震災からの復興をできるだけ早く行わなければならないことは言うまでもない。 しかし、 平時でさえ本質的に硬直的なわが国の行財政システムが、 震災による被害の程度と質の多様性に柔軟に対応できるはずもなく、 結果として早期の復興は、 大量に、しかも単一の方法とタイプを通じて行われることとならざるを得なかった。
震災による被害は、 これまでに都市計画の名のもとに行われてきた都市に対する様々な改善の試みが、 その大きな目的の一つであったはずの人々の安全性の確保という点からも全く十分でなかったことを露呈させた。 このことによる市民のこれまでの都市計画に対する無力感に加え、 震災直後の都市計画決定の問題に代表されるように、復興過程においては現在の都市計画、 とりわけ法定都市計画が復興に対する市民のニーズを反映することができず、 その結果市民の都市計画への不信はますます高められることになった。
震災からの復興に対する様々な支援、 とりわけ財政上の支援は国レベル及びそれを反映した自治体レベルの既成のセクショナリズムの枠組みに従って行われ、 その結果、 支援の分断、 重複などが生じ、 支援は効率性と効果において十分なものとなっていないのみならず、 政策的にも本来意図しなかったような結果をもたらし、 それがまた新たな問題を引き起こしている場合さえある。
長い時間をかけて出来上がってきたまちは、 人々の生活、 暮らしの場であり、 その復興の意味するところは、 インフラと器としての住宅に代表される単にハードな物的環境を再整備することであってはならないはずである。 もともとの居住地と分離された郊外における仮設住宅の大量供給に代表されるように、 人々の生活の場としてのまちとのつながりと無関係な復興過程は、 結果的にまちの復興につながらない。
被災地域の大半は重点復興地区からはずされ、 都市計画の分野における行政からの支援はない。 白地地区の住民たちは、 自らの生活、 自分たちのまちの復興に立ち上がっているが、 資金的にも人的にも支援の途絶した状況は、 住民たちを苦境に追い込んでいる。 これ以上の放置は、 復興に最も必要な住民自身の熱意を奪い取りかねない。広大な白地地区に対する、 計画・制度の整備・策定は焦眉の課題である。
現地で今も進められている復興の試みの中には、 「古い都市計画・住宅政策のシステム」の持つ問題を乗り越え、 新しい「住まい・まちづくりのシステム」につながる萌芽的現象も見て取れるのではないか。 このような仮説に立ち、 ここでは、 今後いつ起きるかも知れない他の大都市での大震災に際しても役立つ、 いわば「一般解」を見出しつも、 その一方でできる限り神戸を始めとする被災地のこれからの復興にも役立つ提案を行うこととする。
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なおこのテキスト全文のネットワークへの全文掲載は横浜国立大学の高見沢実氏と東京理科大学の小泉秀樹氏のご尽力により可能となったものである。