きんもくせい50+36+28号
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震災10年神戸からの発信

震災10年神戸からの発信推進委員会事務局 橋本 彰

 阪神・淡路大震災から10年、 現在神戸では市民・事業者・行政一体となって全国に感謝の気持ちを発信しているところである。

 「震災10年、 神戸からの発信」事業は、 市民・事業者・行政により、 推進委員会を設立、 実施しているもので、 神戸市民が震災で学んだ「経験・教訓」この10年間に取り組んだことの「成果・課題」そしてそれらを踏まえた「これからの神戸づくり」を震災のときに世界からいただく多くの支援への感謝を込めて「協働と参画」の理念に基づき発信する事業である。

 一部を紹介すると(1)まず、 ろうそくの灯が印象的な「1・17のつどい」を初めとして市民の手によって様々な追悼の行事が行われ、 また、 関連して「国連防災世界会議」も開催された。

 (2)又、 関連して推進委員会が自ら実施している象徴的事業として「市民のかけ橋 神戸から全国へ」を展開している。 この事業は、 神戸市民が感謝の気持ちを込めて全国51都市を訪問し、 震災の教訓、 復興の取組みを伝え、 交流を深めていこうとする事業である。

 (3)又、 市民自主企画事業 約400の行事が市内各所で、 市民自らの手で実施、 又予定され、 現時点で約90万の人々が参加している。

 (4)更に、 市民や神戸を訪れる人々に発信事業をわかりやすく情報提供する拠点としてタイムズメリケン(神戸からの発信館)を設け、 震災を乗り越えた地域の人、 長年培った伝統の技を伝える人、 これからの神戸ブランドづくりを担う若者や学生、 自立と社会参加を目指す障害者など、 神戸を支えている「人」を主役に神戸の「元気」と「魅力」を発信している。 (8月末まで)(詳しくはホームページを見ていただきたい)

 これらの事業を通じ、 私自身感銘を受けたことは市民の力、 地域の力である。 市民のかけ橋事業には42人の市民ボランティアが全国へ出かけ、 自分自身の震災体験を自分の言葉で発信し、 各都市の人々に感銘を与えている。 彼らからは今後も語り部を続けたいという強い熱意が感じられる。 又、 タイムズメリケンには学校、 企業団体などだけでなく様々なNPOなどの市民団体が運営に参画している。 紹介すると各地区まちづくり協議会、 「いきいき下町協」(まちづくり支援)、 「ユースネット」(青少年育成)、 「アスリートクラブ」(市民スポーツ)、 「セルプ」(障害者支援)、 「カルコム」(市民音楽)、 案内ボランティア、 「100年映画祭」、 「CAP」(芸術)であるが、 彼らの力がなければ運営が成り立たない程である。 神戸は「協働と参画」を唱っているが、 このように市民の力が確かなものになりつつあることをタイムズメリケンの運営の中で実感している。

 続いて、 神戸の魅力を支える若い力である。 タイムズメリケンに参画している神戸市ものづくり職人大学の学生と港の倉庫とか古いビルの一室などの工房で活躍している若手クリエーター達で、 いずれも30歳前後の若き青年達。 紆余曲折の後、 自分のやりたい道に進み活動している人達である。 彼らは神戸というまちに愛着を持ち、 この神戸の環境の中でトレンドや情報にまどわされず、 自分の価値観を熟成させようとしている。 今後の彼らの活躍により更に神戸の魅力がたかまること期待している。

 最後にタイムズメリケンでメッセージボードから神戸市民の言葉でもって神戸からの発信としたい。 「あれから10年 忘れようとしても決して忘れる事のできない、 あの出来事。 たくさんの犠牲がでてしまった事はものすごく悲しいことです。 その人達の分まで生き残った人は人生を悔いなく明るく未来に向けて生きていこう!そして、 神戸をすばらしい街へ」

 ホームページ http://www.kobe10th-year.jp

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タイムズ・メリケン シンボルオブジェ「元気の木」 「市民のかけ橋 神戸から全国へ」
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神戸の伝統の技コーナー くつ職人の卵達の実演 “衣食自由”コーナー 港の倉庫等の工房で活躍する若手クリエーターの展示
 

 

連載【街角たんけん17】

Dr.フランキーの街角たんけん 第16回
栄町通 過去・現在・・・(その4)

プランナーズネットワーク神戸 中尾 嘉孝

 7月のとある土曜日、 私は栄町通を歩いていた。

 栄町通4丁目に、 ビクトリアン調の煉瓦壁が建っている。 旧第一銀行神戸支店。 明治41(1908)年竣工の辰野金吾の作品である。 空襲で赤煉瓦の外壁を残して焼け落ち、 復旧後は長らく大林組が神戸支店として使っていた。 震災で半壊したが、 明治の東京駅建設工事で自社の基盤を確立できたという辰野との縁から、 オーナーの決断で、 通りに面した煉瓦壁を多大な費用と手間をかけて保存した。 今は、 市営地下鉄海岸線みなと元町駅の出入口となり、 将来的に煉瓦壁の内側に高層ビルが建つ予定である。 先日、 ある会で一緒になったご婦人から、 「みなと元町駅の赤煉瓦は、 他所から持ってきたものですか」と言われてずっこけたのだが、 「胴巻き」保存の悲しさである。 所有者の大林組には、 ビル建設時にもう少しファサードを竣工当時に近づけるため復元的に手を加えるなど、 煉瓦壁を残した意味を、 観る者が積極的に感じ取ることができる工夫を、 更にやっていただきたい。

 高層住宅の建設が相次ぐ栄町通だけに、 この旧第一銀行の隣にも、 最近10数階建てのマンションが建った。 将来、 隣に建つビルのヴォリュームを考えれば、 分からないでもないが、 2階建の旧第一銀行とのアンバランスは、 隠しようがない。 容積を一杯使い、 安手のトラバーチンもどきを低層部に巡らせているのも「どうよ」という感じだ。 「トチ再生」なんてキャッチを掲げ、 手前の会社の「再生」に血眼になるのも結構だが、 「明治建築界の帝王」の作品の隣に建物を建てるなら、 せめて、 はす向かいの地元老舗デベロッパーのギャラリーの佇まいを見習うべきである。

 栄町通3丁目の交差点に立つと、 第一勧業銀行神戸支店(大正6(1917)年竣工、 長野宇平治設計)跡の「虚ろな」空地と、 南東角の旧さくら銀行跡地に新築された「ショートケーキハウス」ならぬ「ウェディングケーキ」マンションが一望できる。 この2つの敷地のアンバランスさが、 栄町通の今日的状況を象徴している。

 真夏日は、 体に堪える。 一休みしようと、 栄町通2丁目に最近できた、 某マンションの公開空地にある石のベンチに腰を下ろそうとして、 私は腰を止めた。 その「ベンチ」が震災で解体される迄、 この敷地にあった三和ビル(大正12(1923)年竣工、 河合浩蔵設計)の開口部アーチの迫石と要石の組物そのものだと気付いたからだ。

 解体後に建った某銀行営業所の東側壁面に、 この部位は移植された。 そのときは、 曲りなりに説明版があった。 今、 素人目には奇妙な石のオブジェにしか写らないこの物体の素性を伝えるものは、 何もない。 夜な夜なジベタ(地べた)リアンの兄ちゃん姉ちゃんに足蹴にされているのか。 私は、 Hiromi Gohと樹木希林のスマッシュヒットの1フレーズを、 思わず口ずさんでいた。

「あぁ 悲しいぃねぇぇ 悲しいぃねぇ」

(この項終わり)

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写真1 みなと元町駅と新築マンション 写真2 栄町通3丁目界隈 写真3 旧三和ビルの石造アーチ
 

 

連載【コンパクトシティ14】

『コンパクトシティ』を考える14
−ヨーロッパ統合とコンパクトシティ政策の登場(1)

神戸コンパクトシティ研究会 中山 久憲

はじめに

 20世紀の先進工業国の繁栄は、 共通の言語、 民族、 宗教などを基礎とする「国民国家」が中心になって、 技術革新を繰り返し、 国民生産の持続的な増加でもたらされた。 さらに、 第2次大戦後の冷戦構造が、 2大陣営の技術競争を激しくし、 「工業社会」のパラダイムが定着したからであった。 しかし、 70年代の劇的な経済社会構造の大転換が、 やがて90年代の冷戦の終焉などの歴史的な激動を産み、 ヨーロッパでは「工業社会」に代わるパラダイムの転換の模索が始まる。

 その中にあって、 新しい都市政策として登場するのが「コンパクトシティ」である。 その流れについて、 2回に分けて考えていきたい。

1.激動の90年代とEUの誕生

 1989年夏に東ドイツ国民がハンガリー経由で西ドイツに脱出したことをきっかけとして、 ベルリンの壁が崩れ、 東欧諸国に民主化革命が起こった。 ソビエト連邦は共産党の解体を経て崩壊し、 半世紀続いた冷戦構造が終焉した。

 90年に東西ドイツは統合した。 92年末の単一市場の完成を控えて、 21世紀の初めに至る経済統合のみならず安全保障や政治統合の道のりを定める『マーストリヒト条約』が、 92年2月EC加盟12カ国で調印された。 批准のための国民投票でデンマークでは否認されたが、 フランスやイギリスでかろうじての賛成を得て、 93年11月に条約は発効し、 『EU(ヨーロッパ連合)』が正式発足した。 加盟国の間で人、 物(商品)、 カネ(資本)、 サービス(保健・医療・教育など)の移動が自由になり、 国境という障害がなくなった。 政府は国策企業を優遇できなくなり、 活動の場が公平になった。

 2002年2月末に、 ドル価格の変動によるEU域内の為替レートの変動リスクを無くすため、 共通通貨『ユーロ』が誕生し、 経済統合(イギリス、 デンマーク、 スウェーデンを除く)を果たした。

 EUは現在25カ国が加盟し、 07年には27カ国にまで拡大する計画である。 ここに、 冷戦終焉を契機として、 EUはヨーロッパ全体の統合へと発展した。

2.「一つのヨーロッパ」模索の道

 第2次世界大戦後、 西ヨーロッパは米ソの2大陣営に挟まれながら、 経済的繁栄と政治力の強化を模索し続けてきた。 2度と戦争を起こさないために、 各国がバラバラで経済競争をするのではなく、 相互の経済的・政治的協力体制の確立を図る「一つのヨーロッパ」という構想が指導者の中に生まれていた。 国家間戦争の的になる石炭や原子力に共通の政策をとるために、 52年に『ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体』が発足、 57年には『ヨーロッパ原子力共同体』と『ヨーロッパ経済共同体(EEC)』が発足した。 特にEECは関税同盟を基礎にして、 労働、 資本、 サービスの自由移動を図り、 農業、 運輸、 エネルギー、 通商、 社会政策の共通政策を実施し、 経済同盟を実現してきた。 共同体の仕組みは、 加盟国政府が権限を完全に共同体に委譲し、 国家が何らの権限も行使しないところにあった。 この3つの超国家共同体は67年に『EC(ヨーロッパ共同体)』に一本化された。

3.70年代の経済社会構造の大転換

 70年代に激震が世界を揺らした。 2度の石油ショックとドル・ショックであった。 石油価格の高騰は、 安価で安定した原材料の供給による工業システムを崩壊させた。 ドルの変動相場制によって、 明日が予想できない不確実な時代への突入だけではなく、 企業はコストの安い発展途上国へ工場を移す経済のグローバル化が不可避となった。

 EC加盟各国は自国の経済再建に追われて、 共同体で協力し合う余裕を失い、 勝手な保護主義に走り、 国際競争力を落としてしまった。

 80年代にはアメリカが金融市場などの規制緩和をしたため、 EC各国は市場原理を無制限に適用する企業経営のあり方に対抗しなければならない危機感に目覚めた。

4.ヨーロッパ統合の意義と前途

 85年にECの委員長に就任したジャック・ドロール(元:仏蔵相)は、 ECの新しい考え方を示した。 ヨーロッパは、 歴史的に「社会的ヨーロッパ」あるいは「市民のヨーロッパ」と呼ばれ、 福祉を重視し、 常に個人と社会のバランスを保ってきた。 つまり、 ヨーロッパ文明の土台であるギリシャの都市国家、 ローマ法、 キリスト教、 近年では社会民主主義に遡る伝統がある。 今、 個人の自由だけを尊重し、 社会の価値を軽視するアメリカ型の市場原理による経済構造に陥ってはならない。 ヨーロッパ共通のルールを作り、 EC加盟国内で調和ある経済発展ができる「ヨーロッパ社会領域」の確立を最優先目標とし、 市場に自由な広がりを与え、 国家、 公共機関、 地方自治体、 社会パートナーの活動や労働者保護などを認める社会モデルの構築を必要とするものであった。

 ヨーロッパの再生のためにはヨーロッパ全体の市場の統合と通貨の統合の必要を訴えた。 まず、 「域内の国境」を全て撤廃し、 単一市場にする統合の計画が具体化された。 準備期間に8年、 92年末に全てを発効させる目標に、 300近い法令の改正・整備が必要になった。 そのために、 86年に『単一ヨーロッパ議定書』が首脳会議で調印され、 加盟各国で国民投票、 憲法改正を含む批准措置が取られ87年7月に発効した。

 『ヨーロッパ憲法』を持つことで、 EUは単なる統合から連邦国家に発展する。 加盟各国は独自の憲法と内閣、 立法、 司法の3権を持つ「州」のようになり、 EUは「一つのヨーロッパ」=「ヨーロッパ合衆国」になる。 そして、 EU域内の諸国民は「ヨーロッパ市民」としての権利が保障される。 国籍を保有しない加盟国に住んでいても、 居住地におけるヨーロッパ議会の議員選挙への選挙権や被選挙権を保障されることになる。 自由に移動することができるヨーロッパ社会の中で、 ヨーロッパ市民の概念は、 国家への帰属ではなく、 地域コミュニティへの帰属が重要になってくる。

 ヨーロッパは本来、 国家の集合体であるとともに、 地域・民族の集合体でもあった。 このため、 70年代以降少数民族問題が多発し、 フランス、 スペイン、 イギリスなどでは、 分離・独立や権限の委譲を巡る民族問題を抱えてきた。

 EU統合は、 国家主権の縮小を意味することとなる。 それは、 従来から「国家」の原理につながれてきた地域や民族は、 本部のあるブリュッセルに代表部を設置して、 国家を介さないで隣国の地域と関係を結び、 EUレベルで行動することができるようになった。 これからは、 少数民族として分離・独立を問うのではなく、 一地域として自助努力での発展に力注ぐことができる。

 ヨーロッパ統合が深化することで、 ヨーロッパ市民が住む地方自治体の機能に、 「ヨーロッパの中の地方」としての新しい機能を加えることになる。 地方自治体はEUの中の地域自治体(region)と基礎自治体(local)の2層による地位を明確にし、 EU法の規制が適用される。 また、 EU政策の執行者として、 EUと中央政府と協力して地域政策を推進していくパートナーになる。 さらに、 EUレベルでの意思決定の参加を強化するべく水平方向のネットワークが重視されるようになる。

 EU統合によって、 かつて中世ヨーロッパが崩れる際に国家主権の絶対性を前提として発展し、 近代を形づくった「国民国家」に戻ることが不可能となる。 「国境なきヨーロッパ」という「新しい中世ヨーロッパ」が出現することでもある。

 2004年6月には『ヨーロッパ憲法草案』を採択し、 06年10月末までに加盟国の国民投票で5分の4(20カ国)以上の承認を得れば、 憲法としての効力を持つことになる。 05年国民投票がありスペインで承認が得られたが、 続くフランスとオランダでは否認され、 ヨーロッパ統合の前途に暗雲が漂った。 しかし、 各国では集権型国家から地域重視の分権国家への転換が進んできている。

(次回に続く)


 

連載【きんもくせい日記002】

張黎明さんとトレンディな北京の街なみ

非認証NPOきんもくせい代表 小林 郁雄


●2005年6月18日〜22日、 10年ぶりに北京を張黎明さんの招待で訪問した。 張さんは青島で生まれ、 上海の同済大学で建築を学び、 北京市の都市計画設計院で働いていたが、 30歳にして一念奮起し、 日本で都市計画とりわけ歴史的町なみ保存の勉強をしようと、 1992年に神戸にやってきて、 93〜94年度に神戸大学工学研究科修士課程(早川和男研究室)に入学した。 私費留学生なので経済的にしんどいから、 働きながら研究するようにできないかという早川さんの依頼で、 神戸大学のすぐ下に事務所があるコー・プランでアルバイトしながらということになった。

●1995年1月「中日両国における歴史的都市の特徴と都市保全に関する比較研究」という修士論文がほぼ完成し、 3月に北京に帰りいずれ独立して事務所を出す時に、 「コー・プラン北京」を併せて開設しようということまでは相談していたのだが、 1月17日の阪神大震災に遭遇、 すべてはチャラとなった。 張さんはたまたま広島に行っていたので難を逃れたが、 震災直後のどたばた、 まだ平常状況にほど遠い中ではあったが無事修了卒業し、 4月に北京に帰った。

●あれからちょうど10年、 今は北京鉱冶研究総院工程設計院というところの第5設計室で、 20人ほどの所員をかかえ、 城市規劃(都市計画)・建築設計・園林景観をひろく手がけている。 今回は、 天川雅晴さんと瀋陽(昔の奉天)で百貨店を作ることになり、 コー・プランも一枚噛んでいるので、 その関係(費用負担でということ)での訪中であった。 というより、 10年目の張さんのお礼の招待で、 天川夫妻と細野彰さんと4人で北京とその周辺(万里の長城や明十三陵など)を訪れ、 同僚の梁肖さんにすっかりお世話になった。

●2008年の北京五輪に向けて施設整備や交通整備が急ピッチで、 周辺部への大規模な住宅開発はもちろん、 中関村などへのIT関連企業はじめあちこちで商業・業務超高層ビルも、 上海ほどではないが、 林立し始めている。 それらの状況は天安門広場南にある北京市計画展覧館にいけば一目瞭然である。 同時に、 かつて街を埋め尽くしていた四合院などの古民家と胡同(路地)の保存も地区を選定して進められてはいる。

●さらには、 古くからの街なみを活かし、 大阪・空堀や神戸・乙仲とちょうど同じように、 烟袋斜街や后海沿いの古民家を改修した店舗や飲食店街がもっともトレンディなスポットとして、 北京の若者に人気だ。 TVやインターネットを通じて即時に世界同時流行していることを実感した。

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050618天安門広場南にある北京市計画展覧館の北京市街地大模型(立っているのが張さんと梁さん) 故宮北東の胡同保存地区図
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050621北京の新トレンディスポット・烟袋斜街 后海沿いの荷花市坊につながる古民家など改修した店舗群
 

 

連載【まちのものがたり28】

マンションKをめぐる人々4 「一階 駐車場」
家出少年

中川 紺

 誰でも一度くらいは子供の頃に家出を経験しているのではないかと思う。 ここにも、 つい最近家出を決行したばかりの少年がいる。

 翔太は両親と三人でマンションの一室で暮らしていた。 七階建てで、 明るいレンガ色の壁が遠くからもよく分かる建物で、 学校から帰る途中に、 道の向こうにその色が見えてくる瞬間が、 翔太は好きだった。

● ●

 家族が増えたのは小学校に入って初めての夏休みが始まった頃だった。 生まれたばかりの弟は手のかかる赤ん坊で、 両親は(特に母親は)、 これまで翔太に費やしていた時間のほとんどを弟にかけなければいけなかった。

 八月も終わりに近づくと、 翔太の不満と不安はどんどん大きくなっていった。

 ………休みが終わってまた僕が学校に行けば、 ママとはもっと会えなくなって、 ママをユウキにとられちゃう。 そんなのダメだ。 ママは最初僕だけのママだったのに………。

 彼は一大決心をして、 家出計画を立てた。

 「怖い人に連れていかれちゃうから一人で遊びに行ったらダメよ」と言われていたことを思い出す。 きっと僕がいなくなったらすごく心配するはずだ。 でも遠くへ行くのは怖いなぁ。 安全で、 すぐには見つからないけど、 ちゃんと探しに来てもらえるところ。 翔太は悩んだ末にそっと玄関から出て階段をおりた。

 一階はピロティで、 駐車場になっていた。 翔太は迷わず一番隅っこの車の陰にしゃがみこんだ。 二階住人の青い軽自動車は、 月に数回程度しか使われないためにうっすらホコリを被っていた。 ママが僕を探しに来なかったらどうしよう……。 不安と疲れで翔太は知らない間に眠っていた。

● ●

 マンションの前に停まったトラックから、 たくさんの家具や段ボールが運び出される。 青い作業服の人たちに混じって、 両親の姿が見えた。 母親のお腹は少しふくらんでいて、 髪は今よりも長い。 近所の人に笑顔で何か話している。 翔太の姿は見えていないようだ。

 

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 瞬きをする時間で風景が変化した。 夜。 ベランダで植木鉢の世話をする女の人がいる。 上の階ではきれいな布が風にゆれていた。

 もう帰らなくちゃ……翔太は鳥になって空を飛んでいた。 ほどなくツタのからまった大きな木が見え、 それが目指すものだと分かる。 自分を呼ぶ仲間のさえずり。 まわりの建物には見覚えがある。 その時突風が吹いて、 枝から足を踏み外した。 しまった。 薄れゆく意識の中で、 翔太はふと思った。 ……あれぇ、 ここ、 僕のマンションがあるはずだけどなぁ。

● ●

 目覚めた翔太は急に母親が恋しくなって一目散に家に向かった。 実のところ、 家出してからまだ三十分しか経っていなかった。

 翔太が眠っていたすぐそばのコンクリートの割れ目からは、 小さなツタがひっそりと芽を出していた。 あの大木のツタなのかもしれなかった。

 二十年後、 家族を連れた翔太は再びこの街に戻って、 ツタに被われたマンションを目にすることになるのだが、 それはまた別の話である。 (完)

(イラスト やまもとかずよ)




第76回・水谷ゼミナール報告

 

 今回のテーマは「震災復興マンション再建の結末は?」で、 6月24日(金)こうべまちづくり会館において行われました。 小林郁雄さん(NPOきんもくせい)のテーマ解説ののち、 次の3氏から報告がありました。

●「被災マンションの復旧復興を巡る課題」/大西一嘉(神戸大学工学部)

●「兵庫区・東山コーポの再建」/岩崎俊延(プランまちさと)

●「灘区・高羽グランドパレス再建の現状」/野崎隆一(遊空間工房)

 大西さんからは、 被災マンションの再建過程について、 全体のプロセス(“復旧か、 建替えか”に関する意志決定要因等)や、 最近のマンションに関する法改正にふれながら、 再建に関する合意形成への支援や建物被害の判定方法等についての課題や改善策を述べられました。

 岩崎さんからは、 “補修か、 建替えか”で合意形成が図れないままになっているマンションについて、 この間の条件変化等を整理しながら、 ねばり強い活動を積み重ねながら合意形成にこぎ着けた経験について語られました。

 野崎さんからは、 岩崎さんの報告と同様に長らく再建が決まらなかったマンションに関して、 これまでの詳細な経緯や最近の状況について語られました。

 討論の時間があまりありませんでしたが、 まとめで小林さんの「マンション再建は、 最後は金で決まるというのは、 まちづくりとは少し違うなあ」というのが印象的でした。 (中井都市研究室 中井 豊)

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報告者の皆さん。左から大西さん、岩崎さん、野崎さん


情報コーナー

 

阪神白地市民まちづくり支援ネットワーク・第45回連絡会
・日時:8月5日(金)18:30〜21:00
・場所:神戸市勤労会館403号室
・内容:テーマ「まちづくりワークショップを考える」、 プログラム(1)「こうべまちづくりワークショップ研究会」と「WS本」について/西修(こうべまちづくりワークショップ研究会)、 (2)最新事例報告・「雲中公園の野良猫対策ワークショップ」他/辻信一(環境緑地設計)、 (3)グループワークで考える「まちづくりワークショップの諸問題」、 (4)全員で考える「まちづくりワークショップの諸問題」、 コーディネータ:松原永季(スタジオカタリスト)

・問合せ:GU計画研究所(TEL.078-435-6510)

第77回・水谷ゼミナール
・日時:8月26日(金)18:30〜21:00
・場所:こうべまちづくり会館6階会議室(神戸市中央区元町通4丁目、 tel.078-362-4523)

・内容:テーマ「ランドスケープと市民参加」、 発表(1)「デザイン共有化のためのビジュアルなプレゼン手法/白井治(まち空間研究所)、 (2)「復興まちづくりにおける参加型ランドスケープin築地」/山崎満(UR大阪事務所)、 (3)「みんなでビオトープづくり」/門上保雄(門上環境計画)、 (4)「大規模公園の管理運営への市民参加の動き」/長谷川利恵子(環境緑地設計研究所)、 コーディネータ:辻信一(環境緑地設計)

・問合せ:GU計画研究所(TEL.078-435-6510)

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