色々コメントありましたので、 最後に佐伯さんにもう一度お願いします。
佐伯:
とても勉強になりました。
井口さんのお話は、 キリスト教的な価値観を持っている都市と日本の色町とは対照的であるというお話でした。 摩天楼を作っている発想がキリスト教的なのだなというのは、 あらためて納得させていただきました。
しかし、 ヨーロッパの都市はどうなんだろう、 じゃあ教会建築はどうなんだろう、 というふうに思ったんです。 日本では舞踊とバレエの違いがよくいわれますよね。 地の方に行く動きと、 天に上がっていこうとするバレエの対比です。 ヨーロッパの教会建築には天に向う方向性があるとおもいますが、 それでは天に向かっていくことが精神性で、 地に向かうことは色なのかなと思ったりしました。
しかし先ほどの丸茂先生の図式でいうと、 明るい表通り的な神聖な空間であるはずの教会が、 特にカソリック教会の場合、 中に入ってみるととても怪しげで真っ暗で気持ちが悪いんです。 薄暗くてロウソクの匂いがぷーんとしていて、 何か一種裏通り的、 悪所的、 色里的です。 そういう意味では、 丸茂先生がおっしゃったノイマンの球体のように、 聖なるものと色里的なものがつながっているというのは、 教会に対しても言えるのではないかと思います。
西洋近代は平面的にものを見てしまう傾向が強く、 その影響を受けた今までの日本人の遊郭感は、 どちらかというと色里を徹底的にマイナス方向で見るということだったと思いますが、 先生がおっしゃったように球体であるとすると、 芸術の都が色里であるという形でつながると思って拝聴させていただきました。
けれども、 「もともと性欲があって、 それだけだとあっという間に終わってしまうから、 その後から食欲や踊りがくっついて来た」というのは、 むしろ逆なんです。 これは近代的な目で見たための誤解の一つだと思います。 もともと粋な遊びが好きなお客さんは、 お座敷で芸だけ見て帰られたと、 かつての太鼓持ちの方がおっしゃっていました。 それなのに、 今は性欲だけになってしまったので、 非常に寂しいというお話もありました。
性欲という言葉自体、 鴎外が「性欲雑説」という言葉で翻訳して使い、 それによって日本人は性欲を初めて発見したのです。 もともとは性欲が切り離されて存在した訳ではなく、 私は“現世離脱欲”と呼んでいるのですが、 現世を離脱する欲求という形で食欲、 性欲と我々が今呼んでいるもの、 あるいは芸術を見たいという欲求が全部一緒になっいたのです。
ですから江戸時代の人は、 性欲だけだと「なんだつまんない。 みんなやっていることじゃないか」と感じたんでしょう。 そこにおいしい食事があり、 かつ素晴らしい芸能があるからこそ、 現世離脱欲が満たされるということだったんです。 それが多分、 色のメンタリティと性欲のメンタリティの違いだと思います。
その性欲を発見した後に、 ラブホテルだとかストリップ小屋だとかいったいろんな形で色里の機能が分離していったというお話は、 大変興味深いお話しです。 確かに中座、 松竹座だけではそれこそきれい事です。 十三とか飛田新地とか、 百番のように食欲の部分が残っているケースもあります。
本来、 遊女は定住せずに一所不在に遊行していたのですが、 男性中心的な社会になると、 女性は地女であっても遊女であってもどっちかに定住していて、 動く男性を迎えるという形でした。 でも、 今は女性も動き始めています。 そこにおいてジェンダーのあり様が変わってきたと思います。
色里における建築なり都市の在り様は、 男女の固定的な社会的な役割分担の反映であったのかもしれません。
では女性が動き始めた時代の新しい建築とか、 建築における女性性・男性性のあり様は問われているのでしょうか。 色里が消滅してから、 あるいは近代以降、 それらはどんな形で変わってきたのだろうか、 これからどうなるのだろうかという興味を抱きました。 どうなんでしょう?
鳴海:
これからだんだん厳しくなってきますので、 このへんで終りたいと思います。
ご質問に答えるというわけではありませんが、 さきほど地女、 まち女、 家女、 遊女といろいろ出てきましたが、 遊女はノマッドですね。 これからは遊ぶ女ではなくて「遊歩する女」「家にいない女」なのかもしれません。 そういった新しい女性の時代に都市の環境がどうなるのかという大きな宿題をもらいました。
有り難うございました。
色と性欲
有光さんの食欲についてのコメントが抜けていたという指摘はおっしゃるとおりです。 とにかく色里は、 五感の全てを通じて極楽気分を味あわせるところなんです。 食だけでなく、 お香のいい香りがするとか、 いい音楽が耳から入ってくるとか、 口から目から鼻からいろんなものを動員して身体の何もかもを刺激するのです。
都市と新しいフェミニニティ
最後に、 私の方から先生方にうかがいたいことがあります。 フェミニンな世界と建築都市のあり方とを結びつけて教えていただいたのですが、 先ほど岡さんがおっしゃった様に、 女性の活動の範囲が大きく変わった今、 フェミニニティ(女性性)とマスキュリニティ(男性性)はどうなるのでしょうか。
例えば丸茂先生が教えて下さったような図式が、 同じように男性の場合、 いい男・悪い男、 バッドファーザー、 テリブルファーザー、 グッドファーザーというような形で図式化ができるものなんでしょうか。 それらは都市性とどのように関連するものなのでしょうか。
このページへのご意見は前田裕資へ
(C) by 都市環境デザイン会議関西ブロック JUDI Kansai
学芸出版社ホームページへ