きんもくせい50+36+5号
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「安心して安全に暮らせるまちづくり」を目指して

松本地区まちづくり協議会 会長

中島 克元



 阪神・淡路大震災からはや8年が過ぎ、震災復興政策の目玉であった震災復興区画整理事業や再開発事業は一部の地域を除くと概ね順調に推移しています。しかしながら、私は、最近になってこのたびの震災から学んだものは、一体何だったのだろうかと考えるようになりました。高度に進歩した資本主義国家であり、かつ民主主義を謳歌する我国日本にあって、過去の歴史に照らしても幾度となく大規模自然災害に見舞われてきた日本には、いまだに災害から復興するための有効かつ合理的な社会システムがありません。我々の危機管理に対する意識の低さは、もはや犯罪的であると感じています。一体何人の国民が死ななければ新たな制度はできないのでしょうか?われわれを含めて大いに反省しなければならないことであると感じます。
 大規模自然災害のようなとてつもない事柄のみにあらず、日常生活の中でも危機的な状態はいくらでもありますが、これらの事柄についても実際に自分の身に災難が降りかからなければ真剣に考えようともしていません。嘆かわしいことです。かといってつね日頃から災難にあったらということばかり考えていたのでは、毎日の生活が暗くてたまりません。もっと楽しく明るく危機管理について取り組むことはできないものでしょうか。眉間にしわを寄せて口角泡を飛ばして一大議論するものでもないように思います。ようは、一部の不良な住民の勝手な行動を許さなければいい訳で、外部からの犯罪者の侵入を阻止することであると思います。広島市内から暴走族を追い出した市民活動がテレビで紹介されているのを見て、やはり住民が暴力に屈せず立ち上がることが重要であると感じました。  
 しからば、一体どのような取り組みをすることによって強固なコミュニティーが出来上がるのでしょうか。いちいち警察に届けを出し続けるような住民全てが密告部隊になってしまうようなことはいやですね。慈愛に満ち背伸びしない形で豊かなコミュニティーが成熟してゆくことが望まれます。
 現在松本地区では「24時間安心システム」という一種のホームセキュリティーシステムの構築に取り組んでいます。このシステムは電話回線とPCを組み合わせ住民の個人的な身体的緊急時や犯罪から住民同士の互助を基本として取り組もうとするものです。また、公園や「せせらぎ」歩道のようなオープンスペースでの犯罪防止活動を効率よく取り組もうとしています。「安心して安全に暮らせる」まちづくりに対して、そのコストをいったいどの程度の価値観でもって認知されるのかが課題です。犯罪は警察署・災害は消防署という他力本願的な発想は駄目です。というのが震災から得られた貴重な教訓でしょうか。

* * *  リレー論文、次はコミュニティ・サポートサンタ−神戸の中村順子さん よろしく。

(小林郁雄→野崎隆一→宮西悠司→佐野末夫→中島克元→)


連載【コレクティブハウジング 12】

大倉山ふれあい住宅と修学旅行生の交流

石東・都市環境研究室

石東 直子



 6月6日に、岐阜県関市桜ヶ丘中学校の3年生21名が若い女先生と一緒に修学旅行で、大倉山ふれあい住宅にやって来ました。
 この桜ヶ丘中学校と大倉山ふれあい住宅の居住者との交流は、去年に続き2回目です。
 生徒の学校紹介によると、桜ヶ丘中学校は全校生700名で3年生は240名で、学校をあげて地元各地でボランティアをしています。特に合唱がうまく、地域大会で優秀な成績をあげており、老人ホームなどとの合唱交流をしているそうです。また、アルミ缶を集めて、盲導犬育成やユニセフに募金をしたり、その他いろんなボランティア活動が活発なようです。
 先生の話では、今の中学生は家族などと旅行をよくしているので、従来のような名所旧跡巡りの修学旅行は喜ばないそうです。それよりも現地の人たちと触れ合う体験学習が歓迎されるが、教師としては準備が大変とのことです。
 今回の修学旅行も神戸の数ヶ所で体験学習を組んでおり、「大倉山ふれあい住宅でボランティア活動をしたい」という希望者がグループを組んで来訪しているので、別々のクラスの生徒たちです。それにしては、生徒たちはみんな親しそうで仲良くおしゃべりしながら、細かな役割分担ができていて、チームワークがとれているのに感心しました。
 11時過ぎに到着して、すぐに運動着に着替えようとしたら、大倉山ふれあい住宅から男子生徒にはTシャツが、女子生徒にはエプロンが用意されていました(100円均一ショップでの掘り出し物)。
 まず、震災の被害の状況とコレクティブ住宅の発想、住まい方、居住者の日々の生活などを石東が説明しました。中学3年生といえば、阪神大地震が発生した時は小学校入学前だったころで、当時のニュースなどを覚えている人はいなくて、授業で学んだそうです。熱心にメモを取りながら私の話に耳を傾けてくれました。若い先生は殊のほか熱心にメモをとっておられました。
 講義の後は、早速、準備されていたバーベキューのスタートです。協同室前の広めのベランダで炭を熾しコンロを担当する人、居住者に教わりながら食材を串に刺す人、焼く人、サマーキャンプのような賑やかさです。テーブルの上には、居住者が朝5時から準備されたという大量のおにぎりとサラダがあります。頃を見計らって集まってこられた居住者にまずサービスする人、写真の記録係、AMこうべの取材インタビューに応じる人、みんなが汗ダクダクの奮闘です。私のちょっとびっくりは、何と、先生もいらっしゃるというのに、「僕もビールが飲みたい」と言う2、3の生徒の声があったことです。居住者は若いエネルギーに包まれて、食べ盛りの子供たちと話をしながら自分たちの孫と一緒にご飯をたべているように楽しんでおられました。ノートを片手に、居住者にいろいろ質問をしている生徒もいます。「何を聞いてもいいんですか?」とひとりの男子生徒が私に尋ねました。
 食事が終わると、生徒たちはご自慢の合唱を聞かせてくれました。伴奏のテープ持参で、「旅立ちのとき」「名づけられた葉」「この地球のどこかで」そして「校歌」です。女子と男子のハーモニーがとてもきれいです。すぐ涙して聴き入る居住者、それを見て涙する生徒、目を瞑って心をこめて歌っている様子の男子、感極まって泣きながら歌う女子。居住者に自分たちのメッセージが届いているということを実感しながら、丁寧に歌いつづけててくれました。その場にいた人たちみんなの心がひとつになった感動のシーンです。
 合唱の後は、ボランティア活動の掃除をしてくれました。高齢居住者では日々の掃除では手の行き届かない廊下の手すりやガラス、バルコニーの床などをホースで水を引き、洗い上げてくれました。1年ぶりの埃払いです。
 3時過ぎに生徒たちは三々五々、神戸の町へ出かけて行きました。夕方、宿舎のホテルに集合とのことです。楽しいひと時をありがとう!

生徒からの便り
 昨年の修学旅行で訪ねてきた生徒たち19名は、帰ってからみんなが感想文を送ってくれました。コレクティブ応援団はそれを「岐阜県関市桜ヶ丘中学校3年生の修学旅行/大倉山ふれあい住宅訪問 感想文・写真集」として編集し、生徒たちにプレゼントしました。受けとった生徒の一人から次のようなお手紙が届きましたので、紹介いたします。
 『<大倉山ふれあい住宅 感想文・写真集>を送ってくださり、ありがとうございました。この文集をもらった時、みんな驚いていました。ひとり一人の感想やその時の写真が載っていてとてもうれしかったです。わたしたちは神戸に行って、たくさんのことを学びました。代表の石東直子さん、岩崎洋三さんにはとてもお世話になり、バーベキューもしてもらい楽しい時間が過ごせました。あの時、話してくださったお話は今でも心に残っています。そして、1月17日に起きた阪神・淡路大震災のことはこれからも絶対に忘れません。わたしたち3年生は今年卒業しますが、「コレクティブハウジング」「大倉山ふれあい住宅」で学んだことを、高校へ行っても生かしていけるといいと思います。
 訪問した時は、本当にありがとうございました。
 石東さん、岩崎さんそして大倉山住宅で生活している皆さん、これからも元気で長生きしてください。 代表 吉田桃子』
(030630記) 

 


連載【阪神間倶楽部 3】

ホテルと阪神間文化

武庫川女子大学教授

角野 幸博



 旧甲子園ホテル(現武庫川女子大学甲子園会館)は、阪神間モダニズムのシンボル的建築として、阪神間の文化に興味を持つ人の間では、ずいぶん知られるようになってきた。このホテル、フランク・ロイド・ライトの弟子であった遠藤新と、東京の帝国ホテルの支配人であった林愛作との合作であったといってよい。帝国ホテルを退職していた林と、ライトのもとで建設現場を仕切っていた遠藤が、建築空間、サービスともに理想のホテルを目指してつくりあげたものである。このことについては、遠藤自身が竣工間もない昭和5年6月号の「婦人の友」に、次のように記している。
  −−
−場所は阪神をつなぐ新國道に沿ふて稍大阪に近く位置し、砂白く松緑なる武庫川岸、舟を浮べるによろしき塘池を庭にして遥かに海と山とを併せたる風光。とにかくこんな風にし て、一般の住宅よりも廊下の短いホテル、日本人の風俗慣習に適合して家庭的な趣きの、婦人にも子供にも都合のよいホテルが出來あがりました。
 西洋の産物であるホテルは戦前の阪神間の生活文化に様々な影響を及ぼした。神戸オリエンタルは、明治26年頃には神戸でもっとも高級なホテルとの評価を得ており、昭和初期には阪神間の中産階級が気取って訪れる場所になっていた。宝塚ホテル(大正15年開業)、ホテル・パインクレスト(昭和6年夙川で開業)、国際ホテル(昭和14年六麓荘で開業)などは、単なる宿泊施設という以上に、地元の文化人や中産階級の交流のサロンとしての側面をもっていた。六甲山上に開業した六甲山ホテル(昭和4年宝塚ホテルの支店として開業)や、六甲オリエンタルホテル(昭和8年開業)も忘れることはできない。
 甲子園ホテルはこうしたライバルたちにもまして、迎賓館、リゾートホテル、サロンとしての顔を併せ持つ存在であった。
 今も阪神間の各市には、ホテルニューアルカイック(尼崎)、ノボテル甲子園(西宮)、伊丹シティホテル(伊丹)、ホテル竹園(芦屋)、そして老舗の宝塚ホテル等、街の顔あるいは交流施設として期待されるシティホテルがある。景気低迷のなか各ホテルとも苦戦しているようだが、戦前のホテルにあった矜持を忘れつつあるのは、やや寂しい。もし現在のホテルにこれを期待するのが難しいとすれば、それに代わる場をどこかに作り上げてみたい。
 甲子園ホテルは大学の施設となったことで、建物を活用しながらの保存に目途がついた。公開シンポジウムや様々のイベントにも活用されている。今一番興味を持っているのが、庭園をはじめ周囲の環境がどうだったのかということである。建物はあっても敷地全体の資料がみつからない。もとはこの地で武庫川と枝川とが分流していた。戦前の絵ハガキや写真を見ると、南側に大きな池がある。この池は近世からあったらしい。松林や池をはじめ戦前の周囲の姿を再現することで、生態系の核としての今後のこの場所の役割を考えてみたい。今はカラスのお宿になってしまっているのだが…

阪神間倶楽部 第3回研究会(第5回準備会)の記録
○日 時:2003年7月19日(土)13:00〜
○場 所:武庫川学院甲子園会館(旧甲子園ホテル)
○参加者:20名弱
 13:00から角野幸博さんからの旧甲子園ホテルについてのミニ講義と見学会。14:00から生活美学研究所の定例研究会にご招待いただきました。武庫川女子大学学長山本俊治先生の御講演、「ことばと心の間」をうかがいました。生活美学研究所は開設以来阪神間を舞台に多様な学際研究を続けておられます。今後ともネットワークをお願いします。


 

連載【大大特3】

地域商業の再生−「都市観光の再生」について

神戸大学大西研究室

濱口 善胤


木村 拓郎 氏
山本 俊貞 氏
石森 秀三 氏

  7月23日ひょうごボランタリープラザにおいて、“地域商業の再生―「都市観光の再生」について”をテーマに第1回大大特(地域経済復興)研究検討会が行われました。その内容と感想について記したいと思います。

1)雲仙、有珠山(昭和新山)などの事例報告  木村 拓郎 氏(社会安全研究所)
 観光という視点から火山災害を解説された。今回事例で挙げられた観光地は温泉地でもあり温泉と火山は切り離せない。つまり必然的に火山災害をうける地域であった。しかし、火山災害というのは一度起こってしまうとその被害は単発的なものではなく累積的なものであり、しかも長期間続く。また、観光地特有の問題があることも指摘された。
 確かに、私達も旅行先をイメージで決めてしまうことが多く、その悪化は観光地にとって非常に重大な問題であると思った。それに対して実際の被害現場を体験させる方式で復興を試みた事例は、上手くいけば危険なイメージを逆手に取れる部分もあるのではないかと思う。しかし、実際は各機関がそれぞれの思いつきで観光施設を作るため脈絡がとれないという点が非常に残念だ。

2)神戸市・北野地区の事例報告  山本 俊貞 氏(地域問題研究所)
 異人館という財産があるために観光地になりつつある住宅地、北野は地域住民と観光事業者側の溝が大きくある。しかし、住民も事業者側も北野という土地が持つポテンシャルに大きく依存していることに気づかずすごしていた。ところが、震災というものを経て大きく意識の上で変化が生まれてきた。
 北野という街と住民がいるからこそ魅力的な町並みがあり,観光地として神戸を代表する街だからこそプライドを持ってそこに住みつづけることができる。この事実は今後、観光とは、住民とはといった多くの視点で,町並み保存やまちづくりに影響を与えるのではと思われる。

3)講演:震災復興における都市観光再生の課題   石森 秀三 氏(国立民族学博物館)
 観光とはなんたるものか、現在の問題点、今後の観光はどう変容していくか等についてまず指摘され、その後、神戸観光が置かれている厳い現状と、今後についての展望についての意見を述べられた。
 先生のご指摘にもあった様に、神戸には観光名所やエンターテイメント性はないのかもしれない。ガイドマップを開くと店舗紹介ばかりだというのも納得である。しかしそれが神戸の姿であり、神戸にくる旅行者は店舗を回ることや、目当てのレストランに行くことを楽しみにやってきているのではないか?こういった形はいわゆる観光とは少し異なるかもしれないが、それが訪問の動機付けになっていることは確かだろう。神戸の観光は他と少し違ったお買い物、お食事ができる。それが立派な財産で、そこから何を見出すか。まさに“民産官学”にうってつけ??

講義風景

連載【街角たんけん 2】

Dr.フランキーの街角たんけん 第2回 第三の山手通

プランナーズネットワーク神戸

中尾 嘉孝

 
  「都心回帰」の時流に乗って、神戸でも三宮周辺を中心に、時ならぬマンション建設ラッシュである。
 中山手6丁目、中華同文学校北西角から、山本通1丁目の一宮神社前まで続くこの通り界隈も、ここ数年、比較的大規模で高いグレードのマンションが相次いで建ち上がっている。これらの敷地は真珠産業の業務用地等であったが、さらに遡れば、その多くは神戸財界人の御屋敷跡であった。この通り、名は、「上山手通」という。
 山手通りは「下・中」が居住表示にもなって知名度が高いが、「上」は影が薄い。とはいえ、山手の市街地開発に密接に関わる役割と歴史をこの「第三の山手通」は背負っていた。
 開港後、居留地建設の遅延もあり、西は宇治川、東は生田川北は山際迄の範囲で、政府は外国人と日本人の雑居を認めた。しかし、その区域の大半は田圃であり交通は畦道に頼らざるをえず不便であったため、兵庫県が国に対して山手を連絡する新道の建設を願い出て、許される。1872(明治4)年、まず下山手通・中山手通、現在のトアロードなどの開鑿が始まる。上山手通、山本通等が建設されたのは、それから16年後の1888(明治20)年である。
 この時期以降、北野・山本地区での外国人住宅(異人館)の建設が本格化するが、上山手通界隈は日本人実業家が好んで居宅を構えた。その嚆矢が、明治10年代に建設が始まったと考えられる中山手通5丁目の小寺泰次郎邸(現相楽園)である。長らく、諏訪山ゴルフセンターがあった敷地は、貿易商・湯浅竹之助(湯浅商店主)邸跡で大正初期の和洋併置型の大邸宅があった。最近、マンション建設で姿を消した鉄平石貼のユーゲントシュティール調の外構は、空襲で焼失した湯浅邸唯一の遺構だった。
 山本通4丁目には、川崎造船所の松方幸次郎邸が居宅を構えた。東の中山手2丁目には鈴木商店を金子直吉とともに支えた柳田富士松の邸があった。文教施設も多く、明治27年には神戸女学院が松方邸西隣に創設されている(現神港学園高校)。小寺邸東側には諏訪山・中山手小学校(現こうべ小学校)、トアロード沿いに北野小学校(現北野☆工房のまち)が開かれた。中山手カトリック教会、神戸ムスリムモスクもこの沿道にある。
 神戸大空襲、高度成長期、阪神淡路大震災とこの地域にも幾多の時代の波に洗われた。高層マンションが壁のように聳え立つ通りの界隈には、しかし御屋敷街の片鱗がまだ遺されている。

 
昭和10年の上山手通界隈
(出展:写真集「神戸100年」)
集合住宅の集会所となっている旧K邸洋館
(山本通4丁目、明治32年頃竣工)
中尾嘉孝(「ドクターフランキー」)
1970年、兵庫区山田町小部生まれ。
15の春、近代化遺産の魅力に開眼、以来、学業、部活、本職の合間を縫って、京阪神間のまち探険に勤しむ。
「港まち神戸を愛する会」世話人。「全国町並み保存連盟」会員。
諏訪山ゴルフセンター時代の旧湯浅邸外構(山本通5丁目、2002年14階建マンションの建設により姿を消した。)
 


連載【まちのものがたり 5】

ある駅のホームの上で (1)

蜃 気 楼

中川 紺



 二〇〇一年三月三日、午前十時。
 土曜出勤になってしまった。もうこれで連続三回目だ、と思いつつ阪神西宮駅に向かう。低めのヒールがコンコースのタイルの上でカツカツと音を立てる。入社する時に買った革靴は一年使い込んで小さな傷が無数に出来ていたが、履き心地は抜群にいい。
 東改札のある二階のコンコースから三階のホームまで、エスカレーターがゆっくりと私を運んでいく。駅舎には工事中の箇所も残っていたが、どこも新しい匂いがした。昨日までは一つ東隣の西宮東口駅から各駅停車に乗る、というのが日課だった。高架工事が完成したことで、東口駅は西宮駅に統合された。
  ● ●
 私は東口駅が結構好きだった。普通電車しか停まらない小さなホーム。高架工事が進んで下り線が先に地上を離れた時は、仮設ホームが高架上につくられた。エレベーターまでついていたけど、やっぱりそれも幅の狭いこじんまりとしたホームだった。そして上り線完成と同時に、役目を終えてしまった。
  ● ●

 下りホームには電車の姿はなかった。今、出たばっかりだ、という雰囲気だけが残っている。人の姿もまばらだった。ホームの東端にある自動販売機でお茶を買う。線路の先に東口駅下りホームの小さな屋根がまだ残っている。残っている、と思って、少し違和感をおぼえた。たしかに駅間の距離はすごく近かった。駅同士が見えるし、歩いても五、六分程度。でも、ここまで近くはない。今、私が見える東口駅は、徒歩一分くらいで行けそうだ。しかもホームの上に人がいる。五、六人で男も女も混じっているが工事関係者には見えない。何かが変だ、と思っていると、さらに向こうから普通電車の青い車体が近づいてきて東口駅に停まった。
 そう、停まったのだ、廃止されたはずの駅に。もう何かが変、ではなく、確実に変だった。停まった電車に、ホームの人が乗ろうとしていた。いすに座っていた一人の女性が立ち上がってドアに向かう。なぜか靴がカツカツと小気味良い音を立てるのが聞こえた。よく知った音とリズムだった。あれは私の、と言いそうになって、言葉を詰まらせた。私の何だというんだろう。ここからは顔も服もはっきり見えなかった。電車がこちらに向かって動きだした。


 
  ● ●
 電車が発車したのと、「大丈夫ですか」という駅員の声が耳もとでしたのが、ちょうど同時だった。思わず手に持ったペットボトルのお茶を落としそうになってもう一度見ると、さっきまでのホームと電車は影も形もなく、東口のホームは、やっぱりもっと先の方にあった。いつの間にか私の立つホームに各駅停車が停まっていて、特急待ちをしていた。もちろんそこには私の分身が乗っていたりはしなかった。
  ● ●
 昨日まで使われていた東口駅のホーム。私は最後の残像が蜃気楼のように現れたと信じている。  これが私にとっての東口駅最後の記憶だ。
(完)
(イラスト やまもとかずよ) 

 


阪神白地 まちづくり支援ネットワーク・第33回連絡会報告

テーマ:まちづくりと地域空間像

  日時・場所:8月1日(金)18:30〜、ひょうごボランタリープラザ゙



  まずコーディネータの三輪康一さん(神戸大学工学部助教授)より趣旨説明があり、ペリーの近隣住区やコルビュジエの輝く都市など多数の空間像を紹介したのち「最近のまちづくりはソフト重視の傾向にある。まちづくりには空間像が必要ではないか」との提起がされました。
 報告では、浜田有司さん(都市基盤整備公団)より神戸の景観行政の流れを振り返ったうえで、神戸市景観形成基本計画のストラクチャープランにおける環境型の景観形成(北野山本地区や酒蔵地区など、近景が中心)を中心に取り組んできたことや震災後は景観形成市民協定が主になってきたこと、また課題としては神戸の最大の特徴である眺望型には取り組めてきていないことなどが報告されました。
 上山卓さん(コー・プラン)からは、震災後よりまちづくり協議会を結成し、コンサルタントとして関わっている灘中央地区(神戸市)において、クリーン作戦や空き缶回収機の設置など、地域ぐるみで環境に関する取り組みを行っている“エコタウンのまちづくり”の現状の報告と、今後の展望として地域循環型のまちづくりが必要ではないかとの意見が出されました。
 井垣昭人さん(神戸市市民参画推進局)からは、神戸市の施策におけるコンパクトシティー及びコンパクトタウンの概念について説明したのちに、10のモデル地区でのコンパクトタウンづくりの実践例や、これらの比較検討(規模、施設の立地状況など)、実践例から導かれる教訓(地域事務局の重要性、地域団体間の連携、専門家派遣の有効性など)、さらには今後のコンパクトタウンづくりの展望について語っていただきました。
 報告をふまえ、森崎輝行さん(森崎建築設計事務所)と大塚映二さん(神戸市垂水区役所)からコメントがあり、「空間像は従来型の単に目に見えるものに限らず、コミュニティーや生活、歴史文化などが関連したものである」などの意見が出されました。
 今回のテーマは、短時間で議論が尽くせるはずもなく、次回に議論の楽しみが残ったように思えました。その中でもあえて言えば、地域のまちづくりにおいては何らかの共通するものが必要で、それは従来型の空間像にとどまらず、多様な形があり得るのではないかということが示されたように思えました。
(中井 豊/中井都市研究室)




情報コーナー



●第13回まちづくりコンサルタント会議
・日時:8月27日(水)13:30〜16:00
・場所:兵庫県立神戸学習プラザ第5講義室(三宮駅前神戸交通センタービル4階)
・内容:「まちづくり施策・制度研究H15」−市街化調整区域のまちづくり、まちづくり総合支援事業、密集法の改正、景観施策総合推進について
・申し込み期限:8月22日(金)
・問合せ:ひょうごまちづくりセンター(TEL.078-367-1263、FAX.367-1264)

●第65回水谷ゼミナール
・日時:8月29日(金)18:30〜21:00
・場所:こうべまちづくり会館6階(神戸市中央区元町通4丁目2-14、TEL.078-361-4523)
・内容:共同化事業のいろいろ/コーディネーター・武田則明(神戸山手大学教授)(発表内容は未定)
・会費:1,000円(学生無料)
・問合せ:ジーユー計画研究所
(TEL.078-251-3593、FAX.251-3590)

●大大特第2回検討会
大都市大震災軽減化特別プロジェクト
「地域経済復興支援方策の開発研究」
・日時:9月17日(水)18:30〜21:00
・場所:こうべまちづくり会館3階(神戸市中央区元町通4丁目2-14、TEL.078-361-4523)
・内容:「都市計画事業における商業再生」−新長田地区/久保光弘(久保都市計画事務所)、天川雅晴(アップルプラン)、他
・問合せ:コー・プラン(TEL.078-842-2311、FAX.078-842-2203)


☆ 書籍の紹介 ☆
安藤元夫著 「阪神淡路大震災 被災と住宅・生活復興」(学芸出版社)
・・・・「被災」「避難生活」「役だった都市ストック」「住宅・生活再建の意向、障害、動向」の状況を4地区の定点観測により徹底検証。
2002年日本建築学会賞(論文)受賞


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