目次へ 次へ熱帯でも植物はやっぱり都市に負けるのでしょうか?
井口勝文
(竹中工務店)
マリオボロ通りの可哀想な街路樹を見てしまいました。
あれでは温帯の日本の街路樹と一緒じゃないですか。 もともと街路樹を植える気が無いのかもしれない。 ほとんど高木が見当たりませんでしたから。 植樹帯の潅木は、 必死で生き長らえてる哀れな姿が健気でした。 これは全く日本の植樹帯と一緒です。 ソスロウヤヤン(駅前市街地)、 バザール、 クラトン(王宮)、 タマン・サリ(水の宮殿)、 バードマケットと、 ジョグジャカルタの中心市街地を歩きました。 ここでもやっぱり植物よりも建築物の存在感のほうが圧倒的に勝っていました。 地中海かアラブの町を歩いている様な気分でした。
それに較べて、 同じジョグジャカルタでも住宅地の木立の元気の良さには圧倒されるものを感じました。 それはまさに植物の生命力そのものでした。 そしてその美しさに見とれてしまいました。 やっぱり熱帯には熱帯の住み方があるじゃないか。 私はそれを見て安心しました。 日本人の常識がようやく証明されたような気がしました。
でもちょっと納得できないぞ。 いや、 疑問はむしろもっと強くなるぞ。 それじゃあ何故、 マリオボロ通りには熱帯植物が生い茂っていないのか?。 植物の生命力に満ち溢れる町、 あるいは植物の生命力と建築物の存在感が競い合う町がマリオボロ通りでは造れたんではないか?。 日本でやるよりもずっと易々と、 生態学的に納得できる形で。
インドネシアでも、 建築物が都市の主役だという美学が支配的なのでしょうか。 アジアではいつでも自然が主役だと思っているのは私たち日本人の単純な思い込みなのでしょうか。 それともさすがの熱帯でも、 都市の生命力には植物もかなわないという、 文明の性をここでも見ているだけなのでしょうか?。