どんな風に分離されたかを示す例が、 資料7『女学雑誌』第2号「婦人の地位」に書かれた男女の関係の「3段階」説です。 これは女性啓蒙に大きな役割を果たした雑誌で、 女性解放論や文明論が盛んに掲載されたものでした。
つまり、 それまでの色の時代は野蛮な時代とされたわけです。 また、 その内容も明快に定義しています。 すなわち「色は動物のような肉体上の情欲」「痴は情より出るもの」「愛は真正の霊魂より発するもの」という風に、 肉体的なものと精神的なものを分ける主張ですが、 こうした霊肉分離の思想はこの頃盛んに言われるようになったことです。
先ほどから申していますように、 もともと色は頭も体も全て含んだ全的なコミュニケーションの中から生まれていたものですが、 明治知識人はそれに真っ向から対立する形で体と精神を分けてしまいました。 色はもっぱら肉体に関わることであり、 それに替わるものが愛だと言い始めたわけです。 霊魂とはSpiritの訳ですが、 現在の言い方で言えば精神的なものと言えるでしょう。 愛はLoveの訳語です。
このように霊肉分離の人間観が主流になっていったのは、 おそらく明治知識人の多くがキリスト教の影響を受けていたからだと思われます。 肉体的なものを嫌った結果、 「色」はかつての文化と切り離されて、 精神的なものと対比される位置に落ちてしまいました。 精神的なものが人間のものならば、 色は動物的なものだという言い方がされるようになりました。
日本人のキリスト教入信者は1%にも満たなかったのですが、 それでも彼ら知識人の影響力は大きくて、 彼らの人生観は近代人の価値観を形作っていきました。
このように、 「色」が文明開化の観点から蔑視されたので、 当然色里も「あってはならないところ」として激しい批判にさらされることになりました。 特にキリスト者である北村透谷は、 霊肉分離の発想による近代的な恋愛観を広めた一人ですが、 彼によれば理想的な恋愛とは肉体を離れたプラトニックラブ(神聖な恋愛)ということになります。
明治近代における恋愛は、 まず肉情(色)と恋愛を差異化するところから始まるわけで、 明治の人が言う恋愛とはすなわちプラトニックラブのことを想定していました。
●資料11 『他界に対する観念』(北村透谷)明治25年
彼らは言葉の上で「色里はけしからん。 けだもののいるところだ」と非難し、 坪内逍遙などは「遊女はけだもの商売だ」と差別的な言い方をしています。 しかし、 知識人が賛美したプラトニックラブは素人女性が対象となり、 男性の性的欲求は抑圧されていくことになりました。 その結果、 こっそり色里に通うということになって、 言葉と行動が矛盾しているのが多くの明治知識人でした。
つまり、 彼らにとって色里とはまさに「動物になりに行くところ」であり、 かつての色里が持っていた文化的要素がなくなり、 色里や色の持っていた特徴はここで大きく変質してしまったのです。 「性の商品化」と言われる現象が明治以降、 顕著になっていきます。
●資料14 『ヴィ・セクスアリス』(森鴎外)明治43年
それでも明治になってもまだ吉原では、 江戸時代の色里が持っていた風雅な風習や花魁への憧れは残っていたようです。 最終的にそれが壊滅状態になってしまうのは、 第2次大戦後なのかもしれません。
色里の変質
否定された色里
色と芸能(文化)が分離してしまい、 対立する位置づけになったのは、 明治以降の近代になってからです。
●資料7 『女学雑誌』第2号「婦人の地位」明治18年
文明開化ハ年々に進み来たりて其間に種々の階級を画したるを見る。 先ず其の段々を大略(おおよそ)に区別すれバ人世の開化ハ凡そ三段にわかち得べきが如し。 そを何々と云ふに第一を野蛮の時代第二を半開の時代第三を開化の時代とするなり。
而して男と女の交情に関はる有様の進歩をわかたんにも亦たいろいろの段々ありと知るベし。 是は何々と云ふに亦た均しく三段ありて第一に色の時代第二に痴の時代第三に愛の時代ありとするなり。
色とは動物の牡牝が相ひ交接するに似たる如き。 ただ肉体上の情欲にて 痴とは所謂情より出るもの 愛とは即ち真正の霊魂より発するものと知るべし。 敢て此の二種の区別を互ひに相応ぜしめんに色は野蛮の時代に尤も多く行はれ、 痴は半開の時代に甚だしく行はれ愛は開化の時代に至りて后ち初めて行はるべく…。
どういうことかというと、 明治は文明開化の時代で、 男女の関係性の開化にも3段階あるというのがこの雑誌の主張です。 おそらく主宰者の巖本善治が書いたものと思われます。 それによると、 人間の世界は野蛮の時代から半開の時代を経て開化の時代に進歩するとしていますが、 男女の関係性も「色→痴(ち)→愛」の時代へと3段階で進歩するということでした。
「色」から「愛」へ
色を動物的なものだとする表現は、 それ以降いろんな文学や評論の中に見ることが出来ます。 資料8『当世書生気質』(坪内逍遙)でも、 男女の関係には上中下の階級があり、 「下の恋は鳥獣の欲」と表現していて、 肉体の快楽を追求するのは下であるとしています。 それに比べて上の恋とは「意気相投じて相愛する」とあり、 相手の内面性、 精神的な部分を尊敬して交際するものだと言っています。
●資料8 『当世書生気質』(坪内逍遙)明治18-19年
色事にも階級あり、 仮の其の種類を分けて見れバ、 上の恋、 中の恋、 下の恋の三種なるべし。
上の恋 意気相投じて相愛する。 其の人の気位の高きと其の稟性(こころばえ)の非凡なるとを敬慕するより起これる恋。
中の恋 意気相合ふを主とせずして、 まづ其の色をめづる。 ただ其の皮相(うはべ)の毛並を愛して相交はる。
下の恋 肉体の快楽をバ唯専一に主眼として、 男女相慕ふ情(こころ)をいふ。 鳥獣の欲。
とは言え、 坪内逍遙自身も「恋愛」ではなく「色事」という言葉を使っていますので、 明治初期には色という言葉になじみがあったのだろうと思います。
●資料9 「『駅念仏』を読みて」(北村透谷)明治25年
お夏は、 主人の娘として下僕に情を寄せ、 其の情は初めに肉情(センシュアル)に起りたるにせよ、 後に至りて立派なる情愛(アフェクション)にうつり、 果ては極めて神聖なる恋愛(ラブ)に迄進みぬ。
これは「お夏清十郎」の話に出てくるお夏の事を評しているのですが、 清十郎への想いが肉情(センシュアル)から恋愛(ラブ)に進んだのだとして、 肉体と精神をはっきり分けているのが特徴的です。
●資料10 『明治文学管見』(北村透谷)明治26年
現在の「生」は有限なること是れなり、 然れども其の有限なるは人間の精神にあらず、 人間の物質なり。 …人間は実に有限と無限との中間に彷徨するもの、 肉によりては限られ、 霊に於ては放たるる者。
我文学に恋愛なるものの甚だ野鄙にして熱着ならざりしも、 亦た他界に対する観念の欠乏せるに因するところ多し、 実界にのみ馳求する思想は高遠なる思慕を産まず、 我恋愛道の肉情を先にして真正の愛情を後にする所以、 ここに起因するところ少しとせず。
これもキリスト教的世界観から来る霊肉分離の例です。
●資料12 『当世書生気質』(坪内逍遙)明治18年
余ツ程君をラブ「愛」して居るぞウ
坪内逍遙の『当世書生気質』からの一節です。 愛がLoveの翻訳語として使われ始めた例です。
色里の変質
ただ、 明治知識人は言葉の上でこそ恋愛を賛美したのですが、 現実には色里に通うことも止めませんでした。 その時期に色里は大きく変貌しました。
●資料13 『平凡』(二葉亭四迷)明治40年
私は実は雪江さんに惚れていたので。 …惚れてはいたが、 それだから雪江さんをどうしようという気はなかった。 その時分は私もまだ初心だったから、 正直に女に惚れるのは男児の恥辱と心得ていた。 女を弄ぶのは何故だかさ程の罪悪とも思っていなかったが、 苟も男児たる者が女なんぞに惚れて性根を失うなどと、 そんな腐った、 そんなやくざな根性で何が出来ると息巻いていた。
鰐口は固より好かれようとしたとて好かれもすまいが、 女を土苴の如くに視ている。 女は彼の為めに、 只性欲に満足を与える器械に過ぎない。 彼は機会のある毎にその欲を遂げる。 その言うところを聞けば、 女は金で自由になる物だ。 女に好かれるには及ばないと云っている。
これは、 男性が女性を自分の欲望を処理する対象としてしか見ていないということを率直に語っている例です。 色里が「性を商品化する場所」として変化し、 ますますその存在が否定されていく時代を表していると思います。
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