きんもくせい50+36+4号
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住民が主体のまちづくり

深江地区まちづくり協議会 会長

佐野 末夫



  “真野から生まれた神戸市まちづくり条例”に続き、1993年6月1日に、神戸市長より認定団体(第12号)の指定を受けた「深江まちづくり協議会」が登場することになりました。
 90年7月に「深江まちづくり協議会」が結成され、当時は地域の面積111ha、世帯数8,200世帯、人口22,000人で、住民合意はアンケートにより意見徴集徴集を行い「庶民的で住みよい街への改善」を基本目標に活動の展開を進めてまいりました。
 今思い出すと、基礎調査やアンケート集計に追われて「あー」という間の数年であったと思う。住民の目には見えない活動に対し、「まちづくりは、何をやっているのか」などの苦情の御意見も沢山頂きました。
 神戸市から、まちづくり認定団体の認定を受け、「深江まちづくり構想」を神戸市に提案し、「まちづくり協定」についてもアンケート調査を実施、神戸市長との締結を2月に控えた95年1月17日の未明に起きた阪神淡路大震災により、深江地域の45〜6%の4,230棟が全半壊、259名の犠牲者を出し、阪神高速道路が横転するなどの大被害を被り、街に残った建物は鉄筋の集合住宅だけとなり、夜間は真っ暗でスラム街そのものになってしまいました。
 地域の小学校には、2,000人からの被災者が集まり、死体が運び込まれ、負傷者は救急車で病院に運ぶなど、生き地獄そのままを目の当たりにして、救援物資の到着を待ったあの日のことが、昨日のように蘇ってきます。
 その一週間後には「深江地区まちづくり協議会」としての活動を再開し、地域の地図を片手に、個々の被害を記録するために時間を掛けて調査をして周り、一ヵ月後の2月19日には、地域に残っている委員に参加を呼びかけ「震災復興委員会」を立ち上げ、復興にむけて「住宅再建のための相談所」を設置、住民の不安を解消し再建に向けての活動の推進を図ることが出来ました。
 そんな時、地域に「パチンコ屋が3軒も出店しそうだ」とのニュースが入り「深江地区まちづくり協定」を早期に神戸市長と締結をする必要に迫られたが、パチンコ屋の出店までには期間が無く取り急ぎ防止策としての、「パチンコ店、出店防止」の署名運動を実施、一週間で7,320名の署名を持って、神戸市長・市議会・県議会・県警本部等に陳情し、1店舗の進出のみで押さえることが出来たのも、深江地区の住民が「自分達の街」を守るために協力して頂いた成果であると感謝しています。
 震災後のまちづくり協議会の活動は、「まちづくり協定」の締結・「緑と花の市民協定」・みどり豊かで安全な街への復興をテーマに「まちづくり構想」の再提案・花とみどりのまちづくり活動・なごりの松や旧西国浜街道の顕彰碑建立など、歴史を活かしたまちづくり、住民への地域情報の伝達等々、活発で先進的な活動の積み重ねで、『神戸景観ポイント賞』や『人間サイズのまちづくり賞』などを受賞しました。
 これらは地域の住民が率先して参加をし汗を流した結晶だと感謝しています。

* * *  リレー論文、次は神戸まちづくり協議会連合会事務局長(松本地区まちづくり協議会会長)の中島克元さん よろしく。

(小林郁雄→野崎隆一→宮西悠司→佐野末夫→)


連載【私が支援している「まちづくり協議会」の紹介 1】

「青木南地区まちづくり協議会」の紹介

ジーユー計画研究所

後藤 祐介



 はじめに−連載にあたって
 今回のきんもくせい第3弾においてもまた連載形式で何か書かせてもらうことになった。  小林編集長からは「まちづくり協議会の活動?」(仮題)でどうかと誘いをかけてもらった。この「新しい」という意味としては、ポスト震災復興まちづくり協議会ということも含まれているであろうし、私が「仕事」として経済的に苦しいながらも“同時・多地区まちづくり協議会支援型コンサルタント”をしていることを見越して、このテーマなら書きやすいだろうと思われたのだろうと思う。
 ご推察のとおり、ポスト震災復興としての新しいまちづくり協議会を紹介していく連載なら苦にならないし、他人のためにはならないかもしれないが、自分の為には整理になると思い、このテーマに準じて書かせてもらうことにした。内容としては、何故そのまちづくり協議会が立ち上がったのか、何を目的にしているのか、どういうきっかけで私が支援することになったのか等を書きたいと思い、連載タイトルに「いろいろなまちづくり協議会の立ち上げ」等を考えてもみたが、今回は単純に「私が支援しているまちづくり協議会の紹介」とすることにした。
位置図
1)「まちづくり協議会」立ち上げのきっかけ
 青木南地区は、阪神・淡路大震災以前は、神戸市東灘区の臨海部に位置する「フェリー埠頭のあるまち」であった。その後、明石架橋の開通により、フェリー埠頭が廃止され、その跡地にウォーターフロント型の大規模ショッピングセンターが建設されることになった。この大規模商業施設の開発にあたり、“近隣環境問題”で、地元住民と開発者との間でかなり激しいやりとりがあったらしい。
 平成12年の4月頃、この問題をきっかけに地元有志が、自分達の住むまちは自分達の力で守らなければ、とする「まちづくり意識」に目覚め、「住民参加のまちづくり」を目指し、こうべまちづくりセンターに相談されることになった。
 当時、私は青木南地区に隣接する深江地区で、震災以前からまちづくり協議会の支援をしていたので、地元有志の方が、私のことを聞かれお会いすることになった。

2)「まちづくり協議会」の立ち上げまで
 「まちづくり」に対する地元の事情を聞いてみると、フェリー埠頭跡地の規模商業施設開発に対し、地元では、3グループの対応があったらしい。一つは、開発抑制派のマンション居住者グループ、一つは開発容認派の青木2丁目自治会グループ、もう一つは、3丁目自治会を含む中間派グループである。私が最初に話を聞いた時は、既に大規模商業施設開発問題は概ね決着していたが、
関係図
今回の問題を教訓に“予防”を含めたまちづくりに取り組みたいと立ち上がられたのは、中間派の村上氏、森下氏、酒井氏達であった。
 国道43号以南のこの小さなまちで、「まちづくり協議会」を立ち上げるためには3つのグループと大規模商業施設及び地区内に立地する企業(工場等)が一つのまちづくりにまとまる必要があったことはいうまでもない。
 即ち、「まちづくり協議会」の立ち上げにあたっては、前記5つのグループが一つにまとまる必要があり、私も支援し、中間派の有志が調整を図った。そして、“青木南地区を住みよく、働きよい健全なまちにしよう”ということで、一つにまとまることができ、平成12年11月にまちづくり協議会の設立総会に漕ぎつけた。
 しかし、残念なことに開発問題の“しこり”が残り、自治会幹部からの出席は得られなかった。

3)「まちづくり協議会」の構成
 青木南地区まちづくり協議会の区域は、下図に示す約23haで、一般住宅、マンション、工場、大規模商業施設が含まれている。
 会員の構成は、居住者及び地区内で事業を行う者及び、地区内の土地、建物所有者で、これには所有権がある地区外居住者も含めている。
 役員は、一般住民及びマンション居住者、企業(工場等)から約30名を選出し、執行部としての会長、副会長、事務局長、会計は、一般住民及びマンション居住者がこれに当たられている。具体的には、先の開発問題が、今も少し“しこり”を残しており、中間派の3人が中心になって活動をリードされている。

4)「まちづくり協議会」の主要課題
 国道43号以南の青木南地区は、神戸市東部の臨海工業地域にあり、用途地域は居住ゾーンの第一種住居地域を中心に、準住居地域、準工業地域、工業地域が取り囲んでいる。
 用途地域上の環境保全条件としては、極めて不安定な条件にあり、一刻も早く居住環境保全のためのルール(「まちづくり協定」or「地区計画」)づくりが必要な地区である。
区域及び用途地域図

5)「まちづくり協議会」の進め方・内容
 神戸市には、まちづくり協議会の進め方を条例として定めた「神戸市地区計画及びまちづくり協定に関する条例」(これを略して「神戸市まちづくり条例」と呼んでいる。)がある。これは、乱開発や、公害問題をかかえる地区において、環境を保全する目的のまちづくりを前提としており、当青木南地区まちづくりにおいても適合性が高い。従って、当まちづくり協議会の推進にあたっては、この条例に基づき、地域住民全員参加型の協議により、まず「まちづくり基本構想」を策定し、これを実現するためのルールづくりとして、「まちづくり協定」の締結を神戸市長と行ってきた。この間、地域住民全員を対象としたアンケート調査を3回実施し、これが認められて、平成14年11月には、神戸市まちづくり条例に基づく「まちづくり協議会認定」を受けた。
 また、神戸市からは協議会に対しまちづくり活動助成を、コンサルタントの私には、アドバイザー派遣やコンサルタント派遣等の支援をもらっている。

6)「まちづくり協議会」の経過概要
 協議会の立ち上げを含めた青木南地区のまちづくり協議会の経過概要は、以下の通りである。

年、月、日 
事    項
H12.3以前 ・フェリー埠頭跡地開発問題の協議、調整
H12.4〜5 ・有志によるまちづくりの取り組みの発意
H12.6〜9 ・地区内関係グループ(工場、自治会等)の調整
H12.11.19 ・青木南地区まちづくり協議会の設立
H13.2〜3 ・第1回まちづくりアンケート調査(問題点)
H13.11〜12 ・第2回まちづくりアンケート調査(構想案)
H14.5.19 ・まちづくり基本構想の策定
H14.7〜8 ・第3回まちづくりアンケート調査(協定案)
H14.11.12 ・まちづくり協議会認定
H15.2.5  ・まちづくり提案と「まちづくり協定」の締結

7)まとめ−「青木南地区まちづくり協議会」の特性
 青木南地区のまちづくりは、大規模商業施設、公害問題等がバネとなり、住環境保全型のまちづくりが主目的であり、真野地区や、新在家南地区と同様、「神戸市まちづくり条例」に基づくまちづくりの典型例に近い協議会活動を行ってきた。即ち、青木南地区のまちづくりは、震災後取り組み始めた協議会であるが、活動内容は極めてスタンダードな神戸市型まちづくり協議会と言える。


連載【コンパクトシティ 2】

『コンパクトシティ』を考える2

歴史から学ぶ都市のかたち

神戸コンパクトシティ研究会

中山 久憲



 『コンパクトシティ』とはどんなものだろう。そこで、過去の歴史から、コンパクトな「都市のかたち」を学んでみたい。
 過去のコンパクトな都市の事例として思い浮かぶのは、ギリシャ時代の『ポリス』、あるいは、ヨーロッパ中世時代の『城壁都市』である。これらは、大きな歴史の流れの中に、都市の発生と成長が当時の時代背景を通して刻まれており、その特徴の中には今日に通じる共通点がある。

1.ギリシャ時代の『ポリス』
 ギリシャでは紀元前8世紀頃に、海に山が突き出す特有の地形をいかした要害の丘を中心に都市国家(ポリス)が誕生した。造船や航海技術に長け、エーゲ海から黒海にかけての海上交易による商業の発展と、さらに地中海東岸を含む沿岸部に植民市を建設し、ポリスはその富の集まる中心として発展した。アテネやスパルタに代表されるポリスの特徴は、統治システムが王政から、貴族政による寡頭政を経て、民主政に至ったことである。土地を所有する農民階層と都市経済の担い手である商工業者の市民団を中心に政治体制の変革が行われた。スパルタでは紀元前610年、アテネでは前508年に改革が実施され、古代民主主義が始まった。言論の自由、法の前の平等、さらには権力の集中する職業官僚を認めず、選挙や抽選等で最高権力者を選ぶことや、「陶片追放」のように投票で権力集中のおそれがある者を10年間国外追放する手法など民主政治の原点となる制度を創り出した。都市空間として、市民の集会や裁判をする広場(アゴラ)や、劇場などの公共建築物、緊急の外敵に備える城壁が整備された。
 民主化したポリスが発展できたのは、民主制により公私生活での権利と義務の調和が打ち出され、政治参加を保障する一方で、都市を守り戦う市民軍に市民の参加を義務づけたからである。武具の自弁が必要であったが、経済力を付けた市民は武具、槍や盾を持参し、一騎打ちが中心の時代に、大量市民兵の隊列による重層歩兵(重い武具の装備で動きは鈍いが防備力に優れる)の戦闘を可能にした。貧しい市民は、海軍の水兵(漕ぎ手)として参加し、陸・海の戦争に勝利を重ね、領土の拡張や、戦利品として大量の奴隷を獲得した。奴隷は生産の手段(今日でいう機械・動力)として、農業、鉱工業、商業に従事させ、その生産による余剰品で交易量を拡大し、市民は豊かな社会と繁栄を享受することができ、自由で創造的なギリシャ文化を謳歌した。
 都市のかたちとしての『ポリス』のコンパクト性は、第一に、都市の主権者を歴史上初めて市民とし、市民が進んで政治や防衛に参加する権利と義務を明確にした民主的な統治システムにある。そして、第二には市民権は両親が市民であることで限定し、都市空間の拡大をさけ、一方で新たな土地需要を海外の植民市を開発し、ネットワークを拡大することで発展させたところにある。
 ギリシャのポリスの特殊な発展形はローマ市である。一つのポリスから発展して、紀元2世紀には地中海周辺地域をすべて領土とするローマ帝国を築いた。広大な帝国を支配できたのは、戦争等で勝利した相手と同盟関係を結び、中心都市ローマの市民権を同盟国にも開放したことである。これにより、ローマの統治者にローマ以外の各地から多彩で優秀な人材が就き、長期間独裁を許さないシステムが機能的に働き、長期にわたり安定的な統治システムを確立し、繁栄を築くことができた。都市の形態は大規模になったが、統治システムにはコンパクト性が残ったのである。

2.中世時代の『城壁都市』c  栄華を誇った古代ローマ帝国も、帝国の周辺にゲルマン民族やスラブ民族などの蛮族の大移動による侵犯の繰り返しと、回教徒であるサラセン人の独自の文化による西地中海の支配などにより、西ローマ帝国は滅亡した。その後、近代を迎えるまでを、歴史区分で中世と称される。中世時代は暗黒時代と誤解されるが、実は現代の西ヨーロッパを築く重要な時代であり、それに中世の都市のの発展が、大きな役割を担った。
 中世の都市は、西ヨーロッパに侵入した蛮族の略奪と殺戮から奥地に逃れた人々が、彼らを保護してくれた新旧の貴族や諸侯を中心に、防御を目的に集落の周辺に城壁を巡らせた『城壁都市』が典型である。交通が遮断され、自給自足の孤立分散した小社会が各地に展開した。しかも、ローマ帝国という権力の中枢を失った西ヨーロッパでは、帝国時代に公認され思想や法の源点であるキリスト教ローマ法皇と、新たな保護者となったゲルマン民族のフランク王国(後の神聖ローマ帝国)の王をローマ皇帝とする、求心力に欠ける二極の楕円の権力構造が続いた。中央と地方の権力の分裂により、支配者である国王等と領主の間に、土地を介在してご恩と奉公という中世社会の特徴である封建制度が定着し、平和の安定が維持された。
 平和による社会の安定と地球の温暖化で、大規模な開墾による耕地の拡大がおこり、人口が増加し、新たな村や都市が開かれ、徐々に都市は孤立状態から脱した。新たな都市網が築かれ、商業者や旅行者の往来が増加し、都市は新たな発展・充実期を迎えた。封建領主や教会司教の支配下にあった都市に、豊かな経済力をつけた商業者が表舞台に登場し、経済的独立の要求から市民自治への闘争が興った。通行税や課税を徴収できる都市に注目した国王の支持を受けた市民は勝利し、王権との間に一種の同盟関係の都市が続々と誕生した。都市は、生産者都市であり、自立都市となった。市民は平等であり、貧富の差は生じたが階級社会ではなかった。都市を守るのは市民自身であり、軍隊を持つ権利、城壁を建設する権利を獲得し、それの経費は、市民の経済力で負担した。さらに市政を運営する役人を選ぶ権利、下級裁判権を行使する権利、貨幣鋳造する権利、度量衡を監督する権利などが付与された。このため都市に住む者全体で、誓約団体を結成した。
 中世都市のもう一つの特徴は、都市美である。都市の建設にあたっては、政治的自由・都市的自由を守るために、封建権力に対する自衛と、訪問者が入市の際に都市の威厳を感じるような都市の力を外観の荘厳さで示すことも必要であった。市民の誇りの表現は、中心の広場や、教会のゴシック建築の美につきるものではなく、都市行政の中心となる荘重な市庁舎や商業者などの建物においても示された。
 城壁都市は都市の空間が限定されたことで、都市は外側に向かって膨張をすることは考えず、都市の中で集住する持続可能なコンパクトな都市生活ができる創意工夫の活動を展開させた。それにより『市民自治』の精神が深く浸透し、併せて『公(パブリック)』の観念が定着したのである。
 中世都市と王権の同盟関係は、イギリスやフランスでは13世紀から王領地の拡大で王権が強大化し、自治都市は国王の支配下におかれるようになった。しかし、一方で都市の意思を反映するための代表者を送る議会制度が発展し、やがて国家統一と絶対主義の道が開かれ、それはやがて国民国家へと発展する。そして、資本主義の発達、市民革命、議会制民主主義の胎動を経て、やがて中世時代を脱し、西ヨーロッパは近代へと突入する。中世はその意味で都市の成長した時代であり、ヨーロッパ近代社会の基礎を形成する大きな動力となった。
(研究会は原則毎月第3木曜日18:30〜21:00に「こうべまちづくりセンター」3階で開催。参加希望者はTEL078-361-4523露口まで)


連載【公団まち研 14】

第26回 都市公団まちづくり研究会2003年4月23日
講師・宮定 章、加藤 洋一(まち・コミュニケーション)

復興まちづくりにおけるボランタリー組織の役割

まち・コミュニケーション

加藤 洋一



   4月23日、都市基盤整備公団関西支社で行われた公団まちづくり研究会では、神戸市長田区御蔵通地区(以下御蔵)で震災復興まちづくりの支援を続けるボランティア組織、まちコミュニケーション(以下まち・コミ)の活動を紹介させていただくことができた。
○神戸御蔵のまちづくり
 はじめに、まち・コミ代表の宮定より、現在御蔵で進む古民家移築による集会所建設を中心に、まち・コミの地域における役割や、住民リーダー層の「自分たちのまちは自分たちでつくる」というまちづくりに関する意識の高さが紹介された。一方でまち・コミという新たな組織がまちづくりに関わることによって生じる地域住民との軋轢や、御蔵のまちづくりの限界、課題等が指摘された。
 以降、「まち・コミとは何か?」「まちづくりNPOとは何か?」という議論が展開される。
○まち・コミとは何か?
 まち・コミの運営委員の一人でもある都市公団の田中氏は、御蔵の復興まちづくりにおけるまち・コミのよそ者ゆえの役割を高く評価している。すなわち、まち・コミは地区内に存在したしがらみにとらわれることなく活動した。だからこそ彼等はどの住民とも等距離で付きあうことが出来た。土地区画整理事業の中でも、地主や地権者、借家人といった権利関係のカテゴリーに属さないがゆえに、生活者の視点まで戻って考えることを提案することが出来た。これが地区内のみならず、外部の者にまでその活動に対する同調を得ることにつながったという。
 研究会には、灘中央地区の「新まちづくりハウス」の設立に協力した元神戸市住宅局のH氏も参加されていた。氏は若者が常駐し、協議会活動をはじめとした地域のサポートを行っている「新まちづくりハウス」を次のように評した。「地域には都市計画コンサルタントでは対処できない様々な問題がある。地域に密着したNPOのようなボランタリーなセクターが地域内の複雑な利害を調整し、行政や専門家、住民とを結ぶことができる。まちづくりハウスはそのテストケースである」。
 その後も参加者より、まちづくりNPOのような組織に対する意見や期待が語られた。
○結びにかえて
 震災以降、神戸には自治会や協議会のような地縁組織に加え、「若者」を主体とするボランタリーな存在がまちづくりに関わるという事例が多く存在する。一方で震災から8年が経過し、協議会活動が停滞していく地域も多く見られる。行政の復興施策終了後もまちづくりに関する地域住民のポテンシャルを維持することが求められ、行政もそのシステムづくりを模索しはじめた。
 御蔵のまちづくりは震災による甚大な被害から、人々が以前の生活を取り戻すために始まったものである。しかしながら現在御蔵の抱える問題は、少子高齢化や産業の衰退、空き地や空き店舗の発生という日本のインナーシティ共通の問題である。被災地におけるまち・コミのようなボランタリーな組織は、後地域のなかでどの様な位置を占めていくようになるのか。これが日本が本当の意味での都市再生を達成するにあたり、大きなヒントとなっていくのではないだろうか。
講師の二人(中央が宮定氏、左が加藤氏)


連載【公団まち研 15】

都市公団まちづくり研究会 臨時報告会 2003年5月30日
講師・海老塚良吉(国際建設技術協会調査部長)

アメリカのブラウンフィールド再生法とアフォーダブル住宅事業

都市公団

太田 亘

 
海老塚良吉氏


 「公団まちづくり研究会」臨時報告会が、5月30日(金)に公団関西支社会議室で行われた。今回はアメリカにおけるブラウンフィールドの再生についての紹介。日本においても土壌汚染による人の健康への影響の懸念や対策確立への社会的要請が強まっていることから、H14年5月土壌汚染対策法が制定された。
(公布日:5月29日、施行日:平成15年2月15日)

 アメリカには、ブラウンフィールド(Brownfield)と呼ばれる土地がたくさんある。これは工場や鉱山の跡地や放棄された倉庫、ガソリンスタンドなどの荒廃した土地のことである。広大なアメリカでは、いらなくなったビルや工場は必ずしも建替えない。放置したまま、よそに移転してしまうことがままある。土地は再利用されず醜い廃墟の姿をさらす。ちなみに反対語はグリーンフィールドである。文字通り緑の更地という意味である。
 全米でのブラウンフィールドの数を推計することは困難であるが、会計検査院は425,000ヵ所の敷地があるとしている。ある推計によれば全米の都市内に約200万haの放棄された産業用地があるとされ、これは60の大都市の面積と同じ大きさである。特にニュージャージー州やペンシルバニア州などの東海岸やクリーブランド市などの五大湖周辺に多く見られる。いずれも産業革命以後の産業発展の中心地である。
 ブラウンフィールドは都市にさまざまな問題を与えている。最も深刻なのが地域住民の健康問題である。PCBなどの有害化学物質が地下水に染み込み、飲料水を汚染するといった問題が典型である。また都市の中心部がブラウンフィールドとして放置され、犯罪の温床になり、治安の悪化や失業率の増加にもつながっている。
 なぜ、多くのブラウンフィールドは放置されてきたのか。理由は、第1に土地の洗浄コストが嵩むからである。第2には、環境問題の発露やそれをきっかけとする地価の下落を恐れる保守的な地域住民との協議に手間暇がかかるからである。そのため、開発はグリーンフィールドが優先される。
 こうした動きに呼応して2002年に成立したブラウンフィールド再生法では、州や地方政府等を通じて、初期段階の浄化活動等に補助を与えることで対処しようとしている。特に、初期には商業・産業用途での再利用が多かったが、近年では住宅での事例も増えており、法は州政府に対して、住宅をめぐる健康的な環境とコミュニティの再生の相互利用に注目するよう求めている。
アルビナ・コーナー地区の住宅開発


◇オレゴン州ポートランドのアルビナ・コーナー地区
 約3000平方メートルの敷地で、かつては中古車の置き場や洗車場、鉛塗料やアスベストに汚染された空きビルなどがあった。1993年にゾーニングの変更により高密度の住宅と複合開発が可能になり、1階には銀行、コーヒーショップ、美容院、コンビニ、画廊などの商業施設、上階はアパートとして開発できるようになった。ここには児童施設もあり、州の承認した浄化計画にもとづいて汚染物を包み込み、土地面から10フィート隔離された2階レベルに中庭と遊び場が設置されている。

◇ニュージャージー州トレントンのサークルF地区
 工場跡地の再開発事業。1990年に工場が閉鎖され、コミュニティの衰退が始まった。トレントン市がその土地の道路に面した部分を住宅用地として使えるとして購入した。市はその後、非営利組織であるニュージャージー・ルター派社会奉仕団(LSM)を開発担当として選任した。現在、75戸のアフォーダブルな高齢者住宅と近隣地区の再生の強力な中心として活用されている。またLSMは、ナット・ウエスト銀行とチームを組むことによって、銀行から建設資金他の融資を受けることができ、連邦の低所得者住宅税控除が受けられた。

 
内部の様子
サークルF地区の高齢者住宅
Studio Apartment
2 Bedroom Apartment

 昨年NHKスペシャル「変革の世紀」において、ペンシルバニア州ピッツバーグがとりあげられた。かつて、鉄の町として知られたこの町は、いまNPOの実験場として注目を集めている。1980年代に入ると屋台骨であった製鉄業が衰退し、それを契機に急激に人口を失い、税収は落ち込む一方であった。職を失った住民が町を去るに従って増え続ける空家、そこが犯罪の温床となることで住民に不安が広がり、さらに人口が流出するという悪循環が続き、朽ち果てた家が取り残され、地域はゴーストタウンと化した。もはや行政や企業がその再生のすべてを請け負う力はない。教育、保健医療、環境、地域経済の研究など、様々な分野の公共サービスを市民自らの手で行うNPOが「第二の市役所」と呼ばれるまでに活躍している。  この状況に関西とりわけ大阪の姿が重なる。財政悪化の一途の行政、失業率の増加、空家率の上昇・・・。この状況を好転させるのに何をなすべきかは、市民一人一人に問われている。NPOが単なるブームではなく行政の下請けでもなく、真の市民セクターとして仕事をしていくことが問われているのではないだろうか。

<参考文献> 海老塚良吉著(2003)「アメリカのブラウンフィールド再生法とアフォーダブル住宅事業」
『月刊住宅着工統計2003.6月号』
上山信一著(2002)『「政策連携」の時代』日本評論社


連載【まちものがたり 4】

空き地からはじまる物語 4

夜の音

中川 紺

 

  右のこめかみが痛い。家を出て数分、バス停に向かっていた私は、空き地の前で足を止めた。どんよりとした曇り空の下に雑草が広がっている。朝から少し頭痛がした。低気圧のせいかもしれない。梅雨が早く明ければいいのに、と思う。そう思いながらも、大学受験まで残された時間がどんどん減っていくのもこわかった。
 雑草畑を囲む木の杭とワイヤーを使った簡易な柵は、どこからでも入れるくらい隙だらけだった。
 緑の中に無数の黄色い点々が散らばっている。よく見るとカタバミの花だった。ほかにも薄桃色のラッパのような形の花も咲いていた。まわりの草はほとんどがふくらはぎよりも低い背丈のものばかりだ。噴水のような形で葉をつけているもの、茎に赤い線が入っているもの、お馴染みのねこじゃらし。やたらに濃い緑のまとまりはヨモギだった。所々に腰までありそうな高い草が島のようにかたまって生えていた。
 柵越しにぎゅっと詰め込まれた緑の世界で、私は頭痛と受験を少しだけ忘れていた。
● ●
 学校の帰り道、私が目にしたのは、雑草がすっかり刈り取られた空き地、だった。
 去年はたしか、今の三倍くらいに茂って、何かの虫が大量発生して近所で一騒動起こった。業者が先手を打ったのだろうか。
 あちこちに十円ハゲのような地肌が見えているのが何だか痛々しかった。

● ●
 その日の夜中、私は目を覚ました。時計は三時過ぎ、家中が寝静まっている。夕方から本格的にふりはじめた雨の音もしない。
 (雨、もうやんだのかな)
 窓を開くと、小雨まじりの少し冷えた空気といっしょにどこからか微かな音が部屋に流れ込んできた。低く何かがゆっくり這うような音、布が擦れあうような音。私は誘われるように出かけた。もちろん玄関から。
 気が付くと空き地のまん中で水色のビニール傘をさして立っていた。外を歩く人は誰もいない。小雨が傘の上をさらさら流れていく。音は、私の足の下から響いてくる。地響きというものとは少し違う気がした。土の中で何かが動いて、のびて、つきあげてきて、そういうものが靴の裏に伝わってくる。こそばくて気持ちいい不思議な感覚だった。いつの間にか雨はやんでいた。
● ●

 知らないうちに部屋に戻ったらしく、朝、私はちゃんとベッドの上で目を覚ました。パジャマのすそに少し泥がついていた。出かける時に玄関の傘がなくなっていることに気が付いた。空き地に急ぐ。さびたワイヤーの柵に傘が引っ掛けてあった。
 (やっぱり来たんだ、私)
 刈り取られたばかりの空き地には、一面、新しい芽が顔を出していた。まだ小さな葉の上に、大小の銀色の露が並んでいる。
 「負けるなよ」
 思わず声が出た。
 奥の方で何かをついばんでいたスズメがいっせいに飛び立った。梅雨が明けたように空はすっきり晴れていた。     (完)

(イラスト やまもとかずよ)


第64回・水谷ゼミナール報告



 今回のテーマは「地域経済のマネージメント」で、6月27日(金)、こうべまちづくり会館で行われました。
 まず、導入として小林郁雄さん(コー・プラン)より、「地域経済」「環境」「コミュニティ」の3つがつながって構成される「コンパクトタウン」に関する説明があったのち、次の3つの報告がありました。
@<まち育て>を運営・経営していく組織と仕掛けづくり
 /岩崎俊延(プランまちさと)
A生きがいしごとサポートセンター阪神の活動
 /金森康(宝塚NPOセンター)
B次世代のタクシー会社は地域サービス会社
 /森崎清登(近畿タクシー)
 岩崎さんからは、コンサルタントとして関わっておられる六甲道駅北地区(震災復興区画整理事業)において、これまでのまちづくり協議会の活動を紹介されたのち、現在取り組んでおられる自治会活動や公園の清掃活動などの多様なまちの運営や経営に関する取り組みの現状や、その過程で分かってきた地域運営の問題点などについて語られました。
 金森さんからは、宝塚市を中心に活動を展開している生きがいしごとサポートセンター阪神が、中間支援組織として行っている各種講座や起業支援、就業支援等の様々な活動について、報告されました。
 森崎さんからは、ご自身が神戸市長田区において経営されている地域密着を目指すユニークなタクシー会社(ロンドンタクシーの導入やお花見タクシーなど、数限りない試み)についてや、長田のまち経営に関わっておられる経験(長田のローカルな食材「ぼっかけ」を使った商品開発や修学旅行の誘致など)について、楽しく語っていただきました。
 これら3つの報告を受け、森田博一さん(シティコード研究所)よりコメントがあり、「コミュニティビジネスにはパッション、ミッション、シンパシーが必要」などが語られました。
 
(中井 豊/中井都市研究室)


情報コーナー



●阪神白地まちづくり支援ネットワーク・第33回連絡会
・日時:8月1日(金)18:30〜21:00
・場所:ひょうごボランタリープラザ(クリスタルタワー(JR神戸駅南側)10階セミナー室)
・テーマ:まちづくりにおける地域空間像の形成
・内容:
 @神戸の景観論とまちなみ形成の空間像/浜田有司(都市基盤整備公団)、Aエコタウンの空間像/上山卓(コー・プラン)、他、コメンテーター森崎輝行(森崎建築設計事務所)
・問合せ:ジーユー計画研究所
(TEL.078-251-3593、FAX.251-3590)

●第2回「人を集める講座」
・日時:7月28日(月)17:15〜19:00
・場所:こうべまちづくり会館2階ホール(神戸市中央区元町通4丁目2-14、TEL.078-361-4523)
・テーマ:「人を集める場をつくる−都市デザインの実践とまちづくりへの提言」
・講師:国吉直行(横浜市都市計画局都市デザイン室長)、小林郁雄(コー・プラン)
・問合せ:神戸市都市計画総局再開発課計画係/有井(TEL.078-322-5512、FAX.078-334-1831)

●神戸山手大学/女子短期大学
<OPEN CAMPUS 2003/すまいづくり、まちづくり相談所>
・日時:7月27日(日)10:30〜15:00
8月3日(日)10:30〜15:00
・場所:同大学3号館2F、3F(神戸市中央区中山手通6-5-2、相楽園西隣)
・内容:リフォームやマンション建て替え、まちづくり等に関する相談が、小森星児(神戸山手大学教授)、武田則明(同)、小林郁雄(同)の各氏によって行われます。また、「環境と人間の文化学」等のテーマで2日間にわたりのべ21講座が開催されます。
・問合せ:神戸山手大学/女子短期大学(TEL.078-341-1615)



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