今日は、 明治知識人が色と文化を厳しく分けようとしたというお話がございましたが、 そのことについてコメントさせていただきます。
色里が昭和32年に廃止されてから40数年経っていますが、 都市デザインという仕事をしている立場からいうと、 今は色と文化は分かれていないのではないか、 むしろ町中が郭になったというか、 全部遊郭都市と言えるのではないかと思います。 ぼくには「女性はみな遊女じゃないか」としか思えない。 街を歩いてるといつもムラムラというか、 そんな感じがしまして、 何も今さら郭を復活してもらう必要は全然ないくらいだと思います。
自分が仕事をするときクライアントを頭に浮かべて、 どういう案を出せば満足してもらえるかということを考えます。 すると、 テーマタウンだとかエンターテイメントタウン、 集客都市ということになりますが、 これは全部郭のデザインです。 デザインの基が「いかに人を呼び込むか」「楽しませるか」ということで、 めくるめく極楽世界、 非日常の世界を狙っているわけです。 そういう意味で、 町中が遊郭都市になりたがっていると思います。
僕らの仲間を見渡して、 「いやわしはそんなつもりじゃない。 もっと別の世界をやっている」という人を、 ちょっと思いつかないのです。
例えば住宅地でも、 マンションでは何を売り物にしていくかを考えています。 極端な例ですが、 京橋でローマの廃墟をテーマにした空間を作っていますが、 あれに似たり寄ったりのことを僕らは一生懸命にやっているのです。 つまりいかにして関心をかうかです。 この関心は例のいやらしい甘心(奸心・姦心)と一緒だと思います。
たしかに、 ピーター・ウォーカーのランドスケープは特殊でちょっと違うと思います。 しかし、 今日も来ておられますが、 多分ピーター・ウォーカーを尊敬している佐々木葉二さんのやっておられるランドスケープが色の世界じゃないかというと、 やっぱり五十歩百歩だと思います。
我々は遊郭都市を作り続けている
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