震災の後、 何万という方々が応急仮設住宅に住んでからほぼ3年がたちました。 そういう方々に「災害公営住宅」という恒久的な住宅に移っていただこうというシナリオが、 震災復興計画の中で非常に早い段階にできあがりました。 もとのまちに戻りたいといった反発もあるなど紆余曲折がありましたが、 住宅を失った方々を仮設住宅で引き受け、 それから公営住宅でまた引き受けていくというシナリオは、 あの段階で行政として取りうる唯一の道ではなかったかと考えています。
しかし仮設住宅には、 お年寄りや集合住宅に住んだことのない人たちがたくさんいます。 そんな方々が、 そこでどういうコミュニティを作っていくかは、 全国的に注目を集めているのではないかと思います。 新しい場所での居住がうまく展開していかないと、 その方々にとっても、 新しい地域にとっても本当の震災復興がないわけです。 新しい場所への住み替えがスムーズに展開して行くことをいろんな人たちが期待しているし、 そのために多くの方々の努力がなされていると思います。
そこで今日は、 南芦屋浜の災害公営住宅団地で実践されてきた方々にお集まりいただきました。 単に災害復興住宅でどういう住まいが展開するかということだけではなく、 こういった集合住宅でどういうふうに人が暮らしていくのかということの実験的な試みでもあります。 そういった観点も含め、 意見交換ができればと思います。
江川:
南芦屋浜復興公営住宅は、 ちょうど1ヶ月後の3月28日に「まち開き」が行われます。 このプロジェクトで試みたのは、 ハードなデザインだけではなく、 いわゆるライフデザイン、 あるいはコミュニティデザインです。 それが、 形にも出せているのではないかと思います。 今日は最終的には、 復興に限らず新しい公営住宅のあり方とか、 社会的役割、 あるいは生活像とか、 まちのイメージとか、 そういった話題につながっていく話になればと思っております。
最初に、 なぜこういったコミュニティ&アート計画が登場したのかについて、 私の関わりを通してお話をさせていただきます。 その後に、 それぞれのパネラーのみなさんに、 どういう意図で、 何をしたのか、 そして何が実現できて何が実現できなかったのか、 さらに、 将来に対して一体どういう意味があるのかをお話しいただきたいと思っております。
それでは、 パネラーの方に自己紹介をお願い致します。
石田:
造園の設計を担当した、 住宅・都市整備公団の石田です。
私は、 復興事業に関わる以前は、 東京で屋外の設計をやっていました。 大川端の再開発、 浦安の海風の街、 多摩ニュータウンなどを手がけています。
95年10月に復興本部がハーバーランドにできたときに私も東京からきて、 屋外計画に参加しました。 南芦屋浜の他に、 西宮浜や西神南などを手がけていまして、 西神南では雨水利用と災害備蓄とを兼ねたフェニックスの泉をやっています。
大和田:
私も復興本部に所属し、 住宅整備部の建築課で建築の設計を担当しております。 95年12月に東京からきて、 このプロジェクトの準備にとりかかりました。 翌年の1月から設計をスタートさせ、 それからずっとこのプロジェクトに関わっております。
小林:
神戸でコープランという都市計画の事務所をやっています。 私は、 都市環境デザイン会議の会員ですが、 環境デザインというハードについてはほとんどやっておりません。 今回も、 コミュニティ&アート計画の中で、 どちらかというと組織運営の裏方を担当しました。 公営住宅の中でコミュニティとアート環境がいかにうまく融合していくか、 その仕組みについて色々考えてきたわけです。
震災以前は、 ハーバーランドや六甲アイランドなどで、 都市計画のプランを描いていたのですが、 この3年間はプランナーとしての仕事は半年だけで、 あとの2年半はプログラマーとしての仕事をしております。 コレクティブハウスに住んでいる方々と一緒に夕飯を食べたり、 仮設住宅や公営住宅に入った方々と一緒にお風呂に入りに行くとか、 どうも「何をやっているんかいなあ」という気もしますが、 それが今一番必要なことではないかと思ってやっています。 その中で、 今日の話は大きなテーマとして私の中にあったということです。
橋本:
私は、 生活環境文化研究所というシンクタンクを長らくやっております。 そこでは、 ソフト内蔵型の場づくり、 まちづくりというものを、 文化の機能を取り入れた形でどうしてつくりあげていくかということをやっています。
一方、 5年前に文化農場という組織を作りました。 研究所の方が“シンク=think”であるとしますと、 農場の方が“ドゥ=do”ということで、 私は農婦になるわけです。 ペーパープランだけではなくて、 具体的に汗をかいてみようと作った組織です。 経済的には、 農場の方はほとんどNPOといった位置づけです。
もう一つ、 アートと社会の関係をどのように捉えていけばいいのかを、 ずっと以前から調査、 研究しています。 私自身が、 現代美術フリークでして、 主な作品は、 海外も含めて時間があれば見に行くという暮らしを長年しています。 その中で感じてきた色々な問題と、 ソフト内蔵型のまちづくり、 場づくりとの交点に、 今回の南芦屋浜のアートプロジェクトがあるという位置づけです。
星田:
現代計画研究所の星田です。 現代計画はいろんな領域の仕事をやっています。 私自身の仕事で言いますと、 1/1の原寸模型を作っているかと思えば、 その横で何百haのまちの構造のスケッチを描いたりしています。 基本的には建築の設計事務所なのですが、 橋のデザインから輸入住宅の街のコーディネート、 まちのツアーのガイドまでこなしています。
このように従来の建築とかまちづくりの枠を超えた中間的で新しい領域の仕事をやっています。 もっと具体的に言うと、 例えばあっちとこっちの間を調整してつないでいくとか、 そういう意味での中間領域の仕事もやっています。
はじめに
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