アフリカ・マリの住まい by ウスビ・サコ、吉田哲、設楽亮一
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質 問

 

雨期の生活について

鳴海先生

   どうもありがとうございました。

少し時間がありますので、 質問ありませんか。

武市さん

   コートハウスについてお聞きしたいんですが、 その前に先ほど雨期と乾期があるっていってましたよね。

多分乾期の調査だと思うんですが、 ほとんど屋外で炊事とかの生活、 コミュニティ活動を行っていると思うんです。

雨期は1年の内の何カ月ぐらいですか。

その時は全部中に引っ込んで生活しているんですか。

サコさん

   雨期はだいたい6月の終わりぐらいから9月、 あるいは10月ぐらいまでです。

だいたい3カ月から4カ月ぐらいありますが、 その間ずっと雨が降るわけではなくて、 だいたい1週間に1回とか2回ぐらいです。

降るときはだいたい1時間から2時間ぐらいです。

武市さん

   スコールみたいな感じですか。

サコさん

   そうです。

それが降り終わってからまた中庭に出ています。

そのような生活をしています。

しかし、 中庭を使えないときは寝室を使うしかありません。

武市さん

   じゃあ雨期ってのは日本の考え方とは全然違うんですね。

サコさん

   はい、 ちょっと違いますね。

 

木と生活について

武市さん

   それとあれだけ周りに緑が多いんだから、 木陰の下がものすごく大事だっていうのはよく分かるんですね。

それだったら何故もっと木を植えないのですか。

サコさん

   そうですね。

今、 生えてきている木は自分たちが植えた木です。

苗木を植えてそれを育てていきます。

その中で大きくなる木とならない木があって、 そのため木が多いところと少ないところがあるのですが、 例えば図12の住宅ではこんなに木があります。

ですけど大きくなっているのは左手の木だけです。

この木は私たちが勝手に名前を付けて「メインの木」と呼んでいます。

で、 ここが「メインの空間」になっています。

ここにもう一つ個人の寝室に近い木がありまして、 だいたいここの人がこの木を占領してしまう。

このような木の影の取り合いがあります。

木のないところはこのようなハンガーを自分の住戸前につくります。

 

プライベート空間について

武市さん

   それと、 最近はフランスなどからの影響で、 個人主義的なプライベートな空間を持ちたいという意識が出てきていると思うんですね。

 

   例えば、 元々のマリの人たちは多分家族単位で、 農村でも一つのワンルームが原型で、 その他を共有する形で中庭で生活空間を創ってたんですね。

中国でもそうだし、 ホーチミンなんかでも全部そういう形で住んでるんですね。

 

   しかしどうしてもプライベートが欲しいという意識が多分ヨーロッパとかからの影響で出て来る。

それでテラスのようなセミプライベートなところがワンクッションとしてできてくる。

少し豊かになってくると家族単位の部屋がまた小さく分割されて、 最終的にはプライベートの個室が出てくると思います。

 

   そういうプライベートなところが例えば設備的に整えば整うほど、 今度はパブリックの方で毎日のコミュニケーションみたいなものがなされてきたものが、 だんだんプライベートのほうに閉じこもっちゃって、 元々の共有する空間がただ形だけのものになって、 やがて無くなってしまう。

だから一番最後の近代的のものは、 形だけの、 広場とは言えない狭いものになっていってますよね。

 

   山本理顕さんなんかはアフリカに行っててこのようなものもやるんだけども、 あれは完全に個人の家の中で機能分化しちゃってます。

日本は気候が違うのですが、 食事するところ、 寝室、 それぞれの機能に分化した中で中庭があるわけです。

建築的な空間は面白いのができるんだけども、 そこでは共有する意識が純化されちゃてて、 人が集まってくる要素が無いんですね。

だから綺麗には見えるんだけれども。

 

   例えば大阪でやっている都住創なんかもそうだけれども、 共有の場を設けましたよといっても、 各戸の部屋が隔離されちゃうとそこに引っ込んじゃって、 人と人の交流がまるでなくなっちゃう。

その辺の伝統的な住まい方から個人主義的な意識まで同時に持っていると思うんですけども、 実際に向こうで住んでおられてそのような意識ってのはどういうふうに感じられておりますか。

サコさん

画像ma81 画像ma82    そうですね。

例えば図81図82でいいますと、 本来は中庭はこの倍ぐらいの広さが取れると思います。

しかし、 様々な要素や空間ができると中庭が狭くなってしまいます。

この住宅の場合は、 だんだん機能が室内化していって、 トイレとかリビングとか外にあったものが、 だんだん中に入ってしまって、 個人化してしまったというものです。

 

   これは私自身が住んでいる住宅なんですが、 人が少ないからこの半分に賃貸居住者を入れているんですが、 一緒にコミュニケーションする中庭にはお互いに出てこないんですね。

ほとんどの生活はテラスかサロン、 ベランダといったところでして、 ほとんどコミュニケーションってものが無くなっているという状態です。

 

   ですから多分このような中庭は機能的なものではなく、 人を引き寄せる要素があるのではないかと思います。

私も、 意識と空間の利用の話を考えたんですが、 もしかしたらこの個人空間が増えれば、 共同意識が無くなってしまうのではないかというのが日本の現象なんでしょうが、 マリの場合はこのような共同意識、 中庭空間を保ちながらどうやって個人の空間を確保するかということが問題です。

居住者は個人空間が欲しいといっています。

自分のテラス、 自分のトイレといったようなものが望まれているんですが、 実際それを造ってみると、 本来の人間と人間の関係が冷めてしまうというのがマリでも見られます。

 

   例えば先ほど紹介した集合住宅(図72)では、 中庭は形としてしか存在していません。

ほとんどの居住者は自分の住戸の内で生活してしまっています。

そういうような状況です。

吉田さん

   あと一つ、 プライベートな空間が欲しいということは西洋からの影響だということですが、 その西洋化を望む人は一夫多妻ではなくなっているんですね。

で、 家族人数も少なくなっていくので、 中庭がある住宅はあまり必要ではないと思います。

小さな家に本来は入りきれない多人数の人が住んでしまうということが、 個人空間を求める理由の一つであって、 一概に西洋化の影響でプライベートな空間になっていったとは言えません。

 

   プライベートなものが欲しいということが一番進んだ原因は、 あのどうしようもない子供の数と田舎からやってきた人で、 人数がどうしようもなく増えてしまったということが一番の原因です。

これまでの時代であったならば、 少ない人数であの広さでしたから、 プライベートな空間は元々あって、 それが満たされていたから、 中庭がしっかり使われていたのではないでしょうか。

武市さん

   近代化っていうのは同時に整理化されているのね。

整理化と同時に共有の入り込み意識が無くなっちゃって、 綺麗に整理されていくっていうことが果たして豊かさに繋がるかなという感じがするわけです。

例えば…。

鳴海先生

   それはちょっと大問題なんで、 後で、 懇親会の時にお願いします。

他には、 はい辻本さん。

 

一夫多妻制と中庭空間について

辻本さん

   私がセネガルに行ったときに見た住宅も非常に似ていたんですが、 一夫多妻制ですから旦那さんが日代わりに奥さんに会いに行くんですよね。

そういうところで、 中庭の意味は家族全員が、 第二婦人、 第三婦人の子供まで全部集まる場ということなのでしょうか。

日本でいえばお正月になると家族全員が集まるみたいな感じのイベント的なものが無くなっているのか、 それともそれはまだ続けられてて、 先ほどいわれたような一夫多妻制が無くなっていくことが家の形態を変えていっているのか。

 

   基本的にお父さんはお父さんの部屋にいて、 奥さんとか家族に会う時はそれぞれの個室でいいけども、 家族全員で会う場は必要でなくなってきていると思うんですよね。

セネガルでは三十何人っていう家族の人たちが中庭でおじいちゃんと太鼓の練習するというのを聞いたんで、 マリではどうなんでしょうか。

サコさん

   イベント的な場というよりも、 まだまだ生活の場だと思います。

図12の住宅にしても、 これが家長の部屋で、 ここが第二婦人の部屋。

で、 第二婦人の使う空間。

ここが第一婦人の部屋と第一婦人の使う空間。

しかし、 それにしても家族全員が一緒になるときに、 この木の下をまだまだ使い続けています。

ですからイベント的な空間に変わりつつあるというのも、 多分セネガルの例はグリオ(ジェリ)という職業の人たちだと思うんですが、 彼らの空間の使い方は、 一応仕事場と生活の場という両立の空間になっているんですけれども、 ここの場合は生活の場としてしか使われていません。

辻本さん

   私の言ったのはそういう意味じゃなくて、 一夫多妻制である限りは中庭は絶対に必要な空間であるのかないのかということです。

使われなくなっていくというのは、 一夫多妻制が無くならない限り、 ある意味では意味のある空間なので、 個人化が進むといっても一夫多妻制の形態を保っている家族なら中庭は必要であって、 無くなってはいけないということですか。

サコさん

   多分、 直接関係ないと思います。

別にそういう家族形態とか社会的現象と空間利用の変容というのは、 間接的には結びついているかもしれないのですが。

一家族がずっと同じ住宅に住んでいたならそうかもしれないけれども、 図11の住宅はスライドでいくつかお見せしたんですが、 一夫多妻制はここに入ってないんですけども、 生活の中心は中庭になっております。

ですから一夫多妻制が存在している限り中庭が重要だというようには考えられません。

辻本さん

   それぞれの個人の家にキッチンがあるようになったら中庭も必要なくなるです。

だって一夫多妻制っていうのでは、 中庭が居間と同じでみんなが集まる空間になっているのではないかと思うのね。

サコさん

   はいそうです。

西洋型住宅に存在している居間や機能分担型の空間がすべて一つの中庭に集まっているような感じです。

 

再び木について

上野さん

   今の話で木が非常に重要な意味を持っているというようにおっしゃってたんですが、 それぞれの住宅の中に木というものがあるんですが、 そういうのはパブリックのはずです。

例えばビレッジの中の木、 ビレッジの木とかいうのはあるんですか。

サコさん

画像ma83    そうですね。

図83は先ほど紹介した村の木です。

これはどの住宅にも属さずに、 だいたい村の中心は木になっています。

さっき設楽さんが説明したように村の重要なことはこの木の下で決定したりとか、 ここで長老たちがミーティングしたりとか、 村長の家に行く前にここで打ち合わせしたりとか、 村全体の中心が木になっています。

上野さん

   それともう一つ。

木の話に関連してなんですが、 木でできる影と、 さっきのハンガーでできる影と、 どっちも影ですよね。

やはり周りの人たちにとっては木の影の方がハンガーの影よりも重要だというような認識はあるんですか。

サコさん

   そうですね。

そういう意識がかなりあります。

木のできないところはハンガーを使っているんですが、 ハンガーの方が影は安定してますよね。

しかし、 それより木の下でコミュニケーションしたりとか、 人と会ったりとか、 食事したりとかの方が、 まだまだ快適に感じているのではないだろうかと思います。

鳴海先生

   いろいろご質問があったかと思いますが、 時間が来ましたので今日はどうもありがとうございました。

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