住民が主体のまちづくり深江地区まちづくり協議会 会長佐野 末夫 |
* * * リレー論文、次は神戸まちづくり協議会連合会事務局長(松本地区まちづくり協議会会長)の中島克元さん よろしく。
(小林郁雄→野崎隆一→宮西悠司→佐野末夫→)
連載【私が支援している「まちづくり協議会」の紹介 1】「青木南地区まちづくり協議会」の紹介ジーユー計画研究所後藤 祐介 |
位置図
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関係図
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区域及び用途地域図
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年、月、日 |
事 項
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H12.3以前 | ・フェリー埠頭跡地開発問題の協議、調整 |
H12.4〜5 | ・有志によるまちづくりの取り組みの発意 |
H12.6〜9 | ・地区内関係グループ(工場、自治会等)の調整 |
H12.11.19 | ・青木南地区まちづくり協議会の設立 |
H13.2〜3 | ・第1回まちづくりアンケート調査(問題点) |
H13.11〜12 | ・第2回まちづくりアンケート調査(構想案) |
H14.5.19 | ・まちづくり基本構想の策定 |
H14.7〜8 | ・第3回まちづくりアンケート調査(協定案) |
H14.11.12 | ・まちづくり協議会認定 |
H15.2.5 | ・まちづくり提案と「まちづくり協定」の締結 |
連載【コンパクトシティ 2】『コンパクトシティ』を考える2歴史から学ぶ都市のかたち神戸コンパクトシティ研究会中山 久憲 |
連載【公団まち研 14】
第26回 都市公団まちづくり研究会2003年4月23日
講師・宮定 章、加藤 洋一(まち・コミュニケーション)復興まちづくりにおけるボランタリー組織の役割
まち・コミュニケーション
加藤 洋一
○神戸御蔵のまちづくり
はじめに、まち・コミ代表の宮定より、現在御蔵で進む古民家移築による集会所建設を中心に、まち・コミの地域における役割や、住民リーダー層の「自分たちのまちは自分たちでつくる」というまちづくりに関する意識の高さが紹介された。一方でまち・コミという新たな組織がまちづくりに関わることによって生じる地域住民との軋轢や、御蔵のまちづくりの限界、課題等が指摘された。
以降、「まち・コミとは何か?」「まちづくりNPOとは何か?」という議論が展開される。
○まち・コミとは何か?
まち・コミの運営委員の一人でもある都市公団の田中氏は、御蔵の復興まちづくりにおけるまち・コミのよそ者ゆえの役割を高く評価している。すなわち、まち・コミは地区内に存在したしがらみにとらわれることなく活動した。だからこそ彼等はどの住民とも等距離で付きあうことが出来た。土地区画整理事業の中でも、地主や地権者、借家人といった権利関係のカテゴリーに属さないがゆえに、生活者の視点まで戻って考えることを提案することが出来た。これが地区内のみならず、外部の者にまでその活動に対する同調を得ることにつながったという。
研究会には、灘中央地区の「新まちづくりハウス」の設立に協力した元神戸市住宅局のH氏も参加されていた。氏は若者が常駐し、協議会活動をはじめとした地域のサポートを行っている「新まちづくりハウス」を次のように評した。「地域には都市計画コンサルタントでは対処できない様々な問題がある。地域に密着したNPOのようなボランタリーなセクターが地域内の複雑な利害を調整し、行政や専門家、住民とを結ぶことができる。まちづくりハウスはそのテストケースである」。
その後も参加者より、まちづくりNPOのような組織に対する意見や期待が語られた。
○結びにかえて
震災以降、神戸には自治会や協議会のような地縁組織に加え、「若者」を主体とするボランタリーな存在がまちづくりに関わるという事例が多く存在する。一方で震災から8年が経過し、協議会活動が停滞していく地域も多く見られる。行政の復興施策終了後もまちづくりに関する地域住民のポテンシャルを維持することが求められ、行政もそのシステムづくりを模索しはじめた。
御蔵のまちづくりは震災による甚大な被害から、人々が以前の生活を取り戻すために始まったものである。しかしながら現在御蔵の抱える問題は、少子高齢化や産業の衰退、空き地や空き店舗の発生という日本のインナーシティ共通の問題である。被災地におけるまち・コミのようなボランタリーな組織は、後地域のなかでどの様な位置を占めていくようになるのか。これが日本が本当の意味での都市再生を達成するにあたり、大きなヒントとなっていくのではないだろうか。
講師の二人(中央が宮定氏、左が加藤氏)
連載【公団まち研 15】都市公団まちづくり研究会 臨時報告会 2003年5月30日
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海老塚良吉氏
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アルビナ・コーナー地区の住宅開発
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◇オレゴン州ポートランドのアルビナ・コーナー地区
約3000平方メートルの敷地で、かつては中古車の置き場や洗車場、鉛塗料やアスベストに汚染された空きビルなどがあった。1993年にゾーニングの変更により高密度の住宅と複合開発が可能になり、1階には銀行、コーヒーショップ、美容院、コンビニ、画廊などの商業施設、上階はアパートとして開発できるようになった。ここには児童施設もあり、州の承認した浄化計画にもとづいて汚染物を包み込み、土地面から10フィート隔離された2階レベルに中庭と遊び場が設置されている。
◇ニュージャージー州トレントンのサークルF地区
工場跡地の再開発事業。1990年に工場が閉鎖され、コミュニティの衰退が始まった。トレントン市がその土地の道路に面した部分を住宅用地として使えるとして購入した。市はその後、非営利組織であるニュージャージー・ルター派社会奉仕団(LSM)を開発担当として選任した。現在、75戸のアフォーダブルな高齢者住宅と近隣地区の再生の強力な中心として活用されている。またLSMは、ナット・ウエスト銀行とチームを組むことによって、銀行から建設資金他の融資を受けることができ、連邦の低所得者住宅税控除が受けられた。
内部の様子
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サークルF地区の高齢者住宅
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Studio Apartment |
2 Bedroom Apartment
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連載【まちものがたり 4】空き地からはじまる物語 4夜の音中川 紺 |
右のこめかみが痛い。家を出て数分、バス停に向かっていた私は、空き地の前で足を止めた。どんよりとした曇り空の下に雑草が広がっている。朝から少し頭痛がした。低気圧のせいかもしれない。梅雨が早く明ければいいのに、と思う。そう思いながらも、大学受験まで残された時間がどんどん減っていくのもこわかった。
雑草畑を囲む木の杭とワイヤーを使った簡易な柵は、どこからでも入れるくらい隙だらけだった。
緑の中に無数の黄色い点々が散らばっている。よく見るとカタバミの花だった。ほかにも薄桃色のラッパのような形の花も咲いていた。まわりの草はほとんどがふくらはぎよりも低い背丈のものばかりだ。噴水のような形で葉をつけているもの、茎に赤い線が入っているもの、お馴染みのねこじゃらし。やたらに濃い緑のまとまりはヨモギだった。所々に腰までありそうな高い草が島のようにかたまって生えていた。
柵越しにぎゅっと詰め込まれた緑の世界で、私は頭痛と受験を少しだけ忘れていた。
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学校の帰り道、私が目にしたのは、雑草がすっかり刈り取られた空き地、だった。
去年はたしか、今の三倍くらいに茂って、何かの虫が大量発生して近所で一騒動起こった。業者が先手を打ったのだろうか。
あちこちに十円ハゲのような地肌が見えているのが何だか痛々しかった。
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その日の夜中、私は目を覚ました。時計は三時過ぎ、家中が寝静まっている。夕方から本格的にふりはじめた雨の音もしない。
(雨、もうやんだのかな)
窓を開くと、小雨まじりの少し冷えた空気といっしょにどこからか微かな音が部屋に流れ込んできた。低く何かがゆっくり這うような音、布が擦れあうような音。私は誘われるように出かけた。もちろん玄関から。
気が付くと空き地のまん中で水色のビニール傘をさして立っていた。外を歩く人は誰もいない。小雨が傘の上をさらさら流れていく。音は、私の足の下から響いてくる。地響きというものとは少し違う気がした。土の中で何かが動いて、のびて、つきあげてきて、そういうものが靴の裏に伝わってくる。こそばくて気持ちいい不思議な感覚だった。いつの間にか雨はやんでいた。
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知らないうちに部屋に戻ったらしく、朝、私はちゃんとベッドの上で目を覚ました。パジャマのすそに少し泥がついていた。出かける時に玄関の傘がなくなっていることに気が付いた。空き地に急ぐ。さびたワイヤーの柵に傘が引っ掛けてあった。
(やっぱり来たんだ、私)
刈り取られたばかりの空き地には、一面、新しい芽が顔を出していた。まだ小さな葉の上に、大小の銀色の露が並んでいる。
「負けるなよ」
思わず声が出た。
奥の方で何かをついばんでいたスズメがいっせいに飛び立った。梅雨が明けたように空はすっきり晴れていた。 (完)
(イラスト やまもとかずよ)
第64回・水谷ゼミナール報告 |
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