神戸市の「協働と参画」、 3つの疑問市民版参画条例研究会 高田 富三 |
2001年12月、 わたしたちは、 「市民版参画条例研究会」を発足しました。 同年10月選出された矢田立郎市長の公約である「市民参画条例」の策定に賛同し、 民間サイドから神戸市を「市民が主人公のまち」にしたいと考えたからです。 本誌のテーマである「協働と参画」につき、 「誰が何をどのように語ってきたか」経過を追って整理、 コメントいたします。
01年11月20日 矢田立郎市長就任の記者会見に於いて市民参画について所信表明
3つの疑問
「まず第1に、 一人ひとりの『市民が主役のまち』の実現をめざします。 市民一人ひとりをまちの主役とし、 地域の力を市政の基盤といたします。 市政への市民参画を進め、 これを制度的に保障する、 市民参画条例の制定に取り組んでまいります」
02年3月9日 神戸市市民参画推進局長桜井誠一氏の発言(第1回東灘・灘区合同ワークショップ)
(「市民が主役といわれても、 形だけ利用されるのはいやだ」という声に)「そのようなことはしない。 予算の関係あるも、 第2回、 第3回を行う。 第3回を今年の夏秋頃行いたい」
02年5月11日 市民版参画条例研究会、 第1回シンポジウム開催、 「市民がつくる参画条例(案)骨子」発表
元逗子市長の龍谷大学法学部教授・富野暉一郎氏を招きシンポジウム。 「市民がつくる参画条例(案)骨子」発表。
02年6月30日 神戸市市民参画推進局次長玉田敏郎氏の発言(第2回東灘・灘区合同ワークショップ)
冒頭、 「今回を持って、 このようなワークショップは終わる」と発言。 (「前回の桜井氏の発言と異なる。 市民参画というならば、 もっと市民を交え運営すべきでないか」という市民の意見に対し、 )「市が主催しているので、 市が決める。 市民がやりたければ、 市民でやればいい」と答える。
なお、 第2回ワークショップの前に、 「参画と協働」が「協働と参画」に変わるが、 変更の説明、 神戸市の広報でも未だなされず。
02年11月10日 市民版参画条例研究会、 「第2回市民参画条例シンポジウム」開催
参画の先進自治体から愛知県高浜市長・森貞述氏、 北海道ニセコ町長・逢坂誠二氏と、 富野暉一郎氏を招き、 シンポジウムを開催。 「参画は市民の権利であり、 協働は行政の責務」「参画は、 情報共有が前提とするならば、 住民投票はその担保」長野県知事田中康夫氏から賛同メッセージが寄せられる。
03年4月23日 矢田市長「住民投票についての見解」を記者会見にて表明
「わたしは、 自分たちの住んでいるまちを良くするのかどうかということに関して、 本当にそういうこと(住民投票)を言う人が、 自分たちの気持ちとして持っているのかということを思います。 本当に自分たちの気持ちとして、 このまちをこういうふうにしたいと思って、 実際に取り組んでいる人はたくさんいらっしゃいますが、 そういう人はあまりそういうこと(住民投票)は言わないです。 」(疑問1)
03年10月4日 市民版参画条例研究会、 第3回シンポジウム「さあ、 つくろう住民投票」開催、 「市民版参画条例(案)」発表
広島市長・秋葉忠利氏、 尼崎市長・白井文氏、 高石市長・阪口伸六氏を迎え、 「市民参画への思い」を語ってもらう。 田中康夫氏賛同のメッセージ。 同時に、 「市民参画」は「情報公開・共有」を始まりとし、 「住民投票」はそれを支えるものとする、 全50条の「市民版参画条例(案)」を発表。
04年3月29日 神戸市会「神戸市民の意見提出手続に関する条例」、 「神戸市民による地域活動の推進に関する条例」、 「神戸市行政評価条例」を、 可決 (施行期日 平成16年10月1日)(疑問2)
04年3月30日 神戸空港建設をめぐる神戸地裁判決(新聞の見出しから抜粋)
「神戸空港『必要性に疑問』、 公費支出返還訴訟、 住民の請求棄却」、 「『机上の計算』批判も。 神戸空港需要予測、 集客に努力必要」、 「市財政への影響言及、 市の方針に重い課題」(読売)、 「『市債償還できぬ恐れ』住民の返還請求は棄却」(毎日)、 「『市長裁量の範囲内』、 差し止め請求神戸地裁が棄却、 必要性には疑問」「行政側には重い課題」「神戸市に課題突きつけた」(神戸)、 「『財政悪化の可能性』原告請求は棄却」(朝日)(疑問3)
(疑問1)神戸空港建設の是非を問う住民投票を求めた30万余の神戸市民は、 「自分たちの住んでいるまちを良くするのかどうか」を考えていないということでしょうか。
(疑問2)3条例の目玉である「神戸市民による地域活動の推進に関する条例」は「市民の権利」がなく、 「役割]という「義務」のみが謳われた全国でも稀有な「市民参画条例」です。 またあとの2条例は、 既存の内部手続きを条例化したものに過ぎないのではないでしょうか。
また、 上述のとおり形だけでも市民参加した「地域活動条例」と異なり、 市役所内部でつくられ、 その過程も公開されないものでした。 これが「市民参画」という名に値するのでしょうか。
(疑問3)神戸空港裁判での裁判官の疑問に対し、 神戸市の説明責任(情報提供責任でもある)をどう全うするのでしょうか。 矢田市長の言う『市民が主役』の真価が問われます。 なお、 市民のHPでは空港裁判の判決全文を見ることができますが、 神戸市のHPをみる限り、 空港建設進捗状況以外に目新しいものや、 裁判所の疑問に耐えうるものは未だ見つけることはできません。
次回は、 御蔵5・6丁目まちづくり協議会の田中保三さんにお願いします
(小林郁雄→野崎隆一→宮西悠司→佐野末夫→中島克元→中村順子→海崎孝一→某市某職員→前田裕資→佐藤三郎→細川裕子→出口俊一→高田富三→ )
新緑の頃となりました。 新緑の初々しさは、 神戸も東京も変わりません。 人間もそうあって欲しいと思いつつ、 慣れない東京での生活を開始しました。 ともかく、 新社会人の気分です。 27年前、 神戸に赴任した時のことが、 思い出されます。 あの時も、 不安と希望の入り混じった気持ちで、 ほんの少し前の暮らしを懐かしんでいました。 今も、 少しの悔悟の気持ちで、 神戸の暮らしと友達が、 とても懐かしく思い出されます。
別れに際して、 「寂しくなるね」という、 心のこもった言葉をいただきました。 その言葉で、 皆さんとの深い心のつながりが再確認でき、 とても嬉しく思いました。 にもかかわらず、 十分にお礼の言葉を述べることもなく、 闇雲に背中を向けてしまったことを、 心よりお詫びいたします。 確かに物理的な距離は遠くなりますが、 心理的な距離は今までと変わらないとの思いもあって、 ことさらに「別れの場」を持ちたくなかったのです。
ということで、 これからも今まで以上に親しくお付き合いください。 お手紙やメール、 電話などいただければと思います。 また是非、 研究所はもとより、 自宅にも遊びにきてください。 三鷹も番町もとてもよいところです。 番町の自宅には、 議論をするのに十分なお酒とスペースを用意しました。
転居にあたっての引越し先を、 恒例に従ってお知らせします(HPでは秘密)。
まちづくりの仕事で「言葉」は大切な道具である。 大学の恩師丸茂弘幸先生は、 「都市デザイン」というなじみない考え方が地に足ついたものになるためには、 自分の母親に言って聞かせてもわかるような平易な言葉で語る必要性をおっしゃっていた。 先生は、 なじむ、 なごむといった<な>という語幹を含む一群の「やまとことば」に着目されていた。 私はそこまで都市デザインの根源的な問題にはいたっていないが、 まちづくりの仕事のなかで「キーワード」や「テーマ」によって、 楽しい方向性がみいだせるのではないかと感覚的に取り組んでいる。
最近は、 小学校での授業が増す一方で、 ご高齢の方々の講座も多くなったが、 そのいずれの機会にも、 この「ケーキ」と「お好み焼き」のおかげで、 皆さんと、 これからのまちづくりについて有意義に語りあうことができている。 話はそれるが、 近年、 各地の多くの女子大に建築の授業に呼ばれる。 ケーキは「建築」の授業でも使える。 ケーキを崩さずにエレガントに食べるためには建築構造が解っていないといけないと説明する。 ケーキのおかげで学生に建築からまちづくりへの関心をもってもらえる。 というより、 ケーキによって、 学生自身が普段から潜在的に考えているわが街への関心を表立てることができているのだろう。
いままでいく機会の少なかったニュータウンへ訪れる機会を提供している。 一方、 お好み焼き屋さんは、 神戸に多彩に残る地ソースとあいまってローカルブランドを味わう場として、 そして井戸端会議など地域交流の場として機能し、 下町のアイデンティティとなってきていることなどである。 これについては著書にも詳しく書いたので機会があれば味わってください。 いずれにしても、 両者の店は、 いうまでもなくデパートや繁華街の店でなく、 人が住む街のものである。 「住宅街の店」の人気の高まりは、 住む人からも親しまれているという信用と無関係ではない。 そしてそれらの店は、 街のアイデンティティやコミュニティといった公共施設的な役割も果たす。 戦後の神戸の街に、 灘、 兵庫、 長田の下町にお好み焼き屋さんが果たした役割を、 今、 神戸の新しい街、 西区や北区のケーキ屋さんも果たしているように、 私は思う。
私の小学校(芦屋市立朝日ヶ丘小学校)の卒業文集を読んでいると、 石が砕けてできた花崗岩質の校庭で遊ぶと、 切り傷が絶えず、 膝をつくとブツブツのクレーターができる、 といったことがでてくる。 私も、 野球少年だったからそのお陰で肘と膝は傷だらけであって、 また雨で練習が休みにならない水はけのよすぎるグランドは好きでなかった。 今でも女性の友人は、 この街の地面はヒールに傷がいくという。 でも、 東京の黒っぽい地面よりは、 転んでも白地の服でも汚れない。 村上春樹は、 水の干上がった芦屋川を上り、 水がどこから地下にもぐっているかを探した子供時代をデビュー作に書いている。 谷崎潤一郎は、 関西での最初の作品に、 この花崗岩質の明るい白い地面を、 東京の地面と対比して描写している。 石やそれが砕けた砂の地面は、 地域にとって、 われわれ人間が暮らすずっと前からそこにあるものである。
そして街にはその石を積んだ石垣が街並みを飾る。 六甲山の山麓に広がる斜面の街には、 敷地を平らにするために石垣は不可欠であった。 古来から山に畑を築くためには、 畑を耕すときに地中から出てくる石を積んできたのと同じように、 この街はつくられてきた。 だから谷崎潤一郎の作品のなかに、 色が書かれるような街になった。 その風景は、 いつまでも守っていきたい。 世界中でここにしかないものだから。
私は、 自分の街は、 ピンクの街と紹介してきた。 多くの人はあなたの街はネオン街ですかという。 この街の石は、 ピンク色の粒と、 谷崎のいう白い粒と、 他に黒い粒が交じり合ってできている。 だから谷崎は、 白を強調するが、 ピンクといっても嘘ではない。 不思議なのは、 この石が砕けて、 砂になるとピンク色の粒が消えてしまう。 先日、 小学校の授業で、 このピンクの粒が桜の色に変わるという嘘をついてしまった(もちろん訂正しました)。
石は子どもたちと、 まちづくりを語る機会を与えてくれる。
私が子どもの頃、 最初に考えたまちづくりもこの石垣でした。 近所の石垣で、 いつも割箸にタコ糸を結び、 その先にチクワをつけて、 石垣の穴を探りサワガニをとっていました。 そして自分の家の前でも釣れるように試みた思い出があります。
今は、 このカニが住めて、 また地域の風土的景観を形成しているこの石垣を大切にしたい。 そして石を使っていきたい。 今も畑を耕すがごとく、 街を耕すたびに石がでてくる。 しかし、 ほとんどが捨てられてしまう。 その場所に中国から持ってきた石が置かれたりする。 夢は、 耕しでてくる石をリサイクルし「石垣バンク」を開くことである。 こうやって自分が生まれ育った街で、 地域を見つめ直し、 また、 学生時代からまちづくりという新たな視点で街に関わるきっかけをくださった小林郁雄先生や天川佳美さんを始め阪神間・神戸の多くのプランナーの方々に心から感謝いたしております。
○日 時:2004年4月3日(土)14:30〜16:30
4月は桜見、 ということで昨年同様芦屋での開催となりました。
原田の森ギャラリーの通用門を出て東の方へ歩み出す。
南へ下る坂道へ曲がる辻に、 茶房プリンス。 その店先の止まり木ならぬ止まり鉄棒で、 まちのアイドル「ルリコンゴウインコのコロちゃん」が、 きょうも街角を見守っている。 (写真1)
やがて、 阪急高架橋のアーチ橋が目の前に広がりを見せる。 大震災の折に、 擬石風の装飾がはつり取られたが、 優美な曲線美は健在である。 阪急の高架の、 そのドッレッシーな意匠には、 深い理由があるが、 機会を改めて詳しくお話することとしたい。
昼下がりで閑散としているパンダストリートを歩く。 やがて、 広場の向うにJR灘駅北口が見えてくる。 (写真2)
大正12年の開業。 現在の北口駅舎は昭和9年に完成した。 軒周りをアールに処理したり、 平滑なファサードの扱いや大きくとられたアーチ窓は表現派を思わせる。 しかしながら、 アーチ窓の建具には、 ややクラシカルな意匠も見受けられる。
構内にも、 古い書体の駅名銘板や、 古レールを利用した跨線橋やホーム上屋、 ホームの蘇鉄など、 これほど文化軸の中心に相応しいたたずまいを持つ駅を、 私は他に知らない。 (写真3)
駅南側の広場から、 南側に下る。 かつて大陸へ向かうポートトレインが新港突堤めがけて駆け抜けた臨港線だが、 岩屋踏切から向うは、 すでに架線もレールも外されて、 貨物線の風情は日々、 色褪せつつある。
阪神岩屋駅は、 HATの玄関口らしく、 ゆとりを持った広場を持つ駅舎に生まれ変わった。 「灘」にとことんこだわるメールマガジンnaddistの発行者・慈憲一氏によれば、 この駅の南側には、 裕福な漁村であった岩屋の地力を背景に、 神戸大空襲で壊滅するまで、 近隣でも名の知れた花柳界があったのだという。 そんな岩屋の地霊に突き動かされたかのような御仁をモデルした、 中村美律子のヒット曲にちなんだ高層の「BBビル」が建ち上がるなど、 このあたりも様相は一変しているが、 小料理屋の屋号などに、 往時の花町の残り香が感じられる。 (写真4)
大きな歩道橋をわたると、 かつての神鋼・川鉄2大製鉄工場跡、 いまは臨海部の副都心HATである。 東西に、 シンボリックに建つタワー型高層マンションは、 いまやこのあたりのランドマークである。 (写真5)
22年前、 小学校のころは高層ビルといえば貿易センタービル、 再開発の三宮センタービルや、 六甲道のメイン六甲、 新長田のジョイプラザくらいしか巨大なビルはなかったように思うが、 今や摩耶山から旧市街地を見渡せば、 震災復興の高層ビル群のお陰で、 山の陰の新長田はともかく、 兵庫、 神戸、 三宮、 灘、 六甲道、 住吉と各JR駅がどこにあるのか判るようになった。 これはある意味、 東京並みに(良くも悪くも)さまざまな意味で物凄い事態である。
村野藤吾は、 「建物は地面から生えてくるように建てるものだ」という、 大雑多に言えばそんな趣旨のことばを残しているが、 安藤忠雄の県立美術館は、 村野の言葉を継承しようとするかのように、 ベースメントに御影石を取り入れた。 もし、 住吉界隈の大邸宅の外構にみられるような、 地場の御影の巨石でベースメントを作っていたならもっと良くなったかもしれない。
美術館や水辺広場には、 朝夕、 散歩などで人通りが生まれている。 (写真6) やがてはハーバーランドまで歩いて移動が可能となる渚の道が、 現在急ピッチで整備中である。 戦前まで、 敏馬(みぬめ)の浜辺には、 神戸レガッタ・アンド・アスレチッククラブのクラブハウスや別荘があり、 夏には海水浴場としてにぎわっていた。 形を変えて、 賑わいのある浜辺の空間が、 このハーバーウォークの完成によってどのように創出されていくのか、 いまから楽しみである。
妻の目的は「荷物持たせること」だ。 昼メシを食べた後、 買物を始めてすぐに気がついた。 冗談じゃない。 彼女は四時間でも五時間でも買物し続けられる体質なのだ。 「俺、 スケジュール帳買いたいから、 ちょっと行ってくる」私はそそくさと妻から離れた。
土曜日の午後、 あちこちに買物に来ている家族があふれているが、 私のような中年男の一人歩きはあまり見られない。 散歩気分で居留地をぶらぶらと見て回る私は、 信号を渡った先の建物に妙なものを見つけた。
建物は石造りの古いものだ。 壁には真ちゅう製の古い看板がはめ込まれていて、 すぐ横に地下におりる階段へ続く入口が口を開けている。 看板にはこうあった。
『客求ム/奇術師/階段ノ下ヘ』
怪しいと思いながらも、 私は階段に足をかけた。 外の音がまったく聞こえないところまでおりて行くと、 そこには教会の礼拝堂のような部屋があった。 くたびれた色の長椅子が並び、 前には舞台が備えられている。
「ようこそ、 ショーへ」
舞台の上から声がしたかと思うと、 二人の男が現れた。 アジア系の顔立ちの男たちは奇術師の兄弟だと名乗った。 スタンドカラーの中国服のようなものを着ている。 一人は紫、 一人は深緑。 言葉は流暢だが国籍も年齢も、 どちらが兄でどちらが弟かも特定できない。
私は長椅子に腰掛ける。 薄暗くてよく見えなかったが、 客は他にも数名いた。
「それでは」と紫の男が言葉を発した。 二人の奇術師は交互に手品を披露しはじめた。 小さな玉やコインを空中から出現させたり、 オウムを一瞬で横笛に変えて一曲奏でたり、 派手ではないが指先の動きは美しく、 質の高い技だった。 もちろんしかけはまったく分からない。 私は時間を忘れて見入っていた。
ショーが終わると、 私たちは拍手をして見物料を支払おうとした。 しかし深緑の奇術師がそれを制して「見ていただいたのは私たちの方なのです。 お礼にぜひこれを」と言うと、 手品で使った金色の玉を一つずつ手渡した。 私は『客求ム』の言葉を思い出した。
私が玉の乗った手のひらを軽く握ると、 奇術師は「その手を開いてごらんなさい」と言った。 言う通りにすると、 驚いたことに玉は小さなキャラメルに姿を変えていた。
彼は私にそっとささやいた。
「私たちは弟子を求めて国と時間を旅しているのです。 あなた見込みがある。 子どもの頃に戻って奇術師修行をしてみませんか」
(ばかな話だ)……だが、 私はあの技に惹かれていた。 つまらない会社を辞めて新しく人生をやりなおせるとしたら……。
しかし私は地下室を後にした。 一時間半程経っていたが、 まだ日は高い。 妻の携帯に電話すると彼女は買物真っ最中で「荷物、 重いから早く来て」と言うと切ってしまった。
次の日、 私はもう一度あの地下室へ出かけた。 しかし看板はおろか、 地下室への階段すら無くなっていた。 今、 別の誰かが、 奇術師としての時間を生きているのだろうか。
呆然と立ち尽す私がポケットから出したキャラメルは紙屑に変わっていた。 (完)
今回のテーマは「建築のコンバージョン、 まちのコンバージョン」で、 4月9日(金)、 ひょうごボランタリープラザにて行われました。 報告は以下の3題。
(1)「まちのコンバージョン:乙仲通界隈の事例から」/松原永季(スタジオ・カタリスト)
まずさん松原永季さん(スタジオ・カタリスト)より、 今回のテーマ解説も兼ねて、 「建築のコンバージョン」に関する最近の話題や課題を述べられた後に、 「まちのコンバージョン」という松原さんの“造語”に関して、 神戸の乙仲通り(栄町通と海岸通の間の通り)を題材に、 まちが変遷していく原因と過程、 現在の状況について語っていただきました。 上田さんからは、 ご自身が手がけられた大阪都心における賃貸アパートなどのリニューアルの事例について、 数多くのスライドを使って紹介されました。 様々な工夫や、 デザイン力が建物のリニューアルやコンバージョンに重要であることが実感させられました。 山本さんからは、 大阪都心に今も残る戦前長屋が多く残る地区において、 一軒の長屋をデイサービスセンターにコンバージョンした事例が紹介されました。 地域の商業者自身が事業化し、 長屋という高齢者になじみやすい空間を利用していることなど、 これからの地域づくりに示唆に富む内容でした。 (中井都市研究室 中井 豊)
ごあいさつ
独立行政法人 消防研究所 室崎 益輝
連載【阪神間倶楽部7】
ケーキの街を歩く
(ケーキ屋さんが街を動かしている、 その最前線)地域計画家/徳島大学助手・武庫川女子大非常勤講師・関西学院非常勤講師 三宅 正弘
●ケーキとお好み焼き
街コミュニケーションの道具
「まちづくり」を「テーマ」から考えてみたい。 というのが、 いつしか、 私の仕事のスタンスになっていた。 気がつくと「石」「ケーキ」「お好み焼き」といったピンポイントでまちづくりに取り組んでいる。 それは街の現場にいて、 街を語りあう際に「近所のケーキ屋さん」や「お好み焼き屋のおばちゃん」の話で盛り上がり、 最後には、 わが街自慢のケーキ屋さんがある街だとか、 鉄板一つでおばちゃんが焼くお好み焼きがある街といった、 まちづくりの話に展開する。 「お好み焼き」や「ケーキ」というものが、 実はまちづくりのなかでは大切なキーワードではないかと思ってくる。ケーキ屋さんお好み焼き屋さんは街の公共施設
なぜ、 ケーキやお好み焼きがまちづくりに関係してくるのだろう。 それはケーキ・お好みという「ものレベル」と、 ケーキ屋さんというような「店レベル」で考えなくてはならない。 ここでは紙面が限られるので要約するが、 例えば、 ケーキは近年ローカルな方向へ向き、 北区や西区のニュータウンで見られるように、 新しい街の街自慢となり、 住んでいる人のアイデンティティに繋がっている。 そしてブランドもローカルになり、 わが街意識を醸成し、 同時に他所の地域の人も訪れるような地域交流をひきだしている。
神戸とお好み焼き(2002年、神戸新聞総合出版センター)
石の街並みと地域デザイン(2001年、学芸出版社)
●石と石垣
子どものまちづくり
この辺りの小学生に、 みんなの街の石はどれでしょう? と聞くと、 ほぼ全員が正解する。 小学校の授業と同じことを、 大学でやってみると正解率はすこぶる下がる。 なぜだろう。 子どもにとって石はもっとも身近なものだ。 それが大人になるにしたがって忘れていく。 それは地域から関心がどんどんと離れていっていくのと同じだろう。
阪神間倶楽部 第7回研究会(第9回準備会)の記録
○場 所:芦屋市美術博物館
○参加者:31名
13:30ごろから各自で芦屋川周辺の桜見をしていただき、 三々五々美術博物館に集合。 三宅さんのケーキ談義をお聞きしながら、 アンリシャルパンティエの新作ケーキを味わいました。 その後開催中の「幻のロシア絵本1920-30年代」(日本初のロシア絵本展)を鑑賞しました。
連載【街角たんけん5】
Dr.フランキーの街角たんけん 第5回
「灘文化軸」を歩く(その2)プランナーズネットワーク神戸 中尾 嘉孝
写真1 原田のまちのアイドル(コロちゃん)
写真2 文化軸のへそ(JR灘駅舎)
写真3 レールと木の融合(駅構内跨線橋)
写真4 岩屋
写真5 HAT-EAST
写真6 渚の美の殿堂(県立美術館)
連載【まちのものがたり13】
看板綺談・1
奇術師の兄弟中川 紺
阪神白地 まちづくり支援ネットワーク・第37回連絡会報告
(2)「大阪都心のコンバージョン:多様な集合住宅へ」/上田智晴(上田智晴アーキテクツ)
(3)「大阪下町のコンバージョン:長屋住宅からデイサービスへ」/山本一馬(街角企画株式会社)
松原さん
上田さん(左)と山本さん
月 | キーワード | コーディネーター |
5月 | 率先共生 | 室崎益輝(消防研究所) |
6月 | 持続共生 | 加藤恵正(兵庫県立経済経営研究所) |
7月 | 現場主義 | 増田大成(ひょうごコミュニティネットワーク) |
9月 | 震災文化 | 山口一史(ひょうご・まち・くらし研究所) |
10月 | 地域力・市民力 | 渥美公秀(大阪大学人間科学部) |
10月 | エンパワーメント | 速水順一郎(兵庫県こども会連合会) |
11月 | 合意形成 | 立木茂雄(同志社大学文学部) |
12月 | 自律連帯 | 小林郁雄(コー・プラン) |
1月 | 参画協働 | 松本誠(市民まちづくり研究所) |
・問合せ:被災者復興市民会議III事務局(TEL.078-362-4218)
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