きんもくせい50+36+14号
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震災雑感

御蔵5・6丁目まちづくり協議会 会長 田中 保三

 阪神淡路大震災で焦土と化した御菅のまちに立ちすくみ戦後の廃墟となった博多のまちや疎開先から戻っての神戸、 三宮界隈が浮かんだ。 でも鉄やトタン、 倒壊家屋の木材類が殆ど残ったままだったのが戦災との違いだろう。 戦災は思いを巡らす力もなかったが震災では何と脆弱なまちに住んでいたのかと我ながら驚いた。 河内の八尾市太子堂に住んでいた時ジェーン台風に襲われた。 暴風雨の中、 家から少し離れた所にあった細長い兵舎が一気に長手方向に物凄い音と地響きを立てて倒壊した。 自宅の瓦が紙のように舞い上がり遠くへ飛んでいく。 近所の噂では大和川の堤防が決壊し大洪水が押し寄せると言う。 左岸の藤井寺には父の工場があり、 右岸なら我が家である。 強風と豪雨の中、 随分長い時間なす術なく恐怖のどん底に押し込まれた。

 大震災は極めて短時間であったが二階が今にも落ちて『押し潰される!』と思ったが揺れが激しく四つん這いがやっとであった。 この死の恐怖は未だ自分の身から消せない。

 ジェーン台風から震災まで経済至上主義を一気に追い求めてきた。 二十世紀二度の世界大戦は科学技術を飛躍的に進歩発展させた。 新しい商品が溢れ便利で快適な生活は人々の生活を楽にさせた。 だが一方それは電気、 水道、 ガス等多くのエネルギーが大量に使われ、 我々が住んでいる地球の環境が害され1972年成長の限界を警告された。 でもそれはわが身と別のことと無関心を決め込んだ。 そして20年余大地震はやってきた。 震災は便利で快適な生活が人々を幸せにしていないことに気づかせた。 嬉しいとか、 楽しいとか、 感動するとか生きていてよかったと思うことは物質的に豊かな生活とは別次元のことであった。 人と人との関係も交通通信手段の進歩により遠くの人とも簡単に会えるし、 話も出来るようになった。 だがその分身近な人とは一工夫が必要で疎遠になっている。

 ほんの5、 60年前人間は自然の一部と考えられていたのに科学技術の進歩によって人間は自分の利益のために自然を利用するようになった。 激震被害の渦中にあって『これは神も仏もあったもんじゃない』と神仏を恨んだ。 だが間をおいて人災に思いを馳せ『いやこれは神仏の試練だ』と自分の中で変化した。 今まちの中で個人間、 グループ間に問題がある。 問題はなくなる訳ではないが、 緊張をどう抑えていくか。 自然と人間の関係に思いを致し、 時間をかけて知恵や道具を探し当てたい。

* * *

 次回は、 阪神大震災を記録しつづける会の高森一徳さんにお願いします
(小林郁雄→野崎隆一→宮西悠司→佐野末夫→中島克元→中村順子→海崎孝一→某市某職員→前田裕資→佐藤三郎→細川裕子→出口俊一→高田富三→田中保三→ )


 

連載【コレクティブハウジング16】

ふれあい住宅(復興公営コレクティブ住宅)の検証(その2)
「ふれあい住宅連絡会」の功用について

石東・都市環境研究室 石東 直子

ふれあい住宅連絡会の結成目的

 10地区のふれあい住宅は97年夏から99年春にかけて入居が始まり、 「ふれあい住宅連絡会」はそれぞれのふれあい住宅の生活が少しづつ落ちついてきた2001年1月に発足した。 コレクティブハウジング事業推進応援団の入居前からの先導的なサポートから自立して10地区の住宅がネットワークを組み、 連絡会の目的として「ふれあい住宅連絡会の会則」に次のように記している。

 1. 本会は1995年の阪神・淡路大震災の復興事業として建設された、 全国初の公営コレクティブハウジング(以下「ふれあい住宅」と称す)の居住者たちが相互に交流し、 親睦を深め、 共通の課題の対応策を考えたり、 時には共にイベントを開催するなどして、 安心して楽しく暮らせる協同居住を育んでいくことを目的とする。

 2. 本会は、 歳月の経過によって生じてくるであろうさまざまな協同居住の問題、 とりわけふれあい住宅の居住者だけでは解決が難しいような問題に対して、 関係機関や支援者などに対応策やアドバイスを求めるときに、 居住者を代表した組織となることを目的とする。

 発足当時は、 10地区の住宅が足並みをそろえて参画していたが、 その後「脇浜ふれあい住宅」は脱会した。脇浜ふれあい住宅は入居時期も遅く、 他の住宅に比べて比較的若い高齢者が多く、 自治会として独自の親睦活動も活発だったので、 連絡会の必要性を感じないという自治会長の意向で脱会した。 しかし、 未加入の住宅にもコレクティブ応援団が発行する「ふれあい住宅連絡会ネットレター」は全戸配布を続けており、 恒例の秋のバスツアーには案内を配布しているので、 居住者の中には以前のように気軽に参加できなくて寂しいという声もあるようだ。 また、 連絡会の発足当初から、 自治会として全世帯加入の同意が得られず、 居住者の有志たちだけが参加している住宅もあり、 自治会として加入しているのは5地区である。 会費は加入世帯あたり1ヶ月50円を集めて、 2ヶ月ごとに開く連絡会世話人会の会場使用費、 事務文具・通信費、 秋のイベント補助費等に支出している。

ふれあい住宅連絡会の活動

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ふれあい住宅連絡会世話人会('040229 片山ふれあい住宅)
 連絡会世話人会はは各ふれあい住宅の居住者有志とコレクティブ応援団が集まって開催し、 それぞれの住宅の情況を交換しあって、 協同居住を運営する上での課題などを話し合っている。 わが国に前例のない住まい方、 しかもほとんどが高齢者居住であるということから、 いつも話題は深刻である。

 2001年10月には「公営コレクティブハウジング・ふれあい住宅の協同居住にかかわる課題の改善についての要望書」を県に提出した。 その内容は、 (1)協同スペースの電気基本料金の改定に向けての対策について (2)協同スペースの水道基本料金の改定に向けての対策について (3)ふれあい住宅の住まい方についての説明会や学習会の必要性について (4)協同居住ができない人が移り住めるような方策についてであった。

 (1)と(2)はともに建物設計のまずさに起因するもので、 実生活として必要以上の大容量の設備になっているために高い基本料金を払わされているので、 設備の改善要求である。 これに対して、 県は個別に調査をして一部改善策がとられた住宅もあるが、 まだ継続した課題となっている。 (3)については、 県営ふれあい住宅では新規入居者に対する入居前説明会でふれあい住宅の居住者代表が協同居住という新しい住まい方について説明をする機会をもち、 入居希望者は事前に希望住宅を訪問して説明を受けることもできるようになった。

 10地区のふれあい住宅のうち6地区は高齢者向け住宅で、 4地区は多世代居住であるが若い世帯の居住はごく僅かである。 従って、 近年の連絡会では、 居住者の加齢に伴って協同居住の運営ができなくなった時、 痴呆症や寝たきり状態の人が次々と出てきた時、 どのような対応ができるのかということに話題が集中する。 そのために、 まず各住宅の実状を正確に捉えた「ふれあい住宅カルテ」をつくることにして、 2001年夏に第一次のカルテを作成した。 居住者の動態や年齢構成、 協同の住運営情況(行事や共同活動、 共益費の収支等)、 居住者の住まいへの感想や自治会の課題等を把握した。 これはコレクティブ応援団の指導のもとに神戸大の学生が卒業論文として調査した。 それから3年経ち、 特に最近は居住者の動態やふれあい行事の縮小が目立ってきたので、 コレクティブ応援団は連絡会と共同で第二次カルテ作成のための調査を今年5月に行っている。最近の情況変化等を再診断して、 特に居住者の加齢に伴う将来の対応策を探ろうとしている。

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秋の一日バスツアー('031023 兵庫県立フラワーセンター)
 恒例になっている秋の大イベント、 バスを借り切って郊外へ出かける一日バスツアーがある。 これは県の「走る県民教室制度」を申請して、 10地区のふれあい住宅居住者全員に呼びかけて希望者が参加する。 居住者の楽しみや元気アップのためにどこかへ出かけたくても、 単独の住宅だけではなかなか実現しにくいが、 連絡会なら実現できる。 バスツアーの参加者たちは他のふれあい住宅の人たちとも知り合いになり交流が広がっている。
 連絡会としては活動継続のための資金確保として、 これまでにもいろいろな活動助成を申請してきたが、 このたび大勝利を獲得した。 毎日新聞と同社会事業団の「阪神大震災ボランティア・サポート制度」に応募し選ばれた。各ふれあい住宅の居住者有志たちがボランティア登録をして、 連絡会の運営や住宅ごとの居住者見守り活動等も行っている。単独の住宅だけでは居住者特性や自治会組織の事情によって継続が難しいコミュニティ育成のための活動も、 連絡会のボランティアグループがサポートしあうと継続する。

連絡会の功用

 複数の住宅が連絡会を持って情報交換や暮らしの問題を話し合っているケースは、 ふれあい住宅連絡会以外にもある。 例えば、 神戸市東灘区にある10地区ほどの復興公営住宅はCS神戸さんのサポートのもとに、 自治会がネットワークして連絡会を持っている。区の職員等も参加して定期的に会合をもち、 震災後の暮らしや住まい、 自治会運営の課題等を話し合っている。他にもこのような事例がありそうだ。しかし反対に、 近隣エリアの復興住宅の自治会が集まって自治会連合会を結成したが、 連合会運営でつまづき空中分解してしまった事例も少なくないと聞く。

 居住者自らが協力して暮らしの課題を把握し、 共同生活の向上を計るために知恵を出し合って、 必要な場合は外部サポートを求めるという住意識の向上はとても大切なことである。

 一方、 住民自らが暮らしに対する意欲を育むために、 情況の変化に対応したアドバイスを継続していくような専門サポーターや常設の相談窓口も欠かせない。それには、 専門サポーターが継続してサポート活動を続けられる条件整備も必要であると痛感している。


 

連載【コンパクトシティ7】

『コンパクトシティ』を考える7
ジェントルマンの国イギリスと産業革命

神戸コンパクトシティ研究会 中山 久憲

1. カントリとジェントルマン

 英語の「カントリ(country)」は、 「国」とも「田舎」とも訳す。 18世紀末の産業革命が起こるまでは、 イギリスでは田園的・農村的なものが中心であり、 それが「カントリ」であった。

 当時のカントリの支配階層は広大な農地の大地主である『ジェントルマン(貴族とジェントリ)』であった。 この言葉がイギリスの社会的現実と対応して用いられるようになったのは16世紀頃であった。 14世紀からの英仏戦争、 王位継承の「バラ戦争」などを契機として、社会の変動と国政の改革に乗じて、 ジェントリ(=貴族の下の地主階層)が勃興して一躍支配層に躍り出た頃である。 以来、 イギリス社会は大きく2つに区分され、 「支配する少数者」(=ジェントルマン)と、 そうでないものとに分けられた。 ジェントルマンは、 中央においては国王の官僚として、 絶対的統治を補完し、 支配の側に加わった。 貴族院や庶民院の議員として、 また国教会や軍隊の枢要な地位について、 一貫して社会の最上位の身分を占めた。

 新興ジェントリは、 「貴族」と違い、 血統による出自の高貴さを保持しないため、 古典的教養のほか作法や礼節をわきまえることで血統の不足を補おうとした。 このため子弟をパブリック・スクールやオックスフォード、 ケンブリッジ大学(オックス・ブリッジ)での教育を受けさせ、 為政者にふさわしい教養と諸徳性を具備することに努めた。 そこに中庸を得た無私の判断を示す政治的人間という理想的人間類型としての「ジェントルマンの理念」が定着したのであった。

 イギリスで地方自治が他の大陸諸国に比べて発達したのは、 地方(カウンティ)に作法と礼節を守り無私なジェントリが定住していたからである。 一般的に絶対主義王政は、 常備軍と全国にめぐらされた地方行政に官僚を用いたが、 イギリスではこの方法を採られなかった。 カウンティの自衛組織たる民兵隊の編成や、 広範な地方行政の職務を治安判事に任命した在地のジェントリが重要な役割を果たしたからであった。 しかも驚くことに、 煩雑な職務をこなした上で、 無給であった。

2. 賃金労働者と産業資本家の誕生

 中世よりヨーロッパで普及した農法は、 牧畜と穀物栽培を有機的に結合した『三圃式農法』であった。 これは村落全体の土地を共同利用し、 全体を三つの圃場に分けて耕作する。 一枚は主食の小麦を冬に蒔く冬畑とし、 2つ目は夏畑として春に小麦やエンドウ豆、 カラスムギを蒔き、 3つ目は休耕地にする。 冬畑は収穫後休ませ、 次年度に夏畑とする。 夏畑は、 刈り入れ時に麦の穂だけ刈って、 下の部分を家畜に食べさせ、 家畜の糞を施肥にする。 翌年の冬に施肥で地力を増したところに冬小麦を蒔くのを繰り返す農法である。 三圃制農法は、 土地利用の高度化、 年間の労働量配分の平均化、 生産力の向上などの長所を有する農法で、 村落単位で土地を共同利用したため、 村落共同体の結びつきは大変強かった。

 17世紀後半に、 輪作作物に栽培牧草とカブなど根菜類の飼料作物が導入され、 冬季にも家畜を飼うことができる『穀草式農法』が始まった。 家畜の生産量と糞尿量が増加し、 地味も肥えて収穫が向上したため、 三圃制をやめて全ての耕地で作付けができるようになった。 農業生産が安定的に増大すると、 富裕な農民は個人主義的な独自の農業経営を進め、 自由に市場向けの穀物生産し、 経営規模を拡大した。 このため、 18世紀になると、 自らの土地を生け垣などによる『囲い込み』が急速に進展した。 囲い込みは共有地での共同放牧を不可能とし、 村落共同体の解体を促進させた。 生活の基礎を失った小農家は、 農作業や糸つむぎ、 機織りなどの賃金で雇われる労働者となった。 農村で仕事にも就けない貧窮化した農民は、 都市に流れ込んで賃金労働者になるしかなかった。

 村落共同体の解体は、 新たに工業を営みたいが、 都市におけるギルドの制約を嫌う人々に、 農村の安価な労働力を利用する毛織物工業の展開を推進させた。 農村工業という新しい産業が展開し、 農業を中心とする田園地域の様相に変化が現れた。 これが産業革命に先立つ工業化の原点である。

 国外に目を向けるとイギリスは17世紀には、 オランダやフランスとの重商主義戦争に勝利し、 カリブ海や北米大陸を中心に植民地開拓が進み、 ヨーロッパ外の世界との貿易が急激に拡大した。 取引される商品の構成も、 それまで輸出の大半を占めた毛織物以外に、 雑多な工業製品は新大陸やアフリカの市場に、 新世界産の砂糖やタバコ、 インド産綿布、 アフリカからの奴隷などの再輸出による三角貿易が拡大した。 貿易の拡大によって、 リヴァプールやロンドン、 グラスゴーなどの港湾・商業都市が発達した。 アイルランドやカリブ海に土地を持つ不在地主、 大貿易商、 インド成金などが、 伝統的な地主であるジェントルマンとは異なる『産業資本家(=ブルジョア)』という新たな社会階層をやがて形成することとなった。

3. 産業革命と工業化社会の展開

 18世紀末に始まったイギリスの産業革命についてここでは詳述しないが、 農村工業、 賃労働者の発生や産業資本家の誕生のほか、 重要な要因があった。 それは、 ピューリタン革命により封建的土地所有の国王の権利が否定され、 近代的な土地所有権が確立していたこと。 また、 名誉革命で「権利の章典」が発布され、 自由で平等な市民社会が保障され、 自由な個人間の契約社会が確立し、 国家が経済に介入することができなくなったことである。 ここに各人は生産手段を私的に所有し、 私的労働の産物である商品を相互に等価で交換する『私有財産制』と『市場経済』が確立した。 イギリスは国内外に大きな市場を持ち、 他のヨーロッパの国々に先駆けて『資本主義』が成立した。

 産業革命は初期の機械化生産の主導部門である綿工業から起こった。 東インドからの安い綿布に対抗し、 生産性を高めるため、 技術革新が生まれた。 紡績機の開発が進み、 1769年のアークライトの水力紡績機で、 水力で紡織機を動かし、 水力の利用できる河川沿いに機械制工場が生まれた。

 1765年にジェームズ・ワットが、 改良型の蒸気機関を開発した。 85年に初めて綿工場に蒸気機関が動力として使用され、 立地を選ばず工場を建設できることになった。 ここに工場の密集する大工業都市が成立する条件が整ったのであった。 そしてイギリスは綿工業の飛躍的な発展をベースに一気に産業革命への道を突っ走ったのである。

 『工業化』とは「技術革新により国民一人あたりの生産量または所得を持続的に成長させる過程」である。 19世紀に入り、 工業化した都市に産業と人口が集中し『工業都市』が誕生し、 1851年には都市人口が初めて農村人口を超えた。 鉄道網が整備され、 産業の大動脈になった。 社会は、 政治の支配者である地主階級と、 ブルジョア階級、 労働者階級の3つに区分され、 国民所得は、 地代、 利潤、 賃金として配分された。 1850-70年代にはイギリスは繁栄の時代を迎え、 『世界の工場』として君臨した。 成長を続ける中、 3階級間の格差の是正が進み、 84年までの3度の選挙法改正で、 労働者の戸主選挙権が認められ、 人口比による選挙区に改正され、 政治面の都市と農村の差が無くなり、 ブルジョア階級がジェントリを凌駕した。

 1880年代以降になると、 アメリカ合衆国やドイツも工業化し世界市場に進出し、 イギリスの独占的支配が崩れた。 さらにアメリカからの安価な農産物が輸入され、 イギリス農業は衰退に向かい、 ここに地主階級の支配は根底から崩れていった。

 『工業化社会』では資本家と労働者が主役となり、 ブルジョア階級と中間階級は「新たなるジェントルマン階級」を目指した。 子弟をパブリック・スクールやオックス・ブリッジで教育を受けさせ、 田舎や都市郊外の田園都市に土地や邸宅を構えた。 工業化社会での「新たなジェントルマンの理念」は、 血統ではなく、 富と徳性と教養を持ち、 実業との両立できる人へと変容していった。

 イギリスは今日もジェントルマンの国である。


 

連載【たるみレポート1】

たるみレポート(その1)

神戸市 大塚 映二

 いきなりさむ〜いオヤジギャグですが、 弛みを告発する話じゃありません。 神戸の西に位置する垂水区に暮らす人々のまちづくりにかける熱い思いを伝えたいと思います。 隔月くらいで、 数回にわたって、 執筆者も替わりながら、 お気楽シリーズでお届けするつもりです。

 さて、 第1回。

 私が垂水区役所(まちづくり支援課)に来て1年あまりになります。 こうして書かせていただこうと思った動機ですが、 垂水の人々は自主的にこつこつと地道にいろんなまちづくりに取り組んでいます。 それなのに、 意外と区外には知られてないんです。 特に三宮の方には。 これはもったいない、 まちの人々の努力に報いるには、 機会あるごとにアピールしたい。 せめてそれくらいはしないと「支援課」の名が恥ずかしい、 と思った次第です。 それで小林郁雄氏をはじめ支援ネットワークの方々に、 紙面を少しくださいとお願いしました。

 ところが、 どっこい。

 そうこうしているうちに、 垂水区民の活躍ぶりが、 神戸市・協働と参画のプラットホームの目に止まりました。 4月発行の『プラットホーム通信』第10号に、 垂水区民のまちづくりが二題紹介されました。 ひとつは、 「I LOVE 缶とりー〜きれいな垂水のまちづくり〜」。 NPO法人ふぉーらいふの音頭で、 空き缶拾いのクリーンウォーク。 子どもたちの活動に触発されて地域ぐるみの環境美化活動に広がりつつあります。 もう一つは、 「神和台防犯の会」。 昼間の空き巣事件の連続発生を契機に、 わがまちを守る活動にみんなで立ち上がり、 防犯パトロールなどを通じて住民の結束を強めています。

 二つを合わせて<“わがまちヒーロー”のいるまち!!>・・・ということで、 これをごらんになった方は、 垂水に息づくまちづくりの一端を知ってもらったことと思います。 まだの方は、 このすばらしきヒーローたちの活躍ぶりを『プラットホーム通信』で見てください(URLは、 http://www.kobe2001.or.jp/kyoudou_download.htm)。

 ところで、 垂水といえばどんなイメージが思い浮かびますか?
  ○須磨・塩屋から舞子にかけての海岸線、 明石海峡大橋、 マリンピア神戸・・・やはり海。
  ○旧ジェームス邸、 旧日下部邸(舞子ホテル)、 移情閣(孫中山記念館)・・近代洋風建築。
  ○丘陵地にひろがる住宅地、 明舞団地、 新多聞団地・・・高度成長を支えた住宅団地。
ハード面でいえばそんなところでしょうか。

 次回からはこのまちに暮らす人々の奮闘ぶりを紹介していきます。

 

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垂水の創作ダンス“いかなごgo!go!” 世代間交流:子どもたちにしめ縄を教える
 

 

木造住宅の耐震性能診断測定装置 被災地神戸に貸与

真野地区まちづくり推進会相談役 宮西 悠司

 木造住宅の耐震性能を簡単に診断ができる測定装置が開発されました。 開発したのは早稲田大学理工学部の毎熊輝記教授の研究室(地質工学)です。

 この動的耐震診断システムは、 「地盤は常に微細な振動(常時微動)をしている、 地盤の上に建つ建物も地盤の揺れに反応して微少な振動している」ことに注目し、 地盤と建物の常時微動を観測することにより、 建物の固有周期、 最大振幅倍率、 減衰定数を割り出し、 建物の構造特性を解析・評価するものです。

 これまで木造住宅の耐震診断は基礎構造や壁の配置と割合などの外見から評価をしてきた。 それはあくまでこうであろうという予測で、 建物の実態の強さ弱さを正確に把握したとはいいがたい。 これを静的な診断システムと呼べば、 動的耐震診断システムは木造住宅の非破壊検査を可能にした。 人間の健康診断に例えるなら心臓疾患を心電図で解析するのに似ている。

 

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診断システムの概要 測定装置

 この測定装置は小型の地震計2個と増幅器(アンプ)、 ノート型パソコンとプリンターで構成されています。 地震計は地盤面と二階の床に置きます。 これらの装置の設置は30分程度で完了します。 測定は10分程度でグラフと数値がプリントアウトされます。

 この手軽さは、 建物の補強をやりながらの測定を可能とし、 補強により建物の耐震性能がどの程度向上したかを数値で確認することができます。 例えば、 厚手のベニヤ板を打ち付けることで壁の補強ができるわけで、 数値を確認しながら合板の枚数を決めていけば良い。 耐震補強工事の経費節減にもつながるでしょう。

 兵庫県は住宅の耐震診断、 耐震補強工事費の一部として補助金出す制度を始めました。 しかし、 これまで耐震補強工事後の耐震性向上の効果を確かめる術がありませんでした。 耐震診断判定士の資格付与、 優良工務店の認定、 耐震補強の工法認定など、 ユーザーの信頼を高める努力はあっても、 耐震補強工事の実際の効果が確認できなくてはユーザーの不安の解消にはなりません。

 行政も、 個人資産形成に資するとして、 これまでタブーとされてきたところの垣根を越えて、 個人の耐震補強に公費を補助金として投入するからには、 効果確認は納税者に対する責務でもあります。

 あの神戸の地震から九年経過しましたが、 大都市部での住宅の耐震改修は殆ど進んでいません。 このままでは阪神の悲劇の再現が避けられません。 問題は深刻です。 地震防災対策として緊急かつ最重要な住宅の耐震改修を普及させていく一助として動的耐震診断システムを役立てたいものです。

 行政には動的耐震診断システムの有効性・信頼性を積極的に評価・確認していただき、 木造住宅の耐震診断評価への導入、 耐震補強工事の効果確認に活用してもらいたい。 具体的には、 耐震補強補助金交付申請書類に補強工事の効果確認データとして「住宅の動的耐震性能の定量的評価方法」による補強工事前後の測定値を添付することを義務付けることを、 提案したい。


 

最近の「きんもくせい」読後評

内仲 英輔

 まず、 巻頭。 次回筆者の指名制度は面白い試みで、 途中で素直に応じない人がいてはらはらさせられたりもしましたが、 再び軌道に乗ったらしいのはご同慶の至りです。 欲をいうなら、 指名を受けた筆者が前者のテーマに言及しながら、 次なる問題提起につなげるという展開になればもっと素晴らしいと思うのですが、 現実的にはむずかしいことかも知れませんね。

 4月号(NO.13)巻頭の「神戸市の協働と参画3つの疑問」は、 たまたま地元で自治基本条例をつくる会の活動をしている小生にとって興味深い内容でした。 神戸空港の建設計画が打ち上げられたとき、 遠く離れた東京の記者クラブでは、 だれも本気にしなかった。 廃止のはずの伊丹空港は残せというし、 その上もう一つなんていい気なもんだというムードで、 いくら何でも神戸市民の良識が許すまいと思っていた。 それが、 歳月を経るうちに現実に迫りつつある政治の不思議。

 さらに、 市民参加に関係のあるらしい一連の条例が過程も公開されないまま可決されてしまった怪。 条例の内容を見ていないので、 うかつな論評はできないけれど、 義務のみあって権利が書かれていないらしい。 我々のつくった「自治基本条例市民案」では、 逆に権利のみで義務が書かれていないという批判に対して、 市民の権利を保障するのが自治基本条例なのです、 と説明しています。

 ついでに3月号(NO.12)の巻頭、 かねて「自助」は危険な言葉と思っていた小生にはよく分かる問題提起でした。 出口さんの所属である兵庫県震災復興研究センターというのが、 県の機関であるのかは分かりませんが、 勇気ある発言というべきでしょう。

 さて、 『きんもくせい』は、 基本的には数多くの珠玉のような連載と単発の地域情報から成り立っていると思っています。

 その連載の一つ一つのレベルが高く、 地域の問題を核としているにも拘わらず普遍性に富み、 地域外に住む小生のような者にも有益、 かつ興味深く仕上がっているところが、 なんとも素晴らしい。 関西というか、京阪神というべきか、 人材の蓄積が奥深いのに感心するばかりです。 ただ、 紙面上の制約からと思いますが、 楽しみにしている「続き」が、 必ずしも次号で読めないのは残念なことです。

 3月号(NO.12)、 石東さんのコレクティブハウジングという用語が曖昧に使われているという問題提起。 小生が、 この言葉を知ったのは、 もう10年以上のむかし、 もちろん震災前、 神戸大の平山洋介さんに頂いたご著書によると覚えますが、 その後、 震災復興住宅だけでなく関東地方の高齢者向け集合住宅などにも、 やや無原則に使われている気がして、 疑問に思っていたところでした。 当然のご指摘だと思います。 しかし、 考えてみれば、 先進的な欧米の試みを取り入れるとき、 原語(カタカナ)ごと取り込んでしまう傾向にも問題があるような気がします。 外国語を学ぶ十分な機会に恵まれなかった高齢の人たちをカタカナ攻め(責め?)にすることにはどうも賛成できない。

 シニア向けのコレクティブハウスのマネージメントにあたっては、 テナントのニーズにマッチしたサービス、 バリアフリーのレイアウトとデイケアセンターヘのアクセシビリティーが必要…なんて!
 いいたいのは、 コレクティブハウジングなる外来語に飛びつかず、 「ふれあい住宅」という折角のすてきな言葉に満足していたとしても、 なんの問題もなかったろうということです。 もちろん石東さんのご指摘に異論を唱えるつもりは毛頭なく、 「その2」以降が楽しみです。

 内仲さんは、 1995年2月14日に支援ネットワークを訪ねて下さいました。 当時は、 朝日新聞東京本社の編集委員と記憶しておりますが、 その後論説委員を経て、 ご退職され、 今も変わらず「きんもくせい」の愛読者でいて下さいます。
 時々、 「論」をお寄せ下さるようにお願いをいたしました。 このように、 ご意見を掲載させていただきますので、 皆様もどうぞお寄せ下さい。 (天川佳美)


 

連載【まちのものがたり14】

看板綺談・2
インドア・レイン

中川 紺

 まだ梅雨には一ヶ月もあるというのに、 天井の隅っこに黒カビが姿を現した。

 事の発端は先週の土曜日。

 夫と元町で買物をしていた時ににわか雨にあった。 荷物を両手いっぱいに持っていた私たちはコンビニに向かったが、 レジの男の子は「傘は売り切れました」と申し訳なさそうに告げた。 隣の軒先で雨宿りをしていても、 雨足は強まる一方で止む気配が無い。 その時ふと、 青銅の傘立てにささった数本のビニル傘が目に入った。 文庫本を広げたくらいの大きさの木札が下がっていて『どうぞご自由にお持ち下さい』とあった。 私たちはその傘を一本、 ありがたく拝借して帰ってきたのだが、 それがすべてのはじまりになった。

● ●

 〈それ〉に気づいたのは次の日の昼だった。 閉じた傘の中で何かごそごそと動く気配がするので、 のぞいてみると、 箸置くらいの小さなものが黒ゴマみたいな瞳でこちらを見てちゅうと鳴いた。 ねずみ、 ではない。 よく見ると足(らしきもの)は二本しかない。 体全体がうっすらと湿った白い毛に被われている様子は動物の赤ん坊を思わせた。 危害はないだろうと思って手に乗せてみると意外と重さがあり、 掌にじわっと湿り気が広がった。

 

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 水をたっぷり含んだ小さないきものは、 それ以来居着いてしまい、 おかげで家の中の湿度がぐんとあがってしまった。 まるでうちだけが梅雨になったみたいである。 小さなものは夫がいる時には姿を現さなかったが、 食卓の隅や、 お風呂場の洗面器の中など、 傘の中にいないときは家中を動きまわっていた。 しかしカビを発見してからは、 のんびりとは構えていられなくなった。 これではじきに家中に広がる。 でも外に出してもいつの間にか戻ってきてしまうのだ。 どうしたらいいのか、 全く見当がつかないまま、 数日が過ぎた。

● ●

 ある日、 商店街の裏通りに小さなペットショップを見つけた。 表に鳥かごを山のように積んでいて、 入口に『どんないきものでもあります/引き取ります』と貼り紙があったので、 ものは試しと、 私はそこにあの小さなものを持ち込んでみた。 私の倍以上の年齢であろう店長のおじいさんは、 一目見るなり「ああ、 雨の精か。 まだ子どもだな。 こりゃ珍しい」と言い、 私は「そんな気がしてたんですけど、 やっぱりそういうものだったんですね」とずっと思っていたことを口にした。 あの湿度の高さは尋常ではない。

 引き取って空に戻してくれるというので、 私は「雨の子」を渡すことにした。 ところが、 すっかり馴染んだせいか、 私の髪に絡まってなかなか離れようとしない。 結局、 店長さんのアドバイスで私は自分の髪をひと束、 餞別に持たせてやった。 それでも雨の子はちゅうちゅうと何度か鳴き、 名残惜しそうにしていたが、 私の髪束に数回頬ずりするような仕種をすると、 しゅわっと蒸発するように消えてしまった。

● ●

 玄関を開けると、 小さな雨の精がいなくなった家は驚くほどからっと乾いていた。

 もう鳴き声の聞こえない傘を見て、 私は少しだけさみしいな、 と思った。 (完)

(イラスト やまもとかずよ)


第69回・水谷ゼミナール報告

 

 今回のテーマは「コミュニティセンターのコンバージョン3題」で、 4月30日(金)、 こうべまちづくり会館にて行われました。

(1)「生野町 旧吉川邸・改修事業」/中井豊(中井都市研究室(筆者))、 中尾康彦(建築工房ベネックス)
 筆者からは、 景観形成地区に指定されている生野町口銀谷地区において、 町に寄贈された伝統的建築物を、 住民参加のワークショップでその利用や管理の方法を検討した経緯や、 その背景等について報告しました。 また、 中尾さんからは、 実施設計及び監理を担当された立場から、 伝統的建物の公共建築物という特殊な状況における工事を進める上での様々な問題、 課題について語っていただきました。

(2)「移築・御蔵集会所」/宮西悠司(神戸・地域問題研究所)、 藤川幸宏(まち・コミュニケーション/Fuji工作舎)
 宮西さんからは、 震災復興区画整理事業が進められている神戸市長田区の御蔵地区で、 住民の発案で集会所を古民家の移築により整備した取り組みについて、 整備費という制約条件の中で、 住民の知恵と学生をはじめとする多くの支援者の働きによって成し遂げられてきたことが語られました。 また、 取り組み当初から完成まで設計者として関わってこられた藤川さんからは、 スライド等により取り組みの経緯について詳細に説明していただきました。

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御蔵集会所外観

(3)「西宮中央商店街 コミュニティセンター・リフォーム」/後藤祐介(GU計画研究所)
 後藤さんからは、 阪神西宮駅の南側にある西宮中央商店街において、 老朽化した商店街振興組合事務所をコミュニティセンター(+イベント広場)として再生する取り組みについて、 整備前と整備後をわかりやすく提示して説明されました。

 これらの報告に対するコメントとして、 吉川俊一さん(吉川建築設計室)から語っていただきました。 (中井都市研究室中井 豊)



情報コーナー

 

●阪神白地まちづくり支援ネットワーク・第38回連絡会

・日時:6月11日(金)18:30〜21:00
・場所:神戸勤労会館406号室(JR三宮駅より南東へ徒歩約3分、 中央区役所隣り)(いつもと場所が異なります!)
・内容:「共生型住まい/民間コレクティブ住宅と公営ふれあい住宅」
 解題:「注目をあびてきた共生型住まいの動向について」/石東直子(石東・都市環境研究室)
 報告:(1)「公営コレクティブ住宅・ふれあい住宅の生活」/岩崎洋三(県営大倉山ふれあい住宅代表)、 (2)「コレクティブハウジングで暮らそう」/宮前眞理子(NPOコレクティブハウジング社事務局長)
・問合せ:ジーユー計画研究所(TEL.078-251-3593、FAX.251-3590)

●第70回・水谷ゼミナール

・日時:6月25日(金)18:30〜21:00
・場所:こうべまちづくり会館6階・テーマ:(仮称)「住まいの最新情報」(詳細の内容は未定)

●被災者復興支援会議III連続フォーラム−体験を力に、 教訓を未来に−第3回「持続共生/地域経済とコミュニティの新たな関係の形成を目指して」

・日時:6月26日(土)14:00〜16:00 
・場所:長田シューズプラザ(JR新長田駅北)
・内容:ゲスト:東朋治(長田TMO)、 保井剛太郎(三ツ星ベルト)、 森崎清登(近畿タクシー)、 司会:加藤恵正(兵庫県立大学)ほか
・問合せ:被災者復興支援会議III事務局(TEL.078-362-4218)

●兵庫県立美術館「世界の美術館−未来への架け橋−」(6/11〜7/11)で、 6月12日(土)17:00より、 美術館南側大階段において建築家の安藤忠雄さんのゲスト・トークがあります。

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