きんもくせい50+36+24号
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不可能を可能にする和の力

富士常葉大学環境防災学部 重川 希志依

 19年ぶりという大雪の季節がようやく終わり、 新潟県中越地震の被災地では雪解けを待って本学的な復興がはじまります。 地震発生からすでに半年近くがたちましたが、 被災地の一つである小千谷市では、 毎朝8時に出勤し、 役所を出るのが午前1時ごろ、 睡眠時間は3時間という生活を余儀なくされている職員がいまだにいるのです。 この地震では、 災害対応に忙殺される被災地職員を支援するために、 全国から多数の応援職員が派遣されています。

 地震発生直後には、 倒壊家屋やがけ崩れ現場からの人命救助、 孤立した集落に取り残された住民の避難支援活動に、 全国から駆けつけた多数の消防隊員が従事しています。 その活動の中で象徴的だったのが、 母子3人が車両ごとがけ崩れの下敷きとなった妙見堰の災害現場から、 2歳の男児が無事救助された事例です。 この救助活動が行われた10月27日、 偶然私は小千谷市消防本部に居合わせ、 緊急消防援助隊のレスキューチームを乗せた車両が次々と出動していく現場を目の当たりにしました。 消防署のガレージは全国から応援活動に来た緊急消防援助隊員の宿営地となっており、 消防署の周辺には多数の応援車両が集結していました。

 地震発生から既に4日が経過しており、 生存者救出はかなり厳しい状況という重苦しい空気の中、 出動から数時間後、 2歳の男の子が生きていたという報に接したときは、 信じられない思いとともに、 目の前から出動していった全国の救助隊員の努力に、 頭の下がる思いで一杯でした。 被災地で活動する応援隊員のみならず、 留守を守る隊員の力があったからこそ、 このように過酷な災害現場で奇跡的な人命救助活動をすることが可能となったのだと思います。

 消防活動以外の様々な業務でも他都市からの応援職員なしにはとても災害を乗り切れなかったという声をたびたび聞きました。 私も偶然、 小千谷市の災害対応を応援することになりました。 当初は建物の被害認定調査とり災証明書の発行、 さらに被災者のくらしの再建に向けた支援業務などを手伝いながら痛感したことは、 同じ行政の仕事に慣れている職員の応援がいかに重要かということでした。

 例えば建物の被害認定調査では、 担当課のほぼ全職員が土日もなく、 日の明るいうちは外に出て被害調査をし、 日没後は深夜までデータの整理やその他の業務をこなすという日々が半月以上続きました。 20名前後の職員が15日間で数万棟の建物を見てまわるということは、 物理的に不可能です。 この作業を支援するために、 全国から多くの行政職員が派遣されました。 また、 り災証明書発行業務の際に使う整理券づくりは、 地元につくられた災害ボランティアセンター協力を依頼した結果、 派遣されてきた若者が手際よく作業を進めてくれました。

 雪解けに伴い、 復興作業が本格化すれば再び復旧復興業務に忙殺される職員も多くなることでしょう。 災害時には市民・企業・ボランティア・行政・専門家それぞれがお互いに得意とする知識や技術を出し合うことで、 不可能と思われることを可能にすることを改めて実感した新潟県中越地震の被災地でした。


 

連載【コンパクトシティ12】

『コンパクトシティ』を考える12
−「地方自治の母国」英国の地方自治の現況

神戸コンパクトシティ研究会 中山 久憲

 コンパクトシティを考える上で、 都市の自治は重要な要素である。 英国は「地方自治の母国」として呼ばれてきた。 しかし、 現状は中央集権型国家である。 英国の地方自治はどのようになっているかについて、 今回考えていきたい。

1.英国独自の「ローカリズム(地方自治)」

 ヨーロッパの中世以降は、 国家主権を確立し、 絶対主義国家として覇権を競い、 近代化の扉を模索した時代であった。 大陸諸国の君主が強権による国家の統一をできたのは、 強い軍隊と官僚制による中央集権の統治の仕組みであった。

 英国は15世紀にフランスとの百年戦争に敗れ、 大陸とのつながりをたたれ、 「島国」としての道を歩まざるを得なくなった。 しかしそれが大陸諸国と異なった社会制度を生み出した。

 四方を海に囲まれた天然の要塞があったため、 陸軍よりも強い海軍を必要とした。 やがて海洋国家として世界の海をを征服し、 覇権国家となった。

 もう一つは、 陸軍の力を背景とする官僚制度が育たず、 特色のある地方自治が形成され、 議会主権の近代民主主義国家を作り出したことである。 中央政府は地方(カウンティ)の長官で裁判権を持つ「治安判事」を配して統治してきたが、 治安判事には地元の有力者である土地貴族のジェントリを選ぶ暗黙の了解があった。 このため、 中央政府が不当に地方自治体に対して関与や統制せず、 「ローカリズム」すなわち地方自治が発展した。 また都市は国王からの特許状で自治を認められてきた。 18世紀には、 自治体は自らの財源で地域的に必要な施策を整えてきた。 当時の英国を支配してきたのは、 個人主義と自由主義であった。 そこでは財産権の尊重、 契約の自由、 身体の自由等の個人の基本的自由が強調され、 国家は自由放任主義を基調としていた。 国家の干渉が特に問題になることはなかった。 この地方自治はアメリカ植民地にも移植されて発展していった。

 なお、 ジェントリは、 歴史的に英国革命(ピューリタン革命・名誉革命)の主役も演じている。

2.近代地方自治制度の確立

 産業革命を経て、 工業化の進展と資本主義の高度の発達に伴い、 都市部には労働者や産業が集中し、 社会経済は著しく複雑化し、 多くの都市問題と経済不安を引き起こした。 このため、 中央政府は従来の自由放任の政策から転換して、 新たに社会保障制度の確立や経済の統制などの公益的見地からの干渉を加えざるを得なくなった。

 都市化の進展で増大する行政需要に対して、 「都市自治体法(1935)」が定められ、 個別の行政組織を所管する委員会制度が採用された。 それまでの行政サービスは、 地域のジェントリ、 国教会聖職者などの有力市民による別々の目的を持つ複数の団体によって提供されてきた。 都市の人口が増え、 これらの目的別の種々の組織も大きくなってきたため、 それぞれを統一した一つの組織にまとめる必要が生じてきたからである。

 19世紀末に近代的地方自治制度が確立する。 地方団体は、 地方圏はカウンティ(県に相当)とディストリクト(市町村)の2層制がしかれた。

 地方自治の仕組みの伝統的な特徴は、 地方議会が主体であることである。 選挙で選ばれる地方議員で構成される議会が、 自治体としての法人格を持ち、 本会議を最高機関とする。 地方自治体は「カウンシル(Council)」と呼ばれるが、 直訳すれば「議会」である。

 このため、 日本と大きく異なり、 自治体には選挙で選ばれる知事や市長に該当する首長が基本的に存在しない。 セレモニーや賓客の応対は、 議長が務めるか、 多数党の指導者で施策の決定や運営に影響力を持っているカウンシル・リーダーと呼ばれる議員が務めている。 議会の下に各種の委員会があり、 合議制で所管分野に関する政策決定・実施を行う機関になっている。 各委員会では、 委員長、 委員(議員)、 執行(行政)部局の部長等が出席し、 そこで活発な議論がされている。 委員会では、 議員からの質問は委員長が主に答弁し、 答弁できない内容は部長等が答弁することもある。 このように英国の地方議会は執行部局と独立ではなく、 議会が執行部の上位にあり、 執行部を統括する形式である。

3.素人主義でボランタリーな地方議会議員

 地方議会の議員は小選挙区から選出され、 ほとんどが保守党、 労働党、 自由民主党の政党に属している。 選挙戦は党を中心に行われるため、 政党の拘束力が強い。 議員は、 少額の手当は受けるが、 原則として無給のボランティアである。 かつてのジェントリのように、 別の収入源となる仕事を持ち、 地域に貢献したいという熱心なボランティア精神の高い人しかできない仕事である。 また、 伝統的に議員は、 職業とするプロではなく、 普通の市民であるべきとする「素人主義」が浸透している。 議員活動は、 無報酬である上、 委員会が夜間に開かれる場合が多く、 時には仕事を休んで会議に出席しなければならない。 一般住民にとって必ずしも魅力的な仕事ではなく、 積極的に議員になりたい人は少ない。

 近年の地方行政の政策は複雑化・多様化・専門化してきている。 素人であり非常勤の議員が、 委員会という「顔が見えない」ところで政策決定を行うことに、 不透明性と説明責任の欠如など、 市民の間には不満を強く持つようになってきている。

4.「地方自治の母国」の現状

 英国の地方自治も中央政府から強い関与を受けている。 日本では、 日本国憲法で地方自治が保障され、 法律に反しない限り条例を制定することができ、 独自の行政を展開している。 しかし、 英国では、 憲法に地方自治について規定が無く、 独自の立法権と行政権を持つことができず、 国会が定めた法律に認められる限りにおいてのみ条例を制定し、 行政を実施しているに過ぎない。 言い換えれば、 法律で認められない行政サービスや「上乗せ横だし」の規制行為は、 越権行為と見なされる。

 財政的には、 国から約9割が一般補助金(地方交付金:日本の地方交付税)として、 標準支出に基づいて補助される。 ただし、 1割程度の特定補助金は、 自治・建設・国土・環境のに関わる業務を担当する環境省が握っており、 都市行政に関しては財政的には影響を強く受けている。 また、 実際の行政の執行も、 各法律を所管する政府の各省から指導、 承認、 認可などの形で中央行政のコントロールが拡大している。

 英国の国政選挙では、 保守党と労働党の間で政権交代が頻繁に起こるため、 選挙の公約実現のため法律の制定や改正がその都度行われるのが常である。 保守党は小さな政府を目指し、 労働党は地方自治尊重の立場をとる。 地方行政は、 政権交代の度に政策の変更で組織の枠組すら簡単に変わる影響を受けてきた。 サッチャー政権下の1986年には、 2層制であった6つの大都市圏のカウンシル(県)が廃止され、 36の大都市圏ディストリクトが設置された。 また、 大ロンドン・カウンシルも廃止され、 シティを含む33の特別区の1層制構造となっている。

5.新しい地方自治制度の試み

 1997年に登場した労働党のブレア政権は、 選挙公約(マニフェスト)実現に向け、 「平等と自由を重視し、 個人が自律と責任を自覚し、 市場の活用と抑制や分権化を推進する政策への改革」に踏み出した。 英国を12の地域に分割し、 分権化の推進のために、 12の地域議会と議員の選出、 地域開発公社を新たに設置する。 特に、 2000年に首都ロンドンを統治する新しい自治体「グレーター・ロンドン・オーソリティ」を誕生させ、 歴史上初めて公選のロンドン市長を誕生させた。 また、 25人の議員は、 常勤で有給とし、 高度な専門性と実務に精通した議員活動ができるようになった。 ほかの自治体でも、 直接公選首長を置くなどの新たな制度への移行を義務づけた。 さらに、 地方行政への住民の直接参加の手法の展開に意欲を示している。


 

震災10年を過ぎて、 いくつかの提言

神戸山手大学教授、 まちづくり会社コー・プラン アドバイザ 小林 郁雄

 2005年3月17日で、 阪神・淡路大震災からの復興都市計画決定(大部分の震災復興都市計画事業の)から、 10年になった。 1。 17が震災祈念の10周年で、 多くの行事が開催され、 多くの反省・再起、 被災・復興の検証が発表された。

 我々都市計画プランナー・まちづくりマネージャーにとっては、 3。 17がもって瞑すべき10周年記念日である。 あの大騒ぎからなんとか復興都市計画に取り組む体制としてのまちづくり協議会システムが確立し、 現地相談所と専門家派遣と合わせた3点セットがその後の復興都市計画・まちづくり事業の基本なった。

 兵庫県の復興10年総括検証・提言ではまちづくり部会の「復興市街地整備事業における取り組み」の検証担当委員として、 10ヵ年の総括と今後への提言〜つね日ごろからの「まちづくり」の重要さ〜を、 以下の4項目10提案にまとめた。

(1)災害時における復興市街地整備事業のあり方、 進め方について
〜復興事業は早期・柔軟・多様性を〜
 1.二段階都市計画決定による事業実施は、 平常時のシステムとして参考にすべきである。

 2.住民には、 生活再建のために、 転出を含めた多くの選択肢を提示すべきである。

(2)復興市街地整備事業の実施にあたって
〜まちづくり協議会を支える専門家派遣などの支援〜
 3.専門家を早期にかつ適材適所に派遣する制度が必要である。

 4.震災復興では、 事業に柔軟に対応できる基金制度が必要である。

 5.公団、 公社等の公的セクターの経験を継承することが必要である。

 6.被災住民を現地に残す工夫と震災前からの歴史、 文化、 街並みなどの特長を活かしたまちづくりが大切である。

(3)住宅供給、 市街地などまちの復興と面整備事業について
   〜まちづくりとすまいづくりの総合化〜
 7.復興市街地整備事業では、 地域を取り巻く環境変化への対応と特色あるまちづくりが必要である。

 8.被災地復興、 被災者支援には、 市街地再開発事業のような重装備な事業ばかりでなく、 被災者などが共同で建替えることを支援する「被災建物共同建替事業」のような制度の活用が有効である。

(4)防災まちづくりの推進
   〜まちづくりプラットフォームによる安心安全まちづくり〜
 9.密集市街地の災害危険度評価とその結果の公表が必要である。

 10.まちの課題等の情報交換、 ワークショップ、 リーダー養成などを行う拠点として「まちづくりプラットフォーム」を設置し、 住民主体の防災まちづくりを推進すべきである。

 1月15日〜16日にメモリアルコンファランスin神戸Xが人と防災未来センターで開催され、 分科会セッション4「すまい・まちの再建は、 どう進んだのか?」のコーディネータを担当した。 パネラーに、 越澤明(北海道大学)、 林泰義(計画技術研究所/NPO玉川まちづくりハウス)、 淺野幸子(まちの幸せ探求室/元まち・コミュニケーション)各氏をお呼びし、 地元からは鳴海邦碩(大阪大学)、 石東直子(コレクティブハウジング事業推進応援団)、 中島克元(神戸市まちづくり協議会連合会)各氏という豪華キャストであった。

 高齢化という21世紀の大課題を先取りした大都市密集市街地での被災において、 震災でのすまい・まちの再建でまちづくり協議会や専門家による支援ネットワークの果たした役割について、 2日間の討論の結果、 以下の6項目の提言をまとめた。

(1)集合住宅などの協同スペースが重要である。 時間的にも空間的に柔軟にそれを運営していくことがもっと重要である。

 〜2段階住宅供給としてのソフトな住宅供給、 安心居住の住まい方を進めていくことが必要であり、 下町長屋居住のような形が鉄筋コンクリートの集合住宅にもほしい。

(2)社会実験を重視し、 制度化される前にでもこの指止まれ式で実験的な取り組みをモデル的に進め、 一般化へつないでいきたい。

 〜阪神の経験をどう学び、 住民の日常的な意識づくりにどうつなげるか、 モデルから一般化へのブレ−クスルーを探る。 たとえば、 行政役人こそが地域の人たちと一緒にやるコミュニティのコンサルタントになるなど。

(3)街区基幹施設(公園や道路)不足地区での行政的な防災まちづくり対策を進める。 そのための法律的な事前準備をしておかなくてはいけない。

 〜小規模区画整理・密集事業道路整備・防災公園などの阪神での経験などから区画整理事業は地域まちづくりのための土地の交換分合の制度に変わった。 さらに、 事業でないとお金が出ない、 計画段階からお金が出るしくみがいる。

(4)新しい公共をになうための行政・市民・NPOの新しい関係をつくらねばならない。 自律と支援のとても難しい関係のなかでサポートしていく方向が必要である。

 〜松本地区のせせらぎは、 2000人の清掃活動・再生水の活用実験など、 まちづくり協議会の基本活動になっている。 面倒で手の掛かるもの(せせらぎ)が地域の人たちのコミュニティをつくる。 まちづくり協議会は住民の要望にタイムリーにとりくむ組織であり、 合意がなくても日常は過ぎるが、 合意形成は納得のプロセスである。

(5)地域まちづくりの根幹は、 地域経済である。 地域における経済循環とつながるまちづくりが重要である。

 〜阪神大震災で今なお残された課題であるが、 台湾921地震からのまちづくりや新潟県中越大震災での主要課題である。  
(6)防災「まちづくり」にほんとうには誰も取り組んでない。 耐震改修や景観問題の前提であり、 まちの構造をどうするかである。

 〜一枚の紙に書いたわがまち(小学校区程度)のアジェンダ(指針・希望・魅力など)が欲しい。 年に1回まちの健康診断をみんなでし、 壁に貼っておくことから始めよう。

 この10年の震災復興まちづくりとは結局何であったのか?私の結論は「いろいろな地域における、 さまざまな市民による、 まちづくりプラットフォームとまちづくりネットワーク運動」であったのではないかと「季刊まちづくり5 震災復興10年のまちづくり」(0501、 学芸出版社)に書いた。

 阪神大震災からの復興において、 まちづくり(運動)でわかったことは、 「地域力・市民力・場所力」の3つの力が大規模災害に対し「うたれ」強い都市の基本であるということである。

 災害からの被害を最小に抑えるのは「地域の力」である。 常日頃のまちづくり活動の積み重ねが非常時の対応力となる。 どのような災害の救助救援でも、 その地域での住民を中心とした助け合い以外に直後には頼るものはない。 すなわち「自分でできることを、 自分でする」ことであり、 その時「やってないことは、 できない」のである。

 地域力に限界があり、 持続性や展開性に問題があることは明らかで、 地域を超えて普遍的な課題を扱うNPO・NGOやボランティアの協力支援が必要不可欠である。 それが「市民力」であろう。

 行政や企業、 他地域や外国からの救援支援は、 そうした「地域の力・市民の力」へのバックアップとして、 はじめて効力を果たす。

 さらに、 地域力と市民力が機能するためには、 それらが顔を合わせ出会うことのできる被災地などの現場での「場所の力」が鍵を握っている。 その「場所の力」が介在することによって、 地域力は「プラットフォーム」を現場にもつことができ、 市民力は「ネットワーク」を現場につくることができる。 だから場所力は現場力といってもいいかもしれない。

 プラットフォームとは、 誰もが自由にやってきて、 そこからおもいおもいにめざす目的に向かって共に出発する場所である。 まちづくりでは自由な論議、 自主的な活動ができる場・機会・集まりとしての「まちづくり協議会」がその役割を担い、 「自律」がその基本である。

 ネットワークとは、 構造的なピラミッド型ではなく、 網目状に何となくつながった(インターネットのwwwが最もその状態を明確に示している)支援のシステムで、 「連帯」がそれらを支える原点である。

 こうした「自律と連帯」を合言葉にした、 まちづくりプラットフォームとまちづくりネットワークこそが市民活動社会の基本構造である。 大震災では、 <まちづくりプラットフォーム>と<まちづくりネットワーク>が、 被災地の「現場(リアリティ)」に確立され、 被災民の「細部(ディテール)に至るまで行き届くことが<復興>である。


 

連載【街角たんけん13】

Dr.フランキーの街角たんけん 第13回
31年目の「田園都市」住吉・御影(後編)

プランナーズネットワーク神戸 中尾 嘉孝

 今月は一転、 いつもの街角たんけんモードに戻る。

 深田池から翠の深い径を抜けると、 大林組ゲストハウスの門前に出る。 もとは在阪の大手建築業の雄・大林組第2代社長・大林義雄の邸宅として昭和7(1926)年に竣工した。 メリヤスで財を成した古川定治郎の所有地を引き継ぎ、 建築家の安井武雄に洋風住宅の設計を依頼。 その安井の原案に、 社長の命を受けた木村得三郎が手を加えて、 今日の姿に仕上げた(写真1)。 木村は、 大林組で主に劇場建築を担当したデザイナーである。 洋館に併設して、 西川一草亭指導、 名匠・北村拾次郎の手になる和館がある。 ちなみに、 阪急御影駅のホームから見える大林邸内の中国風の楼塔は古川氏の時代に建てられたもの。

 大林邸から、 阪急神戸線を跨いで南側へ降りる。 ここからは居住表示に昔の字名がかろうじて生きている。 ちなみにこのあたりは「上ノ山」という。

 上ノ山から鵯越の逆落としを髣髴とさせるような急な坂道を下り、 老舗予備校の前を過ぎる。 都市計画で新設された4車線道路を越えると御影町御影。 小磯良平画伯の手ほどきを受けた世良女史の個人美術館や、 スクラッチタイル貼の元県立病院長宅の洋館、 国登録有形文化財の木水邸(写真2)などが建ち並ぶ、 阪急電車の駅前とは思えない、 落ち着いた一角である。

 木水邸は、 京都高等工芸学校(現京都工芸繊維大学)で武田五一の教えを受け、 住友本店臨時建築部で室内装飾を主に担当していた小川安一郎の作品。 小川は、 紅塵荘(昭和3年)などスパニッシュスタイルの邸宅を阪神間で多く手がけたことで知られるが、 ここ木水邸は施主からの依頼で、 ドイツ壁の荒々しい印象の外観となっている。

 バス道を渡ると、 律令制の時代を思い起こさせる「郡家」地区である。 実際、 過去の調査では弓弦羽神社の北側で奈良時代の須恵器や建物跡が発掘されている。 同神社の東側には江戸時代創建の民家と、 香雪美術館・村山邸が、 道を挟んで御影石の塀をめぐらしている。 小さな御影石を積んだ外構は、 震災前のこの地域で広く見られたしつらえだった。 ただし、 震災後、 区画整理にともなって道幅は以前よりもかなり広くなった。

 坂本勝比古氏の研究では、 村山龍平は、 明治33(1900)年ごろにここの地所を購入しており、 御影・住吉地区の御屋敷街形成の先鞭をつけたことになる。 明治41(1908)年、 まず真壁造の洋館を建設した
 村山邸洋館は、 大阪で活躍した建築家であり事業家の河合幾次が設計し、 竹中工務店の施工で翌42(1909)年に完成した(写真3)。 内部装飾は、 明治期に活躍した「装飾師」小林義雄が関与したといわれ、 龍平翁ゆかりの薮内流に因んで竹をモチーフに取り込んだ大胆な意匠が見られる(非公開なのが惜しまれる)。 大正8年には藤井厚二設計の和館が完成している。 こちらも阪神間随一の数奇屋住宅である。 (いずれも国登録有形文化財である)。

 先人たちが築き守ってきた豊かな住環境を堪能したあと、 一休みするなら御影駅近くの喫茶店「ダンケ」に行きたい。 まさしく「バタ臭い」バターブレンドの珈琲を味わって、 御屋敷街探険の余韻に浸りたい。  (この項、 終わり)

 

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写真1 大林邸(出典「工事画報昭和7年度版」大林組) 写真2 大水邸 写真3 村山邸
 

 

連載【まちのものがたり24】

交差点の落とし物・6

中川 紺

 

 何かをひろった。

 地面を探っていた手に触れたそれが何か、 葉子にはすぐには分からなかったが、 顔を近付けて、 ようやく自転車の鍵だと判別できた。 霧はまったく晴れる様子がなかった。 薄紫の濃いもやが葉子の視界を三十センチくらいにまで狭めてしまっていた。

● ●

 いつの間に、 こんな霧になってしまったのか、 葉子にはまったく思い出せない。 気が付けば視界は遮られ、 それどころか音すら何も聞こえない。 自分がいる場所がどこなのかさえ分からなかった。

 霧には手ごたえは無いのに、 まるで何かに閉じ込められたような圧迫感が押し寄せて来る。 思わずしゃがみこんで地面に触れた手が見つけたものが、 自転車の鍵だった。

● ●

 自転車……そういえば私、 自転車に乗っていたんだ。 少し記憶が蘇って来た。 でも霧の中を探る葉子の手には自転車どころか何も触れることは無かった。

 その時。 無音の世界で、 微かな音がした。

 地面に何かが擦れているような音は、 よく聞いてみると車輪が回転している音だった。

 誰かが近くにいる。 葉子は思わず「すみません!」と声をあげた。 しかし音の主は何も答えなかった。

「あのう、 ここF町ですよね。 何だか急にこんな霧になってしまって……そっちは大通りに出る道ですか? それとも……」

 

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 車輪が回転した。 相変わらず声は無かった。 このまま霧に閉じ込められているよりは、 と葉子は音がする方へ吸い寄せられるように近づいていった。 車輪の音は近くなったり、 遠くなったりしたが、 不思議と何にもぶつかることもなく、 道を歩いていた。

 キッ。

 ブレーキがかかった。 葉子を取り囲んでいたものは少しずつ薄くなっていった。 まわりに見慣れた風景が浮かんでくる。 しばらくして自転車の後輪が見え始める。 続いてサドル。 あれ、 私の自転車だ、 これ……。 そのまま急速に霧は晴れていった。 目の前に現れた「葉子の自転車」には、 誰も乗っていなかった。 手に持っていたはずの鍵が、 いつの間にか自転車に戻っていることに気づいた途端、 葉子の意識は遠のいていった。

● ●

「………こ………よ…こ……ようこ」

 信介の声だった。

 視界がだんだんはっきりしてくると、 夫の信介の他にも母や祖母が心配そうにのぞきこんでいるのが分かった。

 病院のベッドの上で葉子は、 自転車で買物に行く途中で、 交差点で飛び出して来た子どもをよけて転倒したこと、 半日意識不明の状態に陥っていたことを知らされた。

「……ねえ、 自転車、 どうなった?」

「車輪がパンクして、 フレームも少し歪んじゃってる。 それと鍵んとこが随分激しく壊れててさ。 もう新しいの、 買ったら?」

「……ううん。 あれ、 修理する。 もっと乗ってあげたいから」

 そう言うと葉子は目を閉じた。 霧の中で回転する車輪の音が聞こえてきた。 (完)

(イラスト やまもとかずよ)


阪神白地 まちづくり支援ネットワーク・第42回連絡会報告
〜「北京と京都:歴史都市の保存と再生」〜

 

・日時:2月11日(金)18:00〜21:00
・内容:テーマ「北京と京都 歴史都市の保存と再生について」

報告1/「北京の街区空間の変容と保存と再生について」ケ奕
報告2/「京都の街区空間の変容と保存と再生について」小浦久子
コメンテータ/久保光弘、 江川直樹

 ケさん(清華大学)より、 北京の胡同(フートン)が形成する街区構造について話を聞いた。 元の都は大街(約37m)と小街(約18.5m)で構成され、 その大街区が胡同(約9.24m)によって分割され、 細長い街区に大宅地が10戸(平民用は背割で10戸)が基本であった。 時代とともに土地利用や敷地割は変化するが、 基本的な空間単位は持続しており、 胡同はコミュニティ単位ともなっている。 これは、 京都都心部でも同様に街区の4面に向かい合う両側町の構成が今も残り、 それが自治の単位である町内を構成していることに近しい。 大都市の歴史的都心は時代の要請によって変化せざるを得ないところであるが、 こうした都市空間の基本構成を維持することにより、 建築物レベルだけでない歴史性の持続を可能とすることができるのではないか。 変化を歴史的に繋いでいく手がかりになる。 (大阪大学 小浦久子)



情報コーナー

 

●阪神白地まちづくり支援ネットワーク・第43回連絡会

・日時:4月8日(金)18:30〜21:00
・場所:神戸市勤労会館406号室(JR・阪急・阪神三宮駅より東へ徒歩5分)
・内容:テーマ「団地再生の動向−明舞と浜甲子園団地」
 報告(1)/明舞団地〜NPOとの協働による再生の取り組み/野崎隆一
 報告(2)/浜甲子園団地〜住民参加による団地再生/吉川健一郎(コー・プラン)
・問合せ:GU計画研究所(TEL.078-435-6510)

●第75回水谷ゼミナール

・日時:4月22日(金)18:30〜21:00
・場所:こうべまちづくり会館6階会議室(神戸市中央区元町通4丁目、 TEL.078-361-4523)
・内容:テーマ「兵庫県下のコンバージョン←→リフォームの事例」
 報告(1)「ワコーレのバリュアップ事業2題」/松尾裕二、 有馬博行(和田興産)
 報告(2)「御影の病院→コレクティブハウスへのコンバージョン」/野崎瑠美(遊空間工房)
 報告(3)「太子町の家(明治建築のリニューアル)」/森崎輝行(森崎建築設計事務所)
 コメンテータ/三谷幸司(三谷都市建築設計室)
・問合せ:GU計画研究所(TEL.078-435-6510)

<阪神白地まちづくり支援ネットワーク・17年度予定>

6月3日(金)「震災復興住宅10年検証を検証する」
8月5日(金)「景観法と神戸、 阪神間の景観行政」
10月7日(金)未定
12月2日(金)「まち協とまちづくりコンサルタントのゆくえ」

<水谷ゼミナール・17年度予定>

4月22日(金)「住宅←→事務所のコンバージョン」
6月24日(金)「震災復興マンション再建の結末」
8月29日(金)「最近のランドスケープコンサルタントの仕事」
10月28日(金)未定
12月26日(金)「今年出来た私の作品、 私たちの作品」

★★事務局より★★
「月刊きんもくせい」は、 再開して2年がたちました。 この間震災10周年を迎え、 阪神淡路地域は、 新たなまちづくりへと歩み始めています。
震災10年を検証したり、 地域でのまちづくりを総括する取り組みが行われていますが、 「あそこは、 今どうなっているのか」「ここは、 どう活動しているのか」などの希望がありませんか。 またご自身の活動の原稿もどうぞお寄せ下さい。 今後「きんもくせい」紙上に掲載していきますのでご一報下さい。

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(C) by 阪神大震災復興市民まちづくり支援ネットワーク

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