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サンフランシスコ大地震100周年

非認証NPOきんもくせい代表 小林 郁雄

 2006年4月18日5時12分、サンフランシスコのマーケットストリートの真ん中にいた。シスコ一番の繁華街は早朝なのに、黒山の人だかりで凄い人出だ。もちろん、いつもそうであるわけではない。今日が、特別の日1906年サンフランシスコ大地震100周年目で、記念式典をしているからだ。

 100年前48秒の揺れによって、約2万8000の建物が破壊され、497街区4.11平方マイル(10.52平方km)ほぼサンフランシスコ市街地の半分近くが大火によって焼失した。約3000人が死亡したと書き残されているが、実際には1万人以上であったらしい。(Courtesy San Francisco History Center, San Francisco Public Library)

 式典で最も印象的であったのは、市長が震災後100年を迎え我がサンフランシスコは、もはや燃えない都市になっているという自信に満ちたコメントであった。17年後2023年に東京都知事は、果たしてどのような演説をすることができるのだろうか?
 その日から22日までの5日間、モスコンーンセンターで、震災100周年記念会議が多くの記念行事のメインイベントとして開催され、日本からも多くの防災関係者が参加していた。サンフランシスコに関係している多くの友人たちとも再会し(一日はナパバレ-観光にも行きましたが)、災害に向けての不断の取り組みへの覚悟を新たにしました。

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連載【くらし・すまい塾7】

くらし・すまい塾 第8回記録(2006年4月12日開催)
戦後・国レベルの住宅政策から
地域の課題を踏まえた神戸のまちづくりへ(前編)

人と自然の博物館 藤本 真里


 今回の「くらし・すまい塾」のテーマは「戦後の住宅政策」でした。1987年国際居住年に神戸市住宅局住宅部計画課が発行した「こうべハウジングレポート'87」をもとに、その作成に関わられた小林さんからレクチャーを受けました。以下、1986年の「コー・プラン」や「石東・都市環境室」の設立までは戦後の住宅政策の主要な流れを抑え、その後のお話では、小林さんや石東さんが神戸市とともに進めた計画の内容や意義を簡単ですが示しています。

 短い時間でしたが、現在のまちづくりにつながるシナリオを感じることができました。淡々とした事実の記載や思い、質問など交錯して全体としてまとまりがありませんがご容赦ください。なお、「戦災復興」「建設」等は前述のレポート中、「神戸のすまい・まちづくりの系譜」で示されている時代を示すキーワードです。

<戦後の住宅政策>

○1945-55 「戦災復興」

・「公営住宅法」「日本住宅公団法」「住宅金融公庫法」は戦災復興の3本柱である。
・所得下位1/3に対して公営住宅を供給、中位1/3に対して住宅公団、上位1/3に対して公庫というような住宅建設・供給の支援策
・公営住宅は福祉政策という位置づけであるが、多くの自治体の住宅行政は「国または上部自治体から割り当てられた公営住宅建設戸数の建設供給」ということを主としていた。

・公団は大量の賃貸住宅を建設・供給し、世界一の大家ともいえる。

・公庫は、その当時、住宅購入に際して個人を対象に金を貸してくれる唯一の機関であった。長い間にわたって、金利5.5%で民間よりも低く一定だったので、資金計画等の計算も単純であった。

・ちなみに、金融公庫は、平成19年4月1日に廃止され、独立行政法人住宅金融支援機構にかわる。直接の融資は原則しないで一般金融機関を支援するような形になる。例えば、災害時の融資など一般では困難な融資を行なうなど。

○1955-65 「建設」

・大量の住宅建設により戦災で住宅が激減した市街地に人口が再集中する。

・世帯数が住宅数を上回るという「1世帯1住宅」が数値上達成できたのは、統計上は1968年の住宅統計調査であり、1973年には全都道府県で住宅数が世帯数を上回り、量の確保から質の向上に力点が移行した。

○1965-75 「開発」

・ニュータウン開発など面的整備実施。

・「安価で良質な住宅の取得を促す」ため地方住宅供給公社法ができ、宅地分譲、賃貸住宅を供給する。公社は都道府県や政令指定都市にあり、神戸市にも設立される。

・ちなみに、こちらも経営が行き詰っており、解散を希望する自治体も多いが、現行法では解散を認められていないため、国土交通省は来年にも公社が自主的に解散できるよう地方住宅供給公社法を改正する方針で、使命を終えた住宅公社は次第に姿を消していく。

・住宅建設計画5カ年計画は1966年に制定された住宅建設計画法に基づきスタート。第1期「1世帯1住宅」→第2期「1人1部屋」‥‥→第8期で平成17年終了した。住宅政策は今年から新しい展開がはじまることになる。2年くらい前から国での議論がはじまっている。

○1975-85 「環境」

・それまでの開発志向から環境や景観を重視すること、住民が主体的に参加するまちづくりなどの方向へ転換した。国では開発志向が継続していた。都市景観条例、まちづくり条例、HOPE計画が始まった。このような蓄積はバブル崩壊後、あるいは震災後に役立っている。

・HOPE計画は「地域住宅計画」を意訳した「Housing with Proper Environment」〔地域固有の環境(自然環境、資源的環境、文化的環境など)を活かした住まいづくり〕の略称。平成6年度から地方公共団体が策定する「住宅マスタープラン」の中に整理・統合されている。

<神戸のまちづくり −小林さん、石東さんが関わった計画を中心に>

○バブル

・1986年から1989年に起こったバブル、そして1990年以降のバブル崩壊の影響が大きかった。小林さん曰く、「バブルが起こった当初、東京だけの問題だと感じていた。金利引下げ、地上げ‥で大量に出回ったお金で京都の土地が多く買われ、"対岸の火事"でなくなった。この頃から経済学者と付き合うようになった。」

・さらに「バブルによって、何もかもが狂ってしまい、10年くらいは空白時期ともいえる。」

○「環境」の時代の蓄積

・小林さん曰く、「1995年の震災後、神戸においてまちづくり協議会を核とした住民による議論や計画、実践があったことは、「環境」の時代にまちづくり条例を制定するなどすでに下地があったことが大きい。それがなかった地域では個人の利害を主張するだけの動きが横行していた。その様をみて、「環境」の時代の蓄積の大きさを感じている。」

○1978年 「環境カルテ」策定

・「環境カルテ」:これからの市街地整備は「根幹的公共施設の整備だけではなく、 生活環境整備も必要でしょう」「市全体の計画を作ったけれど地区ごとの計画も必要でしょう」「それからスクラップアンドビルド方式のまちづくりばかりではなく、 その地域に合わせた改善を含めた多様な方法が必要しょう」。 「そのためにはまず地域の診断をする必要がある」ということで始めたものです。出典:垂水英司「80年前後の動き」(市民まちづくりブックレットNO.6「まちづくりの系譜と展開」)

・具体的には、住宅過密地区、住工混在地区、道路の整備、公園の整備、中心核について調査し、その結果を地図上で示している。その頃、

・現在ほどコンピューターの作業はできず、計算や作図作業は膨大であった。

・小林さん曰く、「このカルテの最大の功績は結果の概要をパンフにして市民に配布したことである。その中で、地区の課題の結果だけでなく、『じゃあどうすることができるか』ということで整備手法を示し、そのためには住民のみなさんで話し合いましょうということを示している。これができたことで神戸市における住民の発意に基づく“住民参加型のまちづくり”の流れができたといえる。」

○1986年「地域高齢者住宅計画」策定

・1986年「地域高齢者住宅計画」が策定され、1987年シルバーハウジング制度が創設されて全国初のシルバーハウジングとしてケアハイツ菊水が計画された。石東さんが計画に関わり、当時、全国から実に多くの視察があった。その後、神戸市は毎年1箇所ずつシルバーハウジングを計画し、全国の自治体の中ではシルバーハウジング先進都市のひとつといえる。小林さん、石東さんそろって曰く、「神戸市役所と横浜市役所は新しいモデル事業に取り組むことが多かった。そういう気質が職員にあったといえる。」 小林さん曰く、「適正な人口と財政の規模があったことも要因だろう。また、国の監視・干渉といったことがうすいこともあったのではないか。」 石東さん曰く、「神戸市も横浜市も港湾があり外部に開き、新しいものを取り入れる風土のようなものがあったのではないか。」

・石東さん曰く、「このような新しいことに取り組もうとする職員の気質は戦後の住宅政策において非常に大きかった。<全国初の公営コレクティブハウジング/ふれあい住宅>といった試みも、他の地域で同じようにできたかというと疑問である。」小林さん曰く、「コンサルタントに対する要求も実質的なもので、よく議論し、国などに出かける機会も多かった。市とコンサルタントの間に本来のパートナーシップが築けていたと感じる。」

(追記:神戸市のシルバーハウジングは、阪神大震災の復興公営住宅にも大量に導入され、その戸数は一挙に増え、現在、神戸市内で約2400戸に及び全国一の供給戸数である。)

後編:質疑部分は次号(06年5月号)に続く


 

連載【神戸のみどり5】

神戸のみどり・その5
「しあわせの村誕生異聞」(後半)

元神戸市建設局公園砂防部長 小森 正幹


6.基本理念を生かすための基本計画と管理運営計画

 しあわせの村の基本理念はノーマライゼーションの実現をめざし、「こうべ市民の福祉をまもる条例」の精神である“自立と連帯”を基本に市民福祉を進めていくことである。また一方でともすると、閉鎖的で暗いイメージ(コロニー)になりやすい社会福祉施設を緑豊かな自然のもと、明るく開放的な空間で障害者はもちろんのことすべての人々が、健康・スポーツレクリェーション・芸術・社会活動・授産・ボランティア活動等に参加できるようにすることを目標に基本計画及び管理運営計画を立案した。

(1)ウエルネスパークとして、生涯を通じてすべての市民がリフレッシュできる場を提供できるようにする。

(2)高齢者や障害者等ハンディキャップのある人々に、必要な訓練・介護・指導・など総合的なサービスを提供し、自立や社会参加を促進、支援する。

(3)高齢者、障害者、児童、女性、勤労者など広く交流・ふれあい事業を行う。

■基本計画

1)制度による境界を設けない
 したがって村は社会福祉施設と都市公園が何処で区分されているか利用者は知る必要もない。全体が公園として整備され、広大な芝生の中に赤い瓦屋根に白い壁(カサ・ブランカ=白い家)の、スパニッシュミッション風の建物が点在する明るいイメージを展開させることした。

2)魅力ある施設
 上記の基本理念を生かし、ノーマライゼーションを実現するためには、村は障害者だけの村になってはならない。そこには日常的に多くの健常者が訪れる村でなければならない。したがって基本計画は健常者が絶え間なく訪れる魅力ある施設を考え出すこととそれをどう動かしていくかのソフトウエアの整備がポイントだった。温泉の湧出は「温泉」と計画時点での総理府(現在は内閣府)調査で国民の関心の高かった「健康」を結びつけた「温泉健康センター」を計画にのせた。

3)なじみのある空間
 村は谷を埋め、森林を切り開いて創られた。新しい町がそこに出現する。しかし人々はたとえば地蔵尊のある路地裏の町や鎮守の森など自分が生まれ育った原風景にいるとき、説明できない安堵感をもつという。そこで村の中央に昔の山をそのまま鎮守の森として残した。私たちはそれを「なじみのある空間」と呼んだ。このことはあの阪神・淡路大震災のとき証明されたと思う。人々は一次避難地として日常的に慣れ親しんでいた公園に逃げた。心の支えに厳然と存在する六甲山にも励まされた。

4)バリア・フリー
 村はその性格上、基本計画の段階からバリア・フリーはそのコンセプトの中に生かされてきたと思う。あのころは今のように「ユニバーサル・デザイン」の考え方はなかったけれど、もともと公園計画の基本の中には弱い者や自然を大切にするコンセプトは生きている。「ユニバーサル・デザイン」は意識されていなかったにせよ、新しい村を創るプロジェクトであったからバリア・フリーの意識は超えていたと思う。すなわち、

▼フェンス・柵・石積み・擁壁など視覚的、心理的バリアはできるかぎり持ち込まない。

▼村の建物は囲まない。

▼神戸市民の福祉をまもる条例の実現と都市施設の障害者等に配慮した施設基準のアップを試みる。それは「ユニバーサル・デザイン」の考え方に近く次の目標などまさに「ユニバーサル・デザイン」だ。

▼障害者の、障害者のための施設というより、さり気なく健常者も気兼ねなく気軽に使える施設基準を創っていく。施設にもよるが、専用施設にせずへだたりなく使用できる施設をめざす。

■管理運営計画

1)もてなしの心・心のふれあい・交流──ソフトの充実
 もてなしの心は、障害者・高齢者・健常者に関係なく村を訪れる人々すべてに対し平等に対応されるものでなければならない。ただそれぞれの立場でどう感じるかの違いがある。例えば、障害者をもてなすとき、かれらも我々と同じように普通の生活を過ごす権利がある。したがって介護や支援が押しつけにならないよう考えて行動し、彼らのできないこと(人によってそれぞれ違う)のみ支援していく、さり気ないもてなしが必要である。もてなしの心で問題になるのは、表面的には理解を示しても、心のなかでは偏見を持っていることが多い。その心の垣根を自然に取り除いていく仕掛けづくりが管理運営でもっとも大切なことである。また、福祉を全面に出したい気持ちが管理運営に出すぎると、健常者が我々の村と違うと思うようになり、村から離れていくことになる。村はバランスのある管理運営をするため、健常者にも障害者にも違和感を持たせないソフトが必要である。

2)縁づくり
 基本計画のなかで提案された「リボンプラン」を受けて、この村を媒介として新しい縁を作っていけるような仕掛けが、縁づくりの希薄な現代において必要となってきつつある。

3)雇用の促進─社会参加─自立と連帯
 社会参加─自立と連帯の理念を実現するために、村に必要な仕事はできるかぎり障害者や高齢者が雇用の機会が得られるよう考える。例えば、村全体は広大な公園のなかにあるようなものだから、緑地の除草・濯水・清掃など園地管理の仕事は限りなくある。それを村の障害者授産施設や授産株式会社に発注するよう計画した。また、村の宿泊館用歯磨き・石鹸・タオル等のシール貼りも福祉施設に仕事を出すことにした。村の売店もできるだけ障害者団体と契約する。ビニールのゴミ袋は、村の需要が多い。すべて村の授産施設から供給してもらうこととした。その他村のイベントのとき、村を飾るバナーは障害者の手作りを考えるなどした。

4)相乗効果
 村には、リハビリテーション病院や認知症保護施設などがあるが、入院入所者は緑豊かな圏内をゆったりした気持ちで散歩できる。また、これらの施設へ家族などの見舞いが増えるという効果がある。遊びに来たのか、見舞いに来たのか、本心は定かでないが、現実的には健常者が、しかも家族連れで入院患者や認知症患者を見舞う率が増えている。さりげない気持ちで訪れる見舞いの方が、悲壮感の漂う見舞いと比べて見舞う方も見舞われる方もどんなに心静かであることか。

5)基本理念を生かした環境デザイン─しあわせの村景観形成計画の考え方と実施方法─
 しあわせの村の景観形成は、村のコンセプトである基本理念と切っても切れない相互作用を及ぼす、と計画当初から認識され位置づけられていた。したがって、基本計画に対する何回かの見直しにもかかわらず、常に重要な項目として留意されてきた。

 このような経緯のなかで「しあわせの村景観形成懇談会jが開催され、ウェルネスパークとして明るく開放的で、かつ安らぎと魅力を持ち合わせた良好な景観が形成されるよう留意すべき基本的事項や方針について検討した。

●景観形成基本方針

(1)高齢者・障害者をはじめ村に生活する人々にとって安らぎを感じさせる「なじみのある空間」と、村を訪れる市民にとって魅力ある「非日常的景観」とが織りなす、変化に富んだ景観を形成する。

(2)豊かな緑を保全するとともに、四季折々の自然の変化を楽しめる緑化景観をめざす。

(3)建築デザインは、神戸らしい明るいイメージを持ったものとする。

(4)個々の具体的な計画に際しては、個性を尊重しながら、統一感のある一体的な景観をめざす。

(5)村全体としては、わかりやすくかつ親しみのある景観形成をめざす。

●実現のための方策

(1)デザインブリーフの作成
(デザインブリーフ:景観形成基本方針、基本ゾーニング、イメージ等の要点をまとめた要約書。(個々の施設基本計画に先立って事業主及び設計者に手渡し、協力をあおぐ資料である。)

(2)緑化計画の策定
(3)景観形成基準等の策定
(4)実施プログラムの作成

7.まとめ

 「しあわせの村」も開村して18年目を迎えようとしている。開村以来、たくさんの人たちの努力によって村は今も多くの人が訪れ、人気のある施設である。しかし長い年月の間に当初のコンセプトが忘れられていることもある。悪いものは淘汰されるのが当然だが、当初の理想が末永く継承されることを願ってやまない。私は計画・建設・管理と当初の段階でたずさわらせていただいたひとりとして、計画当初にどんなことを考えていたのか、この小論が参考になれば、と思っている。

 「しあわせの村」のプロジェクトは現在も私の人生の大きな糧になっている。

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「しあわせの村」航空写真
 

 

連載【まちのものがたり37】

水の情景1 ワタシの旅
蛇口

中川 紺

 ぽたん、ぽたん……ぽたん…ぽたん…。

 どこから聞こえてくるのだろう。ワタシの耳は、水に敏感なのだ。いや、耳だけでなく、鼻も目も、すべてが水を求めている。どうしてなのかは分からない。ワタシには探すべき水があるという確信だけが、あった。

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 水音は、数軒先の古い小さな一軒家の方向からだ。猫の額のような庭のすみに、ひょろりと立っている水道の蛇口。道路から遮るものが何も無いので、思わず近づいた。蛇口の下に置いてある小さなバケツに水が少し溜まっていて、水滴が波紋をつくっていた。

 深く息を吸い込む。水は澄んだ色をしていたが、それはワタシが探している水ではなかった。どこにあるのだろう。小さなため息をつくと、背後に人の気配を感じた。

「人の庭で何をしているのかね」

 振り向くと、ニットのベストを着た初老の男が怪訝そうにこちらを伺っている。怒っているというよりは不審に思っているような顔つきだった。

「すみません。蛇口がゆるんで水が出たままだったので思わず」

 老人は、ああ、と声に出して言い「わざわざ気にしてもらってあれなんだが、それはどうかそのままにお願いします」と続けた。

 水がもったいないのでは、と言ってみたが、老人は意見を変える様子は無い。今度はこちらが怪訝な顔をする番だった。それを見て老人はこんなことを話した。

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 老人には妻がいた。三ヶ月前に心臓の病で倒れ、一命をとりとめたものの、容態が回復しないまま一週間後に息を引き取った。亡くなる直前まで、昨年の秋に植えた花の種を気にしていた。小さな庭に、毎年いろいろな花を咲かせることが、妻の楽しみだった。

「あなた、水やりをお願いしますね」

 病室で繰り返された妻の言葉。退院する日のために老人は世話を欠かさなかった。しかし妻は芽を見ること無くこの世を去り、その日から彼は庭に立つことを止めてしまった。

 ところがある日、小さな双葉が顔を出した。同じ頃、使っていない庭の水道の締まりが、時々ゆるくなっていることに気がついた。

 老人は感じた。妻が水やりに来ているのだと。妻は蛇口を少しゆるめ、水滴を落とすことで、夫に存在を知らせているようだった。

 双葉が次々と顔を出した。そして彼も交代で花の世話を始めた。

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 この音は二人にとって、見えない手紙だと、老人は言った。

 「この花……和名はひなぎくって言うそうなんだがね、あいつはデージーって名前の方を気に入って使ってたよ」

 ナマエ!……ワタシは、ワタシ自身の名前というものを知らないことに気がついた。ワタシは一体誰……しかし老人の言葉でその考えは遮られた。

 「でも最近、水やりの間隔が長くなってきた。花も咲いたし、そろそろあいつもあっちの世界に行くのかもしれないな」

 老人は、妻と咲かせたデージーの花を、少し寂しそうに見つめた。 (第一話・完)

(イラスト やまもとかずよ)




阪神白地 まちづくり支援ネットワーク・第49回連絡会報告

−「大学の都市計画研究室は今」−

 4月7日(金) 神戸市勤労会館で開催された標記の勉強会を聴講した。内容は「大阪市立大学工学部環境工学科」のカリキュラムを嘉名光市先生、「神戸大学工学部建設学科(建築系)」を三輪康一先生、「大阪大学工学部環境・エネルギー工学科」を澤木昌典先生が説明されたのだが、いくつか印象的なことがあった。

 私が大学を出て30年を越えるのだが、当時、都市計画を都市計画らしく教えられた覚えがなく、都市計画法の機微、土木と建築のコラボレーション、産業と土地利用の関係などはon-the-job trainingで身についたように思う。3人の先生方のプレゼンからは、同じ都市計画を対象としながら、そのアプローチやフィールドの異なる教育がされており、それが都市計画なのだと思う。私の恩師、佐々木嘉彦先生から「大学は学問自体より、その方法を学ぶところだ」という教えを受け、これを真に受けた私はあまり勉強せずに卒業したため、後々後悔することもあった。それで卒業できた時代に比べ、今の大学では空間論、コミュニティ論からCGといった技術に至るまで大変な学び草があるようで、これらを全部マスターすればスーパー都市計画家が生まれると思われるが、私が接してきたいわゆる新人にスーパーマンはおらず、むしろ、10年過ぎて都市計画やまちづくりに対して意欲を失っている例には事欠かない。やはり大学より社会でのOJTによって職能が形成され、わが師の教えは誤っていなかったと思う。

 都市計画学会関西支部では「都市計画教育と都市計画にかかわる人材育成」をテーマに議論が進められており、都市計画家を育てるためのカリキュラムの話があったが、環境、建築、土木それぞれの都市計画で力点は異なるし、そもそも一律の都市計画家というのはないということも言われた。

 大学で教えられたことが世の中にどのように生きていくのかを、行政、コンサル、ゼネコン、その他金融などの現場でどう役にたったかを世代別に聞いてみるといった企画はどうであろうか、非常に興味があるテーマである。

(北摂コミュニティ開発センター  難波 健)


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情報コーナー

 

●第81回・水谷ゼミナール

・日時:4月28日(金)18:30〜21:00
・場所:こうべまちづくり会館6階
・会費:1,000円
・内容:テーマ/「行政の40年勤務を振り返って」、発表/@「西宮市に40年勤め上げて」猿渡彬順(現・アサヒビール大山崎山荘美術館顧問)A「神戸市の40年間を振り返って」西川靖一(現・神戸市住宅供給公社調査役)、テーマ解説/後藤祐介(GU計画研究所)

・問合せ:GU計画研究所(TEL.078-435-6510)

●第49回COE連続講演会

・日時:5月26日(金)17:00〜18:30
・場所:神戸大学工学部1F創造工学スタジオ(C3-101)

・内容:Noise abatement planning in Germany in combination with clean air plans(ドイツにおける大気浄化計画と連携した騒音防止計画)

・講師Juergen Baumueller(Office for Environmental Protection,city of Stuttgart)、司会/森山正和(神戸大学工学部建設学科教授)

・問合せ:田中貴宏(神戸大学大学院自然科学研究科COE研究員、TEL.078-803-6344)

●まちづくりコンサルタント成果報告会

・日時:5月11日(木)13:00〜17:30
・場所:こうべまちづくり会館2階ホール
・内容:各地域のまちづくりを支援しているコンサルタントによるまちづくりや建物共同化など、まちづくりの現場からの報告会。計27地区から報告の予定。

・問合せ:こうべまちづくりセンター(TEL.078-361-4523)

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