いま、 会場の周辺に米田定蔵さんのなつかしい写真が掛かっています。 米田さんは、 神戸の市民団体が作ったロドニー賞を受賞され、 風月堂別館ギャラリーで、 受賞の写真と一緒に、 被災したときの建物…第一勧銀が倒れているところだとか、 中国銀行だとか、 情けないような写真も同時に展示されていたんです。 元気な時の写真はよく見ていたんですが、 壊れている写真を一瞥した時、 正視に耐えなかったんです。 考えてみたら、 二年以上前にはその風景の中で生活していたんですが、 二年十ヵ月経ったら、 ゆっくり見られなかった。 ということは、 まだ自分の心の中に、 精神的なわだかまりが残っているのかもしれない。 陳舜臣さんも「これはちょっと見られない。 もう暫く時間をおいてからもう一度見たい。 見てから書きたい」ということをおっしゃっていました。
先ほどの有井さんのお話の中で、 いくつか問題点が提示されました。 庶民の視点で、 まちを見たり、 行政を見たり、 世の中を見ていこうじゃないかという視点の問題が一つ。
それから、 歴史を見る場合、 想像力が欠けると、 その場所に立っても何も見えてこないわけですが、 本当に想像力を培うような教育がなされてきたのか。 あるいは今後、 どうしたらそういうことが可能なのかという問題。
そして、 キーワードは、 フェミニストの有井さんのことですから、 女性が作ってきた神戸という視点ですね。 お茶やマッチ、 ゴムだとか、 実際誰が働いてきたのか。 誰がこのまちを作ってきたんだということをはっきりと認識する視点が大事だということです。 上からものを開発するという行為は、 半分は壊す行為で、 そういう行為と、 守っていこうとか残していこうという視点とはちょっと違っているということです。
それから、 神戸の風景が今後どう変わっていくのかということは、 市民の課題じゃないか、 ということでした。 行政というのは、 入れ物しか作っていない、 あるいはイベントしかやっていない。 しかし、 生活文化の精神的な側面が行政に欠けているのはやむを得ないことなんだから、 それこそ、 市民がその中に何を詰め込んでいくのかということが大きな課題だ、 というご指摘でした。 そのいい事例として、 芝川邸が明治村へ移ってしまったという話。 物としては残ったけれども、 上ヶ原の開発の生き証人であった芝川邸というものは、 歴史と物理的につながる形で地域の次の世代につないでいくべきなんじゃないかということです。 一方で、 芦屋市伊勢町の旧金川邸の場合、 地元および行政が一体となって何とか残そうという運動がある。 これは一つのいい事例だということでしたが、 有井さんのお話を私が勝手に総括していいのかどうかわかりませんが、 視点というか課題ということは、 はっきり出てきたと思います。
そういうことに、 必ずしも沿わなくてもいいのですが、 阪神間、 山手の住まい文化という側面からたつみさんに、 下町の近代風景という側面から森栗さんに、 それからついでに先ほどぼろくそに言われた(笑)神戸の旧居留地について私がお話してみたいと思います。
基調講演からの問題提起
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