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質疑応答

鳴海邦碩氏

 はい、 どうもありがとうございました。

それでは、 会場のみなさんからも2、 3ご質問とか聞きたいと思います。

どなたかないでしょうか。

   

名塩を今つくるとしたら?

西斗志夫氏

 公団の西と申します。

名塩を担当しています。

   

 平城ニュータウン以来公団住宅を作っていただいて、 ずいぶん形も変わってきていますし、 今の遠藤さんの話でも、 もう少し違った形になっていくのなかという感じもするのですが、 進行中ではありますが名塩の場合で、 今の遠藤さんでしたらもう少し違うものを考えられるのかなという気が私もしていまして、 ちょっと意地悪なのですが、 1度お聞きしてみたいなと思いました。

   

遠藤剛生氏

 大きく私自身の計画の流れを申し上げますと、 いわゆる構造主義的見解でずっと計画してきているという流れは全然変わってないのです。

ただ、 構造が非常にプリミティブなものからだんだん複雑になっている。

格から破格へという表現で住宅の構造のことをいったことがあるのですが、 幾何学的で格子状のがっちりした分かりやすい構造性をかなり長い間引きずっていたのが、 ある段階から有機的な自然の秩序による構造を目指そうという考え方へ変わってきました。

   

 その変わる時の動機が形態的に無理やり変えようということではなかったのですが、 格子状の構造と住戸内部空間はともかく、 特に外部及び共用空間のなじみが悪く、 いつも空間が固いなと感じておりました。

吉田住宅では、 平地だし規模も大きな空間なので、 何か新しい要素が必要だと考えていました。

そしてたまたま現場で生駒山を見たり、 周辺の集落を歩きながら、 空を見たり雲を見たり古くからの楠の大木を見て、 ああそうかと感じました。

   

 今日の岡山の話なんてまさにそういう方向で進んでいる計画です。

一見すると秩序を形成している根拠がなかなか見えずらい。

だけど、 先ほどから説明しているような空間の構造を持っています。

   

 名塩について話しますと、 もう10年くらいやっていますから、 初期の1番街2番街3番街からだんだん変わってきてまして、 今やっている6番街あたりになってくると、 今日の岡山の計画の手法と考え方と同じ考え方を基に計画しています。

最初はかなり形態的、 幾何学的な美意識によって構成する部分が多かったのですが、 今は現場の状況に対して素直に計画し、 各画地ごとにすでにそこに予定存在的にあった空間を掘り起こしているというような感じで計画を進めています。

   

 ただ、 1つだけかなえられないのは、 建築に使える材料がかなり限定されてるとか、 住戸の計画手法が画一的で、 閉鎖的なものになっている。

いわゆる分譲住宅だと、 どうしても標準世帯的なイメージで作っていかざるを得ないという側面があって、 その2つが結構空間を支配している部分があります。

   

 それと、 素材なんかもああいう吹き付けばかりではなくて、 例えばコンクリートを使うのなら、 そのコンクリートの部分をやめて構造的に許される部分は、 ブロックを積んで内側はプラスターボードにペンキでもいいけど、 外側は例えばスレートぐらいを張るとか、 同じコストでもいろいろなやり方がある。

そういう素材の質感的要素も加えてもう少しきめ細かな住宅がつくれればと思っています。

   

 そういう意味でいえば、 “遠藤くんはいかん”と丹田さんはおっしゃっていて、 “なんでですか”と言うと、 “名塩の山を遠藤さん1人で作っているのが問題だ”と。

その通りなのだと思うのです。

別に1人で作っているわけではないのですが、 かなりたくさんの部分をやっている。

それがかなり画一的に見える。

だから、 いろいろな方が加わって、 いろいろな建築の様相が重なっていけばいいのだろうと思います。

   

 しかしいくら多くの建築家が関わってもよいのですが、 すべての要素が関係性をもっていればいいですけども、 バラバラに、 例えば某デベロッパーがおやりになったものと我々がやったものが全然水と油のような関係にあるとか。

次に横で作る時には、 茶色のああいう系統の色を、 少し我々の計画に加えて中和させようとは思っています。

   

 いろいろな要素が入ってくることはいいのですが、 その関係性を読まないで作られると非常に問題があります。

だから、 多様さは快だということを言いましたが、 1人で作って多様さは快だなんて話は基本的にはないと思うので、 そこの組み立て方の話と、 さっき質問されました話のように、 10年もやってますと、 最初の頃のものの欠けている部分が今はよく見えます。

だから、 自分が進化しますと、 その時頑張ってつくっても過去のもので充分満足し続けられるものは1つもありませんとしか言いようがないのです。

   

 名塩を今もう1度新たに手がけたらどんな街をつくるかという話では、 まず全体の空間の構造(ゾーニング)を考えると同時に、 空間のデザイン(空間の質)の方向を明確に決め、 心地好い住環境へ収れんしていくだろうと思います。

その時の街は、 全体の多様さと部分の独自性が両方ともかなえられた調和のある街を目指します。

   

100年の経年変化をどう考えるか

円山氏

 竹中工務店の円山と申します。

時間の経過とともに自然にとけ込んでいくですとか、 心にしみて優しいとか、 そのような、 周辺との関係を考慮して作っていくというようなお話があったと思うのですが、 50年や100年といったオーダーの時間の経年変化というようなものを、 当初からある程度計画して、 例えば50年後の自分の集合住宅はどのような姿になっているというような、 ビジョンと言いますか、 そういうものをもしある程度考えながらやっていらっしゃるのでしたら、 そのあたりをおうかがいしたいのですが。

   

遠藤剛生氏

 私が先ほどから育っていく住環境についてお話ししていますが、 それは今50年先の住宅はかくあるべしと考えて住宅を設計するのではなくて、 生活者がエネルギーを重ね、 50年先にも豊かな人と物との関係を持ち続けられる環境をつくりたいと考え、 結果として50年100年先があると思っています。

まず、 そのことを申し上げておいて、 次に私の過去の作品からふれてみますと、 初期の頃の住宅というのは必ずしもここで申し上げていたようなことにはなっていない部分も多々あります。

最近、 ようやく育ち続ける環境について、 ずいぶん意識して計画するようになってきました。

   

 建築というのは単純に考えてみれば、 作った時が一番新しくてだんだんくたびれていくものですが、 それでは古くなればそれだけでいいのかというと、 必ずしもそれだけで良いとも思いません。

それは単体の建築だけで考えるということじゃなくて、 岡山の例で申し上げましたように、 面的にいろいろな住宅があって各々経てきた経過も違えば、 内容も違うのですが、 それがうまく重なっていくことによって、 つながっていくことによって、 いろいろな時代の生活圏から日常的な体験ができる。

いろいろな空間があり、 いろいろな要素を日常生活の中で経験できるという良さが1つあります。

   

 それと、 単体の建築の中で言いますと、 いわゆる住民参加の中でよくいわれています、 例えば、 最初から自分が住むことが分かっていて、 自分の好みで内部空間をつくる。

次に全く好みの違う人が住んでも、 もしその空間に力があればそれを大切にして次の生活を重ねてゆく、 そのように要素は何であれ、 生活していく中で、 生活者が手を加え育っていくような価値のある環境を作っていくことだと思います。

   

 長野でオリンピックの選手村を手掛けているのですが、 屋上にやはり路地型の住宅を作っています。

小さな畑なんぞも作っているのですが、 住んでる目の前にちょっと花を植えたり、 かいわれ大根ぐらいを植えられそうな土のある部分を作っています。

大阪市の公営古市住宅の中でも同じようなことをやっているのですが、 生活者が手を加えていくことによって四季を感じられるとか、 生活者の1人1人の個別性が表ににじみでていって、 多様な雰囲気が育つ。

環境に関わっていくとか、 環境が育っていくと言ったのはそういうことなのです。

   

 これは建替え前45年間住んだ古市団地から学んだことですが、 除却されてなくなっている部分もあるのですが、 団地の中で野菜や花等ものすごくたくさん作っておられて、 例えば、 なすびを作ったり、 とうもろこしを作ったり、 それからにんにくを作って、 むしろを広げておばあさんが皮をむいていたりしていて、 淀屋橋から10分や15分で、 こんなに環境の育ったユートピアのような世界があるのというようなことを思ったことがあります。

   

 その時に感じたのは建築から感じたのでなくて、 生活そのものから感じたのです。

それが、 まさに渾然一体となって柔らかい雰囲気を、 住みながら住みこなしながら、 生活者が作り上げていった。

なにも建築家が作ったというわけではないのです。

建築と生活が絡み合っていける可能性を残していくというか、 余地を作っていく。

いわゆる比類なき美を求めて建築を作るという建築の美意識とは全然違うもので、 そういう美意識だけで全てが完結していくというふうには思っていません。

   

 まとめて申し上げますと、 生活者がどんどん手を加えていけるような、 環境をどうしつらえていくかということです。

例えば、 岡山の例で申しますと、 北側に面した廊下と、 東面、 西面、 南面とありますが、 1階から7階までずっと平面を重ねて、 上から眺めてみますと、 夜露も当たるし、 雨もかかるし、 直射日光もある場所を選んでプラントボックスを作っていく。

そうするとプラントボックスの並べ方というのは、 繰り返しの規則性だとか、 幾何学的な美意識で並べたものとは関係なく、 いうならば周辺の環境からこの3期はこういう役割を担ったゾーンですということから始まり、 周辺との関係から段々ステップを下げてゆくと、 最後プラントボックスの位置が決まってくる。

   

自然との関わりについて

上野泰氏

 今日、 基本的に今の遠藤さんの到達点というか、 おやりになっていることで、 有機的な空間秩序へいかに接近していくかということで、 かなりまとめてお話しいただいたのですが、 自然界での有機的な空間秩序というのは、 いろいろな均一ではない力が働いていくものだと思います。

   

 例えば、 細胞分裂でいえば、 個々の細胞がもっているパワーというのはみんな違っていて、 違うことによって同じ大きさの細胞が並ぶということではなく、 大きい細胞小さい細胞があって1つの組織が成り立ってるということがだんだん最近分かってきました。

それと同じようなことを今遠藤さんがおやりになっているのじゃないかという感じがします。

   

 建築の空間秩序を作っていく力の中で、 今までは先ほど遠藤さんがおっしゃられてたように建築家がもっていた空間秩序のようなもので唯我独尊のような作り方であったものに対して、 自然の力がそこに働いてくることによって、 力が不均質になってきていると思います。

   

 その1つの力が集合住宅の場合、 内的な力というか生活のもっている多様性のようなものが、 空間秩序を多様化させていく1つの原動力になっていく。

それから、 もう1つは外力というか建築をとりまく、 遠藤さんの言葉では場所性ということでしたが、 その場所がもっている様々な、 建築家がもっている空間秩序と違うパワーというか、 そういうものを入れていくことによって、 プロセスが一元的ではなくなってくる。

これが有機的な形を生み出していくというご説明であったと思います。

   

 さらに進めて、 一番最後にちょっと畑とかプランターボックスの話があったのですが、 先ほどのスライドでトルファンでしたか、 ブドウ棚のシェルターの話がありましたが、 ああいうふうな形で、 遠藤さんの建築の中で、 外力というのか内力というのか分かりませんが、 空間を作っていく力の1つとして、 ああいう建築緑化というようなものは今後積極的に取り組んでいかれるという気持ちはありますか。

   

遠藤剛生氏

 まず最初に質問からお答えしますと、 熊本の農業公園では導入部のトンネルの上部やレストランの屋根の上に土をのせ、 芝生を植えています。

トルファンのブドウ棚とは少し様子は違いますが、 基本的な考え方は同じだし、 今後ますますそんな方向に進んでいくと思います。

   

 次に私の今日の話をみごとにまとめていただきましたが、 建築と自然がどう共鳴するかということについてもう少しお話ししますと、 例えば有機的な自然界の秩序と自分の建築の手法が同じであるとし、 ということを言ってしまうと、 これはとんでもないことで、 自然の秩序は限りなく多様で人間の力で再構成できるような簡単な秩序ではないことは充分承知しています。

上野さんからいかに接近していくかというふうに表現していただきましたが、 まさにその通りだと考えています。

   

 アートの世界でもどんどん収斂していくと、 結局自然との境界線が見えなくなるところに到達した時に、 みんなから理解され、 了解され、 評価されていますが、 都市や建築も全く同じだろうと考えています。

   

 またさきほど、 幾何学的な空間の秩序から有機的な空間の秩序形成の方向へ踏み出したと言いましたのは、 もう行き着くところまでいったらいいと、 自分でも納得して申し上げています。

   

 例えばさきほどの日干し煉瓦とブドウの関係ですが、 ブドウ棚がごく自然に建物をカバーし、 そこに必然性があることが重要だと考えます。

それを例えば、 ここは立面緑化を行なっていますと立札を立てて、 説明書きをつけてという感じではなくて、 緑と建築が自然な関係を持ち、 作られた空間が感動を与えてくれるような、 そういう扱い方ができれば、 やっていきたいという感じです。

   

 例えば、 公団の関目団地の建替えをした時に、 あるゾーンの緑を残したのです。

そうしますと、 後から植えた緑と残した緑のゾーンを比べますと、 全然違うのです。

それはなにが違うのかと言いますと、 命が宿っていると言いますか、 3、 40年の間に育ってきた中で、 淘汰された木もあれば育った木もあり、 その緑そのもののお互いの関係の中に風景ができているわけです。

その風景に価値があるのです。

   

 “遠藤さんそんなややこしいことをやめてこれを全部切ってしまって、 何百万か出せば全部植え替えられますよ”とある方がおっしゃっていたんですが、 とんでもない話で、 そういう感覚でものを捉えるから訳が分からなくなってくるのです。

そうではなくて、 その何十本かの緑と緑が集まって作り出している自然の緑の空間そのものに価値があり、 結果として一本一本の緑にも価値が生まれるそんな空間そのものが大事なので、 建築と緑が関わって渾然一体となって関係ができるなら、 是非それはやりたい。

そう思っています。

   

最後に

鳴海邦碩氏

 江川さん、 田端さん最後になにかございませんか。

   

江川直樹氏

 そういうことなのですが、 そうは言っても1人の思考経路というのは越えがたいものがあると思います。

そこで、 扱うスケールとか、 与えられた条件とか、 建築の場合特に与えられた敷地ですが、 敷地の取り方とか、 そういうことに対して、 それをもう1度再構成するとか、 動かすとか、 あるいは何人かでやる時には敷地の取り方を少し動かすとか、 そういうことにチャレンジされているのか、 あるいはしなくてはいけないのか、 そんなことは必要ないのか、 そのあたりのことを最後にお聞きしたい。

   

 もう1つ今日の話ではなくて、 いつかまたなにかの機会に、 公園をどういうふうに説明されるのかお聞きしたいのですが、 まあ、 これはまた次ということで。

   

遠藤剛生氏

 先ほど熊本の農業公園について少し話をしますと、 石畳の広場の所に池があって、 その横になにか棚田のイメージで計画しましたと説明しましたが、 ああいう固い不自然な感じのもの、 あの時はいい景観ができたと思っていたのですが、 今見ると恥ずかしいというか情けないというか、 みっともないものを作ったなあと思っています。

   

 でもあのアイデア自身が悪いとは思っていません。

ただ理屈だけで作ってますからあんなふうになってしまったので、 もう少し自然をよく観察すれば、 もっと自然に表現ができたはずだと思います。

   

 そのあたりがすごくジレンマとしてあって、 あまり俺はこう考えてこう作ろうとか思わないで作った時の方が、 はるかに柔らかいなという感じです。

   

 先ほどのトンネルの空間と、 バーベキューレストランの空間と2つお見せしましたが、 図面にも表現できないようなややこしい空間を作った時に、 仮枠大工さんが皆こんなのいやだと言って、 だれもやろうとしてくれなかったのです。

やっとある若い大工さんがよし俺がやってやろうと言ってくださって、 奥さんと2人で、 わずか100 m2程度の広さの建物なのですが仮枠工事だけで2ヶ月半かかりました。

現場に何回も行ったのですが、 仕事がいいとか悪いとか文句を付けるなんてとんでもない、 拝んでありがとうございますというような感じで工事を見ていた記憶があります。

   

 とにかく、 何かあの空間を作った時にどう図面を書こうとかではなく、 本当に気のおもむくままな空間を作ってみようという感覚しかなかったのです。

竣工して見た時に、 なんて柔らかいのだろうと、 そういうふうに思ったのです。

自分自身の自我というか、 自分の非常に強い思いがあってそれをストレートに表現するということは一体何なのだろうと、 その時考えてしまいました。

   

 たぶん、 無欲で淡々とつくれるようになった時に、 言い換えれば自然の部分である人間が自然体でものを作るプロセスが重要なのだろうと、 何となくぼやっと見えてきています。

   

 2つ目の敷地についての質問ですが、 確かに敷地の境界線だけを見るとなにかあるテリトリーを感じますが、 ぐっと空を見れば無限につながってます。

だんだん話が建築から離れてゆきますが、 例えば雲とか、 空とかあって、 そこと応答すると考えたら、 境界線なんか見えなくなってきて、 また周辺の街の文脈も充分読めて、 さてその敷地の中でできる限界と果たすべき役割がちゃんとその空間の中に見えてくると思います。

ただ、 敷地の大きさによって、 この敷地ではどんな空間が構成できるか等、 空間における段階構成の問題がありますが、 基本的には街の全体を理解すれば、 その部分も自ずと見えてくると思います。

   

田端修氏

 都心居住、 都心住宅の話なのですが、 中高層のマンション、 集合住宅で、 緑というものが必要であるか。

いらんという話があるかどうか、 それだけでいいです。

   

遠藤剛生氏

 我々が育ってきた環境や文化と深く関わっていると思います。

例えば、 ヨーロッパでも北から南へずっと下がってきてイタリアの広場に行ったら、 もうペンペン草も生えていないようなところに平気で住んでいます。

我々は、 多分そうではないと思います。

ロンドンの例えばピムリコに行けば、 6階や7階の廊下から外に向かって、 緑が育っています。

非常に不自然だと思いますが、 あれをもし不自然だというならば、 人間は地上だけに住むしかしょうがないだろうと思います。

都市のそれも高層に住まなければならないような状況があれば、 私個人の感じでは、 人間が上に住むなら緑も土も上に上がってきたらいいじゃないかという感じですし、 またそれが現代の都市の姿だと思います。

   

田端修氏

 そんなことないのじゃないかという話も、 あると思うのですが。

   

遠藤剛生氏

 それもあると思いますが、 日本人がそれを許容できるのかどうか、 個人差ももちろんありますが。

   

 今日鳴海先生が日本型の集合住宅がどうもできつつあるような気がするとおっしゃっていました。

私の名塩の計画のまとめをやった時に“これは日本の空間の形式です”といった時に、 “どこが日本的なんなんだ”といわれたのですが、 “空間の連続性と変化する空間を生み出そうとする意識が日本的です”と言ったのですが、 今の緑も育てられている場所が問題ではなく、 どんな風景がつくられているかがむしろ問題で、 それが日本人の生活になじめばそれでいいと考えています。

   

鳴海邦碩氏

 それでは、 予定の時間を少しオーバーしましたが、 今日はこういうお話をうかがうのは久しぶりという感じで、 なかなか充実したお話がうかがえたのではないかと思います。

今日の、 スライドにも色々出てきましたが、 遠藤さんほど世界の集落とかを見てる方はおられないのではというくらいたくさんのまちを見ていらしています。

   

 僕もいくつか教えていただいて、 見に行ったこともあるのですが、 そういうものをなぜ見てるのか、 色々僕なりに憶測してみると、 別に真似しようとかそういうのではないのです。

ああいうのを見ながら触発されて、 考えているのではないかと思います。

   

 それをもって日本にふさわしい集合住宅というのはどうあるかというのは、 いろいろな場所に行ってたぶん日々考えているのではとそんな感じがしてます。

機会を変えて一体なにを考えて世界を歩いてきたのかというあたりも聞いてみたいところもあります。

今日は、 最近の成熟した遠藤さんの話が聞けたわけですが、 もう少し若い頃の話も聞いてみたい気がしました。

   

 では、 この都市環境デザイン会議のセミナーは常時拍手で終わっていますので、 拍手で終わりたいと思います。

   

 どうもありがとうございました。

   

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