使うかどうかだいぶ迷いましたけれど、世間に影響されることは悪いことではないので使いました。「世間体を気にして家を建てる」かどうかは、住宅地の歴史によって違うらしいことが分かった調査でした。

 オギュスタン・ベルクさんの『都市の日本』という本は、日本論としても読めるなかなか面白い本でした。久保さんがおっしゃったように日本人が持つ自然との融和性(ただし今はそれも怪しくなっています)が、環境を対象として見ないことの背景にあるのではないかということは私も感じているところです。

 以前大阪で行われた国際グリーン・フォーラムという国際会議に参加した時の経験ですが、ヨーロッパやアメリカの人が日本に来ると、日本の風景で田んぼの中に住宅が混じっていたり、町なかに田んぼがあることを「信じられない」と言うんです。私は「モンスーン地帯だからそれが日本なんですよ」とちょっと自慢そうに言うんですが、彼らにとっては経験のない環境なので、とても異和感があり、汚く見えるらしいんですね。私はそういう混在こそ日本的で、自然環境との共生とはそういう格好であり得るんじゃないかとも考えています。そういう意味では、久保さんの考え方に私も共感致します。


●問題の原点は都市デザインに求めるべきでは?

小林(コー・プラン)

 鳴海先生とはしょっちゅうお会いしていますが、こうやって先生のお話をまとめてお聞きしたのは初めてだと思います。もちろん、ご本は何冊か読んでおりますから、聞いていて納得できるお話ですが、ただJUDIでずっと活動してこられて、最後の結論が「楽しいまちづくり」というのはちょっと違和感があります。

 私はどちらかと言うと、鳴海先生が長く関わってこられた都市のデザインや環境デザインについての話があってもよかったのではと思います。都市の魅力アップの原点は、やはりデザインの問題ではないかと思うし、それこそが上田先生以来の鳴海先生のベースになっていると思うのですが。

 実は私も震災以来、プランニングは一切やってないしプランナーという職業はもういいやと思っていますが、やはりいくら面白くて儲かっていようと、街は格好良くないとダメだと考えております。台湾でいくつか古い町が脚光を浴びているというご報告がありましたが、私もこのあいだ北京で老街ブームを目にして、世界で同時多発的にこういう動きになっているのかなあと思いました。古さの中のかっこよさが大事だという気がしてたので、鳴海先生が「楽しけりゃいい」とおっしゃったのなら、そういう訳にはいかんだろうと思っているのですが。

 環境デザインと「楽しむまちづくり」のつながりと言いますか、今後どうなっていくかの予測についてうかがいたいです。

鳴海

 さすがに鋭いご質問です。

 実は私が出版する『都市の魅力アップ』『失われた風景を求めて』『都市の自由空間』、この3つの本で話がそろうんです。今日は出版したばかりの『都市の魅力アップ』の宣伝も兼ねて「楽しいまちづくり」に焦点をあててお話しました。言葉が足りなかったかもしれませんが、「魅力のあるまち」を「楽しいまち」と重ねて話をしました。「都市の魅力」は環境デザインによってもたらされると思います。強調したかったのは、「環境デザイン」の提案がなかなか実現しないことです。それを克服する方向として、「楽しくないといけない」ということで結論付けたわけです。この本自体もそういう書き方をしておりますから、ぜひお読みになっていただければと思います。

 5月に出版予定の『失われた風景を求めて』は小浦さんとの共著です。第一部は私が行ったいろんな地域、インドネシア、台湾、ヨルダンなどには人が滅ぼしてしまった風景がいっぱいあって、それについて自分なりに整理してみた内容です。その延長線上で日本の都市について考え、特に震災以降の街の変化の早さとその変わり方の大きさの中で、優れた風景はどうやって取り戻せるのかを考えました。

 『都市の自由空間』は、もう20年以上前に書いた本です。その後いろんなことを勉強したので、この本を核にしながらオープンスペース論をもう一度整理してみようと思いました。

 この3つの話がそろうと、都市についての話がそろうんですが、一緒に話そうとすると時間がかかり過ぎるので、今日は「魅力アップ」の話にしぼりました。


●なぜ今、大枠作りの仕事がなくなったか

難波(兵庫県)

 鳴海先生には兵庫県の仕事もいろいろやっていただいて、どうもありがとうございました。

 地域整備総合管理システム、播磨内陸都市圏構想など、大きな地域計画に関わられて、その後だんだんと具体的な話を実現する方向に流れているようにも見えます。行政の役割としては、地域や地区の条件設定をして具体的な役割は民間に任せて実現してもらうという構図があろうかと思います。鳴海先生ご自身も、大きな計画から、実現する施策に興味の対象が移られたように思いますが、今の時点で振り返って兵庫県で当初関わられた大きな計画の設定についてどのような感想を持たれているかをうかがいたいと思います。

 もし反省点もございましたら、そのこともお聞かせください。

鳴海

 兵庫県の仕事の流れについて、私自身の事情から説明すると、私は建築部で採用されたのに、即日配置転換で企画部に行かされました。ちょうどその頃、兵庫県に中国自動車道が通る時期で、その沿道の土地がいっぱい買われているという背景がありました。当時の調査ですでに8千ヘクタール買収されていました。その民間の土地のマネージメントをやれということが最初の仕事でした。

 最初は「そういうことは今まで勉強していない」と言っていたのですが、「大学院で博士課程まで行ったんだから、普通の役人よりはできるはず」といわれました。そこでいろいろ自主勉強しながら、コンサルタントと一緒に、土地分析、土地利用コントロールの手法を検討しました。

総合計画の一環として地域別整備計画にも関わりました。県がつくる地域整備構想はどうあったらいいのか、それを計画図として表現するにはどうしたらいいかなど検討しました。また、地域でやった事業を評価して、フィードバックしながら地域全体を見ていく仕組みが必要だと考え、県の職を辞して大学にいってからですが、「地域整備の後果に関する研究」を行いました。

その頃、こうした仕事を一緒にやった人たちが、後に震災復興で先頭に立ってやっていくことになるのですが。

 こうした仕事は必要だと今でも思っていますが、どうして私が大枠作りな地域計画に関連した仕事をしなくなってきたかと言うと、今、国土整備・地域整備(あるいはそれらを管理するシステム作り)の仕事から、国がどんどん撤退しているという状況があります。必要ないから撤退しているんじゃなくて、人材不足・予算不足から撤退していっているんです。

 国土開発法の改正など、国は新しい方向を出そうとしていますが、まだ展望は定かではないと思います。本当は環境保全、環境共生などの問題も、地域の総合的な管理システムにきちんと位置づけ取り組んでいく必要があると思います。それができなくなってきたというのは、相当資金が不足してきているのではないかと思いますが、国だけではなく県にも期待したいところです。

 地域の総合的な管理システムの役割はなくなっていないと思います。かつての国土庁の仕事が意味がないとは思わないし、逆に必要だと思うのですが、人と金をそこに使えないという政府の状況があると私は考えています。多分「役にも立たないソフト事業に金は出せない」という論理だと思うのですが。

 『兵庫県の総合計画と地域開発計画の変遷』という本を、何人かの先生方と兵庫県の職員の方々と一緒に作りましたが、その中に今述べたようなことも書いてあります。


●農村の風景の調査は?

堀口(アルパック)

 最初の表を見てると大都市部の仕事が多いようですが、中山間地域とか農村の風景の調査もされていたと記憶しています。そうした仕事についてのコメントもいただきたいと思います、

 また、「これは失敗だった」という仕事があれば、ちょっと聞いてみたいのですが。

鳴海

 最初の表は今日のJUDIセミナー用に作った資料で、その辺りの情報が抜け落ちていたかもしれません。21世紀ひょうご創造協会の研究として、『人口低密度地域のアメニティに関する研究』『地域開発手法としての創造型余暇施設整備のあり方に関する研究』『疎住都市の形成と評価に関する研究』の3部作をたりました。中山間地域の課題と展望を検討したもので、内容は今も古くなっていないと思います。

 緑条例の関連でもいくつか調査研究をしました。当時、博士課程の学生がそうした研究を取りまとめ、博士の学位を取得しました。

 失敗ということですが、こういう調査などの仕事に失敗というものはないんですよね。実際に何か出来上がるものだと失敗はあるかもしれませんが、調査が失敗というのはありません。


●パートナーシップのあり方

北野(大阪市)

 お話の中に行政の制度の壁という言葉がしばしば出てきました。われわれ行政の立場からも民間とのパートナーシップは重要であり、行政として柔軟な仕組みができないかと模索している状況です。この点について行政は何をすべきか、また民間もどうすべきか、先生から改めてアドバイスをいただけたらと思います。

鳴海

 今までまちづくりの方法としては、どこかに空間があるとその不動産のオーナーがジェネコンなどに頼んで何か開発をするというのが普通でした。創生研では新しいまちづくりの仕組みとして、これからはオーナーだけでなく、いろんなネットワークを活かしていく方向を考えました。オーナー、スポンサー、その地域に関心のある多くのサポーター、アイディアマン、そうした多様な人たちのネットワークが必要だと思います。その場所に興味を持つ人はいっぱいいるし、その中からアイデアを出してくれる人もいるでしょう。そういう人たちをサポーターにするのです。

 行政と民間のパートナーシップも、これからはお金を出す民間だけを協力者だと思っていてはだめだと思います。応援団みたいなサポーターの人たちの力もこれからは必要になってきます。そういう人たちの多様性やアイデアをうまくコーディネートして、支援したり規制緩和したりしながら、事業の実現に持っていくのが公共の役割ではないかと私は考えています。

 公共と民間(企業)のパートナーシップをPPPと言っていますが、本当はプライベートは広い意味で市民のはずですよね。

 我われ創生研は「サポーター的まちづくり」にチャレンジしました。地元でもないし、何が楽しいかと言うと、その街が面白いと思っているからみんなで応援しようという組み立てです。そうしたシステムをうまく汲み上げて、関心のある人たちをインボルブしていくことができれば、街が楽しくなると思います。それをどうやって作り出せるかがとても重要だと考えています。今、千葉さんたちが船場でやっていることも、基本はサポーター的まちづくりではないか、そんなふうに考えています。

千葉

 どうもありがとうございました。今日は鳴海先生の退官記念セミナーとして、企画致しました。JUDIが出来てから17年ですが、先生にはいろんなご支援、アドバイスをいただいてまいりました。ささやかなお礼として、JUDIから花束を受け取っていただきたいと思います。大矢さんお願いします。みなさま拍手をどうぞ。

 それでは今日のセミナーをこれで終わらせていただきます。

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