地球というのは、 我々の家庭のように、 たくさんの家族がいて、 その家族はいうことを聞かない。 だけれども、 その家の中でだれかが家の存続を考えないといけない。 今、 家庭崩壊だとか、 色々いわれているけれども、 家こそが、 常に「維持・保存・存続」を考えているベーシックな役割を担っていて、 そういうものと地球は一緒だという言い方をされています。 要するに、 スイッチを押せば助かるわけではなくて、 説得しながらやっていくしかないと書いています。
では、 商店街とか中心市街地で、 仕方がないけども引っ張っていく人は一体誰かということです。 貧乏くじかもしれませんが、 そういう人がいないとどうしようもないのです。 家だと、 母親か誰かが貧乏くじを引いています。 では、 高知だと誰か。 確かに市長はそうで、 そうやってもらわないと困るのですが、 商店街では誰かということです。 誰も指名する、 お願いするわけではないのですが、 仕方がなくやる人がいるんじゃないかと思うのです。 そういうのが人間社会のおもしろさで、 貧乏くじであってもやるという人がいるかいないかが問題ではないかと思います。
またホテルには、 駅前旅館から田舎のひなびた温泉旅館まで色々なものがあります。 同じように、 俺のまちは駅前旅館なのか、 ひなびた温泉旅館なのか、 リゾートホテルなのか、 特徴を吟味すれば、 こういう方針でやっていけばいいということはだいたい分かると思うのです。 その時に、 一体経営者は誰かというと、 市長はもちろんそうですし、 市役所職員もそうですし、 税金を収めている人全員、 経営者の一員ではないかということです。 何か制度とか手続きで決まってきたシステムで、 まちづくりというものが動いていくのではなく、 そういうつもりでやるという気分が必要でないかと思います。
8。 誰が貧乏くじを引くのか?
鳴海邦碩
誰かが引っ張らなければならない
ちょっと抽象的な表現になりますが、 村上陽一郎という科学技術史の先生がおられるのですが、 その先生が「宇宙船地球号」という表現は不満であるという小論文を書いておられます。 宇宙船地球号というと、 そこらじゅうにスイッチがあって、 スイッチを操作すると地球が救われるように思えるけれども、 そうじゃないと言うのです。
都市をホテルと見立てた都市経営
その時、 都市経営が重要になってきます。 都市をホテルと考えるとするとどうか。 まちも、 住んでいる人だけではありません。 人がやってきてはじめて成り立つわけです。 ホテルと同じように、 お客さんに来てもらうという観点が抜けてしまうと、 まちの経営も成り立たないわけです。
このページへのご意見は前田裕資へ
(C) by 都市環境デザイン会議関西ブロック JUDI Kansai
学芸出版社ホームページへ