きんもくせい50+36+11号
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もう一つの世界は可能だ!?

被災地NGO恊働センター 細川 裕子

 「世界社会フォーラム」(WSF)をご存知だろうか。 通称「ダボス会議」と呼ばれる「世界経済フォーラム」は、 世界の指導的な経済人、 政治家の自由な交流、 意見交換の場として毎年1月下旬にもたれ、 実質的にグローバリゼーションの推進役を果たしてきた。 これに対して、 民衆の視点に立った市民団体等の自由な意見交換とネットワーキングの場として、 「もう一つの世界は可能だ」をスローガンにして呼びかけられたのがWSFである。 2001年1月にブラジルのポルトアレグレで開催された第1回目には、 世界中から2万人が集まった。 以後毎年、 ダボス会議とほぼ同時期に開かれ、 4回目の今年はインド・ムンバイに12万人(内インドから9万人)が集い、 日本からの参加者も700名にのぼった。

 6日間の開催期間中には、 様々なカンファレンス、 パネルディスカッション、 セミナー、 ワークショップが開かれ、 まさに世界中の社会運動団体の「デパート」ともいう多彩なプログラムが満載だが、 1回目から根底に流れるテーマは「富と民主主義」である。 そもそも、 WSFを第三世界で開くことを仕掛けたフランスのATTACは、 資本投機行動を抑制するための為替取引税の導入や、 タックス・ヘイブンの廃絶などを提唱している団体である。

 また、 開催地の特色で、 ポルトアレグレでは農民運動や労働組合、 ムンバイでは抑圧されてきた弱者層−ダリット、 先住民族、 難民、 児童労働などのテーマが盛り込まれた。 こういう反グローバリゼーション派が抗議デモという行動の場ではなく、 議論する場に一堂に会することにWSFの意義がある。

 このように、 ダボス会議に対抗する反グローバル化の多様な運動が相互に連携し合うためのオープンなフォーラムとして出発したWSFだが、 「9.11」をきっかけに米国を中心とする軍事的な支配との戦いというもう一つの課題を抱え込んだ。 そのうねりは、 ヨーロッパ社会フォーラムから提案され第3回WSF会場で採択した、 昨年2月15日の世界反戦デーで、 1000万人の反戦行動となって結実した。 しかし3月20日、 米英軍のイラク攻撃が開始され、 イラクは未だ米軍の占領下にある。

 今年1月の第4回WSF会場になったムンバイ近辺は、 マハトマ・ガンジーの非暴力運動の拠点だったこともあり、 米国製品のボイコット運動が呼びかけられたそうだ。 アメリカのANSWERから呼びかけられている3月20日の世界反戦デーと共に、 「もう一つの世界は可能だ」と信じて歩んで行きたい(ちなみに、 神戸でもこの3.20世界反戦デーに呼応して、 「1万人のピースウォーク」を開催しますので、 是非ご参加下さい。 詳しくはhttp://www.kcc.zaq.ne.jp/lovepeace/)。

* * *

 次号は、 兵庫県震災復興研究センターの出口俊一さんにお願いします。

(小林郁雄→野崎隆一→宮西悠司→佐野末夫→中島克元→中村順子→海崎孝一→某市某職員→前田裕資→佐藤三郎→細川裕子→)


 

連載【コレクティブハウジング14】

震災10年目を迎えて居住者サポートの視点の変革の変革も必要

石東・都市環境研究室 石東 直子

 昨年の7月から六甲アイランドにある神戸市営復興住宅で、 黒田裕子さんたちと火曜日の午後に「コミュニティ茶店」を開いている。 高齢化率44%、 65歳以上のひとり暮らし世帯率30%という200戸の高層住宅である。 昼間、 各階の廊下を廻っても人に会うことはめったにない。 コミュニティプラザを借りて開いている「コミュニティ茶店」には3時頃には15人前後が集まり、 賑やかな話し声や笑い声が飛び交う。ほとんどが常連で70代後半から80代の方で、 火曜日の午後を楽しみにしていると言う。 クッキーつきの飲み物が100円で、 子どもは50円である。 しゃれたテーブルクロスとカップ、 壁には明るい大きなタペストリー、 笑顔のサポーター、 町中のティルームに出かけてきたような雰囲気であるという。 放課後には子どもたちもやって来て、 柔らかいエネルギーを添えてくれる。 私たちは運営資金の確保に頭を悩ます。 食材費と集会所利用代は飲み物代で賄えるが、 サポーターの交通費、 活動費、 備品調達や事務経費等は仲間からのカンパに頼っている。

 

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コミュニティ茶店
 
 神戸市灘区にある県営岩屋北町住宅(ふれあい住宅22戸と一般住宅44戸で、 シルバー住宅が合わせて50戸)では土曜日の午後、 神戸大学総合ボランティアセンター・灘地域活動センターの学生たちが「お茶屋いわや」を開いている。 ケーキつきの飲み物が50円で、 テーブルの上のお茶菓子は自由につまめる。 2時半頃には来場者は30人ぐらいにもなり、 賑やかな話し声が響き、 数名の学生たちも間に入っておしゃべりをする。 緑茶のサービスをしたり、 お菓子をすすめたり、 ちょっとした学生の講話があったり、 時には楽しいイベントや全員で合唱したり、 みんなは時を忘れて楽しんでいる。学生のこまやかな気配りと気さくさが高齢者の気分を開放させる。

 この陽だまりのような喫茶に来る人はほとんどが常連で、 70代後半から80代半ばぐらいの人が多い。 閉じこもっていることの多い高齢者たちにとっては待ちどうしい楽しみの場である。 復興住宅の高齢化がすすみ、 安否確認等のためには公的支援制度のLSAや高齢者見守り推進員がいる。 定期的に訪問されて見守られているという受身的な安心感に比べて、 自らが人の輪の中に出向いて楽しい時を過ごすという能動的な行為は、 元気を持続する源である。 隣人たちとふれ合い親睦を育む陽だまりのような場が身近に必要である。

 震災から人々は9歳も年をとった。 高齢者のこの歳月の重みは大きい。震災直後からしばらくは居住者の自立をうながすきっかけづくりとしてのサポートが必要であったが、 70代後半から80代の後期高齢者が多くなった住宅では、 自立を促すにも限界があるように思う。 自治会に活動費助成をして自らがコミュニティを形成していくのことは重要なことであるが、 それは自治会運営ができるエネルギーのある居住者がいるということが前提であろう。 後期高齢者が多くなった住宅では例え自治会運営がなされていても、 少数の元気な人たちだけで多くの高齢者を支えるにはエネルギーが足りず、 外部からのサポーターを必要とする。 その外部サポーターたちの交通費や活動費に公的補助が必要である。 震災10年目を向かえての居住者サポートの新たな視点である。 居住者の中にも外部にも、 自分の時間を少し割いて、 高齢者等の元気アップのために活動したいと思っている人はいる。 その人たちに手弁当で交通費も自前でというのでは限界がある。 交通費とささやかでも時間給が保証されれば有償ボランティアとして人材は得やすいし継続もする。 これらの方策は従来の住宅管理(ハードな建物管理)に加えてソフトな住宅管理と呼ぶことができよう。


 

連載【箱根山上からの便り3】

作麼生!スタンダード!3

元まち・コミ代表、 雲水/修行僧 小野 幸一郎

 復興まちづくりが提示するスタンダードのその最たるものは、 何と言っても人類最大の課題、 「自治」でありましょう。 自治とは実際問題として何なのか?震災後のあらゆる局面でその内容が問われていたといってもよいと思います。 まぁそれも当たり前というのは、 震災とは結局人間社会の真っ只中で起きた出来事だからでありますね。

 さて、 昨年から今年にかけての世界的な重大関心事の一つと言えば、 例のイラク問題であります。 「復興支援」の為にいよいよ自衛隊も派兵(派遣?)された訳ですが、 この件で私がずーっと疑問に思ってるのは、 「結局日本にいる(私たち)が何を問題として知るべきで、 それに対して対処すべきなのか?」ということでした。

 もちろん勉強すればイラクの抱える問題というのは知ることはできるでしょうが、 実は私はあんまり勉強する気がおきません。 何故なら私とイラクという国はあまりにも接点がなく、 関係がないと思っちゃうからです。 まあしかし、 今はなにせ国際社会の時代ですので、 そんな事を言ったらおこられますし、 石油の事云々を鑑みれば全く無関係とは言えない(はず)。 では、 何を問題として知るべきなのか、 そしてその地にいない者が何が出来るのか?
 突然一体何を言ってるのかというと、 私はイラク問題というのは究極、 イラクの人々にせよ、 それに関わる外部の人間にせよ、 「自治の力」というものが問われていると思うのです。 少なくともその視点を根底にもたないと最終的には、 もしくはそもそもがどうあるべきなのか(だったのか)を見失ってしまうことになると思うのです。

 自治の力というのは端的に言えば当事者能力です。 当事者として物事を考える力がなければ、 他人のことなど考えられるはずがありません。

 自治の力というのは、 とんでもなくめんどくさい状況とあきらめずに付き合って行く力であると言えます。 能書きや理想論ではとてもじゃないけど乗り越えられません。

 自治の力というのは他者と物事を共有していく力です。 正か邪かなどという二元論で考えていてはとてもじゃないけどできません。

 復興まちづくりの現場にはそれらの「実際」が充満してませんでしたか?
 はっきり言って、 震災の経験をこれからに生かすという事を考えるとき、 その内容を「自然災害」やら「まちづくり」やらの各論でだけで考えるというのは、 結局その内容を矮小化していることになるんじゃないかと私は思いますね。 震災の経験から導き出されるスタンダードな意義とは何かを本気で考えるのであれば、 人間社会のど真ん中を貫くだけの質をもった内容を導き出さなけりゃと思うんですがいかがでしょう?
 例えば「自治」ということをスタンダードとして抽出した時、 そこから見える社会像は、 この国の有り様を根底から変えてしまうだけの意味を持ってると思うのですが、 まあそんな事言っても例によっての誇大発言としか受け取られないんだろな、 きっと。

 阪神・淡路大震災は、 自覚するしないに関わらず、 ほとんどの日本人がおざなりにしている自治というテーマが、 どれだけそこに住む人間の社会生活に影響するかをイヤというほどしらしめた。 それをしっかりと踏まえさえすれば、 どのような専門知識やネットワークが必要で、 それは例えば「イラク問題」にだって十分通用するとかいうようなことも、 自明の理だと思うのですが、 いかがでしょう小林さん?   (全くそのとおり!さすが僧。 小林郁雄)


 

連載【大大特6】

地域商業の再生
−「震災からの地域商業の再生、 中心市街地の活性化」について

アップルプラン 天川 雅晴

第4回大大特(地域経済復興)研究検討会
*日 時:2004年1月20日(火) 18:30〜21:00
*場 所:こうべまちづくり会館2階ホール
*テーマ:地域商業再生フォーラム
*内 容:震災からの地域商業の再生、 中心市街地の活性化に関する新春討論会
*出席者:森崎清登/近畿タクシー、 薮本和法/兵庫県、 三谷陽造/神戸市、 小林郁雄/コー・プラン、 司会:久保光弘/久保都市計画事務所


 司会の久保さんより「神戸・長田はこれまで三つのターニングポイントがあった。 震災後は、 ケミカルを中心にしたピラミッド型構造から多角的構造になり、 現在は個人の自発性・自主性が出てきており、 地域産業の再生の目があるのではないか」という問題提議があり、 三谷さん「自分が売る単価を上げるためにはどうすればよいか。 商売は技術の高度化を図ることが大事であり、 それが地域雇用を支えている。 ゴムのりから進化した企業が長田にある。 震災で長田そのものが変わった。 地域の活性化には若者・よそ者・ばか者の三者が必要。 地域・商業・産業の活性化が必要である。 」

 小林さん「台湾の震災復興は、 地域の地場産業をベースにした雇用を高めていけば生活の復興に貢献する、 という考えで行っている。 昔からの地場産業の再生、 高度化、 地震断層の観光化、 紹興酒工場の再生、 などである。 神戸では長田TMOなどが震災後に地域の経済復興として新しい経済の目を作っていくことをやっている。 水道筋商店街は商業というより地域サービス産業と考えた方が良いのではないか。 」

 森崎さん「本業の魅力は、 商店主の値打ち、 地域の値打ち、 そしてとんがったものを持っていることだ。 とんがったものどうしがいっしょになれば活性化する。 商業は地域をベースに成り立っている。 年6回のイベントのうち4回はなんとかなるが、 後2回のイベントをすることによって地域の値打ちが分かってくる。 」

 薮本さん「人材が必要。 他の人を巻き込んでやっていくのがよい」と、 出席者の方々の話が続いた。

 会場参加者の稲荷市場のお菓子屋さんから「イベント・まちづくりについての資料を集めた場が欲しい。 本屋は話題になっている本しかない。 勉強ができる場が欲しい。 」という意見に対して「人が育つのが大事であって、 実際にやっている人に直接会って話を聞くのがよい。 」と小林さんから応答があった。 稲荷市場のせんべい屋さんの「菜の花ロードのイベントで菜の花せんべいを作ったように、 これから新しい商売に取り組んでいく。 」という話を受けて、 三谷さんは「自分の自慢する商品を出していくのが大事。 」久保さんから「年をとればベンチャービジネスが出来なくなってくる。 」また会場の野田北部まちづくり協議会の河合さんからは「商業者は自分のテリトリーを決めてしまっている。 」神戸市垂水区役所の大塚さんは「商売の基本は売れるものを作ることである。 誰を対象にするのか、 地域を主にするほうがよいのではないか。 」などの意見交換があった。

 また稲荷市場が1月24日にイベントを行うという話には、 三谷さんから「商業者は何故イベントをするのか。 儲けるためではないのか。 来て欲しい、 買って欲しいからではないのか。 」そして大塚さんからは「地域の持っている歴史を活かしていく。 まちの持っている雰囲気を活かしていく。 菜の花を使ったせんべいを作ったことはすばらしい。 展開していけば良いのでは。 」という意見が出た。

 その他に会場の石東さんからは「昔元気だった人たちがお弁当、 お惣菜屋などの暮らしのサービスするような店をつくることをサポートする必要があるのではないか。 暮らしている人が元気になれば地域も元気になっていくというような逆廻りの発想があってもいいのではないか。 」という意見も出された。

 こうべまちづくりセンターの垂水さんから「こうべまちづくり会館ができてから10年が経った。 これからは情報発信の基地になっていきたい。 まちづくりをやっている人のサポートセンターになっていかなければならない。 」というコメントがあった。

 最後に大大特の顧問である小森先生が「我々は医者でいえば病理学者。 失敗した事例を分析することも必要である。 今日は成功事例で元気になる話であった。 新長田と六甲道は副都心という看板が下ろせないでいる。 将来はストックの入れ替えではなく、 中身の入れ替えで対応しなければならない。 10年後、 20年後はどうなるのか、 新長田で育ったまちのストック(人)がものをいう。 まちは変わっていくのだ。 西のストックを活かした東の活性化をコンサルタント・専門家ではなく非営利の団体が行っていくのがよいのではないか。 」とまとめられた。

 

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会場の様子
 


「神戸発」イラストレーター おさないまこと、
テレビで全国にデビュー!

 

 雑誌の表紙デザインなどで大活躍中のイラストレーター・おさないまことさんは、 神戸のご出身。 ご縁があって、 「港まち神戸を愛する会」の会員、 そればかりでなく、 会報「港まち通信」の表紙・カットを創刊号以来、 ボランティアで引き受けていただいています。

 最近、 灘中央筋のポイントカードや、 エコタウンのイメージキャラクターの「パンダ」クンをご存知の向きもあろうかと思いますが、 彼(!?)の生みの親もおさないさんなのです。 ほのぼのとした、 独自の表情のおさないキャラクターたちと、 皆さんは何気なく店頭などで慣れ親しんでいるのではないでしょうか。

 そのおさないさんの作品が、 このほどブラウン管を通じて全国のお茶の間に登場しました。

 

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「ミニモニ。でブレーメンの音楽隊」エンディングの一場面(C おさないまこと)
 
 NHK教育テレビの、 毎週土曜日午後7時からの30分連続ドラマ番組「ミニモニ。 でブレーメンの音楽隊」。 このエンディングタイトルバックの、 粘土人形による「ブレーメンの音楽隊」のアニメーションをおさないさんが担当しています。

 立体に動きが加わって、 新たな「おさない」ワールドが展開しています。 いま人気の「プチモ二。 」のチェックもかねて、 ご覧になってはいかがでしょうか。

 なお、 「ミニモニ。 でブレーメンの音楽隊」は、 3月までの全12回放映の予定です。

 おさないまことのホームページ http://www.macochan.com/

(中尾嘉孝記)


 

連載【街角たんけん4】

Dr.フランキーの街角たんけん 第4回
「灘文化軸」を歩く(その1)

プランナーズネットワーク神戸 中尾 嘉孝

 去年秋、 県立原田の森ギャラリー(旧近代美術館)と、 HATの県立美術館とを結び「灘文化軸」と銘打って、 ここを中心としたアートフェスティバルが展開されたことは記憶に新しい。 果たして東の「文化軸」は、 どんな表情を持っているのか。

 動物園が諏訪山から移転してくる遥か前、 明治22(1889)年、 ウォルター・ラッセル・ランバスによって、 この地に創設された関西学院では、 稲垣足穂や竹中郁らが青春期を過ごし、 日本最初の合唱団(現関西学院大学グリークラブ)も結成された。 また、 関西学院の周辺では、 大正期に、 若き芸術家達が新興芸術活動を立ち上げたといわれるなど、 原田の地には、 「文化軸」に相応しい地霊(ゲニウス・ロキ)が宿っている。

 

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明治終わり頃の関西学院(写真集「神戸100年」より) 王子市民ギャラリー
 
 往時の関西学院キャンパスの面影を唯一伝える王子市民ギャラリーは、 元々、 明治37(1904)年にアメリカの銀行家・ブランチ氏の寄付で建設されたブランチ・メモリアル・チャペルであった。 空襲で煉瓦造の躯体を残して焼け落ちたが、 神戸博(昭和25年)の際、 復旧されパビリオンとして再活用された。 その後、 アメリカ文化センター、 市立王子図書館として親しまれてきた。 平成5(1993)年に戦災で失われた鐘塔など竣工当時の外観を復元、 再生された。

 この前庭には、 関西学院発祥の地の碑も建てられている。 が、 その近くの植え込みの茂みにも注目を頂きたい。 そこには、 神戸市(葺合)と、 原田村の境界をしめす石標があるはずである。 そう、 灘も昔は「神戸ではなかった」のである。

 

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竣工当時の旧県立近代美術館 旧県立近代美術館 階段室
 
 赤レンガのギャラリーから道を隔てて南側に広がる、 原田の森ギャラリー。 その建築は、 村野藤吾と兵庫県建築部営繕課の共同設計作品である。 独特の構造によるピロティーを持つ正面側のファサードや、 内部の大階段の空間構成などには、 村野らしいラインが感じられるし、 たとえばバックヤード部分にある階段室の構成は、 当時の営繕課長で、 基本設計を行った村野との調整にあたった光安義光の好みが現れているように思う。 どのあたりに2人の個性が発露されているのか、 たしかめて歩くうちに、 いつしか私はギャラリーの通用口をでて、 南のJR灘駅の方角へ向かって歩き始めていた。

(この項つづく)

 

連載【まちのものがたり11】

夜の小さなあかり(3)
母の卒業

中川 紺

 あれは私が大学一回生の冬、 二人で映画を観た帰りだった。 八時を過ぎてもうすっかり暗くなっていたのに、 何かの理由で回り道をしていた母と私。 気が付くと見覚えのある道を歩いていて、 しばらくすると一年ぶりに見る高校の校舎があらわれた。

 「みんながんばってるわねえ」

 そう母が言う視線の先には教室からもれている電灯の光が並ぶ。 定時制の授業中だ。

 「ここに通いたいと思ってるんだけど」

 さらりと母は言った。

 「……どうして?」

 何と返事していいのか分からず、 とりあえずはそう言ってみた。

 「マユコにはあんまり詳しく言ってなかったと思うけど、 お母さんが高校二年の時におじいちゃんの会社が倒産したり、 いろいろあってね、 学校は結局やめてしまったのよ」

 祖父が友人と立ち上げた会社がつぶれてかなりの借金を抱えて苦労した、 という話は、 そういえば聞いたことがあった。

 「やめて働いたのは最終的には自分の意志だったから別にいいのよ。 でもいつかは卒業したいって思ってた。 ううん、 機会ができたら必ずしようって考えてたの」

 話すうちに母は、 母親でなく、 イシザキアサミの顔になっていた。 自分がやりたいことをただまっすぐに言っていた。 私は言った。

 「いいんじゃない、 やってみれば。 夜間ってたしか四年制でしょ? 二年に編入したら私と一緒に卒業だよ。 それもいいよね」

 

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● ●

 それから三年間、 母は結構がんばった。 パートと学校の両立をはかろうとする母を、 私もできる限り手伝った。

 あとから分かったことだが、 学校の前であの話をした時には、 もう単身赴任中の父も了承済みで、 しかも願書を出していたらしい。 母は一ヶ月後の面接と作文の試験をクリアして、 見事二年生の位置におさまった。 クラスには母よりも年上の社会人入学生が数人いた。

 意外と授業は楽しいらしかった。 試験の時には私が家庭教師をした。 文化祭(そういう行事もいろいろあった)ではうれしそうに屋台で家の味付けのおでんを売っていた。

● ●

 そして来月、 母は卒業する。

 私の卒業論文も無事終わったので、 二人一緒に卒業である。 当初の予定通りだね、 と私たちは笑いあった。

 予定外の出来事は、 来年度から市内三校の定時制高校の統合によって、 この学校の夜間部は春には無くなるということだった。 もちろん昼間部はそのままだから学校そのものが消えてなくなるわけではない。 けれど、 夜間部との接点を持ってしまったせいか、 何となく気になって、 最近ときどき私は母を迎えに夜の高校へ行く。

 すぐ前の喫茶店で待っていると授業を終えた母がクラスメイトと一緒に門に近づいてくる。 店を出た私は母と二人、 いつかの日のように校舎を見ていた。

 あの電灯のあかりを見るのも、 もうすぐ最後になるわね、 と母がつぶやいた。

 校舎は三年前と変わらず、 授業を終えた生徒たちを次々と送りだしていった。 (完)

(イラスト やまもとかずよ)


阪神白地 まちづくり支援ネットワーク・第36回連絡会報告

 

 今回のテーマは「密集地区整備における建築」で、 2月6日(金)、 こうべまちづくり会館にて行われました。

 まず小林郁雄さん(コー・プラン)よりテーマ解説があった後に、 次の3つの報告がありました。

(1)「門真市末広南地区、 石原東・幸福北地区(区画整理事業)」/柳井理廣(株式会社テン設計)
(2)「神戸市湊川町地区(震災復興事業)」/柳川賢次(柳川賢次建築設計事務所)
(3)「大阪市法善寺横町」/小川惠三(竹中工務店)

 

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末広南地区
 
 柳井さんからは、 昭和40年前後より急速に密集市街地が形成された大阪市近郊の門真市において、 区画整理事業と密集事業を適用して、 10数年にわたる密集地区改善の取り組みが報告されました。 事業の詳しい経過を述べられたのち、 整備された共同化建物群によって、 統一感のある町並み(イメージコンセプトは“大正ロマン”)を造り上げてきている事例が紹介されました。 柳川さんからは、 震災復興区画整理事業(ミニ区画整理)が行われた神戸市兵庫区の湊川地区において、 複雑な敷地形状の共同化建物(ピースコートI・II)について、 路地空間など元のまちのイメージを醸し出すデザインに工夫をこらしてきたことなどが報告されました。 小川さんからは、 道頓堀の旧中座の火災で類焼した「法善寺横町」の復興事業において、 連担建築物設計制度の適用によって現状の道路空間に近いかたちでの再建を可能にした取り組みについて報告されました。 (中井都市研究室 中井 豊)

阪神白地まちづくり支援ネットワーク・今年度の予定
月 日 テーマ
4月9日(金) まちのコンバージョン
6月11日(金) 民間コレクティブハウジング
8月9日(金) テーマパーク型まちづくり
10月8日(金) 都市空間像
12月10日(金) (仮)復興まちづくり検証



情報コーナー

 

●第68回水谷ゼミナール

・日時:2月27日(金)18:30〜21:00
・場所:こうべまちづくり会館6階会議室(神戸市中央区元町通4丁目、 TEL.078-361-4523)
・内容:「新人の研究発表」
 (1)「都市計画マスタープランについて」/松本依子(姫路工業大学、 GU計画研究所)
 (2)「震災復興事業地区における街区公園の住民参加型施設計画の特徴とその利用満足度の検証」/荻本真由(環境緑地設計研究所)
 (3)「旧都市計画法下における“受益者負担制度”問題に関する一考察〜神戸市における主体間の対立に着目して〜」/森本米紀(神戸大学大学院自然科学研究科博士課程)
 (4)「インナーエリアにおける個別改善型住環境整備手法に関する研究〜神戸市における建築基準法43条ただし書き許可の事例分析を通じて〜」/金明権(UR大阪)
・問合せ:ジーユー計画研究所(TEL.078-251-3593、FAX.251-3590)

●京都大阪神戸のNPOによるまちづくり

・日時:2月27日(金)13:00〜16:30
・場所:大阪市住まい情報センター3階ホール(大阪市北区天神橋6丁目4-20)
・内容:<基調講演>「NPOによるまちづくりへの期待と課題」小森星児(神戸山手大学前学長、 ひょうごボランタリープラザ所長)
 <活動報告>石本幸良(NPO法人都心界隈まちづくりネット事務局長)、 秋田光彦(上町台地からまちを考える会代表理事)、 古田篤司(NPO法人 新開地まちづくりNPO事務局長)
 <パネルディスカッション>「NPOによる地域のまちづくり」コーディネーター/小林郁雄(NPO法人神戸まちづくり研究所理事)、 パネリスト/小森星児、 石本幸良、 秋田光彦、 古田篤司
・問合せ:住まい・まちづくり活動推進協議会事務局(TEL.03-3591-2361、FAX.3591-2456)

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