色里の消滅
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色里の解体


分散した色里の機能

改行マーク色里が変質した後、 都市の中でかつて色里が担っていた機能は、 一方では劇場やコンサートホール、 文化会館になり、 一方では歓楽街へと二分されていきました。 かつての色里は文化と歓楽が混じり合った形で水辺に存在するという傾向があったのですが、 吉原はソープランドになり新町は跡形もなく消えてしまいました。

改行マークしかし、 かつての色里の名残を残しているところを挙げろと言われれば、 私は大阪では道頓堀のそばにある大和屋さんを挙げたいと思います。 今では芸妓さんは7人しかいませんが、 全盛時は何百人も抱えていたそうです。 また、 道頓堀五座と言われた劇場のひとつである中座も近くにあります(しかし、 中座もなくなるそうで私は悲しい)。 ですから、 「色」と文化があまり分離されていなかった頃の名残が道頓堀近辺に残っていると思います。

改行マーク松竹座が新しく建て替わりましたが、 中座の方が戦後の建物ではあっても、 かつての色里との縁の深さを残しているような風情の建物だという気がします。 松竹座はきれいですが、 何となく無味乾燥な文化会館風で土地のにおいをなくしたようで、 もったいないと思います。 こういう風に、 色里の持っていた機能はどんどん文化や芸術と切り離されて都市の中に点在していくのでしょう。

改行マークただ、 新橋演舞場は新橋の花柳界と関わりが深いため、 まだ多少色里の性格を残した劇場といえるかもしれません。 京都の歌舞練場なども色里の機能を持っているパフォーマンス空間と言えると思います。 一方、 大阪の近鉄劇場や梅田コマ劇場は色里の歴史とは関係なく建っているようですが、 その辺、 JUDIの皆さんに教えていただければと思います。


知識人お薦めの「恋愛=結婚」

改行マークともあれ、 今私たちが恋愛と呼んでいる現象は、 かつての「色」に代わって近代人の証として誕生したものです。 近代恋愛が肯定されると同時に、 色里は消滅する運命になってしまったのです。

改行マークしかし、 近代恋愛も建前と本音が乖離したものでしたが、 もともとは結婚に至る恋愛が一番上等だと明治知識人は主張しました。 最初の色里の説明では、 エロスは非日常に属すると言いましたが、 日常生活の中にエロスもあるのだということになり、 近代恋愛は「エロス+日常生活=結婚」だと信じたのです。

改行マーク結婚観、 夫婦愛がどのように賛美されていくのかを紹介します。

    ●資料15 『理想の佳人』(巖本善治)明治21年
     嗚呼真正の愛は、 必ず先づ相ひ敬するの念を要す。 既に之を敬せず、 之が霊魂(たましい)を愛せずして、 何如で真正なる夫婦の娯楽(たのしみ)を得んや。 男女もし、 いよいよ清潔に、 いよいよ高尚にあらんと欲せば、 須らく互ひに相敬愛すべし。

    ●資料16 『婚姻論』明治24年
     婚姻は神聖の事なり。 須らく大道にしたがひ、 万事を尽して之を鄭重にすべきものなり。 天縁正に熟し、 人愛温かに結び、 附仰天地に恥ぢず。 衷心(ちゅうしん)幾千代の睦びを確かむる所ありて、 一男一女輙(すなわ)ち永遠の交はりを告ぐ。 祝鐘いと快ちよく響き、 ほめ歌堂内に清(すず)しく、 知己朋友戚親、 笑まし気に合集せる目前に於て、 上帝と人とに盟(ちか)ひて茲(ここ)に終生の約を固む。 婚姻は真(げ)に神聖の事なり。

 
改行マーク資料15「理想の佳人」(巖本善治)では、 愛は夫婦という形になって初めて完成すると述べています。 資料16「婚姻論」では、 近代的な結婚制度の基本の結婚観が示されているのですが、 そこでは一対一であり、 永遠であるという二つの条件を満たすのが「婚姻の神聖」であるとされています。 同様に資料17『東洋之婦女』(植木枝盛)でも「夫婦は則同等の男女が同等を以て相組織する」としています。

    ●資料17 『東洋之婦女』(植木枝盛)明治22年
     然らば夫婦とは如何なるものぞ。 我輩は直ちに之に確答して曰く、 夫婦は則同等の男女が同等を以て相組織する一会社なりと。 夫れ一夫一婦は是れ人倫の大本にあらずや。
 
改行マークつまり、 色里にエロスを求めるのではなく、 日常の結婚生活の中で愛の名のもとに至上の男女関係を完成しなさいということです。 口先だけのレベルに近かったものですが、 盛んに主張されました。


色里に代わるパラダイスはあるのか

改行マークこういう流れの中で、 色里がおおっぴらに存在することが出来なくなったのですが、 そこからはみ出したエロスは抑圧され、 きしみが生じてきた時『失楽園』(渡辺淳一)ブームのようなものが文学現象として出てくるのだと思います。

改行マーク色里が否定されて、 その代わり恋愛=結婚という価値観が生まれたのですが、 『失楽園』などはその建前がうまく機能しなかった時に出てきた一種の「色」への回帰現象ではないかと考えられます。

改行マークただし、 明治以前の「色好み」にはちゃんとした美意識や信念があったのですが、 『失楽園』の登場人物にはそこまでの信念はなかったようで、 色里がなくなった後の男女の行き着く先はああいう不毛なゲームでしかないのだろうかと思います。 これはどちらかというと「色の亜流」と言えるのかもしれません。

改行マークただ、 私は何度も言いますが、 色里の復活を望んでいるわけではありません。 色里はあくまで男性のための極楽であって、 迎える女性にとってそこは「苦界」だったわけで、 その分裂は非常に重要な事だと思います。

改行マーク体を切り売りしているのですから性病にかかったり、 妊娠して堕胎させられるなどで、 ほとんどの女性が若死にする世界でした。 ですからそういう女性を解放するためには、 「色」に替わって「恋愛」が出てくるのは歴史の必然であると思います。 ただ、 当時の進歩史観が「色」の持っていた多様な文化性もろとも色里を否定したことは、 歴史観のレベルでは一面的で残念なことだったと思うのです。

改行マーク色里の消滅は近代都市にとって必然的なことだったのでしょうが、 ではその時、 近代都市は女性の極楽になったのでしょうか。 明治の知識人は「家庭こそが男性にとっても女性にとっても極楽である」という言い方をしました。 キリスト者であった巖本善治は「家庭はエデンの園である」と言っていますが、 しかし現実には、 女性は家庭の中でも差別を受けました。 やはり、 色里の時代にも近代恋愛の時代にも女性は何らかの形で男性から抑圧されていると言えるのかもしれません。 これから、 男女双方にとって色里に替わるパラダイスがどこに出来るのかは大変興味深いところです。

改行マークいろんな歴史的な変遷の中で、 文化や色、 恋愛がどう都市と関わってきたかを、 私が勉強した範囲でお話しさせていただきました。 ご静聴ありがとうございました。

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