北加賀屋クリエイティブ・ビレッジ構想
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これからの都市デザイン

 

■アートとまちづくり

 ここからまた話題が変わります。みなさんは都市や環境デザインに分野に携わる方々ですから今更かもしれませんが、朝日新聞に「過去から現在にいたる都市デザインの動き」という記事が掲載されていました。

 過去の都市デザインとして超高層が海辺に建ち並らぶような絵が描かれ、未来に向けた都市デザインのアイデアとしては、例えばアートを導入する、近代化産業遺産に歴史的な価値を見出すといったことが都市の魅力として書かれています。

 この記事はまさに我が意を得たりと思う面もあるんですけど、個人的にはまずいなと思ってしまいました。なぜなら、みんな真似してしまうから。そう思いましたので、さらにもう一歩先を行かないといけないなと思っています。

 ちなみにこの記事は、当社の役員会で社外役員さんに見せました。大新聞でも私がやっている活動は評価されるし、時宜にかなうことなんですよと説明するのには便利でした。

アヒルとの出会い
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2006年秋、ストラスブール・ルアーブル・ナント視察
 
 ここで少し、まちづくりとアートや歴史的建物の活用について見て頂きます。

 水都大阪は2009年に開催されましたが、それに先ずる2006年秋に行われた「水都大阪・設立準備委員会」の視察旅行に参加致しました。フランスのストラスブール、ルアーブル、ナントを回ってきたのですが、これが私にとっては転換期になった旅のひとつです。

 写真はナントのパンフレットです。ここでは翌年の2007年から3年ごとに「LOIRE ESTUARY」というイベントが開催されています。そのパンフレットにはCGで巨大なあひるをロワール川に浮かべ「こういうあひるさんを浮かべますよ」という記事が掲載されていました。この段階では、このあひるさんが私の頭の隅に残っていたということです。

感動を与える人を私が育てたい
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ロワイヤル・ド・リュクス
 
 オーグスト・ペレの建物で有名なルアーブルで行われたロワイヤル・ド・リュクスの一大スペクタクルです。しばらく動画を見て下さい(動画)。

 これはジュール・ベルヌの作品を元にした「スルタンの象と少女」というタイトルのイベントです。大きな象と少女が街を練り歩くというイベントでした。残念ながらこのロワイヤル・ド・リュクスは後に分裂してしまいまして、今は少女を持っている部隊と象を持っている部隊に分かれています。

 使っている素材は非常にプリミティブで、ロープを使って動かしているんですね。

 右の写真は最後の場面で、ルアーブル海岸で象と少女が別れるシーンです。西洋版かぐや姫みたいな話で、最後に少女はロケットで地球を去っていきました。

 このイベントをたくさんの人が取り巻きながら見ています。今も言いましたように象にしろ少女にしろ動きはプリミティブなんですが、この最後のシーンでは象さんの鼻がいかにも悲しそうな動きを見せて、見ている聴衆もみんな感動しながら涙を浮かべていました。それを目の当たりにした私が思ったことは、私個人としては人に感動を与えることは残念ながらできないけど、感動を与える人を私が育てていきたい。そういうことを強く思うようになりました。

アヒルプロジェクト
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アヒルプロジェクト
 
 さて、ここからは水都大阪でのプロジェクトです。

 ナントで見たアヒルを水都大阪に登場させました。

 水都大阪のプロジェクトは、最終的には当時の橋下知事の「ちゃぶ台返し」がございまして、予算が大幅に縮小されました。縮小された結果、確か、府が3億、市が3億、民間が3億持つという予算構成だったと思います。

 水都大阪と名乗りながらも、水に関わるアート作品が何もないんじゃないかと懸念し、何かないかと探している時に、ふと思い出したのが2006年秋にナントで見た、CGのアヒルです。このアヒルを作っているアーティストがオランダのロッテルダムに住んでいると分かりましたので、彼を訪問して契約し、2008年7月から八軒家浜の川辺にアヒルを浮かべました。

 現在までにこのアヒルは8回ほどイベントに出演しています。現在は初めて尾道に遠出しているところです。

 実は2009年の1月までは「会社の経費でアート作品を買うなんて」と非難されるだろうから、私自身がこっそりやっていたんです。前夜祭まではこのアヒルさんは元気にしていたんですが、翌日「芝川さん、アヒルの空気はいつ入れるの?」と電話がかかってきました。実はアヒルにシワが出来ないよう、パンパンに空気を入れたら当日に破裂してしまったんです。言い訳として、当時流行っていた「鳥インフルエンザにかかってしまいました」と公表、約2週間の「入院」を経て、その後ようやくお披露目となりました。

 ところが、そういう経過が逆に人気に拍車をかけてしまったんですよ。物事がうまく行く時は全てうまく行くもので、見た人は「本物のアヒルだよ、CGじゃないよ」とツイッター等でつぶやいてくれまして、あっという間に人気者になりました。

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アヒル・グッズ
 
 左の写真はアヒルプロジェクトに合わせて販売されたグッズです。一番最初に販売したのはアヒルのレプリカとTシャツです。巨大なアヒルを見て喜んでくれた子どもさんたちが将来、これはアートの力だったんだよと分かってくれるようにレプリカに「これはアート作品です」とタグを付けて販売しました。お釣りもややこしくならないよう、千円ぴったりの値段にしました。

 ところが蓋を開けてみると、子どもではなく欲しがったのは大人ばっかりという結果でした。当初は1千500個限定で売り出したのですが、なんとオークションでピーク時には8千円以上の値が付いたと聞いております。

 その後も携帯ストラップやイヤータグなど徐々に商品を増やしていきました。昨年の水都大阪では、震災復興の意味も込めまして、私どもの方で費用負担をして展示販売しました。アヒルも震災復興の費用をプラスして1500円、Tシャツは限定でやはり500円プラスの3千円という値段設定で、買った方が500円、私たちが500円という形で寄付ができるようにしました。総額で530万円ほどの寄付額になったと思います。9日間の展示でグッズだけで1500万円ほどの売上げを上げております。

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「大阪活力グランプリ2009」特別賞受賞
 
「大阪活力グランプリ2009」特別賞受賞
 水都大阪が思いのほか、評判を得たせいでしょうか、大阪商工会議所から「大阪活力グランプリ」の特別賞を受賞致しました。私の隣の隣が道頓堀川で発見された「カーネル・サンダース」で、その横が阪神の社長です。私の横にいるのが土居さんという天神橋筋商店街の会長さんです。


■近代建築を現代に活かす

大大阪サロン2005 in 芝川ビル
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芝川ビル 大大阪サロン2005 in芝川ビル
 
 近代化建物遺産を現代に活かすという意味で、最後に芝川ビルを紹介致します。

 この活動も「NAMURA」の動きに合わせるように2004〜2005年にかけて、動き始めました。2004年がNAMURA ART MEETINGが始まった年ですから、今思うとこの時期はいろいろと忙しかったんですね。

 2005年には、近代化ビルを持っているオーナー達が集まって、芝川ビルで「大大阪サロン」を催しました。生駒ビルさん、伏見ビルさん、児玉ビルさん、北浜レトロさん、それから私は少し距離を置いていますが、現在、大阪中央郵便局の保存の裁判をしている高岡さんもいます。この時の会議で、みなさん近代建築を愛されているんだなということが分かりました。

 ただ私個人としてはあまり目立ちたくないもんですから、芝川ビルのこともずっと担当者任せにしていたんです。千島土地の芝川だったらあまり目立ちませんけど、芝川ビルの芝川だとすぐオーナーだと分かってしまうので。

 ところが担当者任せだと、一般に担当者は稼働率さえ上げればいいということでビルの運営も雑居ビルになってしまう。しかし、例えば伏見ビルさんだと、ここは女性的なビルだからとそういう感じのインスタレーションにするなど、ちゃんとビルの個性に合ったことをしているんですよ。芝川ビルも、これまでの運営体制を変えないとまずいと思い、私が全面的に乗り出すことにしました。

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芝川又右衛門邸
 
芝川又右衛門邸
 これは、明治村に移築した「芝川又右衛門邸」で、明治時代の最晩年に建てられた建物です。「又右衛門邸」というのは、芝川ビルを作った又四郎の親父が作った建物です。武田五一の設計、施工は竹中工務店でした。実は、この建物の隣には昭和2年に大林組が作った建物もあったんです。それらの建物を解体する際、出来るだけ多くの部材を会社で引き取りました。

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芝川ビル トイレの改修
 
芝川ビル
 芝川ビルのトイレの改修の際には、昔の建物から引き取った部材を活かしています。芝川又右衛門邸も芝川ビルも建設されたのは同じ年代だったことから、又右衛門邸で使っていたタイル等をそのまま芝川ビルのトイレに使って、トイレの改修を行いました。

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芝川ビル モダンテラスの改装
 
 これは芝川ビルの屋上です。改修を行う前は、床面積を増やすため屋上には鉄骨で建物が増築されていました。それも全部撤去しました。ポーチも切られて事務所として使われていたのを、残されていた写真を元に再び元の姿に戻しました。

 現在はここを「モダンテラス」と名づけ、多目的レンタルスペースとして活用されています。夏にはビアガーデンが開催されており、おかげさまで8月中は予約で一杯と盛況を博しております。この中にもどなたか利用された方はおられるんじゃないかと思います。

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ビルの魅力を高める
 
 ビルの改修後はテナントも全面的に入れ替えました。

 上左の写真はビアガーデンの様子ですね。上右は1階のチョコレートショップさん。右下は1階のバー。下中は、地下の元金庫室だったところでコーヒーハウスになりました。下左は4階のモダンテラスの室内で開催されたイベントの様子です。

 このように魅力あるショップを入れ、船場地区の情報発信の要として頑張っているところです。

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芝川ビル工事写真
 
 これが芝川ビルの建築当時の写真です。

 こうした古いビルを改修しようとすると、みなさん「耐震は大丈夫ですか」とすぐ心配なさる。

 当時は「鯨尺」を使っていましたが、現在は「cm」を使っています。私の理論でいくと、現在のcmを鯨尺に当てはめようとしても合わないんじゃないでしょうか。

 写真で見てもお分かりのように、これくらい細かいピッチで梁を通しています。たまたま事務所仕様のビルを飲食等に転用する都合上、排気ダクト等を通すコア抜きをする必要がありました。しかし、壁が厚すぎで磁気探査をしてもどこに鉄筋が入っているのか分からないということで、だいたい真ん中ぐらいが良いだろうと開けてみたら、カチンと当たったのですね。当たって一部鉄筋が取れてしまったのですが、断面からすると大体30mmぐらいの鉄筋を使っていることが分かりました。今の建物ではとても考えられない太さです。

 これぐらい太い鉄筋を使ったしっかりした建物ですから、地震にはまず大丈夫でしょう。耐震を心配する人たちにはこう説明しています。

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HOPE事業
 
HOPE事業による修復
 私たちの事業はあまり行政のお世話にはならないのですが、これは珍しく行政の助成が出て、補助金を使った「HOPE事業」です。ファサードの改修に使いました。

 写真上が、1927年竣工当時、下が改修前の2009年のファサードです。ビル正面の竜山石を使ったものでした。戦災時の焼夷弾等でかなり焼けて形も定かでなくなっていました。それを「HOPE事業」を使って改修致しました。

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改修時の様子
 
 左の写真が改修時の様子で、まずは古びていた飾り石をひとつひとつ抉り取り、そこに新たに作られた飾り石をはめ込んでいきました。

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改修後の記念写真
 
 これは改修後の記念写真で、その時は当時の平松市長さん以下地元の大橋町会長さんらも来て下さいました。

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改修後の、正面ファサードの写真
 
 改修後の、正面ファサードの写真です。

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「メセナアワード2011」メセナ大賞受賞
 
「メセナアワード2011」メセナ大賞受賞
 こうした我われの取り組みが評価されて、昨年にはメセナ大賞を受賞致しました。写真は資生堂の福原さんから賞状をいただいているところです。

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おおさか創造千島財団
 
おおさか創造千島財団設立
 最後に、私どもの財団を紹介して、今日の話を締めくくりたいと思います。

 実は私たちの会社、千島土地株式会社は今年の4月10日で株式会社として百年を迎えました。普通、会社の百周年ならホテルなどを借り切って大々的にパーティを催すところでしょうけど、私個人としてはパーティをしてもホテルが儲かるだけ、記念品を考えるだけでも大変なんで、そのコストを地域の将来に還元しようと考えたんです。こうして、一般財団「おおさか創造千島財団」を設立いたしました。

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おおさか創造千島財団
 
 この財団は、年間の運営費として千島土地から2千万円が寄付されます。目的は、大阪における創造環境の整備、まちづくりに助成金を出し、魅力的なまちづくりに貢献していくことです。

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おおさか創造千島財団
 
 この助成事業には、(1)創造活動への助成(公募)、(2)スペースへの助成(公募)、(3)パートナーシップへの助成(非公募)の3分野があります。NAMURA ART MEETINGは(3)のパートナシップへの助成ということになります。

 以上で私のお話を終わらせて頂きます。ご静聴有り難うございました。

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