トリフ祭りの筈なのだが
少し歩いてみると、 偶然市役所を見つけた。 ツーリストセンターもあって、 トリフ祭りのチラシも貰えた。
チラシには11-26 OCTOBRE '97とあり、 メニューやレストランの案内も載っている。 これでバッチリだ。
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サンタンジェロインバドーの街
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トリフ祭の案内
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街を散策しながら地図にあるレストランを訪ね歩く。 テントまで建っていて、 いかにもそれらしい雰囲気がぷんぷんするのだが、 開いていない。 開いているのはバールだけだ。
「おかしいなあ」
「昼はやらないのかなあ」
「あの店が開きそうよ」
期待を込めて見ていたが、 おばあさんが店に入ったまま出てこない。
仕方がないので、 バールで暇潰しをして、 1時ぐらいまで待ってみることにした。
「井口さん達にトリフ祭りをやっているよ、 と教えてあげようか」
ということになり、 何度も電話をかけた。
確かに正しい番号を回しているはずなのだが、 録音テープでイタリア語が響く。 どうもこの番号は使われていません、 といっているようだ。
これも後で分かった事なのだが、 少なくともこの地方では市外局番をつけて市内に電話をすると繋がらないのだそうだ。 日本では東京から東京に電話をかけるときに、 03-XXXX-YYYYと03を付けてもちゃんと繋がる。 だから0722-8XXXXXという番号で繋がらなければ8XXXXXだけをまわそうなんて知恵は浮かばなかった。
知ってみればたいしたことではないが、 知らないとどうしても乗り越えられない海外の壁だ。
というわけで連絡を諦めて、 もう一度街を探索し、 レストランを探してみることにした。 まずはバスが停まった場所に行って時刻表をもう一度探してみる。 貼ってあるのはサッカーの試合の案内だけで時刻表らしき物はやっぱりない。 英語が通じる人もいそうもないので、 市役所のツーリストオフィスに聞きに行こうと思った。
歩きだすとどこかで見たことがあるような人が歩いている。 榊原さんだ。 片付けが終わったメルカテッロ残留組の全員が、 僕たちと同様、 隣り街に遊びに来ていたのだ。
さっそくトリフ祭りのビラを見せて、 食べに行こうと提案する。
「テントなんかも出ているんですよ。 でもどこも閉まっているんですよね」
「これは土日だけじゃないの」
「そんな。 どこにもそれらしいことは書いてないでしょ」
「そういうものですよ。 まあ聞いてみましょう」
と言うことになった。
井口さんが地元の人に尋ねてくれた結果、 やはり土日だけとのこと。 トリフが何なのかは知らないが、 トリフの名産地、 トリフ祭りというのでやってきたのに余りにもひどい。 だいいち、 テントはやっていなくても、 レストランはないのだろうか。 メルカテッロよりはるかに大きな街なのに、 バールしかないのだろうか。
その時、 メルカテッロから来ていたおじさんが、 井口さんに話し掛けてきた。 公開セミナーと交流パーティに顔を出していて、 僕たちの顔を知っていると言う。
「この写真の建物はどこにあるのですか」
と聞いてもらう。
「いや、 こんな建物よりもっと見応えのある建物があるよ。 それに街のレストランはみんな閉まっているけど、 その建物のそばのレストランは開いているし、 最高においしい」という。
「車で来ているのか。 それなら俺の車に付いてこい。 案内してやる」
ということになった。 交流パーティの成果は大きい。
街の広場に停めてあった井口さんの車に全員が乗り、 おじさんの車についてゆく。 市役所を越え、 100mもいくとおじさんの車は停まった。
そのレストランに入ったおじさんは何やら店の人と口論をしている。 井口さんによると、 くだんの建物は公開していない、 との話に「この人たちは日本の建築家で、 メルカテッロまで勉強に来ているのだから、 是非見せてやってくれ」とかけあってくれているらしい。 かなり長時間のやり取りの後、 すべてうまくいったらしい。 楽しんでゆけと、 おじさんは去っていった。
店の人はトリフづくしはどうかという。 もちろんそうしよう。 トリフのパスタ3種類を頼んだ。
みんなは、 すごい、 さすが本場だと感激しながら食べている。
おいしくはあったが、 どれがトリフの味なのか今ひとつ分からない。
匂いが良いとみんなは言う。 僕は鼻がおかしいのか、 匂いは全くしなかった。
食後のデザートはトリフの形のアイスクリーム。 アイスクリームにエスプレッソがかけてある。 これは掛け値なしにおいしいアイスクリームだったが、 似ているのは形だけでトリフは入っていないということだった。
廃屋を訪ねる
食事のあと公爵家の廃屋を見せてもらう。 店から200mほど離れたところにあり、 どうもこの店のオーナーの持ち物らしい。 家の前では店からの連絡を受け、 オーナーと管理人の人が待ってくれていた。
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公爵家の廃屋
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建物は500年前のもの。 やばそうな階段を登り、 上をみると天井がくずれかけている。 壁が崩れ落ちているかと思うと、 床には大きな穴が開いている。 積み方などが良く分かるのはいいのだが、 地震が来たらどうしようと少し心配だった。
所々に、 タイルや瓦を大切そうに積んである。 500年前のフィレンツェ製のものだそうだ。 こういった古い素材を使えるかどうかで家の格が決まるらしい。 安いから、 簡単だからと新しい工場製品に変えてしまうようなことはしないという。
持ち主はいずれ修復したいが、 国の文化財なのでいい加減なことは出来ないし、 工事には許可がいるとのこと。 もちろんお金もたくさんいるのだろう。
向こうをみると、 村はずれに、 やや昔風につくった現代的な住宅が見える。
「もし貰えるならやっぱりあれがいい」
と僕たちが言うと、 井口夫人が、
「この家がずーっと値打ちがあるわよ」
という。
「でも、 住めないじゃないですか」
「それがいいのよ。 時間をかけて少しずつ直してゆくの。 最高の贅沢ね」
住む家さえ満足にあればヨシとする僕たちには、 ついていけない。
なお、 この家は公爵家の廃屋と言うだけあって、 敷地内には管理人兼小作人らしい人の家があり、 鶏小屋もあった。
横山さんがトリフを買い占める
広場に戻ってトリフやチーズを売っている店を訪ねた。 店を仕舞って出て行くところだった店員さんが機嫌良く開けてくれた。 トリフ入りオリーブオイルやトリフのエキス、 チーズなどがところ狭しと並んでいる。
横山さんが俄然張り切り出した。 棚にあるトリフ入りのオリーブオイルを一本ずつとってゆく。 見ている間に取り付くしていた。 なんでもお土産を待っている人が20人もいるのだという。 土木デザインに飛び込んで営業から鍛えあげた人は、 さすがにどこかが違う。
僕たちもつられてトリフ入りのオリーブオイルを買ったが、 帰ってきてから1ヶ月。 いまだに使いみちが分からない。
帰りにはメルカテッロの側の丘の上の村を訪ねた。 道路から数百メーターの急な坂道を登った上にある5軒ほどの村だが、 住んでいるのは一軒だけだった。 奥の家はミラノの人が買って別荘にしているという。 いい加減な修復の仕方だと井口さんが怒っていた。
市がお金をつぎ込んで物見櫓や教会を修復していたが、 効果はどうなのだろうか。 暗がりのなかで空き家がいかにも寂しい。
「この村ももうだめね」
と井口夫人がつぶやいた。 「風の谷のナウシカ」で、 腐海に侵され滅びていく村の場面を思い出した。 都市計画や修復の試みも、 この流れをせき止めることは出来ないようだ。
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