「阪神市街地緑化再生プロジェクト」は95年5月末から6月の初旬のガレキ跡に花の種をまくことから出発しました。 この写真集は発案者の天川さんに自身による20選です。
別ファイルとなっている写真はGIF形式の30から50Kのサイズです。
全壊したコー・プランの跡地から始まった種まき。 支援ネットワークのメンバーが集まり、 (株)第一園芸の方の指導のもとで練習をし、 この後各地の種まきを手伝いました。
ガレキを撤去して土を耕し少し柔らかくなったところへ、 土壌改良材と緩効性肥料を交ぜた種を撒きます。 これだけのことで本当に花が咲くのかと最初は不安でした。
鷹匠中学裏の一面広場となってしまったガレキ跡地を鍬を持った「種まき隊」が歩いて行きます。 住民の方と一緒に耕し、 種をまき、 花畑になる日を夢見て汗を流しました。
長田区海運長・若松町・日吉町のあたりは見渡す限りの焦土となりました。 5月最後の日曜日、 鷹取教会のミサに集まった外国人も参加して賑やかな種まきになりました。
焦土と化した長田区はたくさんの悔しい涙や思い出で土が堅く、 一面の花畑にするだけは耕せませんでした。 6/10待望の発芽を発見した時の感動は今も忘れません。
全壊した我が社の跡地は種まきも発芽も最も早く6月はじめです。 芽が出たら次は花。 開花が待ち遠しくて毎日足を運び、 早く大きくなれと励ましました。
芦屋市も大きな被害を受け、 なかでも津知町はたくさんの家が壊れました。 倒壊したお家の庭にあったレンガで花見のスペースを作り開花を楽しみに待ちました。
大きな葉を広げ、 つぼみを太陽に向けてすくすくと大きくなるヒマワリは鷹取地区の皆さんの希望のシンボルとなりました。 やがて大きな花を開く日も近いことでしょう。
家がなくなって住む人も少なくなってしまったこの地域では、 少し涼しくなった夏の夕方ヤカンに水を入れ『水やり』をしてくださった方がおられました。 人々の暖かい心が花を咲かせます。
地面が堅く『面』でまけなかった鷹取地区はほとんどが『線』になりました。 「咲かなかったら住民ががっかりされる」と(株)第一園芸の児玉さんが後で種を足してくださいました。
楠丘町は待望の開花を7月25日に迎えました。 緑のじゅうたんの中の赤いコスモスはその日から回りの住民や私たちを楽しませ、 励ましてくれました。
4軒分の家の跡がコスモス畑になり、 発芽から緑のじゅうたん、 そして開花と変化していく様子をまるで子供の成長写真を撮るように2階のベランダから定点観測をしました。
六甲駅近くの家と家に挟まれた小さな空地にはペチュニア、 マリーゴールド、 ナデシコなど15種類の種をブレンドしたものをまきました。 季節ごとに色々の花が咲くという仕掛けです。
8月に入ると夏休みの子供達があみをもってコスモス畑でトンボを採る姿をたびたび見かけるようになりました。 うだるような猛暑の昼下がり、 一時のオアシスです。
たくさんの人の命をのみこんだ大地をその家族や友人たちの手によって花畑にしようとする試みは小さな行為ではありますが、 見事に咲いた花たちが心を和ませてくれました。
東灘区は建物の倒壊と亡くなられた方が最も多い地区でした。 本山中町“小路市場”の通路敷石の両側は可憐な花たちが市場の人々を励まし、 暑い夏をのりきりました。
長田区は広範囲の火災がひどい被害をもたらした地区でした。 固いガレキ跡を面的には耕せず残念にも線状に撒くことになりましたが、 大輪のヒマワリがお行儀よく一列に咲きました。
焼け焦げたガレキの中でヒマワリが大きな葉を広げ太陽を一杯に浴びて蕾を膨らませる足元で、 第一園芸の児玉さんが撒き足してくださったペニュチュアがいっせいに咲きました。
JR鷹取駅南に広がる海運町、 日吉町、 若松町のヒマワリは人々の熱い思いとともに花開き、 区画整理事業計画の第1号決定という吉報を受け取りました。
鷹取カトリック教会も全壊焼失しましたが、 たくさんのボランティアの手によって、 一つ一つ教会の建物ができあがっていきます。 それを見守るかのように背伸びしたヒマワリが咲いています。