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中越地震一周年シンポジウム報告

長岡造形大学 澤田 雅浩


 新潟県中越地震からほぼ一年が経過した平成17年10月22日(土)、一周年記念シンポジウムが長岡造形大学を会場として開催されました。当日はあいにくの天候にもかかわらず、約100名の方が参加し、熱心な議論がなされました。これは震災から半年の4月23日に小千谷市で開催された産官学リレーシンポジウムの延長線上にあるもので、その際報告いただいた行政や学会、中間支援組織からこの半年の状況を踏まえた発表が行なわれました。ここではその経過をかいつまんで報告します。

 行政からは復興計画の概要や、復旧・復興関連事業の説明が行なわれ、特に旧山古志村を対象とした「よりみち街道」の提案や低価格で地域風土に根ざした住宅モデル案が報告されました。また、学会提言が正式に公表されたばかりの建築学会からその紹介があり、地方都市、中山間地域での防災対策・災害復興のあり方に関する視座が提示されました(詳細は建築学会のホームページをご覧ください)。また、被災地で活動を展開する中越復興市民会議と中越ひまわり基金公設事務所からは、設立直後の報告であった半年前からこれまで、精力的に展開された活動の報告ならびにその経験を通じた問題点や今後の課題などが報告されました。そこでは継続的な支援や、この地域の被災者にあった支援策の重要性が指摘されました。また、阪神や東京からの報告では、大規模災害時に行なわれる各種法制度の「運用」による支援の拡充を、制度としてきちんと位置づける重要性が半年シンポと同様に力説され、中越地震の被災地も被災地責任としてこれらの問題にも積極的に関わる必要性と重要性が認識されました。

 全体を通じた総括討論では、中越地域の特徴と復興に関する諸問題が議論されました。震災前後に大規模な合併が行なわれた被災地におけるその影響に関する議論や、日本有数の豪雪地帯である中越地域での冬の期間を見越した復興のあり方、または少子高齢化、過疎化の進展する中山間地域における復興のあり方、そして復興に際しての財政収支の問題など、議論は多岐にわたり具体的な結論を得るには至りませんでした。その中で、特に中山間地域の問題を解決しながら復興に取り組む姿勢として、「特殊解」の積み上げが重要であるのではという興味深い発言がなされました。復興に際しては日本の中山間地全体の今後の再生に関してのモデルとなることも重要であるが、とにかく復興の可能性を持つ地域ではその対応に全力を挙げるべきだという趣旨の発言で、復興に対する姿勢として重要な指摘であったと思います。その一方で、復興に関するさまざまな活動や提言を束ねていくパラダイムの共有の重要性も指摘されました。残念ながらこの議論に十分な時間を割くことができませんでしたが、今後も重要となる点であろうと思います。

 今回も被災地内外から多様な参加者からの熱のこもった議論が展開されたおかげで、地域の復興に向けてより一層の活動を展開していくきっかけとなりました。次回は1年半後の来年4月23日に開催予定です。その際にはぜひ皆さんも中越へ足をお運びいただければと思います。



 

連載【コンパクトシティ16】

『コンパクトシティ』を考える16
コンパクトシティ(COMPACT CITY)の3つの概念 (1)

神戸コンパクトシティ研究会 中山 久憲


はじめに
 EUでは持続可能な都市形態として「コンパクトシティ」が一般的な政策として採用されることとなった。しかし、実現しようとする具体的なコンパクトシティの都市形態は、各々の国の都市の発展経過の違いと「補完性原理」の尊重で、その形態は様々である。いいかえれば、各々の国が求める「コンパクト」性が異なっている。

 これがコンパクトシティの概念を不明確にしている要因となっている。そこで、今回から3回に分けて、研究会で議論してきた「コンパクトシティ(COMPACT CITY)」の概念を整理したい。

1.工業社会からのパラダイム転換
 工業社会とは、「絶え間ない技術革新によって国民一人あたりの生産量あるいは消費量を持続的に増加させることができる社会」といわれてきた。特に、第2次大戦以降、欧米諸国は国家が主導的に生産拡大をコントロールしながら、国富の増大に力を入れてきた。それは、資本主義であろうと、共産主義であろうと大きな差がなかった。より確実に実現できたのは、中央集権型の構造を採用できた国々であった。英国や戦後の日本がその典型である。

 国家主導で工業化を促進するためには、限られた資本、資源、土地、労働力等を成長可能な分野に投入し、比較優位を獲得し、国際競争力を維持しなければならない。その際の基準の一つが「いかに効率性を図るか」であった。それは国土計画、都市計画に反映され、工業化に適した地域に、港湾や鉄道、道路などの社会資本を整備し、技術革新に適合する工場設備や、それを支えるサービス産業を有機的に連結させてきた。

 工業社会というパラダイムによる経済成長は、都市の成長すなわち「郊外化」による都市圏の拡大を余儀なくさせ、しかも中心部は工業や商業機能、郊外部は住宅機能という機能分化が避けられなかった。郊外へは鉄軌道や道路が放射状に建設された。国家が都市計画権限を持つ「都市計画法」が、工業、商業、住宅の用途を区分(ゾーニング)し、土地利用規制を行い、必要となる都市施設と開発事業の計画と実現化の法的担保性を与えた。英国や日本の集権型の工業社会においては、必然的に母都市を中心とした「メガロポリス」が形成されることとなった。

 パラダイムの転換は、1970年代のドル・ショックに端を発した。ドルの変動相場制で、各国は産業の比較優位を確保するには、国内の産業の再配置ではなく、コストの安い国での生産体制の確立というグローバル化が避けられなくなった。それは国内での持続的成長の停止であった。もう一つは、90年代の少子高齢化の中で人口収縮社会への転換であった。さらに、もはや限界点に達した地球環境問題とりわけ温暖化に対して化石燃料の消費削減が国家の重要な課題となった。

2.都市のコンパクト性の追求
 グローバル化で中心都市への産業の集積が弱まり雇用機会が減少する。人口収縮社会では都市は人口圧力から開放され郊外化の意義が希薄になっただけではなく、密度の低下や空地の点在化が顕著になってくる。メガロポリスの解体を迎えることとなる。

 このように成長社会から持続可能な社会への転換を軟着陸させるには、一点集中型の都市構造を、分節化し、各々の地域をコンパクトにまとめ上げなければならない。

 求められる「コンパクト性」とは、第1が地域が自立できる都市の区域、例えば水系、交通網でまとまることと、地域を自律的にコントロールできる分権化された自治権と住民の参加(公選による首長や議会)が基本となる。地域がまとまるためには必ずしも都市の人口規模に左右される必要はない。重要なことは、自治権による都市自身のマスタープラン(ローカルプラン)を築き上げて実施することである。

 第2には、地域として望ましい「生活の質」を住民自身が設定し、自覚することである。「コンパクト=密」であると考えられるが、コンパクトシティを巡る論争、すなわち「高密型都市か低密型都市か」でも結論がでていないように、互いに長短がある。特に、情報化時代となり、インターネットで情報の入手・選択を居ながらにして可能になり、これまでのように大都市に集積する必要は無くなっている。自動車の燃料消費の面からも、過度の集中による渋滞の発生等で、必ずしも高密型が適しているとも言い難い。アメリカでは、中心都市への企業の集積をコントロールする「成長管理政策」が80年代から実施されている。「過密から得られるものは何もない(アンウィン)」と言われる。地域にとって「必要とするものが適度に詰まっている密度」が重要である。

 第3には、地域が一つにまとまるためのアイデンティティをもつ中心地域の設定と育成である。都市が発生するまでには、必ず歴史的経過があり、街道筋、河川港、港湾、城、寺院など人口が集住する要因があった。必ずこれらの存在を示す歴史的文化財が存在する。こうした歴史と、上記2点を加味すると、自治権を持つまとまった地域で、地域の実情(利便性重視の高密度型・環境重視の低密度型)に合った各々の「生活の質」を満足させる中心市街地(タウンセンター)の充実が必要である。自立に可能な産業と雇用があり、必要な行政サービスや商業サービスが受けられる。理想的に言えば、自転車や公共交通機関で行ける範囲に、日常生活で必要とする7割程度が満たせることである。残りは、より広域的に自動車や鉄道に乗るか情報手段で達成されればよいと考える。

 以上の3点を総合的にまとめると、「コンパクトシティ」の第1の概念とは、「生活の質を維持するための必要なものが適度に詰まったコンパクトな(COMPACT)都市(CITY)」である。そのためにはまとまった地域の設定と分権化された自治権、住民の直接参加意識の高揚が必要である。

3.コンパクトな都市を目指して
 コンパクトな都市のモデルとして、ヨーロッパ中世城壁都市から発展したドイツの都市が例示される。それには、ドイツが集権型国家になれなかった歴史的経緯がある。ドイツはルターから始まった宗教改革(1519)で、国内が新教と旧教に分かれて争い、宗教戦争(30年戦争:1618-48)の結果の和議で、封建領主の信じる宗派を選択することとなった。このため、ドイツは2宗派がモザイク状に分布する分裂国家となり、近代化のための「国民国家」への道が19世紀まで途絶えた。その結果、分権型国家として発展し、産業革命後も、都市は中世城壁都市の伝統を守り、中心部に大聖堂や広場、都心居住というコンパクトな都市の形態が維持されてきた。

 集権型国家の英国では、20世紀当初に、コンパクトシティのモデルに例示されるハワードの「ガーデンシティ(田園都市)」が提唱され、レッチワースが建設されたが、後続が生まれなかった(本誌04年9・12月号参照)。しかし、近年ブレア労働党政権(1997〜)のもとで、EUの政策を受け入れ、分権化を進めようとしている。国を12の地域(州のようなもの)に分け、各々の地域に独立した公選の議会を置き、権限を国から委譲し、地域主権の確立を目指そうとしている。さらに、素人主義でボランタリーな地方議会議員で構成される地方自治体に、強力なリーダーシップを発揮する直接公選首長や専門性や実務に精通した議員による議会活動を目指す改革を進めようとしている(本誌05年3月号参照)。

 集権型の日本は、明治維新で分権型の藩を廃止した府県制(1871)と、不平等条約解消と近代国家を目指すために設置された市町村制(1888)を引きずる形で、近代化・工業化を達成してきた。大戦後の日本国憲法では地方分権は規定されたが、権限は委譲されなかった。コンパクトシティを目指すには、都市のコンパクト化と合わせた地方分権と住民参加の拡充は不可避である。



 

真野モーニング徒然

神戸芸術工科大学 田中 奈美


●真野とぼっかけコロッケ

 2004年の春、神戸芸術工科大学に勤務するため神戸市内に転居をした。それ以前に神戸を訪れたのは学生の頃に学外実習で滞在した数日のみで、残りは阪神大震災時にテレビに映される街を驚きとともに観た記憶以外にはなかった。

 職場も生活もあわただしく始まった4月に、まちづくりシンポジウムにて石東直子さんとお会いしたのを縁に、大学院の担当授業での「ふれあい住宅」の紹介をお願いした。この特別授業として、約10名の学生と初めて久二塚西、真野の各ふれあい住宅を訪れた。

 初めて歩く長田、特に久二塚から真野までの界隈は再開発事業による新しい街と震災の跡も残る古い街が混在しており、神戸がまだ震災復興の途中にあることを改めて意識した。

 いずれのふれあい住宅でも共同室にお邪魔したが、これまでにも注目を集めているとはいえ、いずれの自治会長さんも快く見せてくださったことは非常にありがたく、学生も多くを得た印象であった。

 しかも真野ではお茶と牛筋の入ったぼっかけコロッケをご馳走になるという寛大なもてなしを受けた。図々しく住まいに見学にやってくる我々に対して疲れて空腹だろうと用意してくださった自治会長 李さんの暖かい心遣いは、身にしみて、その人柄に一目ぼれをした。この時に月2回のモーニングが開催されている話を聞き、何かお手伝いができないものかと考えた。幸いにも同様の思いを抱いた学生が数名おり、6月以降のモーニングを数名で手伝うことが約1年半続いている。皆、一様に李さんの人柄に魅せられたわけである。

●モーニングの面々

 毎月第1、第3日曜日の朝7時から始まるモーニングには様々な人が集まる。100円で提供する飲み物、パン、バナナ、ゆで卵の朝食には真野ふれあい住宅の居住者のみでなく、近所の住宅居住者、遠くは湊川からバイクで来る人もいる。時には地元出身の市や県議会議員も顔を出す(写真1)。

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写真1
 
 年齢もバラバラで、最高齢者は90歳代のふれあい住宅の女性で、歩行器を使いつつも毎回、1階の自室から自力で共同室まで訪れる。この1年半の間に一時期入院した時期を除きほぼ毎回モーニングに顔を出し、決まった席で数名の同じ住宅内のご婦人方と1時間ほど歓談して過ごす。

 近隣の住宅からの参加者は、一番乗り(時には6時台)に現れる80歳代の女性を筆頭に、同じ住宅から供だって訪れる2人や3人程度のグループが数組ある。男性2人組の常連さんの一人は時々、手づくりの鉢細工(色つきプラスチックで花や木を再現)を真野の共同室に提供してくれる(写真2)。この鉢細工は共同室を明るくするアクセントとなる。

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写真2
 
 目が少し不自由なご婦人も常連さんの一人だが、一緒のテーブルを囲む相手はほぼ決まっており、どちらかが先に来た時は相手が現れるのを待って、歓談をして過ごす。

 湊川からバイクで来る男性は、長田区や兵庫区のあちらこちらで開かれているモーニングの達人で、平日の木曜日以外はほぼどこかでモーニングが開かれていること、料金は大抵100円から200円の間であること、メニューもほぼ同様であるが、場所によってはバナナが半分、サンドイッチを出すということなどを教えてくれた。

 この男性は湊川の自宅で奥様と2人暮らしということであるが、「お互いどこに住んでいるかはよく知らないけど、ここに来ると皆に会えるからね」という言葉からの推察で、一人でモーニングを渡り歩く心は、各所で出会う常連さん達との交流にあるのではと感じた。

 同様な印象は他の参加者からも受ける。特に冬場の最も寒い時期でも外の住宅から徒歩で参加する人達がいることを不思議に感じていたが、その目的は誰かに会って、少しの時間でも話をしたり、聞いたりして過ごすことにあるようで、「家にいてもテレビばかり観て過ごしてしまう」、「テレビは返事をしてくれない」などが会話の端々に出てきた。

 また、驚くことに自治会長の李さんは、常連参加者の好みを覚えており、コーヒーか紅茶か、砂糖は多めか等を指示してくれる。加えて李さんは宣伝上手でもあり、前日に近所で行われる昼食会の席で、翌日の真野ふれあい住宅でのモーニングの宣伝を忘れないことが、毎回の固定メンバーの獲得につながっているのであろう。

 市や県の議員諸氏の訪問時にはモーニング参加者の健康を気遣う言葉があり、参加者も地元の先生として歓迎している様子である。こうした政治家の訪問はふれあい住宅自体や居住者が意識されているという意味で意義があると感じるが、同時に今後の支援施策の必要性を意識してもらい何らかの具体的な制度等につながることを祈る気持ちである。

●サポーターの役割とこれから

 この1年半、真野に出入りをしてきたが、最もモーニング実施が厳しいと感じた時期は李さんが体調を崩し、入院した期間であった。モーニングは実質、李さんと居住者2名との3人で運営しているが、李さんという主導者を失うと覇気がなくなり、冬であったことも関係してか、毎回の参加者の集まりも悪い印象であった。おそらく、別所の食事会での宣伝等も上手く機能していないのではと感じた。そうした中で、我々の支援をどのように行っていくかは非常に難しい問題だと感じた。

 外部の人間が主導権を握ってしまうことは、ふれあい住宅のあり方からも望ましいことではなく、高齢化を迎えている住宅住民の活動に対して最小限で必要な支援をどのように提供するべきかという問題である。これは、偶然に数人が手伝いに入り、人手が十分であった時に「学生さんの邪魔をしないほうがいい 教育上の意味もある」といったコメントを住民の方から耳にしたこともあり、本来の目的を逸してしまったと反省した。むしろ、参加者が食器を下げる等の協力を含めて、皆で運営するような仕組みが持続性という面では望ましいのではと感じた。

 また、無償で手伝うことに対しても「悪い」という印象を与えてしまうようで、交通費や謝礼の申し出を受けることもしばしばあり、これを断ることは容易ではなかった。最後にはボランティアという学生の意思を尊重していること、毎回固定した人数で手伝えるわけではないこと、その都度モーニングの残り食材をいただくことで了承してもらった。

 平均して一人が毎回手伝える仕組みをつくるのが望ましいのかもしれないが、そもそも人数が少ないことや、義務的な活動とはしたくないという面から個々の都合や意思も入る。そのため、数人が参加する日もあれば誰も行けない日も生じてしまう。また、学生は卒業を機に大学からは離れるため、毎年の参加者探しが必要となる。こうした支援方法の難しさを改めて認識した。これはボランティア自体のあり方を考えなければならないということでもあるが、難題であるため、常に頭の中の懸案事項として残っている。

 ふれあい住宅でモーニングを開催する意義は、共同室を有効に使い、居住者間の交流や共同生活を推進するという意味のみではなく、周辺地域も含めたコミュニティの交流、連帯、協力形成など様々であろう。また、そこに外部の人間が関わることで、新たな交流や関係が生じる可能性がある。

 モーニングの参加者に市の広報関係配布物が配られる場合もあるし、長田地区で行われる、バザー、祭り、イベントの情報が提供される場合もある。各自が自室にこもっていては情報へのアクセスも難しいであろう。

 モーニングのピーク時は賑やかで、あちらこちらのテーブルから談笑する声が聞かれ、時には演歌を流すCDに合せて踊りだす人もいる。

 今年の新たな動きには月1回はモーニング終了後に映画会を共同室で開くことになり、これによって参加者は増加している。映画機材と映画は真野ふれあい住宅担当の巡回LSAさんが準備しているが(「君の名は」、「24の瞳」等)、映画上映のある日は住宅前の歩道にも映画会の案内が掲示され、モーニング参加者には映画上映があること、ゆっくり過ごしていただきたいことを伝えるようにしている。朝食後、一旦帰宅してから再度現れる人もいる。このイベントは上映映画の選択も良いのか人気であり、参加者が楽しみにしている様子がよくわかる。

 先にも述べたが、ふれあい住宅の生活に対して外部の人間がどの程度まで関わっていけるかの明快で適当な解法は容易ではないが、少しでも住宅の生活が楽しくなるように支援を続けていければと考えている。大学院生以外でも1年生の基礎的学習の見学先として真野のふれあい住宅を2回ほど見学させてもらったが、バリアフリー、高齢者用住宅、共同室、共有空間(共用廊下部分、屋上菜園、ソーラーパネル等)、オール電化の実際を見ることも言葉も初めて聞く場合の多い学生にとっては、非常に刺激になるようで、「ここに住んで大学に通いたい!キッチンが広くて使いやすそう!」等の感想を言う(写真3、4)。

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写真3 写真4
 
 理想的な話ではあるが、ふれあい住宅に学生も含む若い層が混住する環境が整えば、外部の支援抜きに共用室や共用空間が有効に使われる可能性も出てくるであろう。制度的な問題、どの程度の混住を目指すのか等、検討するべき課題は多くあるとは思うが、試行してみる価値はあるのではと考える。(2005/10/5)



 

連載【まちのものがたり32】

住吉川物語4
蜘蛛が入った琥珀

中川 紺


 雨の中、スピードの出し過ぎでスリップした、と聞いた。43号線沿いの住吉大橋にはたくさんの花束が置かれていた。誰も巻き込まへんかったんがせめてもの救いやけどね、と亮介のおばさんは言った。そう言うことで、自分を支えているようだった。私はうなずくことすら出来なかった。

 大学生の息子を亡くした母親と、恋人を亡くした高校生。私たち二人の全身からは、ものすごい量の悲しみが溢れ出ていたと思う。

 バイクにつぶされた黄色い破片だけが、私に残された。亮介がとても気に入っていた琥珀のキーホルダー。

 形見分けでもらった琥珀の破片には、小さなクモが入っていた。亮介がハマっていた恐竜映画にも、太古の蚊が閉じ込められた琥珀が出てきた。黄色い樹液に入ったクモは、まるで亮介の魂のカケラみたいだった。

 あれから私は、誰のバイクにも乗らないと決めた。そして私も、周りの人たちも、彼のことを次第に口にしなくなった。

 だけど、橋には毎日のように通った。あの橋から住吉川を眺めていると、背後を途切れること無く車が通過して、まるで事故なんて無かったんじゃないか、そんな気がした。

● ●

 年月は過ぎ、私はあの頃の亮介と同じ大学生になった。卒業後は地元のスーパーに就職し、そのうちに同い年の恋人ができた。同期入社の私と彼は、一年後に結婚した。

 今年、私たちの子供は三歳になった。

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● ●

 新居は実家のそばにあったので、私は息子の龍平を連れて時々川に遊びに行った。北の方角を見上げると、ちょうど住吉大橋が視界に入る。でも事故のことは記憶の奥底に眠り、もう私はあの時のように悲しみにつぶされそうになることはない。

 「いたい!」

 河原で遊んでいた龍平が声をあげた。慌てて駆け寄ると、泣きそうな顔で手を差し出した。人指し指にうっすらと血がにじんでいる。「大丈夫、大丈夫」とバンドエイドを貼ってやると、ケガのことなど忘れたかのように、また石集めに夢中になりはじめた。

 集めている小石の中に、黄色いガラス片が混じっていた。ああ、これで切ったのか。そう思うと同時に、その深い黄色が私を不安にさせた。この色を知っている。あの時の琥珀の色……亮介の事故、クモが入った琥珀……突然、記憶と悲しみが鮮明に蘇った。

 ずっと手放せずに引き出しの奥にしまっていた琥珀の破片のことを、はっきりと思い出していた。

● ●

 水音で我に返った。息子が集めた石を水に投げ戻していた。私もそばにあった石を手に取って投げ入れた。今度来る時、琥珀を川へ流そう、そう思った。あのクモは私だ。亮介の思い出に閉じ込められた私なのだ。

 もう解放しなくちゃいけない。

 そう思って、次々に石を投げ続けた。集めてあった石がなくなってもまだ、まわりの石を拾っては投げ、拾っては投げ続けた。龍平が心配そうに「おかあさん」と呼んでいても、投げていた。       (完)

(イラスト やまもとかずよ)



第78回・水谷ゼミナール報告

 

 今回のテーマは「密集市街地細街路整備の取組み例〜難しい事業に取り組んでいます。〜」で、10月28日(金)、こうべまちづくり会館で行われました。岩崎俊延さん(プランまちさと)のテーマ解説ののち、次の4氏から報告がありました。

●「宝塚市高松地区密集事業における細街路整備」/後藤祐介(ジーユー計画研究所)

●「新在家南地区防災街路としての酒蔵の道整備」/朝平武文(朝平都市計画事務所)

●「明石大蔵地区密集事業における細街路整備」/門上保雄(門上環境計画事務所)

●「堺湊西地区密集事業における細街路整備計画」/田中貢((財)大阪府都市整備推進センター)

 後藤さんからは、密集事業を担当するきっかけ、事業の概要および推進状況とともに事業の推進力になっている行政の事情と地元の力について語られました。

 朝平さんからは、「酒蔵の道」を取り巻く地区の概況と近隣住民の合意形成を図りながら進める都市防災総合推進事業の課題について語られました。

 門上さんからは、密集事業の概要とワークショップを活用した細街路整備での取組み、住民の同意がないと進められない任意事業としての難しさなどを語られました。

 田中さんからは、現況幅員が2.5〜4.5mしかない中筋を用地買収し、建物も補償しながら6.7mに拡幅していく取組みについて語られました。

 続いて、吉田薫さん(まちづくりワークショップ)から、次のような代表コメントがありました。「密集地という負の遺産に積極的に取り組む姿勢を評価する。また、密集事業は任意事業であるから、止まったら止まったで将来に期待したらよいのではないか。細街路を整備する上では、京都や空堀のように町家や長屋にある路地裏文化を再評価するという視点も必要である。」

 討論では、細街路を拡幅する絵は描けるが予算がつくかという問題、現在の密集事業は、老朽住宅、密集地、集落も十把一からげにしているという意見が出されました。(まちづくり(株)コー・プラン 吉原 誠)



情報コーナー

 

●阪神白地市民まちづくり支援ネットワーク・第47回連絡会

・日時:12月2日(金)18:00〜20:30
(いつもより時間が早くなっております)

・場所:こうべまちづくり会館2階ホール(神戸市中央区元町通4丁目、TEL.078-361-4523)

・ 内容:テーマ「景観法と景観行政の新たな取り組み」、パネラー:(1)「京都市の取り組み」/寺本健三(京都市都市景観課)、(2)「近江八幡市の取り組み」/深尾甚一郎(近江八幡市風景づくり推進室)、(3)「神戸市の景観法への対応」/上田真己(神戸市地域支援室)、コーディネータ:三輪康一(神戸大学工学部建設学科助教授)

・会費:無料
・問合せ:GU計画研究所(TEL.078-435-6510)

●イギリスのコミュニティに根ざしたVNPOによる都市再生〜行政とVNPOのコラボレーションで活性を取り戻す、まちづくりトラストの先進モデルから〜

・日時:12月9日(金)18:30〜20:45
・場所:神戸市勤労会館2階多目的ホール(神戸市中央区雲井通5-1-2、TEL.078-232-1881、三宮駅から徒歩3分)

・内容:(1)「まちづくりトラストとは?」/西山康雄(東京電機大学教授)、

(2)講演「イギリスにおけるコミュニティに根ざした都市再生」/ジョン・オールドントン(環境トラスト事務局長)、(3)質疑応答と交流会
・参加費:2,000円(軽食、ドリンク付き)

・人数:50名程度
・問合せ、申し込み:(特)コミュニティ・サポートセンター神戸(担当:飛田、TEL.078-841-0310、FAX.078-841-0312、e-mail:info@cskobe.com)

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