きんもくせい50+36+7号
上三角目次へ

『21世紀の商売人・・・地域に何が貢献出来るねん!』

甲南本通商店街振興組合理事

海崎 孝一



 毎度!!甲南本通商店街の海崎です。
 突然のリレー投稿代打指名、それも天下のCS神戸中村理事長の後なんて『恐れ多い!』と大プレッシャーの中で一言!
 地域商業者である我々甲南本通商店街は『地域に何が貢献出来るねん!』を合言葉に現在地域活動を行なってます。
 去る9月16日〜10月13日の約1ヶ月間、140万円の予算を掛け『子育て支援事業=甲南キッズスクエア』を行政、民生委員、婦人会、コープこうべ、ボランティア、保育のプロの方々と協働で実行委員会を立ち上げ行ないました。
 最初『商店街で子育て?→うさんくさい』と言われてたのが日を追うごとに参加者が増え後半は入れないくらい大盛況になりました。
 ソフト内容が良かったのはもちろんでしょうが、母親とコミュニケーションが取れてきて信用されてきたからだと痛感します。(やっぱり最後は人間関係、信頼関係ですよねえ!)
 このように『商売人が動く=うさんくさい』と言う図式を少しでも払拭していきたい。
 我々がやっている活動はまさに『NPO活動そのもの』と痛感し、また地域商業者が生き残れる道は『地域とのつながり』しかないと思います。
 しかし根本は『人が好き、生まれ育ったこの甲南が好き、甲南が賑やかなまちに成って欲しい』と一住民としての切なる願いだけです。
 その為にも今ある商店街の資産、ネットワークをフルに使い『地域貢献→まちづくり』を今後も行なっていきたいと思います。
 商売人が行なう地域(NPO)活動どう思われます?
 神戸市市民活動支援課某氏、如何でしょう?

* * *   リレー論文、次は某神戸市某市民活動支援課某氏、再度あなたです。よろしく。

(小林郁雄→野崎隆一→宮西悠司→佐野末夫→中島克元→中村順子→海崎孝一→)

9月号の中村さんの指名に神戸市某氏は「議論の続きはいやだ。11月号に新しくいいのを書くから。」と東灘区甲南本通の海崎さんを指名代打に推薦されました。海崎さんにご無理をお願いしました。ありがとうございました。(小林郁雄)


連載【私が支援している「まちづくり協議会」の紹介2】

「JR網干駅前まちづくり協議会」の紹介

−“ハード”の目的が特化した協議会−

ジーユー計画研究所

後藤 祐介



はじめに
 JR網干駅前まちづくり協議会は、現在私が支援している協議会のうちの非震災地域における協議会の一つであり、近年、“ソフト”な内容を主目的に取り組むことが多い中で、この協議会は、JR網干駅周辺の都市計画道路、駅前広場、区画道路の整備と言った“ハード”な内容を主目的としたまちづくり協議会である。今回は、このように古典的とも言える“ハード”を主目的とする現在進行型のまちづくり協議会を紹介する。

1)姫路市と太子町の2行政区に跨がる協議会
 このまちづくり協議会の区域は、JR網干駅周辺の約28.5haであるが、姫路市と太子町の2行政区に誇っている。これは、まちづくり協議会の立ち上がる"きっかけ"が、JR網干駅前の都市計画道路、駅前広場、区画道路等の都市基盤の整備を主目的とした公共性の高い行政需要に端を発し、行政の呼びかけに応じ地区住民が"我がまちの街づくり"に立ち上がったと言う経緯によるものであり、平成4年11月に「JR網干駅まちづくり協議会」として、まちづくり協議会を設立し、現在も両行政の支援を得つつ運営されている。
 このようにまちづくり協議会の立ち上がりの“きっかけ”は、行政先導型の“良くわからないが行政の推めだから協力しよう”と言うことで約10年前に立ち上げられたらしい。

位置図
JR網干駅前まちづくり協議会区域図

JR網干駅前まちづくりの進め方
2)コンサルタントの交代要員として登用される
 私がJR網干駅前まちづくり協議会のコンサルタントとして登用されたのは、平成12年8月の第8回定期総会の時点からである。
 私自身の知らないことであるが、それまでの8年間に何人かのコンサルタントが交代してきたらしく、私もその1人である。コンサルタント稼業をしている私にとって、コンサルタントの交代要員として派遣されることは“明日は我が身”と思えば背筋に寒気を感じるものがあったが、まちづくりコンサルタント稼業は、もともとしがない受注産業で、注文(指名)があってはじめて“仕事”になる訳であり、この場合は“止むを得ない”と引き受けることにした。即ち、私にとってJR網干駅前は、初めての“地区”であったが、単に交代要員として兵庫県や隣接市の関係部所担当者からの紹介があったことによる。

3)段階的合意形成手順を提案
 既成市街地の“ハード”なまちづくりにおいて、都市計画道路や駅前広場、区画道路の整備を促進することは各個人にとって、大切な「財産」及び「生活」≒「人生」の改変を伴うことであり、賛成もあれば反対もあり事業の推進は一般に極めて難しい。これを、“住民主体のまちづくり協議会”で進めて行く事は容易ではない。このような“ハード”を主目的とするまちづくり協議会が立ち往生し、コンサルタントが何回か交代することも止むを得ない。苦節8年を経過したまちづくり協議会の交代要員として私が登用され、最初に考えたことは、協議会の「停滞」を避け、段階的に着実に進めていくことが肝要と思い、下表のようなまちづくりの進め方の手順を提案した。
 即ち、まず合意形成段階で、まちづくりの“共通のビジョン”を全住民と行政で共有する(第1次)まちづくり基本構想を作成し、次に、事業準備段階として、(第2次)まちづくり基本計画を作成して行くこととした。

4)(第1次)まちづくり基本構想の提案
 第1次まちづくり基本構想は、約1年間をかけ、アンケート調査や説明会、役員会を重ね、以下のような内容で地区住民の“共通のビジョン”として合意形成の集約を図り、行政に提案した。

基本構想

5)まちづくり協議会の組織体制づくり
 (第2次)まちづくり基本計画の策定にあたっては、区画整理事業のような具体的な事業手法や事業区域及び主な公共施設の配置計画等について合意形成を図るため、次のように組織体制づくりを図った。
協議会の組織強化

6)(第2次)まちづくり基本計画の合意形成の集約
 平成13年9月の組織体制づくり後、約2年間地区別協議(個別協議を含む)を重ね、下図のような(第2次)まちづくり基本計画(方針)について地区別に合意形成を図り、去る平成15年9月の第11回総会において集約し、両行政に提案することとなった。

提案図

7)おわりに:JR網干駅前まちづくり協議会の今後
 “ハード”事業を主目的とする当まちづくり協議会にとって、今後、区画整理事業推進の合意形成が出来た地区は区画整理準備会へ、出来なかった地区は住環境整備検討会へと、それぞれ地区別に組織体制と協議内容を進展して行く予定である。
 即ち、目的とする“ハード”事業の実施に向けて、まちづくり協議会は一旦役割を終え(解散し)、例えば区画整理準備会、推進協議会へと組織の改変を進めていくことになろう。


連載【公団まち研16】

「まちづくり」という幻想

第29回 都市公団まちづくり研究会2003年7月23日/講師・宮西悠司

都市公団

小倉 一平


宮西悠司氏

 「まちづくり」とは、現在多くの場所で使われ、耳にする言葉であり、公共公益施設を建てることから住民主導の種々の活動まで、その使われ方は多岐にわたる。当然ではあるが、活動しているフィールドも言葉の定義も個々人によって異なってくる。しかし、ゼロからまちを作り出すことを指すのではなく、既に生活者が多く居るまちに対する何らかの活動を指す点は共通しているように思われる。
 宮西悠司氏の講演は、30年間関わっている密集市街地・真野地区の「まちづくり」に関わる一連の活動を例に挙げたものであった。密集市街地は生活者が最も密に関わるまちづくりのフィールドである。宮西氏は(1)10年経てば、3回は変わる行政の担当者によるまちづくりの関わり方には限界があること、(2)住民の考えは敷地内を越えにくく地域への要求水準は低いこと、の2点を指摘し、自身の「まちづくり」の領域を説いた。宮西氏の「まちづくり」の領域とは「私的権利と限度ある行政サービスの両方が引っ張り合うなかで生じる隙間である」と。「長い時間をかけ住民へお節介が焼けなければ、まちは変わらないのである。石川賞受賞もここ20年くらい全国的にまちづくりが拡がっていったなかで、条例が整備され、真野地区の住民の活動が認められ、たまたまそこに自分が関わっていた。タイミングが良かったのだ」という言葉にも表れているとおり、隙間へのお節介が複数の活動を生み出し、同一の時間軸上で重なり合うことが、「まちづくり」の推進力となるのであろう。
 公団は平成16年7月に新法人へ移行するが、団地の管理や建替など地域住民にお節介を焼く機会はまだ数多く残されている。数haにも及ぶ団地へのお節介は、団地周辺の地域へのお節介でもある。問題はお節介の焼き方である。既存のまちに対して生じている課題、あるいは、まだ表面化されていない潜在的な課題をきっかけとして、「まちづくり」を仕掛ける。仕掛けた後、育てる、つまりお節介を焼き続けるには相当な時間を要するし、お節介である以上は、仕事として割りきれない部分が生じてくることであろう。仕事としてだけで、「まちづくり」ができると思うことは恐らく幻想に過ぎないのである。
 宮西氏の出した問いかけに何らかの答えを出していくことに研究会の意義を見出せるのではないかと、ふと講演後思った。どうやら私にもまちづくり狂/狂祖の放った毒(?)が回り始めたようである。


 

「ストック×リノベーション」による住宅供給と都市再生

第30回 都市公団まちづくり研究会2003年8月27日/講師・中谷ノボル

都市公団

田中 貢


中谷ノボル氏


 今回の講師中谷ノボル氏(アートアンドクラフトの代表)が次のように論じられています。
 デザイナーズマンションという言葉が99年頃からスタートした。消費者はこんなような家を購入したいと思ってアチコチ見に行ってるわけではない、自分で自分の気に入ったように作りたいとの気があるからである。新築の半額程度でできるデザイナーズマンションも、数がまとまったら事業性があがり、経営成立するからチャレンジしたいというオーナー(出資者)もでてきだしている。
 最近、「若い世代を中心に衣類・家具・住宅などで新品へのこだわりがなくなった」、「リサイクルなど環境問題からも国が新築から建物再生へ政策を転換し始めた」との情報を聞く。スクラップ・アンド・ビルドを繰り返してきた日本の建物が、これからは安易に壊してしまうのではなく、メンテナンスをして大切に使っていく時代を迎えつつある。これは昨今の経済状況からものではなく、『モノがない戦後』の発展期から約50年を経て、ようやく『成熟社会』が到来したという証と考えられる。
 これからは経済成長の伸びが期待できず、50〜60代の人が過去に作ったものを30代の建築家が改良することで食っていくしかないと思われる。また建物の建替は物理的な老朽化による建替ではなく、むしろソフト(機能)の陳腐化による理由が多い。
 私は思う。九州を舞台に活躍している青木茂氏が、『リファイン建築』と称して進めているコンバージョン建物も、その対象物が古いがゆえに、趣きがあり、またその地域における建物の歴史がある。その歴史を感じつつ、それらを少し改良し、部品をつけたりはずしたり、化粧をやり変えたりすることで、全く新しい、新たな機能を発揮する建物として生まれ変わっている。
 我々が目標とする「地球にやさしい」、「家計にやさしい」、「人にやさしい」の一環が、このストックリノベーションかも知れない。

「アートアンドクラフト」紹介パンフレットより

当日の講義風景

 


連載【大大特4】

地域商業の再生−「復興都市計画事業と商業再生」について

コー・プラン

上山 卓



 9月23日、こうべまちづくり会館において、“地域商業の再生―「復興都市計画事業と商業再生」”をテーマにした第2回大大特(地域経済復興)研究検討会が行われた。
 なお、当検討会は今回から、こうべまちづくりセンター・研究ネットワークとの共催で開催されている。
久保光弘氏
天川雅晴氏
田中道雄氏


1)事例報告1:新長田駅北地区(東部)
  久保 光弘 氏(久保都市計画事務所)

 久保氏からは、震災復興土地区画整理事業が進められている新長田駅北地区(東部)における報告が行われ、多くの工場が地区外に転出するなかで、産業復興におけるケミカルシューズ産業やアジア籍混住コミュニティに関する課題とさまざまな取り組みが紹介された。
 そして、@区画整理は土地や資金の流動化を促進し、地域産業再構築のきっかけを提供している、A新しいビジョンの「産業観光」はプラスイメージへの転換であり、地域活性化の拠り所になっている、B「空地」は地域活性化の資源であり、安易に建売住宅に転換されるべきでない、C多元的な主体のネットワークが重要である、という指摘があった。

2)事例報告2:新長田駅南地区
  天川 雅晴 氏(アップルプラン)

 天川氏からは、震災復興市街地再開発事業が進められている新長田駅南地区における報告が行われ、再開発事業により、従来の下町型とは異なった商業空間の再構築が進むなかで、商売を継続・新規参入しようとする商業者に対する家賃補助等のさまざまな手厚い助成制度や、中心市街地活性化基本計画に基づくアーケード事業等の取り組みが紹介された。
 そして、これらの取り組みが、商業再生に向けて徐々に成果をあげている一方、問題点として、制度の説明不足や資金力の問題などから出店を断念せざるを得ない商業者がでてきているという指摘があった。

3)講演:中心市街地活性化と新長田TMO
  田中 道雄 氏(大阪学院大学)

 田中氏からは、新長田駅周辺が中心市街地に指定された経緯をはじめ、日本の補助制度の構造的問題や、まちづくりにおける地域組織と人材の課題、商業再生のためのスキルの向上とノウハウの伝達を通じた長期的な取り組みの重要性、新長田地区の置かれた位置づけの中でめざすべき方向などについての講演が行われた。
 そして、中心市街地活性化のキーワードとして、メニュー型から「一括型」へ、「説得」と「命令」、「内発」と「移入」、「機能」と「情緒」、一面性から「多様性」へ、「まちづくり(事業)」と「商業(経営)」といった指摘があった。

 今後、時間経過による環境変化の中で、地域のマネジメントをつかさどるTMOを中心として、さまざまな人材の活用と南北両地区の連携による継続的なネットワーク事業の展開が重要と考えられる。
 また、検討会で出された指摘は、新長田地区に限らず、広く各地域の商業再生に通じるものでもある。

講義風景

 


連載【阪神間倶楽部4】

六甲山の開祖アーサー・H・グルーム氏の足跡について

六甲オリエンタルホテルSales Director

池田 浩



◆潟zテル阪神専務取締役 谷口良平(神戸市東灘区在住)さんがグルーム氏ゆかりの地を探訪したり調べた足跡を発表。末娘・岸りうさん著作の「グルーム小伝」(昭和48年8月記、21ページ)を中心に、当時の英字新聞や神戸の地図等のご説明を交えて講演。
●概要(項目のみ)
@グルーム氏が初めて神戸に上陸した明治初年当時の、神戸の街の様相と居留地新聞に記載された船客名簿
A日本茶輸出商、オリエンタルホテル経営者としての職歴
B宮崎直(なお)さんとの結婚の経緯と、家庭人としての素顔
C広範な社会活動(居留民社会での世話役としての業績や日本各地で起こった自然災害の際の義捐活動等)
D商館と居宅の変遷や六甲山を開いた経緯と緑化活動
E大正7年に亡くなった際の様相
●まとめにかえて
 今の神戸の街のブランド価値は、「海(港)」と「山」と「ハイカラ文化」の三点セットだと申し上げて差し支えないでしょう。では、もし明治の居留地時代にグルーム氏が神戸に来てなかったら、今ごろ神戸はどうなっていたか?先の三点の中、「海」と「ハイカラ文化」の二つは、たとえグルーム氏が居なくとも実現していたでしょうが、「山」つまり六甲山系の山々は、彼が居なければ、今なお荒れた山肌のところが多くて到底ブランド価値とは申し難い姿にとどまったでしょう。当時荒れ放題だった六甲山の緑化の必要性に、最初に気づいて行動に移したのがグルーム氏です。彼が神戸に居なかったら、その後の六甲山の緑化事業の進展が大幅に遅れていたに違いありません。
 グルームさん、緑の六甲山をありがとう。
◆オルゴールミュージアム ホール・オブ・ホールズ六甲 館長 高見沢清隆さんによる19〜20世紀初めのオルゴールを含む五点の演奏と解説。
 ひとは古いものに魅かれたり、遺跡や骨董品、記録などを契機に過去を振りかえる。では音は?音は刹那ゆえ保存できないので、他の媒体に記録し再生する技術が19世紀末に発明されたが、中でもひとの感性や創造力の具現化である音楽はどうか?古い楽器が残っていても演奏するひとの感性は現代のもの。ところが、オルゴールなどの自動演奏楽器は、当時の感性をそのまま再現してくれる。ヨーロッパでは鐘の発展形としてカリヨンが考え出され、その後自動演奏のカリヨン、さらに複雑な音楽表現がオルゴールによって可能となった。音の強弱や複雑な和音、繊細な装飾音、雑音の防止や長時間演奏など、オルゴールを覗くと当時の音楽的技術者の情熱をうかがうことができる。そしてその時代のひとびとの音楽体験を追体験することができる。ホール・オブ・ホールズ六甲は、現代と過去を繋ぐことのできるオルゴールや自動演奏楽器を数多く展示演奏しています。それらの演奏を通じて過去の文化や技術を探ることができる。
  ***
 グルーム氏のまいた種が六甲山に育ちて樹々となり、昨年は六甲緑化百年を迎えました。牧野富太郎博士監修の六甲高山植物園はこの春70周年、当ホテルも来年同じく70周年、Hall of Hallsは10周年を迎えます。
 あの震災以降半減した神戸の観光客数は、ようやく復活したものの、六甲エリアは3割減です。かといって大量集客を受け入れられる施設規模と輸送インフラがあるわけでもありません。やはり、グルーム氏が友人たちと楽しんだ山の生活がハイカラ文化の象徴のひとつであったように、文化芸術のギャラリーを目指すべきではないかと考えています。
 六甲山を育てた先人たちの知恵と努力に負けないように、この場所ならではのメッセージを現代アートの表現力によって伝えていきたいです。(池田浩)

 阪神間倶楽部 第4回研究会(第6回準備会)の記録
○日 時:2003年9月27日(土)13:00〜
○場 所:六甲オリエンタルホテル風の教会、ガーデンテラス
○参加者:33名
六甲オリエンタルホテル 風の教会(安藤忠雄設計)
 


連載【箱根山上からの便り2】

作麼生!スタンダード!2

元まち・コミ代表、雲水/修行僧

小野 幸一郎



 は、と気がつけば前回の原稿を書いてからはや半年が経ってしまいました。その間に御蔵とまち・コミは「防災功労者内閣総理大臣賞」とかいう、すごいんだか何だかよくわからん賞をいただくは、世間では北海道で地震はあるは、衆議院は解散するはで色々のようですが、ま、この原稿の内容には全く影響ございませんですね、はい…。
 と言うわけで、あらためてこの連載(ってまだ一回しか書いてないけど)の主旨をおさらいいたしますと、「まちづくりにおけるスタンダードを考える」であります。つまり、「復興まちづくりの『何か』がスタンダードである」ということで、『その要素』がどこまで「一般論になりえるか」ということでありますね。かみ砕いて言えば、『それ』は「フツーの人が当たり前に分かる内容」である、と。
 きんもくせい50+36+3号(長い…)で久保光弘さんは(ここでの)まちづくりの定義を「市街地形成、コミュニティ形成に関する地区住民の活動、及びその活動により計画や市街地の姿へと発現するプロセス」とされました。定義の内容云々ついては私はそれを語る自信はありませんが、それが何を意味しているのかについては私流に思いを馳せることはできます。ので、そうさせていただきますと、私の頭の中には「格闘」という言葉が浮かぶのです。そして、それこそがスタンダードたるひとつの重要な要素であるように思うのです。言葉を補足すれば「理知的にまちの中で『格闘する』こと」と言えるでしょうか。
 復興まちづくりの取り組み全体にはある共通したトーンがあるかと思います。それは感情的・情念的なものにのみに依るのではなく、今何が必要でこれから何が必要かを理性的・現実的に見据えながら事態に対処していくということです。こう書けば「何だ当たり前じゃないか」ということですが、あの状況の中でそのように取り組むことというのはやはりなかなかのことではなかったですか?
 まちの中には弱者も強者もいる。借家人も地主もいる。外国人も在日の人もいる。その中でコンサルという「客観性をもった指標軸」が介入することによって、まちにとっての最善の状況を模索する。それを震災によって大半の人が住居を失った状態の中で始めるということは、自ずと感情論や計画論ではおさまりきれる訳がないことは明らかだと思うのですが、その骨太な実情をいかに表現すれば第三者にわかってもらえるんでしょうかね?
 それはともかく、問題は「格闘」といっても何の為に格闘するのか、したのかであります。「復興まちづくり」でしたら当然「復興のため」ということになるんでしょうが、ご存知の通り、そいつが色々ややこしい。
 何をもって復興とするか? などというダイモンダイを本稿で論ずるなどはとても恐れ多くてできませんが、復興まちづくりを通して言えるのは、そのビジョンを描くには様々なチャンネルを通しての議論・検討がいるということではないでしょうか。
 いまさら、「経済」とは無縁で都市計画を考えるなどナンセンスでありましょうし、福祉・医療・教育などもしかりでしょう。なにより本誌の母体である「阪神大震災復興市民まちづくり支援ネットワーク」がその証しであるといえます。私ごときがこんな原稿をかかさせていただいてるわけですから。
 あの震災から端を発したそのような動きは、21世紀を超えて、今やまさに全国的なスタンダードなものになっていると言えるのかもしれませんが、しかしまだまだ不完全です。
 と、書いてそうかと思ったのは、きんもくせい復刊の意義は「スタンダードであることを宣誓する」と言うより「その内容をより完成に近づける」なのかもしれませんね。どうでしょう、小林さん?


連載【まちのものがたり7】

ある駅のホームの上で(3)

大 学 生

中川 紺



  ホームの上の平均年齢はおそらく二十歳。
(私、いつの間にか、この子たちの倍以上の年齢になってしもたんやわ)
 着ているベージュのスーツの襟をなぞると、貴子はふぅとため息をついた。今日が彼女の誕生日だった。四十一回目の。
 豊中から神戸の東にある岡本に来たのは、彼女が所属する行政書士事務所の顧客と会うためだった。帰りの電車を待つ阪急岡本駅のホームは大学生であふれかえっていた。集団もいれば一人で本を読んでいる人もいる。
(この辺、大学がたくさんあるからねえ)
 といっても貴子は神戸とあまり縁がなく、大学があるということも、今回の仕事の関係で地図を調べて知っている程度のものだった。
 
 ● ●
 
十月も終わりに近づいている。貴子の向いのホームにフリースの上着を羽織った男の子が立っている。女の子は、判で押したようにひざまであるロングブーツを履いていた。
 しばらく目で学生の服装を追っていた貴子の視界に、明るいレンガ色が飛込んできた。隣にいる、いかにも今時の女子大生のスカート。こんなスカート持っていたかも、と思った貴子の足下にするりと白いものが落ちてきた。あ、という声がしたのと、貴子が手を伸ばすのが同時だった。拾った紙のしおりを渡すと女子大生が軽く頭を下げて言った。
「すみません……あの…スカートに何か?」
「いえ、ごめんなさい、じろじろ見て。昔持っていたのに何か似てる気がしたのよ」
「……そういうことも……あるかも……あの、私の冗談にちょっとだけ付き合っていただけますか?」
「え?」
  ● ●
「こう見えて、私ほんとは実体がないんです。何ていうか、影だけっていうか」
 女子大生は柔らかな笑みを浮かべて言う。
 なにそれ、と思いながら貴子は電車が来るまでの時間つぶしに付き合うことにした。
「この辺大学三つもあるし、学生が多いじゃないですか。住んでる人も学生の街って言ってますし。それだけの学生が集まると時々エネルギーがあふれて『大学生の影』みたいなものができるんです。それが私。今日はあなたの思い出もこのスカート混ざってしまったみたいですけどね」
「見えるけど存在しないっていうん?」
「そう。名前もなし。そのうち空気に溶けて、いなくなっちゃいます。そういうのがあちこちにいるけど、誰も気づかないみたい」  そう言われると本当に女子大生が、いろんな学生の平均値の影の様にも思えた。
「……ねえ、どうせなら……この次は保久良山の梅に生まれるっていうのはどう?」
 貴子も思いつきを返してみる。駅の北にそびえる保久良山の梅林の話は今日の顧客に聞いたものだった。
「じゃあ梅の季節になったら来て下さい」
 女子大生がそう言ったときに電車が滑り込み、貴子はそれじゃあね、と乗り込んだ。
 変な子、と思いながら振り返ると、女子大生の姿は消えていた。人ごみに紛れたのか、本当に溶けてしまったのか、もう貴子には判断できなかった。
(完)
(イラスト やまもとかずよ)


阪神白地 まちづくり支援ネットワーク・第34回連絡会報告

〜持続するまちづくり−「まちづくり(支援)マネージメント」の事例について〜



 去る10月10日、こうべまちづくり会館にて阪神白地まちづくり支援ネットワーク第34回連絡会が行われました。今回は若手の方からの発表を、ということでまちコミュニケーションの加藤洋一さんとさくらデザイン工房の山本和代さんから発表があり、最後は環境緑地設計研究所からベテランの辻信一さんに締めていただきました。

@長田区御蔵地区/プラザ5とまちコミ(加藤洋一氏)
 御蔵地区は長屋と路地の町でしたが、震災で8割が焼失、現在も宅地の30%が空き地だということです。震災前から住み続けている住民と“新住民”との交流が地域イベントで大切にされています。古民家移築やプラザ5の建設など、自分たちの手でできることは自分たちの手で、というところが印象的でした。これからの課題として、「造るまちづくり」から「まちの運営」へと変容していく上でまちコミがどう関わっていくのか、だれがどのようにまちづくりに関わるべきなのか、という新たな段階への移行段階について考えていく必要を指摘されました。

A灘区水道筋地区/地域活動支援コーディネーターとまちづくりハウス(山本和代氏)
 灘区での2つの活動、「灘文化軸 秋の大芸術祭」と灘中央地区の新・まちづくりハウスでの取り組みについて紹介されました。灘文化軸についてはまだ開催されていないので成果についての報告はありませんでしたが、HAT神戸から王子公園までを結ぶという視点も新鮮でしたが、予算を抑えた中で地域の資源を発掘し、大々的に広報しなくても立ち寄る人をターゲットにしようというのが本来あるべき姿かもしれないと感じました。新・まちづくりハウスでは、水道筋商店街や子育てサークルと協力し活動されています。まちづくりマーケットというイベントで、これからまちづくりに参加してくれそうな人材を見つけるというのがおもしろいと思いました。

B垂水区/生活文化圏の活動支援(辻 信一氏)
 生活文化圏の考えに基づき、舞子地区の参加型地図をつくろうというのがすべてのはじまりでした。まち歩きを通じ、地図に載せる地区の見所を探すうち、子供たちにもわかるような手段が欲しいということになり、子供たちの描いた絵札のかるたが出来上がりました。その後、多聞地区でも地図づくりが行われたようですが、地域特性に応じた地図づくりということについて感想を述べられましたが、神戸市の各地区で配布されるハザードマップも本来、このように各地区多種多様な表現があってもよいのではないかと感じました。
※フロア討論では、住民をまちづくりにどうやって熱心にさせるか、コンサルタントや学生など地域外からまちづくりに関わる人々のスタンスは現状のままではなく、変貌していくべきだ、という内容が話題にのぼりました。(神戸大学大学院生/濱口善胤、藤原祥子、栗延謙)



情報コーナー



第12回都市環境デザインフォーラム・関西「都市環境デザインのファッションとモード」
・日時:10月25日(土)9:30〜17:00
・場所:アクセス(地下鉄御堂筋線淀屋橋駅11番出口すぐ、アクセスビル3階)
・内容:基調講演 鷲田清一(大阪大学教授、臨床哲学)、セッション(素材、植栽、照明、盛り場)
・問合せ:都市環境デザイン会議フォーラム実行委員会(FAX.06-6258-7156)

第66回水谷ゼミナール
・日時:10月31日(金)18:30〜21:00
・場所:こうべまちづくり会館3階(神戸市中央区元町通4丁目2-14)
・内容:テーマ/「今、区画整理は...」報告/野中保(野中テクニカ研究所)、藤田豪一(都市・計画・設計研究所)、他
・問合せ:ジーユー計画研究所(TEL.078-251-3593、FAX.251-3590)

淡路景観学校 第5回アルファ祭2003
・日時:11月1日(土)〜2日(日)10:00〜16:00
・場所:淡路景観園芸学校キャンパス(津名郡北淡町野島常磐、岩屋ポートより無料シャトルバス運行)
・内容:テーマ「五楽三昧」、コケ玉市、盆栽展示、草木染め、寄せ植えコンテスト、無料ハーブティ、他
・問合せ:淡路景観園芸学校(tel.0799-82-3131)


このページへのご意見は前田裕資
(C) by 阪神大震災復興市民まちづくり支援ネットワーク

阪神大震災復興市民まちづくり支援ネットワーク・ホームページへ
学芸出版社ホームページへ