私は都市は常に変わっていくものだと思います。 これは今に始まったものではなく、 昔の都市で今は影も形もないという所が世界にはたくさんあります。 まして同じ都市の中で、 市街地が変わっていくことは珍しいことではありません。 ですから、 都市の変化は昔は問題にすらされなかったわけで、 衰退していくところも放っておかれました。 その代わり、 別の場所で新しいものが生まれていくのが普通だったのです。
ところが最近では、 自分の街が衰退してくると「政治、 行政が悪い。 何とかしろ!」と歯止めをかけようとします。 既存の権利を守ろうとするのが主流になっているように思えます。 しかし、 衰退を止めるのは難しいことです。
都市づくりは大型店を作るのとはわけが違います。 新しく大型店を作るのは白いキャンバスに絵を描いていくようなもので、 計画や計算も出来るのですが、 まちづくりとなるとそこには現在住んでいる人がいて、 生活やビジネスをしており、 まちづくりは毎日の生活に影響を与えることになります。 日本は土地などに関する様々な権利がとても強い国ですから、 変えていこうとなると、 それら個々の権利者の意向に沿っていかざるを得ないのです。
以前シンガポールに行ったとき、 本当に美しい街だと感心しました。 計画的に作られた街で、 古く歴史的な建物はちゃんと保存され、 汚い建物は取り壊されて新しい高層ビルになっています。 道路もちり一つ落ちていない。 特に海側からまちを眺めると、 「神戸とエライ違いやなあ」とその美しさに感心しました。 海岸線は全部緑で、 緑の向こうにビルが借景として見えるように計画されているのです。
港の機能は1カ所に集められています。 神戸はというと、 海岸線は全部港湾局が占拠し、 グロテスクな荷物用クレーンが並んでいます。 神戸の歴代の市長は「神戸は住みやすく美しい街」と言っていますが、 住みやすいとはしても、 義理にも美しいとは言えないと私は思います。 特にポートアイランドができてからは、 海側から眺める神戸の街はむしろ汚いという印象が強くなりました。
神戸に生まれ育った私としては、 同じ港町でありながら、 こうも神戸と違うものかとシンガポールの美しさに感心したものです。 シンガポールは都市全体の計画をアーティストが手がけたものかとうらやましく思ったものです。
ただ、 その美しい町は、 中華街に住んでいた貧しい人たちを強引に追い出して作ったのですね。 そこまでして作った新しい街は、 住人の立場からすると幸せなのかどうか。 ちょっとやりすぎだと疑問に思ったこともあります。 シンガポールのまちづくりは住人の意見を全く聞かないで、 市当局が先頭に立って進めたものです。 そうしたまちづくりは美観上も経済上もいいことなのかもしれませんが、 私は住人の生活を無視したまちづくりにはやはり疑問を感じます。
とは言え、 外国から日本に帰ってくると特に思うのですが、 街が乱雑で、 まちづくりが成功している街はほとんどない状態です。 住人の権利が優先されている日本と、 それが無視されるシンガポールとどちらがいいのか、 いつも考えてしまいます。
それはともかく、 日本で再開発や街の活性化を考える場合、 行政が何を作るかより先に「住人の同意」がないと何も出来ないのが問題だと思います。
私が神戸に住んでおりましたとき、 大丸前の商店街の再開発の話に関わったのですが、 二人だけ建て替えに反対され、 どうしても話が進まない。 20年かかっても未だに再開発ができないままです。 これが日本のまちづくりの姿です。 「同意」をとることがいかに難しいことか。 こういうちょっと変わった人たちに対しては、 法律的に何か対処できるようにしないと具合が悪いと思うのです。
1。 なぜ中心市街地は衰退していくか
繁栄は既得権か
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