日本の国内で起こっていることが、 特に発展途上国のなかで、 拡大的に起こっているということだと思います。
どうしてこうなのかということの仮説をちょっと述べてみたいと思います。
シルビアさんのイタリアを含めた西欧文明は石造建築に象徴されるように蓄積的、 保守的なものでした。
近代主義はそれを破るアンチテーゼとして出来たと思います。
しかし、 それは西欧文明自身から出た内発的なものです。
その近代主義は欧米国家の世界的勢力拡大によってアジアなどの地域にもたらされ、 技術文明の先兵とされたわけです。
近代化は非欧米地域では、 いわば力づくでもたらされたもので自主的な選択ですらなかったのです。
発展しようとしている国は、 日本を含めて、 モダニズムを無批判にいいものだと決めて取り入れようとした。
だから抵抗力がほんとはないわけです。
これに抵抗して独自の建築文化や都市をつくるには、 地元の大変なエネルギーがいると思うんですね。
これに関してパネリストの御意見を聞けたらありがたいなと思います。
鳴海
今のお話についてみなさんの意見をお聞きする前に、 別の見方を僕のほうからお話ししてみたいと思います。
山崎正和さんが最近『都市の構図』という本で、 一つの問題提起をしています。
つまり、 現代の東アジアの都市には、 鉄とコンクリートとガラスでできた高層建築がそびえ、 そこでは、 自動車が走り、 英語がわかればそこそこ不自由しない生活が展開している。
これは、 一つの文明の傘の下にあることを示唆している現象で、 それが東アジア文明ではないか、 という見方を示しています。
一方では、 このような考え方もできるということを念頭においていただいて、 先ほどの順番でコメントをいただければと思います。
だから、 伝統そのものを説明するのが非常に難しい。
やり方は二つあるかもしれない。 物理的なものを見てアイコンを使う。あちこちでやってます。黒川もがんばっている。 もう一つは、 空間、 土地そのものを見ながら、 理解しながらものをつくっていく。 ただどうしても、 どこか共通点が出てくる。 努力しても教育が変わらない限り、 影響は出てくるんです。
今までは情報は限られていました。 みんながヨーロッパのことを勉強して、 ものをつくってきた。 将来は学校の教育が変わらなければと思います。
15〜20年後には情報が世界中に広まっていくようになる。 選択肢が多くなってくると、 変わってくるのじゃないか。 それぞれに地方に特別な文化が生まれて来るんじゃないだろうかと思います。 だから、 楽観的に見た方がいいと思います。 もう少しそれぞれの地域の顔が将来にはできてくるのではないでしょうか。
エリサ 都市計画ですと答えると、 みんなびっくりするんですね。特にヨーロッパ人は。 あなたどうしてここで勉強しているんですか。こんなごちゃごちゃした街で。ヨーロッパとか、 アメリカで勉強した方がいいんじゃないですかと。
美しいということは、 ほとんどヨーロッパから出る議論なんです。 シルビアさん、 あるいはデビッドさんは、 ヨーロッパ人として昔から頭の中にイメージがあるから、 美しさになれているから、 日本には悪いところが多いと言われるということなんです。
日本は便利さに対して憧れる街です。 こんな街はどうしてできているのかが、 キーポイントです。 例えばマクドナルドができる、 ローソンができる、 パチンコ店がどこにでもできる。
実は今、 同じ家に住んでる人はイタリア人なんですが、 彼女はローマに住んでいたのです。 よく彼女に聞くんですね。 あなたはうらやましいです。 すごく美しい街に住んでるから。 えっ、 どうして、 すごく不便なんですよ、 というんですね。 やっぱり美しさを守るためにたくさん不便なところがある、 ということじゃないですか。 逆に日本は便利さのために結果的には良くないところもあります。 日本は政治が弱いから、 こんな街もできるんですね。 会社の方が強いというか。
インドネシアは政治が強いから、 日本のようにはならないと思います。 むこうは、 街はどこでも一緒、 そういう感覚があるんです。 残念ながらアーバンプランニングをやっている人は、 建築家ではなくて、 もしかしたら軍隊だったりする。 私たちが海外で勉強して帰っても、 政治家にならない限り、 街は変わらないかもしれないのです。
ヨーロッパとアジアは違うから、 あわない部分はあいまいな話になる。 それも勉強になる点じゃないかと思います。
アジアの国々のなかでは、 たとえば、 ネパールはとても好きです。 便利さこそあまりありませんが、 素晴らしい建築物、 魅力のあるまち、 文化の香り溢れる雰囲気に私はひかれてしまいました。
便利さ(機能)と美と人間らしさが一つのもの中に共存することを求めるのは、 無理なことではないと確信しております。
アジアにおいて、 日本は特別な経験をしました。 西洋文明を、 ものすごいスピードで消化しようとした時、 自分の文化を忘れ、 なにもかも、 悪いものも含めて、 津波のようにやってくるものを取り入れました。 批判的な精神よりも競争心の方が強かったかもしれません。 戦後には、 また似たことが起こりました。 日本がアメリカナイズしてしまいました。 価値観の空洞ができると、 気圧の現象にあるように、 異なった価値が入って来ます。 日本では、 どの「イズム」でも流行ります。 自分に合わなくても色々な物が入って来ます。 そういう状況のなかで、 しっかりした選別方針を持つのは難しくなるかもしれません。
今の世界には、 多分アメリカ程どんどんたくさんの新しいものや発想を生み出す国はないと思います。 しかし、 その中から何を受け入れるかは自分たちで選択すべきだと思います。
イスラムの世界のことはあまり知りませんが、 そういう国々の建築家は、 外国で勉強しても、 帰国したら自分の国にあう、 自分の思想にあうものを設計しているような気がします。 マンハッタンと間違えられるビルを私は思いだすことができません。
センダ 例えば、 昔アルド・ロッシが日本へ来たときに影響を受けて、 彼は見たものを設計して、 彼の文化と日本の文化を混ぜて新しいものをつくっているんですね。 今度はみんながそれを真似をすると、 それはどこの文化になりますか。
自分の文化といっても、 自分の文化は、 どのリミットの中に入っているんでしょう。 New Traditionをベースに設計している人ほとんどそうですが、 自分のわかっている範囲を、 私の国の文化だと言っているだけです。
例えばヨーロッパでも、 ギリシャや、 イスラムや、 かなり遠いところから来ているじゃないですか。 このへんは、 なかなか簡単には話をすることができないんじゃないかなと思います。
エリサ インドネシア人の85%はイスラム教を信じているんです。 一つのポイントは、 イスラム教は、 すごく生活感があるというか、 Way of Lifeなものだということです。 イスラムの留学生は、 国を出ても、 そういうWay of Lifeが強いから、 どんな影響があっても、 自分のアイデンティティがあるんですね。 Modernizmeが入っても、 結局そういう考え方が生きているのは、 今の生活のためじゃなくて、 死んだ後に、 また生活があるから。 それが人々の目的になるから、 アイデンティティがあるのが私にはよくわかります。
シルビア 定義は色々ありますが、 私は、 ここで文化イコール価値体系という考えでお話ししました。 広い意味でエリサさんがおっしゃった way of lifeだと思います。 どこへ行っても文化があります。 進んでいる文化、 おくれている文化はありません。 ただ違う文化です。 そういう意味で文化は変わっていきますし、 よその要素をいれまぜることもあります。 体系の崩れかかったところに、 埋めるように他のものが入ってくることもあります。
多分みなさんは自分の仕事の中で、 今日出たキーワードを反芻されると思います。
今日は日本の都市ということでしたが、 日本人からみたヨーロッパとか、 そういうこともやってみたらおもしろいんじゃないかと思います。 話してみると分かるのですが、 私がみたインドネシアは、 インドネシアから来た学生が考えているインドネシアとは全然違うんですね。
今日は、 これで終わりにしたいと思います。 ありがとうございました。
日本的なるものを活かせるか
センダ
街をつくってる人は、 ほとんどどこの国でも、 ヨーロッパの教育を受けたんですね。日本でも。
私は「日本でどんなこと勉強してるんですか」とよく聞かれるのです。
便利さではなく人間らしさが好き
シルビア
判断と好みは様々ですが、 私は個人的に便利さよりも、 人間らしさが好きです。
どこの文化であるかが問題ではなく、 選ぶ力がほしい
文化の話が出てるのですが、 文化の話はとても難しい。
さっきイスラムの話が出たんですが、 私もイスラム教にアイデンティティを持っています。
「文化」についてひとつだけ言わせていただきたいことがあります。
まとめ
鳴海
今日はいろんなお話がでてきました。
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