選挙と参加のまちづくり学芸出版社 前田 裕資 |
私が住む京都では、 来春の市長選に阪神・淡路まちづくり支援機構で尽力された広原盛明さんが立候補を表明され、 話題になっている。 先日も「広原盛明さんを励ます建築・すまい・まちづくり関係者の集い」の案内が届いたが、 呼び掛け人には小林郁雄さんをはじめ「きんもくせい」の関係者も名を連ねていた。 また都市計画を代表する論客の方も名を連ねている。 しかし、 京都で活躍している関係者は、 呼び掛け人のうち1割にも満たないし、 数少ない彼らはまちづくりとは関わりがないか、 反京都市の旗幟を鮮明にしておられる方がほとんどだ。
「チンチン電車廃止反対で頑張られたのは知っているが、 その後は京都で何をしたの?」とか、 「誰が担いでいるの?」といった疑問もあり、 まちづくりの優れた専門家で人格者だからと簡単に応援するわけにはゆかないのも当然だ。 しかし残念なことに「肩書きを出して応援したら処分する」といった某大学があったり、 「ここで名前を出すと市の仕事ができなくなる」といった自主規制も働いていると聞く。
まちづくりへの住民参加が行なわれるのは、 たった一人の代表にすべての問題を託せないからだと思う。 現に広原さんの立候補声明の先頭にあるのは「イラク派兵反対」だ。 こんな争点に応じて投票しても、 だからと言って諸々のまちづくりの問題や、 地区の問題を白紙委任をしたわけではない。 だからこそ、 個々の場面での幅広い議論を通した参画や協働が必要なのだ。
なのに参画と協働の場面で、 対立候補を応援した専門家や学者が参加しづらくなるとしたら、 市長派が誘導する談合にしかすぎなくなる。 応援した候補が落選しても、 個々の問題を議論する時には、 この問題に限っては大いに協働し応援したいという場面があっても不思議はないし、 逆であっても良い。 なのに「干される」といった言葉がすぐに浮かんでしまい、 いかにもありそうだと思ってしまうのは何なんだろう。
もちろん応援するだけが選挙への関わりではない。 まちづくりに関してはどの候補の公約にも似たような奇麗事が並ぶのだろうが、 質問状を出して「本気度」を問うのもNPOや専門家集団の役割ではないか。 なんと言っても市長選はまちづくりの最高責任者を選ぶ機会なのだ。 協働や参画が進み、 行政と向き合う機会が増えたが故に、 選挙で黙して語らずでは、 本末転倒ではないかと思う。
(小林郁雄→野崎隆一→宮西悠司→佐野末夫→中島克元→中村順子→海崎孝一→某市某職員→前田裕資→)
私が、 この新連載の「序説」として位置づけて、 講演させていただいた都市環境デザイン会議(JUDI)関西ブロック8月セミナー「まちづくりは、 複雑系」の講演記録がJUDIのホームページに掲載されました。 併せてご覧いただければ幸いです。
複雑系について興味を持つようになったのは、 3年程前に「複雑系」(M・ワールドロップ、 新潮社)、 「複雑系の知」(田坂広志、 講談社)の名著に出会った時からです。 前者は平成8年、 後者は9年に発行されており、 その気でみれば複雑系の出版物は多く、 複雑系は既に定着した感があります。
13年3月論文「新長田駅北地区(東部)震災復興土地区画整理事業における住民主導のまちづくりシステムについての研究」は、 実は震災復興についての記述についてはもう打ち止めにしようと書き始めたものですが、 8年間を通して協議会活動のプロセスをまとめていくにつれて、 その中に自然の法則性のようなものを感じ、 それが複雑系の概念でモデル化して説明できることに気づきました。 しかし13年3月論文では実証性を重視し、 「複雑系」については、 注意して補注か、 まとめでふれる程度で止めました。
きんもくせいでの16回にわたる新長田駅北地区(東部)まちづくり報告連載で、 まちづくり経過をいくら詳細に記述しても、 まちづくりの本質を述べるに至らないジレンマを感じていましたが、 その理由がわかりました。 その理由とは、 「これまでの都市計画にまちづくり(協議会活動)のプロセスでの現象を述べる言語をもっていなかった。 」ということです。 「複雑系」の概念の引用は、 まちづくりを語るに有効な手段となるのではないか、 複雑系からもう一度震災復興の協議会活動プロセスを見直すことによって見落としていたまちづくりのプロセスでの現象を発掘できるのではないか、 これが、 きんもくせいに再び連載を開始した動機です。
この稿を書きながら、 インターネットでまちづくりと複雑系との関連を論じたものがないか、 ざっと検索してみましたが、 一件を除いて見あたらないようでした。 その一件とは意外にも身近な神戸市職員、 森田拓也さんの書かれた「複雑系とまちづくり」(こうべまちづくりセンター・ホームページ)です。
森田さんは、 「ボランティアの目をみはるような活動をきっかけに、 ボランティア・NPO論や市民社会論という方向に行く人が続出したが、 筆者(森田さん)は、 複雑系に行きついた。 」とし、 平成9年に開催された美緑花まちづくり「インフィオラータ三宮」を既に複雑系の視点から展開したと述べられています。
複雑系の概念についての解説は、 多数の出版物があり、 私がしても受け売りの域は出ないのでさけたいところですが、 私の理解では、 ここで言う「複雑」とは、 「多数の独立した個が<相互作用>し合っていること」による有機的関係を言い、 この「相互作用」の豊かさが「生きているシステム」のポイントといえそうです。 「複雑系」とは、 この「生きているシステム」についての解釈することを試みている科学です。
複雑系の重要な概念として「創発」があります。 例えば、 魚は、 えら、 ひれ、 内臓、 背骨などで構成されていますが、 その上の階層にある魚自体は、 単なる寄せ集めでない性質を持つ生物へとジャンプしており、 これを「創発した」といっています。 これがまた、 要素還元的手法の限界を示す説明ともなっています。 「町」も個人、 建物、 道路、 公園などの単なる集合体でないそれ以上の性質―コミュニティ、 町並み景観、 地域産業、 地域福祉、 又そのような区分では表せないもの、 町の個性等―へとジャンプしたものです。 その間に介在するのが、 まちづくりのプロセスであり、 これがそれぞれの町をジャンプさせる力を担っているのです。
まちづくりプロセスの主軸は、 「まちづくり協議会活動のプロセス」です。 震災復興まちづくりは、 神戸市まちづくり条例を基盤に、 「協議会活動のプロセス」の結果が、 「まちづくり提案」に発現され、 事業制度等も活用されて進められたと握えられます。 これは「協議会活動を停止すれば、 まちづくりは終わる」ということを示しています。
今回は、 前置きが長すぎました。 やっと前回の続きです。
前回「まちづくり協議会」とは、 「市街地形成、 コミュニティ形成に関する地区の合意形成組織」としたが、 もう一つ重要な特質は「市街地形成、 コミュニティ形成を継続して進化させる組織」、 すなわち町の「創発」をおこす組織であることである。
これは住民のみで構成され、 役員が毎年の交替制であり、 日常的な事柄を繰り返す、 一般的な「自治会」と異なるものである。 震災復興において、 まちづくり協議会から自治会への移行という言葉も聞かれるが、 これは、 協議会の「死」を意味する。 自治会はいうまでもなく重要であるが、 地区におけるまちづくり協議会と自治会は役割を区分し、 並立させることが望ましい。
きんもくせい03年10月号で小野幸一郎さんが「理知的にまちの中で<格闘する>こと」と言われた場は、 協議会であり、 まさに「創発」の舞台である。 そして小野さんは、 「何のために格闘するのか」と問われた。 多大なストレスを負いながらもなぜ協議会リーダーたちはがんばるのか。 それは、 その地区にとっておそらく歴史的といってもよい「創発」の場にいることで、 極めて人間的な何かが発現しているのではないのでしょうか。
神戸市では震災復興後に、 まちづくり協議会が100を超えたと伝えられているが、 現在、 実質的に活動を続けている協議会はその半数に満たないのではないかと言われている。 このことは、 震災直後の混乱が未曾有の協議会を生み出したこと、 一方では協議会活動は容易に消滅することを我々に示している。
2)「カオスの縁」と「まちづくり協議会」
複雑系理論の草分けの一人であるクリス・ラングトンは、 「秩序」―固定的で余りに静的な状況、 「カオス」―暴走や混乱等余りにも動的な状況、 この「秩序」と「カオス」の間に静的すぎず、 動的すぎない状況で、 情報が「適度に保持される安定性」と「適度に伝達される流動性」の絶妙なバランスをもつ領域があることを発見し、 「カオスの縁」と名づけた。
そしてこのような状況が表3−1に示すように5つの異なる分野でも同じように存在することを示している。
この「カオスの縁」という領域こそが複雑なシステムをもつ色々なものが進化する、 言い換えれば、 創発を起こす領域である。 氷と水の間の相転移、 また水と蒸気の相転移の層でわかるように、 この「カオスの縁」と言われる層は、 非常に不安定で薄い。
ラングトンによる「カオスの縁に関するアナロジー」に「まちづくり」を重ねると、 まちづくり協議会の特質がみえてくる。 日常生活に突然、 大震災に見舞われ、 震災直後の混乱、 カオスの状況が起こった。 その後のまちづくり協議会活動は、 町の復興、 創発の場となるとともに大きく地域社会の変化をもたらした。 しかし協議会活動の停止は、 再び固定的な日常、 なめらかな変化の日常へと戻っていくことを語っている。
近畿タクシー(株)社長森崎さんは企業家として、 また、 まちづくりプロデューサとして神戸長田にこだわっている。 きっかけは、 1999年に長田区内の商店街が企画した復興大バザールへの関与である。 このときに長田TMOの存在を知り、 まちの再生がタクシー事業の成否に直結することに気付き、 TMOへの出資さらにその活動への参加に至った。 震災後、 まちづくりの主体はボランティアという構図から、 経済的に自立性の高いアプローチが必要との思いも強かったこともある。
2000年、 長田TMOが経済産業省の支援で行った「高齢者に優しい商店街づくり事業」での「買いもん楽ちんバス(無料)」(期間限定実験)の運行は、 高齢化し商店街に買い物に来ることも困難になってきた住民に、 病院なども含む生活に密着した移動手段を提供しようとするもので、 長田住民ニーズを感じることができた。 まちの移動を支えるビジネスの必要性を感じるという意味で手応えはあった。
長田を単なる「被災のまち」からこれをしたたかに活用する「観光のまち・食のまち」への転換も提案し実行にうつした。 アスタきらめき会観光部長として、 修学旅行の誘致に奔走。 当初、 商店主の一部から抵抗があったものの説得して実施してみると、 商店主は実体験を真剣に聞く生徒達に驚き、 当初80店ほどの参加が今では300店ほどが参加している。 経済効果もかなりあるという。 また、 現在では全国ブランドになってしまった「ぼっかけカレー(うどん他)」は、 食事に関わる時間が取れない中小企業のまちながたを象徴するもののひとつだったが、 これを発掘しMCC食品と商品化したのも森崎氏である。 商品化した製品を、 今度は長田の食品会社「伍魚福」に協力を依頼し、 販売ルートの確保も行った。 地域に死蔵された経験や生活のノウハウをもう一度再評価して市場化することで、 まちの活気醸成が加速される効果は大きかったという。 それまでは誰も耳を傾けなかった震災体験をまちの資源として発掘したり、 中小企業のまちで「発明」された食品を地域の協力をつなぎながら製品化する。 森崎氏の「活躍」は、 地域のなかに死蔵された資源を、 これまで関係をもたなかった多様な人達につなぎこれを編集をしていくことで、 新たなビジネスを起こしまちを活性化させることに貢献しているといえるだろう。
タクシー会社の経営という点でも、 森崎氏の力量はいかんなく発揮されている。 次世代型タクシー会社として、 タクシー運営と介護・警備を連動させる構想示している。 拠点から半径2kmが重点的なタクシー営業地域であることを活用。 運転手は長田TMO圏域については、 細い路地まで熟知している。 また、 毎日ここを走ることでまちの変化や状況にも通暁している。 こうしたまちの情報の蓄積を活用するためには、 本来ならばかなりのコストを支払わなければならないはずである。 タクシー乗務員はいながらにしてこの情報を有している。 介護支援のなかでの買い物や病院への移動需要は、 高齢者が多い長田にあっては大変大きい。 これまで、 まさしく「死蔵」され顕在化しなかった需要といえるかもしれない。 さらに、 地域を熟知する50余台のタクシーは、 地域の安全の番人としての役割を果たすことも可能となる。 ここにも、 ビジネスチャンスはある。 タクシー経営は、 こうした地域情報の蓄積・地域の人々との信頼といった資源を核に、 巧みに「範囲の経済」を醸成しながらまちづくりと企業経営を融合していくことになる。 単なる移動手段であったタクシーは、 広義の地域メンテナンスビジネスを指向する次世代タクシーへ変身を遂げるかもしれない。
社会起業家の定義は必ずしも明確ではないが、 「医療、 福祉、 教育、 環境、 文化などの社会サービスを事業として行う人たち(町田洋次『社会起業家』)」ということではあろう。 ただ、 この定義では森崎社長のように企業家としての嗅覚を生かしながらまちのなかで死蔵された需要を掘り起し、 硬直化した「関係」を再編成しながら起業を企むダイナミックな地域イノベーションのプロデューサを位置付ける必要があろう。
なお、 近畿タクシー(株)は、 1952年設立。 現在、 従業員80名で、 バス・タクシー事業、 指定訪問介護事業、 警備事業など地域サービス企業として従来のタクシー会社のイメージとは異なるユニークな経営を行っている。
11月20日、 こうべまちづくり会館において、 “地域商業の再生―「地区商店街の再生」”をテーマにした第3回大大特(地域経済復興)研究検討会が、 こうべまちづくりセンター・研究ネットワークとの共催(まちセン研究ネットシンポジウム)で開催された。
1)事例報告1:灘区水道筋界隈
そして、 商業者個々では、 今後に危機感をもっている人、 昔の大儲けを忘れられない人、 機会があれば商売をやめようと思っている人など、 思惑が各々異なり、 さらに六甲道周辺で大規模店舗が林立してきた震災後の状況の中で、 今一度、 「職人の街」のにぎわいを取り戻すために、 数少ない市場の良さを活かし、 これを再整備するために、 従来の大規模再開発型ではない展開方策が模索されている現状が報告された。
2)事例報告2:東灘区甲南本通商店街
3)講演:神戸の地区商店街の再生
(構造的要因)消費者ニーズの変化への対応の遅れ。 /経営者の高齢化、 後継者不足による経営意欲の減退。 /空き店舗の存在が市場の機能性を失わせ一層の衰退を招くという悪循環。
(震災の後遺症)建物再建の困難性。 /マンション建設。 /長期にわたる街の復興事業等に対し、 「商業復興」が待てない「時間」の問題。 /近時の不況による消費低迷。
そして震災前に比べメニューが多様化している商業振興事業制度の説明とともに、 メニューが生きるかどうかは使い手次第という指摘がなされ、 店頭に物を並べるだけではすまない時代においては、 地域性に対応することの重要性が述べられた。
旧乾邸は、 昭和11年に乾汽船社長・乾新兵衛氏の自宅として建てられた鉄筋コンクリート造及び木造2階建ての洋館で、 約3,900m²の敷地に延べ約770m²の建物が建っています。 和洋折衷をうまく簡素にまとめた外観もさることながら、 細部のディテールにこだわりながら重厚感を出している内部空間のデザインには目を見張らせるものがあります。 設計したのは、 神戸旧居留地にある商船三井ビルや先般国の登録文化財に指定された大阪船場にある綿業会館などの設計で知られる、 関西を代表する建築家・渡辺節(1984〜1967)です。
この建物も阪神・淡路大震災で被害を受け、 和館部分は全壊したため撤去されましたが、 幸いなことに、 洋館部分は倒壊を免れ、 最小限の補修を行い維持管理されています。 しかしながら、 この土地は、 平成5年に先代が亡くなった際に、 国に相続税として物納されており、 その当時は神戸市が買い取って活用する計画でしたが、 震災等による財政難で計画は頓挫し、 現在は、 国の所有物を神戸市が委託を受けて管理している状態です。 買い取りの話については、 当面保留になっていますが、 このままでは近いうちに競売にかけられる運命にあり、 存続がかなり危ぶまれています。
さて、 これまで建物の保存の話というと、 行政に要望するスタイルがよく取られてきたように思えますが、 現在の行政の財政状況では、 とても対応できるようには思えません。 もちろん地域の文化を大切にするという観点から行政の役割には大きいものがありますが、 今こそ、 私たち一人一人がまちや建物に対する想いや愛着を大切にしながら、 「自分にできることは何か?」と問いかけながら行動することが重要ではないでしょうか。 財力のある人はお金を出す。 才能のある人は智恵を出す。 これといったものを持たない人は掃除ボランティアなどとして汗を出す・・・など。 (かく言う私は、 年末ジャンボ宝くじ売り場へ・・・)そして、 その輪が広がり繋がっていくことによりいろんな人の想いの結集として建物が残り、 地域に根ざした文化財(宝物)として保全・活用される。 などというような事は単なる夢なのでしょうか。
また、 旧乾邸のある住吉・御影付近は、 御影石の石積塀と樹木や水路などがうまく調和した「地」としての景観が残されている地域です。 「図」としての建築物(まだいくつものすばらしい建築物が残っている)の保全・活用を図ることと併せて、 震災でなくなってきた神戸・阪神間の「地」としての景観を守り・育てていくことも重要なことでしょう。
最近行われている旧乾邸の見学会には一般の方々が多く来られ、 建物の素晴らしさに対する感動とともに、 存続の危機に驚き惜しむ声が聞こえてきます。
その声を力に、 近いうちによい知らせが報告できますように・・・。
社員数十名の会社で、 俺とワタルは同期だった。 転職組の俺の方が五歳上だったが、 話が合うせいか、 年齢差などまったく感じなかった。 お互いに独身だったこともあって、 仕事の帰りによく飲みにいった。 俺はワタルの薦めるワインの銘柄を少しおぼえ、 あいつは芋焼酎がロックで飲めるようになった。
そのワタルが出張先で自動車事故に巻き込まれて帰らぬ人となった。
いつの間にか街路樹とビルが続くオフィス街を歩いていた。 時々通るタクシーに空車は見当たらなかった。 曲り角でふと路地の方を見ると、 少し先に小さなあかりがともっているのが目に入った。 ぼんやりと分かるのは工事中のビルの一階らしいということ。
(こんな時間に何だ?)
まさか火事というわけではあるまい、 と思いながらも気になってそこへ近づいた。 少し酔いも覚めてきていた。
女の子がぼそりと言った言葉が、 冷えた空気を伝わってはっきりと聞こえた。 よく見ると彼女は手に小さな写真を抱いている。 顔までは判別できないが、 それが「タツキ」なのだろう。
彼らは俺と同じだ。 直感した。 仲間を失った夜を、 俺たちは共有している。
これは、 彼らなりの「タツキ」への追悼なのだ。 さっきから時々振り付けを不自然に感じるのは、 おそらく五人で踊るべきものを四人でやっているからなのだろう。 この場所を選んだことも意味があるのかもしれない。
勝手な想像をしながら、 俺は手にとった携帯を見つめて、 それから彼らの無言のステップに視線を移し、 そのまま電話をポケットにしまった。 彼らの別れを邪魔する権利は俺にはないだろう。
(お前もそう思うだろ?)
声に出さずに、 ワタルに問いかけた俺は、 彼らに気づかれないようにそっとその場を離れた。(完)
今回は若手ネットの担当で、 「若手のチカラ〜まちづくりのチェンジアップ〜」をテーマとして、 12月19日(金)こうべまちづくり会館にて行われました。 報告は以下の通り。
(1)「六甲アイランドクリーンアップ大作戦」/松原永季(スタヂオカタリスト)
まず吉川健一郎さん(コー・プラン)より、 今回は“ど真ん中、 直球”ではないまちづくりの取り組みの報告を行い、 まちづくりの領域の広がりや新たなきっかけとしての可能性について議論したいという主旨説明がありました。
松原さんからは、 人工島の六甲アイランドで横行している落書きを、 島民の参加できれいにする取り組みについての報告がありました。 中川さんからは、 阪急六甲駅前の歩道橋を多様な市民参加と協働(地域住民組織、 子供、 地元学生、 支援企業、 周辺店舗など)できれいにする取り組みについて報告されました。 山本さんからは、 震災をきっかけにできたまちづくり協議会で、 手作りの祭りやイベントを積み重ねて“市民力”を培ってきている様子について語られました。 田中さんからは、 震災復興再開発地区に隣接するまちづくり協議会を母体に近年取り組まれている「楽芸会」(音楽やダンスなどの市民参加の手作りイベント)について語られました。 また、 オオカワアキラさん(神戸芸工大)からは報告の感想と、 自身が行っているStudents Partnership Networkについて語られました。
討論では、 「祭りなどは刹那的で地域になぜこんなにお節介するのか、 まちにカタチとして残らない」という後藤さんの意見に対して、 まちづくりの火付け役としてのコンサルタントの役割、 予防的な意味としての地域の取り組みの有効性、 などの意見が若手を中心に出されました。
連載【新長田駅北(東部)まちづくり報告・第2部 3】
まちづくりシステムの研究 (3)
久保都市計画事務所 久保 光弘
3. まちづくり協議会の「生」と「死」
1)まちづくり協議会の特質
表3−1 「カオスの縁」に関するアナロジー
(注)この表に関しては、「複雑系」(m.ワールドロップ)pp.262-330に詳しく述べられている。まちづくりの項は久保による。
(この項は次回に続く。 )
連載【地域の再生と企業文化4】
震災復興で加速する企業と地域の新たな関係を考える
「まちの死蔵資源」を発掘・編集する社会起業家
−近畿タクシー(株)森崎社長−
神戸商科大学 加藤 恵正
連載【大大特5】
地域商業の再生−「地区商店街の再生」について
地域問題研究所 山本 俊貞
上山 卓 氏(コー・プラン)
〜まちづくり活動と一体となった地域商業活動〜
水道筋界隈では震災を契機として、 商業者のみによる事業が住民と一体となったまちづくり活動にと拡大・発展し、 「活力ある商業」をテーマに、 ハード・ソフト両面のさまざまな取り組みが展開されている。
海崎 孝一 氏(同商店街振興組合理事)
〜地区商店街での商売は「なじみ」づくりから〜
海崎孝一氏
地区商店街の組合理事としてリーダーシップを発揮されている海崎さんからは、 表題の他に、 現場に足を据えた商店街生き残りのための“海崎語録”がいくつも発信された。 商店街が『地域コミュニティの核』になる。 /人脈ネットワークを構築せよ。 色んな人が集まり、 『玉』が増える。 /商売人が元気になれば、 自ずと街は活性化し、 『街づくり』につながる。 /一人では駄目、 仕事は皆で。 /金がないなら頭を使え。 頭がないなら体を使え。 やれば結果が出る。 /自分自身のためと思うと継続できる。 /商売の匂いを出すな。 相手の立場を考えよ。 /行政と上手く付き合え。 /マスコミを上手く利用し、 共存共栄を。 等々……。
林 千景 氏(神戸市産業振興局)
〜活性化の第1歩は「地域をより深く知れ」〜
林 千景氏
林氏は商店街・小売市場の減少・衰退化傾向の要因を次のように整理している。
会場の様子
その後、 会場からも様々な発言がなされた。 ここでも多くの方から、 個店およびその集積体としての商店街の地域密着性とそれに応じた独自性が重要であるという意見をいただいた。
連載【阪神間倶楽部5】
歴史的建築物の保全・活用について〜旧乾邸を通して〜
兵庫県ヘリテージマネージャー 河野 泰則
小林郁雄さんの阪神間の住宅地についてのお話(資料:都市住宅7411 特集●田園都市−阪神間)
旧乾邸の前で記念撮影
連載【まちのものがたり9】
夜の小さなあかり(1)
別れの夜中川 紺
少し足下がおぼつかない。 月もかすんで見える。 赤ワインのせいだろうか、 口の中が苦い。 もう終電もない。 お通夜が終わってから何時間飲んでいたのだろう。 そう思いながらあてどなく歩く。 寒さは感じなかった。
男が四人に女が一人。 年齢は高校生くらいだろうか。 ビルの一階は半分くらいがオープンスペースになっていて、 そこで大型の懐中電灯をいくつか置いて茶色い髪の男の子たちが一心にステップを踏んでいた。 髪を短くした女の子は踊りに加わらずに傍に座っている。 音楽はかけていないのにぴったりとした呼吸でしなやかに動いている。 俗にいう「ストリートダンス」の部類であることは俺にも分かった。 練習の場を求めて毎晩いろいろなところにダンスグループが現れるというのは知っているが、 さすがにここは工事中のビルだ。 ほとんど完成しているから危険性は少ないにしろ、 これはどう見ても不法侵入なんじゃないか。 しかし注意するのも多少の勇気がいる。 俺は警察に通報するのが妥当かと思ってコートのポケットの携帯を探った。
阪神白地まちづくり支援ネットワーク・第35回連絡会報告
(2)「灘・まる洗いプロジェクト」/中川啓子(灘区地域活動支援コーディネーター)
(3)「住吉浜手まちづくりわいわいフェスタ」/山本和代(さくらデザイン工房)
(4)「地域と人のつながりづくり〜『灘の楽芸会』の試み〜」/田中正人(都市調査計画事務所)
情報コーナー
●1.17ひょうごメモリアルウォーク2004
・日時:1月17日(土)7:00〜15:00
・場所:山手幹線(山手ふれあいロード)及び神戸東部新都心
・内容:
<山手ふれあいロードウォーク>西宮市役所、 県立文化体育館(神戸市長田区)を起点とし、 神戸東部新都心を終点とする2ルート、5コースを歩く。 他に、 <防災訓練><追悼の集い><交流広場>が行われる。
・問合せ:1.17ひょうごメモリアルウォーク実行委員会(TEL.078-360-8282、FAX.360-8292)●大大特第4回検討会
大都市大震災軽減化特別プロジェクト
「地域経済復興支援方策の開発研究」
・日時:1月20日(火)18:30〜21:00
・場所:こうべまちづくり会館(神戸市中央区元町通4丁目)
・テーマ:地域経済再生(内容の詳細は未定)
・問合せ:まちづくり(株)コープラン(TEL.078-842-2311、FAX.842-2203)
●Memorial Conference in Kobe IX
〜阪神・淡路大震災の教訓を世界に発信する会〜
・日時:1月24日(土)9:30〜17:00
・場所:人と防災未来センター1階特設会場(神戸市灘区脇浜町1-5-2、 TEL.078-262-5060)
・内容: <テーマセッション「私たちの復興まちづくり」>あいさつ/河田惠昭(京都大学防災研究所巨大災害研究センター教授)、 証言発表
<パネルディスカッション「私たちの復興まちづくり」>コーディネーター/小林郁雄(阪神大震災復興市民まちづくり支援ネットワーク)、 パネラー/清水光久(真野地区まちづくり推進会)、 佐藤厚子(六甲道駅北地区まちづくり連合協議会)、 倉本佳世子(富島を考える会)、 宮定章(まち・コミュニケーション)、 坂和章平(弁護士)、 中川啓子(灘区地域活動支援コーディネーター)
<パネルディスカッション「鼎談・震災9年のまとめと証言」>笹山幸俊(前神戸市長)、 土岐憲三(立命館大学教授)、 小林郁雄
・問合せ:京都大学防災研究所巨大災害研究センター内 メモリアルコンファレンス事務局(TEL.0774-38-4273、FAX.31-8294)
●「きんもくせい」のインターネットアドレス
◆ http://web.kyoto-inet.or.jp/org/gakugei/kobe/index.htm
◆ http://www1.plala.or.jp/hos_a/kinmokusei_international.html
■ 阪神大震災復興 市民まちづくり支援ネットワーク 事務局
〒657-0024 神戸市灘区楠丘町2-5-20 まちづくり(株)コー・プラン内
TEL.078-842-2311 FAX.078-842-2203 Email:mican@ca.mbn.or.jp
銀行振込先:みなと銀行六甲道支店(普)1557327 郵便振替:00990-8-61129
編集長:小林郁雄 担当:天川佳美、中井 豊、吉川健一郎
学芸出版社ホームページへ