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遠藤剛生氏から

活用しましょうよ!

 まず、 一番最初の話ですけれども、 例えば先ほど寝屋川の路地空間の話をしましたが、 それと併せて岡山の中庄団地の例で、 昭和30年代の中層の空間についてお話しました。

例えば、 建物だけ見れば、 「なんだこんなんつまらんな、 古くなってるで」「潰せや」という話にすぐなってしてしまうのです。

   

 それについて1ついい例が、 ロンドンのマーキスロードに行った時に見学できました。

ちょうど団地の真ん中に古い住棟が3棟ばかり残ってまして、 中だけすっかりやり変えているのです。

その周辺にその時代に作った住宅よりもはるかに住戸の性能もいいし、 専用庭も持っているし、 密度がその分高くなっているのですが、 それらしい新しい住宅があるのです。

   

 その団地を見た時に、 その古い住棟が3、 4棟残っていてのんびりした空間があって、 その外側に建て混んだ空間がある。

そうしますと、 30年から40年前の空間がそのままそこにある。

その周りに今の時代の状況を反映した集合住宅がある。

そうしますと、 少し様子の違う新旧2つの空間があることによって、 どちらも価値化されていく、 価値を高めていく。

それが、 そこでの街づくり資源を活用した再構成のされ方だろうと、 思ったことがあるのです。

   

 それと同様に、 空間工房の丹田さんがおやりになった計画を見ますと、 あの人は本当に厚かましいなあと思うのですけれども、 周囲の里山も、 農村集落も、 なんでもかんでも、 役に立つものはなんでも使うという感じなのです。

それがものすごく空間を豊かにしています。

それを、 俺は腕に自信があるから俺の建築だけで環境を完結するんだというふうにやりますと、 絶対そういうふうにはならないのです。

そこのところが非常に重要だと思います。

   

 寝屋川の空間をといったのも、 あの空間の中にきらりと光るものがあるということを言ってるわけです。

なにか保存しようとか継承しようとかいった時に、 すぐに博物館的に飾るというか、 残そうという意識が働くのが一般的ですが、 そうではなくて、 都市の生活と景観の連続性を考えた時に、 どの時代のどの建築にもすべて価値があり、 寿命が来たら潰れたらいいし、 潰れたらなくなればいいし、 活用できるものはどんどん活用していこうということです。

それは時代の流れの中で淘汰されていくものもあるし、 新しく生まれてくるものもあるし、 それが、 延々とつながっていくことが都市のあるべき姿ではないかな、 というふうに思うわけです。

   

 ですから、 京都の木造の町屋がなくなる、 表面的に見れば、 大変だなあ、 つらいなあと思うわけです。

でも、 その形、 物そのものを残そうという意識もありますが、 伝統的な空間の形式とか、 その空間の持っている精神性のようななものを今の時代の建築の中に表現していくという残し方だってあるわけです。

木造建築を、 例えば3,000年、 5,000年残そうなんてのはどだい無理な話で、 それも、 神社仏閣のようなある公共性のあるものは、 金を入れて手を入れて残せるかと思いますが、 庶民の住宅というのはやはり消えていくと思います。

   

 その時に、 あ、 消えた、 なくなったと言って失望するだけじゃなくて、 もっと考えることがあるでしょう、 それが1点あると思います。

そこで、 先ほどの質問について申し上げますと、 一言で言いますと、 活用しましょうよ、 それしかないなと思います。

継承するということは、 活かして使うことだと思ってます。

   

周辺との関係を一戸一戸で大切にする

 それと、 「説明するのが難儀ですわ」といったのは、 時間がものすごくかかるということで、 説明できないということではないのです。

ちょっと舌足らずですみません。

それはどういうことかと言いますと、 いわゆる幾何学的な美意識に基づいて作るという時には、 構図が非常に単純なのです。

非常に簡単にできる。

要素が少ない。

ところが、 風の要素、 光の要素、 風景の要素とか、 生活もあります。

自分がきちっとその要素について整理できるかぎり、 また、 それを設計に反映できる可能な限りの要素を重ねて、 そこの中から答えを見つけている。

そうしますと、 非常に複雑多岐にわたってきて具体的な日常の作業ではその量が膨大になり、 所員が疲弊してきたように思います。

だんだん、 ややこしくなってきて、 所員は口には出しませんが「たまらんな」という感じにはなっています。

設計に手間もかかるし、 時間もかかるし、 それは、 我々意匠のスタッフだけでなくて、 構造の人もそうならば、 設備の人もそうだし、 あらゆることがものすごく大変なのです。

   

 ですけども、 その手間暇をかけ、 要素をたくさん読み込んでいけばいくほど、 その内容が豊かになっていく。

ですから、 先ほど鳴海先生がおっしゃっていました、 向こうの遠くの山もその要素だと言ったのは、 優先順位や重要さの度合に差はあるが、 当然計画に読み込むべき要素だと思っているわけです。

名塩で言いますと、 それはすごく大阪の眺めのいい住宅もあれば、 すぐ目の前の階段路地に面したところの階段の良さを活かした住戸もいくつかあり、 遠くの山の見えるところもある。

その場所によってリビングをどこに配置するかとか、 間取りをどう組み替えるのかということがあって、 場所ごとに、 クラスターごとに、 そのクラスターでも敷地の中の各々の場所ごとに、 プランを、 少なくともリビングの位置だとかダイニング、 キッチン等全部変えていくのです。

   

 同じ3LDKでも、 例えば70戸あれば少なくとも50タイプぐらいは常にできてしまいます。

それは、 いいとこ取りといえばいいとこ取りといえるのですが、 とにかく周辺のもっている空間要素を活かすことによって、 1つ1つの空間が独自の様相を帯びてきます。

   

 これを、 集合住宅の住戸について話をするから非常に奇異に聞こえるのです。

でも、 戸建て住宅で1人1人が土地を買って家を建てる、 建築家に頼むという時に、 こちら側が眺めがいいからこちらにリビングを作ってくれとかみんな頼んでいるのです。

戸建て住宅で考えればごく普通のことを、 集合住宅でもそれをやっているだけのことで、 70戸の戸建て住宅を重ねて1つのクラスターを形成しているに近い。

それだけのことなのです。

   

 ですから、 戸建て住宅というのはみんな1人1人、 大木のすごいものがあればそれを活かした庭を作ってほしいとか、 昔の倉がここにあるからそれも活かしてほしいとか、 中庭だけ残して作ってくれとか、 色々な条件がでてくる。

これを、 集合の中で、 周辺の環境との応答性の中で考えていく、 そういうことになっているのだと思います。

それが、 先ほど鳴海先生がコメントされた事への1つの答えです。

   

説明の仕方

 それから、 どんな説明をしているのかという質問ですが、 岡山のプロジェクトでつい最近、 副知事と知事に2度説明いたしました。

知事は最初はなにか難しそうな顔をしておられたのですが、 だんだんにこにこして、 最後には、 楽しい住宅ができるようですから、 まあがんばってくださいと、 30分の予定が45分近く私がしゃべって終わったのですが、 非常に楽しそうに聞いていただきました。

   

 その時に、 こつがあるといわれれば、 建築の専門でない方にデザインの話なんか私は一切いたしません。

要素の説明をするのです。

要素を1つずつ、 全部、 例えば、 人の動線はどうなってますとか、 近隣とのつながりはどうなってるとか、 六軒川との関係はどう作ったとか、 この広場がこれだけでかいのは1期、 2期のオープンスペースが非常に分節化されてるから、 ここでは大きい広場を作ることによって、 この4つのブロックの中での役割を果たしますとかです。

   

 例えば1期の丹田さんの住宅は、 一言でいえば公園の中の住宅で、 阿部さんの住宅は路地のような住宅で、 私の住宅は路地と広場が集まったような住宅ですと、 そういう要素を順番に説明していって、 1つ1つ一般の方が理解できる言葉で説明して、 それを一通り説明が終わると「なるほどな」となって、 それで終わる。

   

 別に、 タネもしかけもなくて非常に単純明快で、 なんでこんなに複雑な形になっているのか等、 一言もお聞きにならなかったし、 “いい住宅です、 これは楽しそうです、 できたら見に行きますね”で、 しまいだったのです。

というようなことです。

   

都心の中での場所性

 それから、 先ほどのB計画の場合、 海があるが街の中ではどうするのかという質問がありましたが、 海があるから海を活用する、 路地があるから路地を活かす、 山があるから山を活かす、 斜面だから階段の集合住宅を作る、 というふうに、 その場所その場所で一番力を持っている要素はなにかを常に読み出そうとするのです。

そういう動きの中から、 ここではクラスターがこれくらいの大きさだ、 それが隣とこういうふうに連担している、 だからここではこういう空間の構造でもって、 こういう生活を読み込んでいったらいいんだなという読み方をしているのです。

   

 少なくとも場所特性を読んでいる段階では、 抽象的な概念でいういわゆる京都らしさとか、 そういう捉え方では、 僕は捉えられないのです。

名塩で作る時には、 西宮らしさですと言っても、 あそこは西宮市だから西宮らしさとだと言っているだけの話で、 あの場所について考えています。

   

 例えば、 その中でも斜面がいくつもあって、 クラスターがいくつもあるのですが、 あるゾーンは囲み型のゾーンもあるし、 リニアーな中庭をもったゾーンもあるし、 それから路地型の斜面もあるし、 大階段広場のゾーンも今作ってるし、 平行に流れている斜面ではリニアーな段状の広場を作っていくとか、 その場所ごとに、 全部中庭の空間が違うのです。

それをずっと連続的につないでいくと、 多様な空間になっていくというようなことで斜面地が形成されていく。

そんなことで、 常に近視眼的に見ています。

ですから、 計画は大所高所から、 具体は現場を見ろというのが僕のやり方です。

お答えになったかどうか分かりませんが。

   

まちなか

鳴海邦碩氏

まちなかの話はどうですか。

遠藤剛生氏

 まちなかというのは、 具体的に、 例えば、 私が計画した例で言いますと森ノ宮スカイガーデンハイツとリリパットハウスぐらいしかないのですが、 そんなところのイメージでいいんですか。

   

田端修氏

 例えば、 もうちょっと街よりで、 森ノ宮からいえばもうちょっと西よりの一帯をイメージしていますが。

   

遠藤剛生氏

 例えば、 京都の話とかそういう具体的な話ですか。

   

田端修氏

 それでもいいですよ。

京都でいえば、 上京、 中京とか東山とかですが。

   

遠藤剛生氏

 京都のことについて、 詳しく存じ上げてませんので森ノ宮の例で言いますと、 すぐ北側に阪神高速があって、 下にトラックがぼんぼん走ってる道路があって、 南を見ますと工場がずいぶんたくさんあって、 西側は成人病センターで、 結構いろいろな要素が混在しています。

   

 あそこで一番難儀やなあと思ったのは、 音の問題だったのです。

ものすごくうるさいのです。

そういうこともあって周辺との環境を見ていると、 どうも周辺との関係性を図りながら計画していくのは非常に困難な場所だなという感じをもっていました。

周辺部に出ていくと、 自然と非常に多様な関係を持ちながら住宅がつくれるのですが、 都市の中心部に入っていきますと条件がだんだん厳しくなっていくにもかかわらず、 狭い厳しい環境の中で自己完結していかなくてはいけないというか、 そういうベクトルをもっている場所というか場所性があります。

   

 ですから、 かなり「俺だけがよければいい」に近いような住宅、 それもいいとこ取りの住宅になってきます。

   

 例えば、 北側には少し音止めの壁のようなものを作って、 5階レベルに人工地盤のいうならば空中庭園を作って、 その中庭側に面して囲み型の住宅を作りました。

それは、 グランドレベルではなくて5階レベルであったということもあるのですが、 全体の内の6割から7割が中側に面した住宅を作りました。

それも、 北側の高速に対しては音止めの壁を作って、 その中に中庭を作りました。

   

 南側にも壁があるのですが、 それはフレームだけにして、 大部分が丸に十字の島津の紋様のような形にしたのですが、 そこからは光を取り込んでいく。

一見すごく大きなスパーストラクチャー的なフレームを作ったのは、 北側の高速道路の荒っぽさと馴染ませようということもあったのですが、 南側の結構ごちゃごちゃした雰囲気をフレームの中に生け捕りにして手前の力強いフォルムで南側の風景を中和しようと考え、 でも光はそこから取り込んでいきたいということをやったのです。

   

 自然的な環境からだんだん人工的な環境に近づいていくと、 物として力をもっているものはアートなのじゃないかなと思っています。

それを建築で表現するのか、 いろいろなアートを加えていくのか、 そういうことはあると思いますが、 人間の知恵をしぼって、 人工物のもっている良さを活かしながら、 環境を形成していかなくてはしょうがないと思います。

   

 これが空間とか形の話で、 生活の話はもう少し違うのじゃないかと思います。

それは、 例えば森ノ宮の例で言いますと女性の単身者が結構多いのです。

入口のところで、 全部オートロックになってまして、 管理人もちゃんとおられます。

管理人がおられるから安全だということにはなかなかつながらないのですが、 かってに入ろうと思う人が10人いれば7人ぐらいはシャットアウトされて要領のいい3人ぐらいはくぐり抜けて入っていける。

だからある程度リスクヘッジできるシステムであるということは言えるかも知れません。

   

 そういう若い女性の単身者がたまたま多いということがあって、 そのことだけで全て埋めるわけではないのですが、 高齢者はあの場所にはあまりお住みにならないのです。

ですから、 そのあたりをきっちり読まないと思いつきで発言するわけにはいかないのですが、 住み手の年代層だとか色々なものが違ってきているのでしょう。

そういう人たちにとって快適な環境と、 今言ってます外側の都市の中のいろいろな環境と、 そこでの条件設定をきっちりやれば、 そこにふさわしい答えがでてきます。

   

 ですから、 どこの場所に行っても、 常にどういう設計条件を設定するかでそこで出てくる答えが常に変わってきます。

その条件設定の仕方が、 都市の中と郊外部では全然違うのではないかと考えています。

   

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