今日は、高原さんが設計された「八軒家浜のにぎわい施設」のご発表がメインなのですが、私はその事業スキームに関連したお手伝いをしましたので、前座としてそのお話しをさせて頂きたいと思います。
ただ、その前にみなさまにお知らせしておきたいことがあります。「世界水フォーラム」で活躍された「水都ルネッサンス大阪実行委員会の代表委員だった山崎勇祐さんが一昨日亡くなられて、本日が葬儀でした。「水都大阪」の盛り上げに、とても尽力された方でございますので、ここで哀悼の意を表したいと思います。
また、みなさんよくご存知の「なにわ探検クルーズ」という催しは、この頃JRさんが面白い実験をしようということで、沿川の見所や歴史・プロジェクトの選定と調査をダンでお手伝いし、落語作家の熊沢あかねさんという人に台本を書いてもらって「落語家と行くなにわ探検クルーズ」という実験ツアーをやったのが発端です。これは好評だったので、2003年から商品開発されて現在に至っています。舟運の動員数で言うと、ここから本格的にテイクオフし「大阪の川のしつらえ」もスタートしたと言えます。
こうして、プロジェクトが動き出して、実際にいろんな検討が進められることになりました。この頃までは、河川は一般人が遊ぶ対象とは考えられておらず、神聖なる治水施設という位置づけで八軒家浜で河川をいじったり、そこで遊ぶという発想がありませんでした。ちょうどこの頃から河川に親しんでもらいたいという、いわゆる治水・利水・親水の大方針転換が河川行政の動きがあり、河川敷の上にも建物を建てられるだろう、ということとなり、最終的には2階建て1500平米という規模に落ち着きました。しかしこれは河川敷上の施設としては全国で一番大きな規模です。
ここより少し前に広島で河川敷きのオープンカフェのような小屋(50平米ぐらい)が4〜5軒営業されるという前例がありますが、ここのような本格的な建築を河川敷に作ったのは八軒家浜が初めてだと思います。これについては近畿圏整備局や大阪府の方々が真剣に具体化しようとした意気込みの結果だと思います。
結果的には総事業費4億円のうち、3億が公が負担しています。民間部分は、京阪さん以下6社でSPC(ペーパーカンパニーの特定目的会社)を作って、そこが事業主のとなり、テナントとして今入っているブライダル・レストランの会社を引っ張ってきたという形でオープンしております。
河川敷の場合、普通のやりかたであれば公が建てて民に貸すという形になりますが、今回、民間部分については民が建設費用を出して、それを公に寄付するという形の事業になり、最終的には公も相応の費用を負担したということです。今のように公共の事業費がなかなか出せない世情では、ひとつの手法として今後も使えるんじゃないかと思います。
ただ、屋根が斜めになっているのは高原さんのデザインということもあるのですが、「視界を遮らないように」との地元の要望から現在の斜めの形が生まれたといういきさつがあります。デザインには、建築家の創造力ももちろんですが、いろんな制約の中でうまく形にするという能力も要求されてくるものだと思います。
ここのようにいろんなしがらみの中で上手に処理して、素晴らしい形を生み出していくのはデザイナー、建築家にしかできない仕事であったと思います。今回の仕事を通して、高原さんの力量に感服した次第です。
八軒家浜とまちづくり
DAN計画研究所 吉野国夫
■ソフト面の取組の経緯
さて、川の話から始めますと、大阪の川に注目しようという動きは20年も前からありました。鳴海先生もその頃からご発言されていました。特に平成元年に、阪大の故紙野桂人先生が座長になってリバーフロント研究会という勉強会(ダンが事務局)を立ち上げられたことが、現在の川の事業の発端ではなかったかと思うところです。その後、産官学によるグランドデザインが95年の2月に発表されているのですが、全てのプランのスタートはリバーフロント研究会だったと思います。
■ハード面の開発の経緯
いま述べたのはソフト面での開発ですが、ハード面での話をすると大阪府、大阪市が「水都再生構想」のグランドデザインを策定したとき(2003年3月)、八軒家浜もプロジェクトの対象になっていました。私もこの時多少関わってハードの絵を描きました。ただ、この時の絵は川面に三十石舟を浮かべたりして、いわば和風テーマパークのようなものをイメージしていました。
■事業費の仕組み
2004年4月には、実際に施設を作ることが決定されました。しかし、河川敷きの上に民間の建物は建てられないということになっています。出来た建物は官の持ち物、ここの場合は大阪府の建物ということになります。ちょうどこの頃から、公共のお金がなくなり始めてまして、「お金はないけど施設は作りたい」ということで、民間の資金を当てにしてPFIの事業方式を勉強しました。しかし、PFIなどの事業手法について検討されたようです。
■にぎわい施設の運営方法
もうひとつ、手法的に新しかったのは、にぎわい施設の運営方法です。今、上階は民間のレストランが入っていますが、下は公共的な使い方をするミュージアム施設的なものが入っています。ここは情報発信できる施設にしようと出来たものですが、往々にして役所主導でやると失敗してしまう。まあ、「道のえき」をイメージしてもらうとお分かりかと思いますが、情報発信部分はあまりうまく行っていません。そこで、国から運営費をもらって、NPOに運営してもらうことになり、事業コンペで選ばれたようです。
■デザインの力
最後になりましたが、この場所は歴史的にも非常に意味のある重要な場所です。熊野古道の陸の起点でもあるし、東海道五十七次の結節点でもあります。そういう歴史的な背景があるが故に、和風のデザインをどう処理するかでけんけんがくがくの議論がございました。和風をどうとらえるか、どう表現するかが大きな問題でした。
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