極私的イタリア紀行
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10月14日 修復工事をサボる

 

 

みんなはシエナへ

 公式行事がおわり、 何人かはフィレンツェやベネチアに散っていった。

 10人ぐらいの人は、 車2台でシエナに出かけている。

 榊原さんは、 あの山道を往復して来るという。

 だが、 榊原さんは国際免許を持ってきていない。 カーキチで、 いつもジャガーを乗り回しているから、 大丈夫だろうと白羽の矢がたったのだ。

 「大丈夫なのですか?」と言ってみる。 なんといっても10月に出す新刊の著者だ。 「大学教授、 イタリアで無免許運転。 谷に転落」なんてことになると、 とってもヤバイ。

 「国際免許なんて関係ないよ」と涼しげな顔。 なんでも国際免許より日本の免許証のほうがよっぽど信頼されるのだそうだ。

 僕もできれば、 シエナに行きたかった。 メルカテッロにいると、 何か良くないことが起こりそうな予感がした。 だが、 僕たちが後日、 シエナに行くことはみんな知っている。 車も嫌いだ。 ここは別の手を考えなければと思った。


修復隊登場

 メルカテッロには25人も泊まれる宿はない。 井口邱に雑魚寝すれば、 何人でも寝られるが、 ベッドが足りない。 というわけで8人ほどは隣りまちのBorgo Paceのホテルに分宿し、 加えてペンショーネのおばさんが普段使っていない部屋をひと部屋、 前の家の部屋をひと部屋特別に用意してくれて全員泊まれることになった。

 僕たちはその普段は使っていない屋根裏部屋にあたったので、 広くてベッドが4つもあるのはいいのだが、 机がない。

 そこでセミナーのメモの束を持って井口邱へ向かうことにした。

 するとやはりいたのである。 土橋さんを筆頭に、 大矢さん、 上野さん、 安原さんが完全武装で軍議を交わしている。 中庭の掃除が先か、 1階の掃除が先か、 理論の上野、 実行の安原などと言いつつ、 やるき満々だ。

 イタリアセミナーの当初の目的は井口邱の修復工事に参加することだった。 「こんな機会は滅多にないよ」という。 が、 そうは言っても肉体労働そのもの。 様子を見ていると、 お掃除に始まりお掃除に終わるようだ。 できればパスしたい。

 僕は日和見を決めた。 相談を横目で見ながら、 さも忙しそうにメモの整理をする。 話しかけられても知らんぷりだ。

 昼過ぎにちょっと覗いてみた。 1階のガレージでたまった土をスコップでさらっていた。 舞い上がった埃で部屋の中は真っ白だ。 そのなかで幽鬼のように働く。 隣のおばあさんが外から不思議そうに見ている。 後で聞いたところによると、 町中の噂になっていたらしい。 「夜はコンピュータとFAXで仕事をしているし、 昼寝の時間に肉体労働。 やっぱり日本人はよく働く」

 

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お掃除中の写真
 
 ところで、 この井口邸、 500万円で買われたという。 3階建てで、 一つのフロアに僕のアパートの家が二つは入る。 とっても大きい。 3家族が住んでいたこともあるそうだ。

 数百年前に建てられ、 街でも重要な家だったらしい。 戦後は見捨てられ、 そのままではとても住めない状態だったという。

 

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無茶苦茶大きな井口邸の平面図(re 110号、1997.11 「イタリアの建築修復体験記」by 井口勝文)
 
 柱か何かに1498年というという書き付けがあり、 それが創建年代だとすると500年前の建物と言うことになる。 そうでなくても400年ぐらい前の古地図で既に建っていることが確認できるので、 相当古い。 もちろん歴史的中心市街地にある建物で景観保存のために外観は変更できない。

 井口さんは3年と500万円をかけ、 丹念に修復している。 市長さんが「今は、 ここまで丁寧に修復してくれる人はいない」と感激しておられたそうだ。 まだ、 2階の半分と3階がほぼ修復できた段階で、 残りはこれからボチボチ直してゆかれるとのこと。 気の長い話だ。

 だから、 たとえ掃除だけでもお手伝いにはなるのである。

 ただ、 手伝ったのは建築家をはじめ、 造園や土木のデザイナーで、 建物や庭には一言ある人ばかり。 さっそく中庭の修復設計コンペの相談を始めている。 実現したら来年はもっと大騒動だ。

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