北加賀屋クリエイティブ・ビレッジ構想
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質疑応答

 

 

■「感動を与える人」をどうやって集めてくる?

角野幸博

 以前から活動のことは存じ上げており、ここに来るのも何度目かです。今日色々見学させて頂いた所も、大きな造船所の跡地利用だけでなく、小さな空き家の活用であったり、小さなものを地域の人たちと一緒に活動しているという点が、これからのまちづくりの参考になると感銘を受けました。他の地域でも真似のできることがある思います。

 それで、ここからは質問になるのですが、そうした活動の運営というのは大変だと思います。さっき芝川さんは「自分で感動を与えることは出来ないけど、感動を与える人を育てたい」とおっしゃいましたが、そういう人たちはどうやって集めておられるのですか。そのあたりの仕組みを教えて下さい。

芝川

 実は、北加賀屋にももう少し一般にも知られた人が来て頂くといいんですけど、残念ながら大阪には芸術系の学校が少ないということもありまして、アーティストを集めるのも大変だと思っているところです。例えば、京都だったら名和晃平君がサンドイッチ工場の跡地を利用したアート拠点を伏見で開いてますよね。あれもキャンパスからは随分離れている不便な場所なんでが、それでも海外からのアーティストが滞在していろんな作品を作っています。残念ながら、この地域はまだそこまで行っていません。将来的には、そんな風になればいいかなと思っています。

 小さい物件の展開としては、みなさん口コミ情報などで来られて、物件を見て気に入ったら借りていくという展開です。大きい物件ではメガアート作品の保管など、我われの手でやらなければどうしようもないので、こうした物件は今のところ我われの持ち出しになっています。中くらいの物件では「コーポ北加賀屋」がありますが、ここは傾斜家賃的に3万から始まって最終的には33万までとなる間に、居住者の方で自分たちの気に入った人たちを探しだして入居してもらっています。現時点では、コーポ北加賀屋が一番ユニークな情報発信をしています。


■なぜ千島や芝川ではなく、名村なの?

上房陽

 建築の意匠設計をやっております。2点ほどお聞きします。

 (1)まず、名称は当初からこれでいこうと考えておられたのですか。というのも、普通はこうした場合「○○センター」というふうに企業の名前をつけることがあると思うんです。名村の名称を残したのは、戦略として何かあったんでしょうか。

芝川

 「名村」という名称は、まず外国人にも発音しやすいということがありますね。ですから「NAMURA ART MEETING」にも名村の名称は使っています。

 NAMURAに入る時、入り口に大きないかりが置いてあったでしょう? これは名村さんが創業百年を迎えられるということで、名村さんからいただいたものです。その時に、名村さんからは「名村造船所跡と言われると、ウチが無くなったように思われて困る」と言われまして、今の正式名称は「名村造船所旧大阪工場跡」と言います。

 ところで、ウチの会社名「千島土地」は大正区の千島町が発祥の地であるところからとられた名前です。1912年に会社を作る時から、ある程度経営と資本は分離しようという方針で、会社名から芝川の名前を消しました。芝川の人間は直接経営に関わらないという社風だったと聞いております。

 北加賀屋クリエイティブ・ビレッジ構想を展開しようという時にも、この北加賀屋の地名を大きく情報発信していかないといけないので、なるべく会社名の千島や芝川の名前を前面に出さない方針でやっています。それがあるから、「芝川ビル」の開発には二の足を踏むことになっていたんですけど。

 そういうことで、「NAMURA」には会社名や個人名をつけていないのです。


■古い建物の活用について事業家としてのご意見は?

上房

 もうひとつは、古い建物を活用する活動に関してですが、事業家として芝川さんのご意見をお聞きできればと思います。

芝川

 北加賀屋の古い建物については、住んでいる人が勝手に展開しているのが実情といったところですね。だから、建築などプロの先生方の出番があまりないんですよ。住んでいる人が、ホームセンターのコーナンに行って材料を買ってきてトントンやっておられます。

 我われが古い建物を改修しようとすると、どうしても設計事務所や工務店を使うからコスト高になってしまいます。それを経営的に考えて、そのコストを何年かで回収しようとすると家賃も高くせざるを得ません。

 ただ、トイレだけは個人的にこだわりがありますので、できるだけトイレの改修はしておりますが、それ以外は基本的に居住者任せです。もちろん、地主・家主として躯体だけは傷んでいたら、我われの方で入れ替えていますが。

 現在は、そこに住んでいる居住者同士で助け合ったり、次々といろんなアイデアを出し合ったりしていると聞いています。

上房

 古い建物の保存や活用は最近いろんな所で盛んになってきたようですが、ほとんどの場合、連戦連敗状態ですよね。それは、実際に事業家の立場から見て、何が原因だと思われるでしょうか。例えば、経営的に説得力がなかったからとかのご意見もあるのではないでしょうか。

芝川

 古い建物と言いましても、北加賀屋の建物は戦後すぐの木造の建物が多く、建物自身に価値はないんです。ですから、私たちも放置していただけなんです。置いておくだけで固定資産税が6分の1になりますから。しかし、気がついたら解体で随分お金のかかるものでした。やはり、人に住んでもらわないと建物は悪くなってしまいます。

 それに気がついた頃に、NAMURAではすでにこういう活動を始めていましたので、その延長としてアーティストが安く住める場を提供しようということになったのです。それと、原状回復はしてもらいたくないと思ったのです。ですから、安い家賃・原状回復義務なしの二つの条件で人を集めたところ、今は20軒近くが埋まりました。

 芝川ビルの場合は条件が全く違いまして、オフィスの中心街にあったことから、雑居ビルだったのを店舗系のビルに変えていきました。事務所よりも店舗にする方が家賃も高くなりますし。

 それと、屋上のビアガーデンは地下に入ったベトナム料理屋さんがやっています。近代建築というのは入り口が狭くて、目的がないとなんとなく入りにくいイメージがあります。しかし、ビアガーデンに行くという目的があれば堂々と入りやすい。一度入れば、近代建築の良さやその雰囲気を味わってもらえるようです。ビアガーデンはオープンしてからもう3年か4年になります。

 他の事例も申し上げたいのですが、実は他の事例を僕はよう知りません。例えば、神戸の生糸検査所の場合は、神戸市があれだけの金を出したらそりゃあ立派になるでしょう。民間ではとても真似できないことだと思います。

 また、先ほど郵便局のことで高岡君のことをちらっと批判的に言いましたけど、この場合もただ「残せ残せ」と言うだけじゃだめだと思うんですよ。我われオーナー側としても「これだけの家賃を払うから残してくれ」と言われたら考えるでしょうが、ただ「残せ」と言われるだけじゃ無理ですよ。やはり、経済活動の裏付けがないと、古い建物の運営は継続できないと思っています。


■会場へのアクセスの改善に舟運は?

長町志穂

 照明デザインの仕事をしています。私はデザイン団体の大型イベントで、こちらのホールを貸して頂いたことがございます。観客の立場でも、別のイベントでこちらに来たことがあります。ただ、この場所は北加賀屋の駅から随分歩きますよね。距離があります。実は水際だから、舟運があればいいなと思ったことがあります。

芝川

 駅から遠いということにつきましては、今日は暑いからなおさらそう思われたかもしれません。しかし、海外の事例を見ると、人を集めている施設というのは意外と駅から歩くことが多いんですよ。ご存知かどうか、104(サンキャトル)というパリの葬儀場跡の施設に行く時は、地下鉄の駅から随分歩きました。それから、ラジアルシステムというベルリンの下水処理場跡をこういう文化センターに変えた所も、遠いところでした。だから、ここも駅間近ではないですが、そう変な立地とは思いません。

 逆に駅間近だったら、こういう文化事業ではなく、もっとお金儲けができる事業をしていた可能性があります。この場所も入り口を出たところにセブンイレブンがあったでしょう。私は本当はコンビニをやりたくなかった。しかし、コンビニだと坪4千円以上払ってくれるんです。経営者としてはやはりそちらを取らなかったら、株主から「趣味に走って何しとんねん!」と言われかねません。本当はあそこも何らかのアートに絡めた形でやりたかったのですが、その辺は本体の事業が順調にいってこそできることもありますので。本体の事業と文化事業については、バランス感覚をとりながらやらせてもらっております。

長町

 あの、水運についてはどうでしょう?

芝川

 問題点として、ひとつは橋が非常に低いことがあります。橋の下をくぐって行き来する方法を一本松さんともいろいろ考えていますけれども、今は難しいようです。

 今はベイ&リバーサイドパーティというのをやってまして、ここと天保山を結ぶイベントを年に1回やっております。今年は10月13日に開催されます。その時には、毎年アヒルちゃんを1日だけ浮かせています。このイベントには船を使ってくる方も半分以上いますけれども、かなりの補助金が出ていると思っています。

 個人的には船で結びたいとは思っています。実は、ベニスの舟を2台買っています。ひとつは水都の時に買ったもので、特注で少し屋根が低い形なのでかなり水位が高い時でも橋の下がくぐれるんです。

 もうひとつは衝動買いなんですが、映画「ツーリスト」に出てた舟です。それを作ったのが、私どもが2009年に買った造船所の舟だったんです。たまたま訪れたら、それが中古で戻ってきたというんで、値切り倒して買いました。まあ、値切り倒しても随分な値段でしたが。来週の月曜日に進水式を行います。そういう買い物も、私は水都や水運も、お洒落な舟でやりたいと思っているからです。


■芝川さんのドリームは?

長町

 なるほど。大阪は今、舟運のこともみんなで議論しているし、行政もビジョンを切り開こうとしています。そうしたところで、芝川さんのお考えやドリームがあるなら、お聞かせ頂けたらと思います。

芝川

 まあこれも夢と言えば夢になるのかなあ。江之子島の向かいに、土地が一ヶ所あるんです。そこに元大阪府が建てた外人さん向きの公社だった古い建物があるんです。その並びを何とか手に入れて、江之子島とここを船で結べたらいいなとは思っています。

 それから、いろいろ物議を醸し出した「バンクス」の所も我われのところで応募したいとも思っていました。選考委員もみんな知っている先生だったんですが、残念ながら時間的に間に合わなくて出来なかったのです。個人的にはここは「ブリッジス@ナムラ」なんですけど、「ブリッジス@どこどこ」というのを川沿いにやっていければいいかなと思っています。

 また、先ほど大阪カンバス構想の話でいろんな作品をお見せしましたが、どうしても行政がやりますと出来るだけ多くの方々に参加してもらうために、決められた予算を数で割るものですから小さな作品しかできないということになります。

 船を使うためには、船からしか見えない作品を作るべきだというのが私の考えです。個人的には木津川と安治川にかかるアーチ型の水門は、アーチの内側に天井画みたいなものがあれば面白いと思いますよ。描くのは大変なんで、貼り付けることになるでしょうが。年に何回かの水防訓練の時に、絵が傷んでいれば張り替えればいいんですよ。こういう作品だと船からしか見えないんで、例えばマイケル・リンなどの作品をここに展示したら、「あれは船からしか見えない」と評判になって、船を利用する人が増えるだろうとは思っています。


■大金をかけるウォーターフロント開発との違いは?

難波健

 私はここへ来たのは今日初めてです。私は少し古いタイプの人間なのか、普通ウォーターフロントの開発というのは、大金がかかるものだと思っていました。ヨーロッパでも日本でもウォーターフロント開発にはかなりお金をかけてビルを作ったりしていますよね。そうした開発とこことの違いは何でしょうか。バブル型開発の批判でもいいですし、オリジナルのコンセプトがあればそれをお聞かせください。

芝川

 こういう事業をしておりますと、いろんな人からいろんな情報を得ることができます。ニッセイ基礎研究所の吉本光宏さんという人がいらっしゃって、この方もメセナ協議会の理事をされていますが、彼に教えてもらったのがアムステルダムのNDSM埠頭の造船所跡で行われているアート活動です。ここはアムステルダム駅から無償のボートでまっすぐ北に行ったところにあるのですが、ここも建物にそんなに大金はかけていません。造船所跡ですからここと似たようなものです。我われの方がはるかに先行してやっています。それとオランダの場合は、文化事業にいろんな補助を出す行政システムがあるので、かなり地域も活性化しています。

 昨年は、ここの運営を委託している小原啓渡君が、文化庁から予算をもらってオランダからアーティストを呼んでいます。NDSMには「ROBO DOCK(ロボドック)」というイベントがありまして、これはロボットとドックをかけた名前で、そこに出演している連中を呼んだんです。

 ウォーターフロントと言っても大金をかけたところばかりではなく、そんなにお金をかけない開発も世界各地にはいろいろあるんです。我われとしては本業とのバランス感覚で、それほどお金はかけないけど、「魂」の方で行こうと思っています。


■地元の人はどう見ている?

馬場先恵子

 今日は金沢から来ました。今日の見学とお話は、私はウォータフロント開発というより、市街地の再生という視点で見させて頂きました。まだこの街には、いろんな工場で働いていらっしゃる方々や昔から住んでいらっしゃる方々もおられますよね。今、外部からいろんな若い人がこの街に入ってきて、街が変化していることを、そうした元々の地元の人達はどのような思いで見ておられるのでしょうか。

芝川

 連合会長や町会長さんとはいろいろお話しをする機会もあり、我われの活動に一定の理解をしていただいています。先ほど言いましたように、区役所を通じての橋渡し、アルコールを通じての橋渡しなどで、徐々に地元に溶け込んでいっています。

 しかし、それ以外の方々となると、会えば「地代を安くしてくれ」という話になってしまうので、私はあえて一定の距離を置いているんですよ。

 街がどんどん活性化して、我われのやっていることが本当に成功するかどうかは、まだ分かりません。我われが稼いだ建物がさらに次の発展を促すということになれば本物だと思うのですが。例えば、我われの土地を借りて建物を建てている借地人が、アーティストに貸すという事業を始めるとか。あるいは、我われの関係ない土地・建物でも、積極的にアーティストに貸し出すようになるとか。そういう遊休化している土地・建物がこの辺にはまだたくさんあるんですよ。

 ただ、そうなるためにはまだまだ時間がかかるだろうと予測しています。例えば上海の田子坊(たこぼう)という地区は、上海のSOHOと言われるぐらい当たったものだから、その隣の地区もどんどん似たような感じになって広がっています。どこまでが本来の田子坊(たこぼう)なのか分からないぐらい真似されているのですが、この地区がそんなになるにはまだまだ時間がかかるだろうと思っています。


■行政が果たすべき役割は?

阿部大輔(龍谷大)

 今日のセミナーは、山崎亮さんから教えて頂き参加しました。ここの話は以前から知っていましたが、今日ようやく見られて感激致しました。

 今日のお話で、行政からの補助はほとんどなく開発されたとおっしゃいましたよね。土地をお持ちの方がこういう形で展開することは、まさに街に創造性をもたらすうえで大きな役割を果たされたと思います。

 一方で、いろんな自治体が「創造性」「文化」「アート」というキーワードで創造性で街を再生させたいと言っている現状があります。とは言え、行政が乗り出すと平等性の話が出てきて、なかなかうまくいかないのも現実です。文化やアートの力で市街地を再生しようとする時、行政が果たすべき役割とは何なんでしょうか。いろいろなご経験の中で、感じられたことがあればお聞かせ願えますでしょうか。

芝川

 行政との関わりで言うと、今一番頭が痛いのは、先ほど言いました「興行場法」の問題ですね。これは新区長に一肌脱いで頂きたいと思っています。しかし、それ以外では行政に期待してない…と言うと語弊がありますが、我われの方でやっていくから見守って欲しいぐらいですかね。

 と言いますのも、やはり行政の方は前例主義でして、成功例がないとなかなか新しいことには乗ってくれないんですよ。しかし、私はその成功例の一歩先をいかないといけないと思っています。また、新しい試みも本業がしっかりしてないと出来ないことですから、そちらもしっかりやっていかなければと思っているところです。


■不動産以外の本業は?

前田(学芸出版社)

 芝川さんがおっしゃっている本業とは、基本的には北加賀屋を中心とした土地の運営ということになるのですか。

芝川

 実は…そうでもないんですよ。

 あまりみなさんに馴染みがないとは思いますが、今はボーイング737とかエアバス320といった旅客機のリースもしています。税法上の事業で言えば不動産のくくりになると言えますね。

 大阪で頑張らないといけない反面、大阪にいつまでもくっついていても大変だなということでこうした事業も始めています。今さら、我われが東京へ進出してもほんの小さな不動産所有者にしかならないので、東京パッシングということで、東京を飛ばして全世界を相手に仕事をしようと思ったわけです。

 不動産は名前が示すとおり動かせないものですが、航空機はどこへでも飛んでいけるわけですよね。人命を預かる関係上、非常にルールが厳しく、世界に共通したルールがあります。すでに、それに合わせた条件で飛んでいるわけで、それぞれの機体のカルテはしっかりしています。それがあれば、次の借り手も安心して借りて頂けるという仕組みになっています。これはある意味、流動性が高い事業だと考えています。

 それから、経営的な感覚で言うと、これは償却が8年で出来ます。たまたま我われの土地収入が潤沢にあるのでそれを償却に充てることで、キャッシュフローが生まれます。今年度は航空機収入を、不動産収入よりも超えさせることを目的に経営しています。

 これもみなさん馴染みがないでしょうが、我われの会社の株価に響いてくるんですね。同族会社の場合、どうしても相続問題が起こってくるのですが、その時に株価が高いと大変なんで、できるだけ資産を減らさずに株価を下げる方策が必要なんです。そういう難しい話をすると、みなさん意外という顔をされますが、私、日頃はそういうこともちゃんとやっています。


■文化事業は社会貢献なの?

長沼眞智子

 倉敷市から来ました。

 社長の事業的な計画についてうかがいます。こうした文化事業は社会的な貢献をしながらそこそこやっていければいいとお考えなのでしょうか。それとも、事業を拡大して世界的な規模にもっていきたいと考えておられているのでしょうか。だいたい何年ぐらいという仕事の目処はございますか。

芝川

 そうした何年後という目処については、あまり考えていません。走りながら考えているというのが正直なところです。借地人さんが現におられる所を「この土地があればこんなことができるぞ」と地上げ屋みたいに追い出すことはできませんので。たまたま返ってきた土地・建物をそのまま受けて、芸術・文化に関わっている人に貸していくというパターンです。

 その際、建物投資はウチはゼロですから、その分安く貸せるということで、現在は北加賀屋クリエイティブ・ビレッジ構想に入ってこられた方とはウィン・ウィンの関係でいっていると思います。もちろん家賃をいただきますから、従来の借地料よりは高くもらっています。建物の固定資産税、および火災保険料は都市化している以上わずかとは言え負担が増えていますから、我われはバランスシート上もその分をカバーするぐらいの賃料をいただかないと、事業として採算が合わないということですね。

長沼

 行政を事業の共同パートナーとしては考えていらっしゃらないのですか。

芝川

 先ほど述べたHOPE事業は、成果がぴたっと出る事業だから行政の補助が出たわけですよ。このHOPE事業も、最初は平野地区でやっていたことを船場にも広げてきたのですが、鉄筋の建物が多いから予算を増やすという話になったんです。私個人としては、他の近代建物のオーナーの方に使ってもらえればいいと思ったんで、「私のところは自分でします」と言ったら、担当者が微妙な表情をされたんですよ。やはり、彼らは事業の一発目にはビフォー・アフターがはっきり分かる事例に補助金を出したいんです。そうしないと、翌年の予算が取れないから。「それなら、ウチが受けましょう」とやらせていただいた経緯があります。

 私の感覚としては、行政が関与してくると縛りが増えてくるという感じです。金を出してくると口も出してくるという感じで、それが非常に居心地が悪い。どちらかと言うと、彼らは金だけ出して口は出さないでいただきたい。ですから我われは基本的には、財団の助成金は金だけ出して口は出さないという方針でやっています。


■大阪の西部をもっと活性化させたい

鳴海邦碩

 先ほど「水都」のお話しがありました。我われも大阪のまちづくりを考える取り組みを続けていますが、この間やった「水都大阪」のイベントは、中之島など川べりの綺麗なところを中心にやって、それはそれで良かったと思っています。

 ただ、大阪市の現在の市域の4分の1が埋立地で出来ているんです。大阪は港もあるし、埋立地に広がった工場地帯もあるし、いわば「大阪の街」を作ってきた非常に広い土地があるんです。そういう埋め立てられて大阪を支えてきた地域や港のある地域も大阪なのですから、そちらの方に「水都」の展望や将来の展開を考えていきたいなと、私は思っています。そういう視点からの勉強会も今行なっています。

 今日のお話は、そういう意味で興味深いお話しでした。今まで大阪を支えてきた工場地帯や港が21世紀にどうやって発展していくかは、そう簡単ではない話なんですよね。でも、芝川さんがやっていらっしゃる活動、地道ですけれどとても面白い活動が広がっていくと、大阪の西の地域がもっと活性化するんじゃないかと考えています。

 私の名前も「鳴海」と言いまして、海の字が入っている名前ですから、海辺がもっと楽しくなって欲しいと思っているんですね。

 大阪が中之島とか船場だけが中心になってしまうと、こじんまりした街になってしまうんです。それじゃあ面白くないと思っていますから、これからの芝川さんの活動に個人的にも会社としてもこの活動を頑張って頂きたいと期待しております。飛行機でお金儲けして大阪に投資して頂くという方法もありますので、芝川さんの将来のご発展を祈念して今日のセミナーを終わりたいと思います。どうもありがとうございました。

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