これからのディスカッションですが、 会場の皆様から質問や提案を頂きたいと思います。
材野:
中村一:
加藤:
材野:
西(JUDI関西):
加藤:
鳴海:
榊原:
川崎:
材野:
地元はどう考えているか
縦覧への賛成多数は怪しい
加藤(鴨川歩道橋を考える会):今までのお話で、 私もこの問題が良く分かりました。 今ある橋が混雑していて身障者やお年寄りには不便であることなどです。 またそれに対して、 今の橋の歩道部分を広げるといった対策があることもよく理解できました。 混雑とそれに対する対策と、 真ん中に橋を架けることは別の問題だということです。
私は市民の一人として、 都市計画の縦覧に対する意見書で、 90%の人が賛成、 都市計画そのものにも70%が賛成ということの意味を考えてみたいと思います。
普通に考えますと、 賛成の方は意見書を出しませんから、 反対が圧倒的だと思うのです。 ところが、 今回はまったく違った数字が出てきています。 私はこの都市計画上の意見書の集約は非常に意図的にされたものではないかと思っています。
材野先生のアンケートに私たちも協力させていただいたのですが、 集計は600ほどですが、 橋を求めている人は16.28%、 橋が似合うと書いているのは13%にしかすぎません。 ですからこの13%を、 ある意図でもって組織したというのが70%の都市計画賛成の実態ではないかと、 推測にすぎませんが、 そう思います。 ですから、 そこには市民の意見との間に、 重大なギャップがあると思います。
仮に、 そこに住んでいる方とか営業をされている方などに、 橋があった方が良いというような意向であったとしても、 今回の橋に短絡するのではなく、 橋で集い、 鴨川の水ともふれあえるような構想を持つべきではないかと思います。 できれば680mを全体で広場として捕らえ、 障害者が行けるようにしたり、 水に触れられるような形とするといった案があってもよいのではないか。 水面に密着した、 眺望の妨げにならないような橋は、 検討の対象にはならないのでしょうか。
広場的な橋は無法橋になる
木村(京のまちづくり連絡会):まず、 都市計画に関する意見書の問題から先にご紹介しておきますけれども、 今度の場合の意見書は、 肯定的意見が1027、 そのうち賛成が875、 それに対して反対が373です。 これを市長が唯一の根拠にして、 市民が賛成したという訳ですが、 駅ビルのとき、 これもやはり市の都市計画審議会の前に出された意見書は、 反対が4097、 賛成が9だったわけです。
ですからこういう意見書の取り扱いは、 行政によって、 どうにでもなるということがはっきりとしていると思います。
私は、 4つか5つの問題であそこに歩道橋はいらないと思います。
一つは歴史的景観の問題です。 先斗町の分断の問題です。 先斗町は、 2mで500mばかり続き、 その間に32の路地があります。 70cmから1mの路地です。 こういうところとはちょっと他にないと思います。 その真ん中が寸断されるという問題です。
今度の橋は、 明らかに広場的要素を考えたものですが、 これは無法橋になるということが、 現在の木屋町の状況からいえます。 交番を置いても絶対にだめだと。 こういうところに広場を作ったら、 いったいどういうことになるのかということです。
それから、 先ほどの水害の問題があります。 四条大橋がアーチ橋だった時に水害を起したという問題があります。
それから基本的な問題ですが、 今までの経過から考え、 あるいは、 最近のフランス大使館なんかの発言から考えると、 私はこれは文化侵略であるように思うわけです。 京都市はポン・デ・ザールを模した橋以外の橋は絶対にかけないという。 あれでないと意味がないということが、 フランスとの関係であるわけです。
利便性という理由は薄弱
土田(JUDI東京):東京で受けていた印象と、 今日のご説明を聞くと全然違います。 あれをもらうと非常にまずいのではないかと思います。 橋を架ける架けないは別としてそう感じます。
橋が必要かどうかということに関していうと、 私は土橋さんと同じような意見で、 あそこに架けてどうするのかと、 個人的にはあそこを夜うろちょろするのに便利かとも思いますが、 そんなことで都市計画で橋を架けてもいいのかと思います。
それ以外に何も理由がないんです。 利便性といっても多分東側が西側のお客さんを引き寄せるためで、 生活上の利便じゃないのではないかと思います。 それをやるぐらいなら東山のふもとまで阪急を伸ばしたり、 地下コンコースでも作ればいいのではないかと思うのです。
橋のデザインについては、 あれをポン・デ・ザールというのだけは止めた方が良いのではないかと思います。 シラクさんがデザインクレジットをあげるとおっしゃっても、 貰うに値しないものをもらっても仕方ないのではないかと思います。
ただ一方、 架けたければ架けてもいいんじゃないかというのは私の意見です。 京都は皆さんがご承知の通り、 1200年の歴史があって、 その間に都だったり焼け野原になったり城下町になったこともある。 挙げ句の果てにいろいろあって観光都市になって、 この後はどうするのか知りませんが、 1200年間生き延びてきた京都ですから多分大丈夫でしょう。
ただそれにつけても不思議なのは、 京都には教養人や知識人が大勢おられるのに、 どうもやることがへたくそというか、 センスがないというのが、 今回のことだけでなく、 いろいろ感じるところであります。
鴨川はどんな空間であるべきか
鴨川の歴史の復権を
木村(京のまちづくり連絡会):私はもし架けるのであれば、 鴨川の歴史の復権をこの際やって欲しいと考えるわけです。 鴨川は非常に歴史的な川で、 日本の文化に大きく貢献した川です。 いろいろな芝居の起源であるとか、 あるいは市民的な広場であるとか、 昔からずいぶんたくさんの版画も残っているわけです。 また打ち首だとかさらし首も河原で行われたわけですが、 これはあそこで処刑をすると日本全国に伝わるからです。 こういう情報伝達の役割を果たした川でもあります。
私が一番大事にしたいと思っているのは、 鴨川の河原から室町時代の名園が生まれたということです。 あそこに住んでいた、 山水河原者の人たちが室町時代の名園を生み出しています。
彼等は河原に住んで、 四季の移り変わり、 あるいは朝な夕なの風景、 こういう物を見て過ごしたのです。 また鴨川に流れてきた川石に名石が多かった。 そういう物を見て暮らした人たちが室町の名園を作り上げた。 そして今日、 世界遺産に指定されているということですから、 世界遺産を生んだ川だということが言えるんじゃないかと思うんです。
こういう歴史を何か生かすような方法がないかということです。 提案したいのは、 あそこに地下道をつくって、 例えば西側には先斗町の歴史をあらわす、 そういうような物を持ってくる、 そして東側には祇園の歴史をあらわすもの、 そして真ん中には鴨川の歴史をあらわすさまざまなパネルを置くというような立派な地下道にしてはどうか、 ということです。
また上は、 鴨川の磨いた石で渡れるようにする。 中に岩を持ってきて休めるところを作る。 そして昔の名園を作った人たちの記憶を思い起こすような、 そういう場所にしたいと思います。
鴨川の歴史については、 いんちきなものだけ残っている。 五条大橋と牛和歌丸と弁慶がそうです。 あんなところであったはずがないわけです。 そういった歴史を歪曲するようなものが作られている。 この際鴨川の歴史を作っていただきたいと思います。 そうすれば、 観光名所にもなるだろうし、 無法地帯にもならない。 景観を守ることも、 町並みを守ることもできるのではないかと、 常々そう考えています。
世界文化遺産のバッファゾーンとして
中村:確かに京都は世界文化遺産として名乗りをあげているんですね。 世界に対して誇るべき遺産を持っているという一つの宣言です。 いくつかの社寺や庭園が指定されていますが、 京都全体が世界文化遺産であるというのが本当の姿だろうと思っています。
世界遺産はバッファゾーンという考え方があります。 指定された場所やもののまわりに、 あまり変化をさせないゾーンを巡らすことが必要です。 京都の場合も、 例えば二条城が指定され、 バッファゾーンが設けられていますが、 実際にはなかなかそうは行かないというのが本当のところです。 バッファゾーンの建築物の高さなどが美観都市審議会で討議されても、 結局は押し切られてしまう。 私は文化遺産を取り巻くバッファゾーンなんて物は町の中では大変だろうと思います。
しかし鴨川の680mの自然はものすごいバッファだと思います。 あれは存在することによって、 世界文化遺産というものがこれからも輝きを増していくだろうと思っていますし、 あれがなくなれば京都の世界文化遺産もかなり価値が減っていくだろうと思っています。
専門的な意見からいうと、 先ほど室町時代というのがありましたが、 私はむしろ平安時代の庭園が鴨川や京都に流れている川によって支えられたという一面を見逃してはいけないと思うんです。
今奈良の平城京の僧院に発掘された庭園が復元されていますが、 私はそれを日本庭園の様式の起源のようなものだと思っています。 砂利とか石を使って海の風景を表現していますが、 私はこの海に浮かぶ島というものの姿が日本庭園の中に脈々と流れている重要な本質だと思います。
京都には平安時代に造られた庭が地中に沢山埋まっています。 萱野院というのもそうですが、 相当大きな州浜というのが作られているわけです。 この州浜の表現は堀川とか鴨川の砂利があったからこそできたものだと思います。 その砂利が日本庭園で果たした役割は我々が考える以上に大きいのではないかと思います。
京都の鴨川は勾配が約3%で続いています。 山から運ばれてくる水と砂利。 そういうものが平安時代からの日本庭園に寄与して受け継がれていると思います。 海に行かないまでも、 海の表情を砂利で表現したというところに私は重要な点があると思います。
そういう物をまだまだ残している鴨川を大事にしていくことこそ、 日本文化の特色を我々が受け継いでいく上で非常に大事なことだと信じ、 また感じています。
私も中村先生の意見に一番近いと思います。 先ほど3つあげた案の中ではどちらかといえば、 地下道説が景観や自然を侵さず、 私の考えに近い。 その地下道には、 ギャラリーがあったり歴史物があったり、 あるいは上をガラスにして水が見えるとか、 楽しく豊かな通廊であるなどいろんな展開が考えられると思います。
都市計画決定されたのか
都市計画決定を覆すのが良いか
小林(JUDI関西):神戸で都市計画コンサルタントをしております小林です。
橋を架けるのか架けないのか、 架けないという方がかなりおられるんですが、 京都市のパンフレットを確認しますと「9年の10月には都市計画決定されました」ということです。 私たち都市計画を請け負うものといたしますと、 都市計画決定されるまでには審議会などもあり、 間接民主主義を取っている以上、 橋を架けることを市民の代表が決めたと考えるのが一般的です。
ところが、 今日のお話を聞いておりますと、 架けることそのものについてだれも議論をしていないという感じがします。 できれば、 都市計画審議会なり都市計画された時に一体どうしてここに架けるのかという議論がなされたのか、 その内容をご説明いただけるとよくわかるのではないかと思います。
また決めたことを今更止めるということは、 もう一度都市計画審議会を開かなければならないということです。 そういう事を決めている人と、 横から口を出す人の間にどういう関係があるのか見えてこないのです。 そこら辺をご説明頂きたいと思います。
都市計画審議会でどういう議論がなされたかはだいぶ忘れてしまいました。 しかしたいした議論はなかったと思います。 最初から橋を作るということが前提になって、 すべてが進んでいるような気がします。 橋ありきみたいな話がずっと続いていると思うのです。
縦覧の場合にしても橋のデザインについてだけであって、 それがある場合とない場合についての判断の仕方は示されてなかったわけです。 本当は四条の橋の上に縦覧施設を作って見ていただくというようなことをしたらと思います。 審議会でも7割ぐらいが賛成で、 反対が3割ぐらいだったかと思いますが、 実際どうだったかははっきりしません。 判断のされかたは明らかに間違っているといわざるをえないわけです。
普通は都市計画の担当は都市計画局なのですが、 今回は都市建設局、 すなわち事業をするところが説明会をしました。
都市計画をするわけですから都市計画局の担当者も参加しなければならない。 地元ではその人に参加して欲しいということでやりましたが、 建設局だけでしかも回数も非常に少なくて、 実際に都市計画をする担当者を含む都市支部というところが、 これはおかしいという見解を示しました。 それに基づいてチラシを配布しました。 都市計画局は飛ばしまして建設局でやっているわけです。
都市計画審議会の終わった後でも反論するのは、 一見無理なように見えます。 しかし、 あれははっきり言いまして、 公園を小さくし、 道をつけることが決まっただけです。 仮に橋を作るとすれば公園のところにこういう道路としての道をひきたいということが決まっただけなんです。
また、 先斗町には非常に厳しい景観条例、 要綱があります。 友人の建築家が先斗町の雰囲気に合うような建物を作ろうとしたら、 その質ではなく、 条例、 要綱に合わないということでだめだったと言っていました。 それなのに、 なんでこんなところに材料としてもスケールとしても合わない鉄とコンクリートでできた橋が持ってこれるのか。
先ほど小林さんが都市計画審議会で決まったものはしょうがないとおっしいましたが、 今回に関してはそうではないと思います。 民間が建物を作るのを公共があれだけ規制しておいて、 その同じ敷地になんで鉄とコンクリートを持って来なくてはいけないかということです。 これは一歩踏み外しているという感じがあるのです。
京都ホテルは高いか低いかの問題で、 高さにおいて明らかに問題であり、 文化人がわざわざ議論に分け入る必要もなかったと思います。 また、 京都ホテルは私の敷地であり、 文化人は議論に誰も入れないし、 入るのを躊躇した。 今回は、 橋は公共のものでありいろんな層が動き出しています。
今回は市の土地だけで作るわけですから、 都市計画決定する必要はありません。 これは任意事業として、 都市計画決定せずに歩道橋として作ろうとしているのだと思います。 街路事業だと都市計画決定が必要ですが、 道路事業だと必要ありません。 ちなみに京都市の場合、 都市計画決定していない道路が非常にたくさんあります。 三条四条、 すべてされていません。 今回の場合、 常識的に考えると都市計画決定できるはずがないのに、 新聞ではそういう事は報道されていません。
公園が都市計画決定されたんです。 児童公園の形を変えることが決定されたわけです。 児童公園の中に幅10mの道路を作ると決定された。 ですから橋の幅については何も決定されていないと理解したらいいと思います。 ただ児童公園の中に10mの道を作るということは、 橋を架けることを前提としているということはあると思います。
木屋町側から言いますと、 先斗町があり鴨川があるのですが、 その木屋町から先斗町は今駐車場で、 その先が公園です。 その真ん中に道路つくるので、 公園の面積を確保するために、 西側の駐車場をつぶし、 真ん中に道路を作り、 北と南を公園にするというわけです。 その延長で鴨川に通る道路になっています。
前の道楽橋の構想のときは幅の狭い考えだったので、 こんなに広くなると人が集まって治安が悪くなるというのが私の考えで、 10mの幅をせめて止めて欲しい。 もっと歩道でやるような形にして欲しいと強く思っています。 先ほどの統計も無条件賛成ではなく、 条件付き賛成です。 10mの幅が狭くなるのなら結構ですということでした。 10mの幅ですから京都市の都市計画決定には反対なんですね。 それも含めまして、 10mの道路ということで都市計画決定されたんですね。
都市計画の一連の手続き上のことについては調査をしないと進みませんので、 次の機会までに材野先生にでも報告いただくことにしたいと思います。
橋を架けるとすると
モニュメントとして
土橋:橋ありきとしても、 やはり今回のデザインとか橋の形は思考停止です。 明治の我々の先輩が京都の疎水を作ったり、 大正時代の大阪市の職員が大阪のまちの橋をこういう風にするんだというような意気込みとか勢い、 理念、 そういった物がまったく感じられないプランだと感じます。 他の先生に逆らうようですが、 あの橋は止めた方が言いんじゃないかというのが、 私の生理的な反応です。
作るか作らないかについて、 都市計画決定云々という話がやはりあるわけで、 それを乗り越えるのは非常にしんどいだろうと感じます。
ただ、 私は3つ申し上げましたが、 モニュメントとしてということについては、 今、 土橋さんもおっしゃったように我々の先人がやってきた意気込みと全然違うということです。
2つ目に、 どのようなやり方でという体制・プロセスの話があり、 これは非常に重要だと思います。 先ほどは触れませんでしたが、 今日私がお配りしたレジメのなかにポン・デ・ザールを作る体制・プロセスに関連して1984年の架け換えの経緯をまとめたものがあります。 そこではやはり、 すごい論議があって、 それを当局がいろいろ審議して最終的に元々9スパンであったものを7スパンということにしたという記事が先程の『Ponte de Paris』にきっちりと書かれているわけです。 『Ponte de Paris』は、 ポン・デ・ザールの歴史を誇らしげに語っているわけです。
我々が鴨川歩道橋の歴史を、 将来誇らしげに語れる何事かがあるのかというと、 おそらくないだろう。 その辺はやはり非常に問題であると思います。
ただ現実的観点に立った時に、 つくるのを今からやめるということだと非常に難しい面があるので、 つくる限りはちゃんと作りましょうというのが私の今日の提案であって、 何とかそういうふうに持っていきたいと切実に感じています。
それともう一つ言い忘れたのが、 鴨川歩道橋は誰かのモニュメントかということです。 1984年のポン・デ・ザールの落成式に出席したのはシラク市長です。 そして、 今の京都の市長のやり方がいろいろあって、 同じように鴨川歩道橋が誰かのモニュメントになるのであれば、 それはおかしいということです。 そういう個人のモニュメントとして鴨川歩道橋を建てられては困る。 しかし現実にはそうではないのかというのを言い忘れていました。
鴨川全体を考えたデザインに
沢田(JUDI四国):今日、 昼前に京都に入りまして、 三条から四条の方を散策しました。 その時、 一番最初に感じたのが、 橋がそこに必要かどうかということでした。
私が今日拝見した限りでは、 川の東側と西側でまったく風景が違う。 先斗町の歴史的な良さが、 そこに橋ができ、 オープンスペースができることによって、 より輝きを増すのではないかとも思います。 そういった面で、 もう少し議論があってもいいのではないかという気がしました。
都市計画決定の問題は、 行政手続き上何ら問題はないと思います。 ただこの話は私の専門ではありませんので、 コメントは控えたいと思います。
橋を架けるか架けないかについては、 私は是非架けるべきだと思っています。 先ほど土橋さんのお話の中で、 東側と西側で河原の使い方が違うという指摘がありましたが、 最近になって護岸プロムナードの修景があり、 東側にも散策空間ができました。 ウォーターフロントの計画において、 水と都市を隣接させるというのは大きな原則です。 先斗町と東側を結べば京都らしい界隈から水上の最前線に近づく新しい景観体験ができ、 魅力的なウォーターフロントの空間ができるのではないかと思います。 そうすれば、 先斗町の魅力も大きくアップします。
鴨川の河原は先斗町だけでできているのではなく、 幅広い公共空間の考え方の中で、 小さな部分空間をつないで誘導して大きな風景のスケールとして作っていかなくてはいけない。 そういう意味ではあそこに橋を作るという計画は極めて重要です。 これに対する反対論は近視眼的だと思われます。 またあそこは昔から市民の中で橋を作って欲しいという要望が非常に多かったと聞いております。 あの空間と風景は周辺地区だけでなく、 全市民の財産です。
それから現状の先斗町の景観はかなり破壊されていると思います。 夜は面白いかもしれませんが、 昼間行ってもほとんど人通りはありません。 例えば昼間に外国人のお客さんを連れて「ここは伝統的な京都のまちです」といっても、 ピンとこないことが多い。 近年では現代的なサインとか派手な電光掲示板があって、 京都市が整備した街路舗装と若干残っている古くからの建築のファサードが趣を残しているぐらいです。
21世紀に向けて、 人口が減少して経済活動の低迷する中で、 観光のポテンシャルはますます低くなっていく。 小さな街区だけでは持たなくなってしまう。 ぜひ、 今できるときに街をつないでおくことです。 将来、 橋すら架けられなくなることも予想できるからです。 先斗町にとっても命取りになるかもしれないと思います。
また、 先ほど治安の問題が言われていましたが、 治安が悪いのは景気が悪くなって人が来ないからです。 逆に橋を作ることによって人の流動ができると思うんです。 交通の常識だと考えます。 そして、 680mの中で、 回遊空間を作る。 むしろポン・デ・ザールのデザインの問題よりも、 回遊空間を計画的に作るということにおいて大賛成です。
なお治安の問題につきましては、 できあがった後に利用の管理体制を作るという問題と、 橋を作るか作らないかという計画の問題は別問題であり、 計画反対の理由にはならないということを付け加えさせていただきたいと思います。
街並みの分断について
榊原:川崎先生が今おっしゃったことにはおおむね賛成です。 補足的に付け加えると、 先斗町の町並みの不連続の問題。 それから対岸から見た不連続の問題と両方あります。 私は、 前者は解決がつくと思います。 後者については緑しか見えない公園を日本的に作って連続させるといった必要はないと思います。 むしろあそこに橋を架けて、 それとの関わりでそこに何かを作ることによって違う意味での連続性、 北側と南側を結節する何かを作る形での解決をはかった方がいいと思います。
高さの問題だと思います。 あの高さでは分断されてしまう。 新材料も好きなんですけれども先斗町には合いにくいと思いますので、 あそこではなく、 北区とか南区ぐらいでやっていただいて、 三条四条間に仮に何か置かざるをえないならば、 もっと違うものだろうと思います。
まとめ
今日はJUDIの関西ブロックの緊急公開セミナーということで、 鴨川歩道橋を取り上げました。 我々は先般京都市に意見書を提出したましたが、 今日の公開セミナーの結果を踏まえ、 今後さらに考えていきたいと思います。
今日私個人の考えを述べることができませんでした。 実は20数年前にこういう場所に橋を架けたらどうかという提案をしたのです。 三条と四条の間ですから三条半小橋にしたらどうかという構想でした。 その時は京都市の都心部で歩行者空間の回廊を豊かにしていきたいと、 そういう思いで、 ユリカモメのことなどは考えもしておりませんでした。
今日は会員以外のかたも参加されていて、 川崎先生からもセミナーのために貴重なご意見を頂きました。 橋は我々にとって非常に感心の高い対象でありますので、 もし架かるとしても立派なものであって欲しいし、 大方の方はなくても良いと思っているかもしれません。 今日はどうもありがとうございました。
このページへのご意見は前田裕資へ
(C) by 都市環境デザイン会議関西ブロック JUDI Kansai