第二に公共事業の好ましくない影響も目につきます。 水辺は端的な例でした。
第三に保存ための措置が芸術的で、 詩的な風景美を損ないかねないということです。 また新しいタイプの建物も問題でした。
このように大和は「どうすればもっとも美しい風景が、 最も醜いものになりうるか」を示したものだといえます。 幾つかの美しいスポットはあるのですが、 全体的には醜くなってしまったのです。 アジアの国々で同じ過ちを繰り返さないためには、 議論を重ね、 オールタナティブな道を探さなければなりません。
何を学ぶか
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