フリーディスカッション
ジーニアスギャラリー |
LIVE LAB WEST(旧ナショナルシティバンク神戸支店、 昭和4年竣工、 設計:ヴォーリズ) |
LIVE・LABの横というのは、 駐車場のことですか。 ああ、 ジーニアスギャラリーですね、 フランス人の設計した。 では、 あと何人かお話いただいてから、 ご回答いただこうと思うんですが。
Bさん:
仮設にいる者です。 実に素人的なんですけど、 一言で言って、 話が非常に難しい。 「都市の記憶」とタイトルにありますが、 聞いていてほとんどわからないですね。 都市の良さというのは、 田舎から出てきた時に、 プライバシーが守られていて、 隣は何をする人ぞというところであって、 それを喜んでいる人が大多数なはずなのに…。 昔の長屋がいいんじゃないかという意見があってもそれはいいんですけれども、 聞いていて堅苦しい、 難しい。 一つの原則論でおっしゃっているだろうけれども、 非常に難しいなと思ったんです。
竹山:
非常によく整理された高いレベルの話を、 やわらかく、 わかりやすくしゃべろうとするんですが、 なかなかそこまで達するのは難しいですね。 みんな一生懸命考えながらしゃべっているんで、 わかったりわからなかったりの話になるんですが、 できるだけわかりやすくしゃべろうということだと思います。 できるだけ、 本音でしゃべるように進めていきたいと思います。 他にいかがでしょうか。
私は山手のモダンの県庁のほうです。 このあいだ、 パリ文化サミットで、 安藤、 磯崎らの建築家やデザイナー、 それから知事も招待されました。 帰ってきて知事が言うには、 ハワードもコルビジェもいろいろ問題はある。 失敗もあるのではないのか。 しかし、 パリは、 グラン・パリ・プロジェでがんばっている。 兵庫県というのは田舎を大事にしてきたので、 県議会の数でも神戸市と比べたら、 一対四ぐらいだから、 どうしても神戸・阪神の利益を田舎へまわしている。 淡路に始まって、 いろいろなイベント、 地域振興をやってきて、 阪神でイベントなんて考えてもいなかった。 そんなところへ地震が起きて、 これが本当のイベントで、 これをどうするか。 阪神が百六十万、 神戸が百四十万、 合わせて三百万。 兵庫県の五百四十万の六割が、 土地でいうと非常に狭いところに密集している。 これが、 昔はモダニズムで、 田園都市風でよかったんだろうなと思います。 しかしいまは、 メガロポリスです。
このあいだ、 浅田彰さんに会いましたが、 まあ、 美というのはいろいろあって、 森栗先生の言われることも、 たつみ先生の言われることもみな、 いろいろ評価があっていいんじゃないかと思います。 京都でも路地裏もあるし、 臭いところもありますから。
知事が言うには、 下町の良さはコミュニティー。 日本は地震国家、 洪水国家であり、 朝鮮のノドンが飛んでくるかどうかしりませんけど、 いろんな天災が起こります。 したがって、 防災を考えながら、 安全、 安心コミュニティーを考えていこうといわれるんです。 アメリカ式の大量生産、 消費、 廃棄ではなくて、 ヨーロッパ的なセンスを取り入れながら、 一階は公共スペース、 2階は商業、 工芸スペース、 三、 四、 五は住宅にしようといわれるんです。
ある先生は、 木は炭酸ガスを吸い込むから、 オール木造だと。 しかし、 皆が一戸建てを望んでも、 不可能ですから、 緑地を増やすにも集合化せざるを得ないであろうといわれます。 だから、 日本的な…これは私の意見かもしれませんけど、 木造で数階建ての長屋。 文化も福祉もみな入り込んだ、 神戸市長はコンパクトシティと言っているようですけど…。 皆で協力して、 市民は市民、 公は公、 そしてそのあいだの共生、 三者一体になってやっていけば、 阪神間は日本で一番の地域風土条件を持っているわけですから、 やれるだろうと私は楽観的に見ています。
あまりせっかちになってもいかん。 やはり、 まちが成熟するには時間が要るということで、 急ぎながら、 かつ中長期的にビジョンを打ち出すこと。 これは市も県もやらなければいけないことですし、 市民からも提案していかなければいけない。 私もいろんな研究会などをして、 前におられる先生方にもご協力いただいて、 そういうビジョンを考えているところです。 話がごちゃごちゃしましたが、 役所も本気になってるのだということだけは、 覚えておいていただきたい。 知事もやる気充分ですし、 市長もやるだろうと信じたいと思います。
竹山:
いくつか論点が出ていましたので、 それについてのご意見をパネリストの方からいただきたいと思うんですが、 一つは武田さんが言っておられたオールドタウンにどう住み続けていくのかという問題です。 あとは、 Aさんがおっしゃっていました企業の役割。 復興、 あるいは景観を守っていく上での企業の役割をどう考えるか。 それから、 復興の中長期的なビジョンのあり方をどう考えるのかということですが、 それをできるだけわかりやすくしゃべっていただきたいと思います。
先ほど、 プライバシーがあるのが都会だとおっしゃった方がおられましたが、 確かに鉄のドア一枚、 ボンと閉めたら、 隣は何をする人ぞというまちになってしまったんです、 逆に。 だから、 孤独死など、 亡くなってから長いことわからなかったということも事実なんです。 プライバシーはもちろん必要ですが、 完全に何をしているかわからないというまちも問題があります。 その中間ぐらいの、 おつきあいをしながらプライバシーも守っていくような関係を、 本来は形成していくべきじゃないかと思っています。 かつての長屋はプライバシーがなかったかというと、 私はあったと思うんですね。 それは、 鉄の扉ではないですが、 ルールとしてあったんです。 たとえば人のうちの前を通るときは、 鉄の扉だと声を掛けなくても関係なく通れますが、 おはようとか、 今晩はとか、 ただいまという声を掛けるんですね。 あいさつができたんです。 いまの子供があいさつができないのは、 あいさつの必要がないからです。 あいさつをするというような関係のあるまちづくりができないかということ。 それから、 必ずしもそうなるかどうか知りませんが、 味噌や醤油を借り合ったり…すぐ近くにコンビニがあるから借りんでも済むと言われたらそうですが、 たとえばお稲荷さんをたくさん作ったからちょっと食べてという関係になっていったらいい。 そういうものが一方では必要じゃないかと思います。
日本が近代化していく時、 徳川時代からの封建制度が崩れていった時に、 一番壊されたのは村社会だと思うんです。 村の長がいて、 全部序列が決まっていて、 そういう中にいれなくなって次男三男が出ていく。 また、 家父長制度なんかも崩壊していった。 どんどんたくさんのものが崩壊していって、 最後には核家族が残ったんです。 かつては村は村なりに、 いい悪いは別にして、 コミュニティーというか、 まちのまとまりがあったわけですが、 戦後の会社主義というか、 働く場所中心主義の社会になると、 会社にはつながっているけれども、 バラバラのマイホームだけで、 地域とは全然無関係の社会になっていく。 要するに、 接着剤のないバラバラの社会になってきた。 この地震を契機に何を考えたかというと、 百三十年掛かって封建制度なりいろんな制度を分解してきたんだから、 百三十年とは言いませんが、 時間を掛けて接着剤を作っていこう。 新しいつきあいとかコミュニティーを作っていこうじゃないか。 それのキーワードが長屋にあったんじゃないか。 長屋のコミュニティーを大切にしていこう。 鍵一つ閉めたら、 隣は誰が住んでいるか分からない環境はなくしていこう。 路地で七輪を燃やしたり、 共同井戸で、 というところまで戻れという意味ではないと思います。
それからAさんのおっしゃった企業というのは確かに重要で、 僕は企業も市民だと思っています。 もし大丸が成功したというなら、 そのキーワードは何だったかというと、 従来のシステムからの脱出です。 いままでは大艦巨砲主義でとにかく自分の店にお客さんを引き込んだら、 そこから一歩も出さないでおこうという発想だったんですね。 それは別府の温泉街もそうです。 観光バスで旅館に着いたら、 ボーリング場から玉突きから飲み屋からバーからダンスホールまで全部あって、 一歩も町へ出ないでもいいようなシステムだった。 ところが、 別府温泉も問題になってきたんです。 要するに、 町全体で何とかしようという発想になってきた。 湯布院なんかがそうなってきたし、 城崎なんかも、 温泉を渡り歩いていったら券をくれたりして、 地域ぐるみでやっていこうというスタイルになってきた。 大丸は、 居留地や元町あたりを拠点に、 自分のところももちろん大事ですが、 まわりの古い建物を利用しながら、 中に全部取り込むんじゃなく、 地域のたくさんのいいお店、 古い建物、 環境を利用しながら作っていったところが戦略としてすごかった。 そういうものをたとえばディズニーランドみたいにつくっても、 まあ、 ディズニーランドには行くかもしれないけど、 普通は二回と行かないですね。 やはり居留地のように古い歴史のあるまち、 記憶のあるまちには、 二回も三回もいくんじゃないか。 そういう意味で僕は、 企業というのは大事じゃないかなと思います。
それから、 ジーニアスギャラリーとか、 LIVE・LABの隣の話は、 その側に立ち会っていたほうだから、 ちょっとコメントしにくいんです(笑)。 一皮保存になりましたけど、 あれはなかなかよかったんじゃないかということだけで止めておきます。 まあ、 ジーニアスギャラリーは、 僕はもう少し違ったあり方があってもいいんじゃないかとは思いますが、 まあ、 あれも一つのスタイルだと思っています。
ジーニアスギャラリーというのは、 非常にモダンな建物です。 庭を前に取り込んで建てていまして、 パリではああいうデザインをさせてくれないんで、 日本で鬱憤を晴らしたというものです。 それでは、 たつみさん、 いままでの三つ程の話に絡んで、 ご自分の問題意識も含めて出していただきたいと思いますが。
たつみ:
私は、 都市計画とか建築の専門ではありませんから、 いろんな事例をおっしゃっても私の頭の中になかなか浮かんでこないんですけれど…。
先ほど、 モダニズムは阪神間だけではないのでは、 という反論があったことに対する反論を。 たとえば谷崎がこちらに来て、 住みついた時に、 二元的なものの考え方をしています。 自分が生まれた日本橋の風景を大阪の船場に見ている。 そして、 好きだった横浜の風景を神戸に見ている。 そういう対立項を考えてみると、 じゃあ阪神間、 岡本というのは谷崎が関東で住んだどの場か。 それは小田原じゃないかという仮説を立てて、 実際に小田原に行ってみたんです。 ところが小田原というのは、 確かに前に海があって、 斜面があるんだけれども、 小田原城址のある山があるだけで、 いわゆる延々と続く六甲山脈の斜面というのが、 海との隣接距離にあるわけじゃないんですね。
ですから、 阪神間エリアというのは、 日本の国で見ても、 やっぱり非常に特色のある場だと思うんですね。 だから、 モダニズムというのは別に阪神間でなくてもよかったんではないかということに関しては、 私は断じて違うと。 つまり、 私は文学の立場から、 阪神間モダニズム展の文学に関する資料を集める一翼を担ったわけですけれども、 近代小説の中では、 阪神間の描写がずいぶんたくさん出てくるわけです。 キーワードは結局、 青い海、 緑の松、 そして白い砂なんですね。 で、 そういう阪神間の風景というものは、 私たち文学研究者の見方の阪神間なんですね。
芦屋川の流れ(阪神芦屋駅付近) |
じゃあ、 これから阪神間、 あるいは神戸を考えるときに、 どちらに偏して、 つまり感性的な面で都市づくりを考えるのか、 あるいは、 現実分析のところから都市づくりを考えるのか、 森栗先生がおっしゃっているように、 人間のメンタルな面から都市づくりを考えるのに、 その辺のコンセプト…それをそれぞれの違う立場の人間が、 知恵を出し合っていかないとあかんのちゃうかなと思います。
私は建設省の集まりの中で、 やっぱり突飛な意見を言うことを期待されているんだろうと思うから、 たとえばコンクリートを全部剥がしてみたらとか、 そんな無責任なことを言ってお茶を濁したんですけどね。 だから、 すごくギャップがある。 いまここにいても、 先ほどBさんがおっしゃったわけですが、 皆さんの考えていらっしゃることはある程度理解できても、 個々の事例の関してはついていけない部分が確かにありますね。 その辺のお互いの知恵の出し合いと膝詰め談判、 そういういろんな立場での話合いの場が必要じゃないかなと思います。
竹山:
日本中いろんなまちに行きますが、 どこもほとんど同じなんですね。 特色のあるまちが少ないので、 そういう意味で阪神間は、 自然条件とか文化条件でいえば、 ちゃんとしたまちとして再現してほしいと思うんですが。
Dさん:
たつみさんにちょっと質問なんですが、 建設省の言われる水というのは、 いわゆる飲料水のことですか、 川のことですか。 たとえば、 昔の夙川でも芦屋川でも住吉川でも水が豊富でしたけど、 いまは豊富じゃないです。 飲み水も昔の文学に表れているような頃の阪神間でしたら、 神戸の水でも布引のウォーターといい、 西宮でも芦屋でも宮水が潤沢でしたけど、 いまは尼崎、 西宮、 神戸の市民はほとんど、 淀川の水を飲まざるを得んようになっているわけです。 そのことを建設省のかたは言われたのかなと。
阪神間の住宅地(住吉山手) |
昭和十三年に阪神大水害がありました。 阪神間の土地の特色というのは、 海と山があって、 河川が南北に流れていて、 そこへ東西に線路がある。 そのせいで、 結局橋桁のところに岩や木が引っ掛かって、 ああいう大水害になったわけですね。 それを一つの教訓として、 河川を深く掘ったので、 逆に水量も少なくなってしまったわけです。 だから、 まず、 河川に水を戻そうということが大事です。 これは、 ウォーターフロントといういわゆる景観の問題とかかわってくるのですが、 飲料水としても不足しているということが、 今回の震災で顕になりました。 だから、 建設省のその時の答弁によると、 地下何百メートルか何キロメートルか知りませんけど、 貯水タンクを作る計画をしているんです。 何か全然違うんですよ。 我々が考えているまちづくりと。 阪大の鳴海先生がそこにいらっしゃって、 ゆっくり流す、 そしてもう一度使うというようなことをおっしゃったんです。 やさしいまちづくりという観点で、 私たち十数人のパネラーは考えていたんですけれども、 建設省が最終的に出したのは、 いま言ったような鉄の塊に囲まれた水を地下に確保するという答申です。
いまの土木行政はそういう姿勢で、 どういうところで実際改善していくのかというのは課題だと思います。
そうしましたら、 森栗さん、 いくつか質問もありましたので。
森栗:
全部答えられないので窮していまして、 どうして逃げようかといま考えています(笑)。
デザイン性というのは、 建物のデザインもそうですが、 住まい方とか、 先ほど武田先生が言われたルールとかもデザインだと思います。 僕が阪神モダニズムになぜ嫌悪感を感じるのかと言うと、 そこに私がよってないからなんですね(笑)。 よってたら必死になって保存運動をやるかもしれん。 で、 じゃあ長田にそんなにいいものがあるかというと、 デザインのいい長屋なんてないしね、 それほど誇る程のものでもないと言われたら、 その通りなんですよ。 でも、 実はそれが全国的にあるかないかということが重要な問題ではない。 阪神間のモダニズムは大したことないなんて、 そんな失礼なことは言いません。 大したもんですよ。 大したもんです(笑)。 でもね、 鎌倉にも、 あっちこっちあるんですよ。 私たちがその地域に住んでいて、 プライドを持つ。 そういう住まい方。 それはそれでいいと思うんです。
だけど、 そこだけで終わらないで、 神戸というまちの中で、 それこそ広い意味でのいろんなデザインがあって、 それをパッチワークのように認めていく、 まさに有井さんが最初に指摘された雑居性みたいな話で、 お互いに認めていく、 そしてお互いに認めあった上で、 それぞれの地域の特色を出していく、 そういうことが必要ではないか。 ですから、 Aさんが言われるみたいに、 市民としての企業が居留地の中で特色を出すというのは、 それは素晴らしいことだと思うんですね。 また、 東灘でそれなりの違う住まい方、 デザインが提出される。 それもまた素晴らしいことなんです。 また、 難しいだろうけれども、 かなりしんどいところもあるけれども、 今度は長田で新しい住まい方が出されるかもしれません。 そういうお互いに新しいものが出されるのがバラバラでいいならば、 何も一つのまちである必要はないじゃないですか。 一つのまちであるということは、 その中でいろんなものがあるということが、 お互いの豊かさにつながる、 違うものがつながっていく、 そういう可能性、 機会がほしいな。
武田:
先ほど県庁の方が、 中長期的なビジョンが必要だと言われました。 たつみさんも十年先はどうなるんだという議論が要るといわれました。 私もそれは大事だと思っていたんですが、 実はそういうビジョンが描けない時代じゃないかという気がしているんです。 というのは、 一方では、 銀行とか証券会社の倒産も含めて、 自分の近い将来の生活すら描けないわけですね。 本当に日本はこのままどうなっていくんだろうという不安も持っています。
それと同時に、 いままで国が、 全国総合計画一次二次…、 今度第五次になりますが、 あれをやって大体、 碌なことがなかったですね。 空港や高速道路を作るとか、 全国を新幹線で結ぶとか、 地方に工場を作るとかあったんですけど、 新幹線を作って地方から人が吸い上げられたわけだし、 地方には公害が生まれただけで、 何も儲かっていない。 鉄や石油を地方で作りまくったんですけど、 それを売るのは東京で、 だから逆に東京に集中したわけです。 売るには人が要りますが、 作るのは機械化すればどんどん省力化していくわけですから。
どうもビジョンというのは上が作って、 下がやれというようなものが多いわけですね。 だから、 これからもし作るビジョンがあるとしたら、 有井さんとか森栗さんの意見じゃないけども、 本当は下から作っていくビジョンが要るんだと思うんです。 その大事なキーワードは、 「連帯」です。 下町と山の手をつなぐとか、 地方と東京をつないでいくことだと思います。 この中で間違いなく言えることは、 楽になるとか、 自分だけええことしようということはないんだということです。 みんな、 重さとか苦しみを分かち合って背負うという条件の上でのまちづくりだと思うんです。 上から、 たとえば空港を作ったらどうかとか、 高速道路を作ったらどうかとか、 土木先行思考みたいな、 あるいは、 開発先行思考みたいなマスタープランとかビジョンというのはもう終わったんじゃないか。 中長期的なビジョンというのは上が作るんじゃなくて、 下が作るというか、 誰が作ってもいいんですけど、 結局みんなの合意が要るということが前提じゃないかと思います。
あと十分ぐらいになりましたが、 実際にどうしていくんやというところに議論を収斂したいと思います。
いまのお話にもありましたが、 神戸市とか他の都市でも、 市民の立場の政治的な判断がなくて、 国からの縦割り行政で各部局が動いているように思うんですね。 ですから、 たぶん地方行政にはビジョンが出せない。 武田さんがおっしゃったように、 市民の側から提案して、 みんなの合意をとりながら実現を図るというムーブメントがいるんではないかと思います。 そういう意味で、 多面的なビジョンがいるんですが、 この集まりでは、 都市の景観とかそれにまつわるまちづくり、 コミュニティーの再現とか、 そんなところが課題になるかと思います。 そういう内容で、 今後の動きを豊かにするような発言をいただければと思いますが。 包括的でなくても、 わかりやすいところでお話いただいても結構ですので。
Eさん:
御影公会堂というのはどうなっているんですか。
竹山:
御影公会堂に詳しい方がおられますが、 発言しにくかったら、 こちらが聞いている情報で言いましょうか。
国道2号線側の南側と、 川のほうの西側は一応形を残して、 裏側は建て替えて武道場にするというのが計画のようです。 僕もこのあいだ初めて聞きましたが、 震災前からの計画が、 震災で一時止まったんですが、 また全体が動き出したので、 そういう計画に戻すということです。 いま出ているのは、 川と道路からの景観はいまのままほとんど残し、 いらんもんは出さないという都市計画というか、 景観の部局がかなりがんばったと聞いています。 本当は建物全部残すべきだと僕なんかは思うんです。 地震でも残ったわけです。 だけど行政は、 古い建物は、 運動があれば、 がわだけ残して中は建て替えるということで、 建物は実質的には残らない。 ただ、 それでも大事なところが残ったというのは、 がんばったと思うし、 努力を評価したいと思うんですが。 いかがでしょうか。
Fさん:
分断という言葉が森栗先生からあったのですが、 近代に入って人を分け隔ててきたのは、 やっぱり貨幣経済のせいかなと思います。 お金が入ってくる過程で農村が解体し、 人が都市へ流れていく。 なおかつ楽をしたいということで、 山の手志向というか、 最初はお金持ちがまず郊外へ逃げ出していく。 それを追うようにして、 それがいいということで都市住民がついていく。 その初期段階が阪神間モダニズムだったのかなあ。 それが拡大していく形で戦後四十年来てしまった。 やっぱり戦前がまだよかったのは、 みんながみんなそう思っていなかったから、 ある程度バランスが良くて、 阪神間が住みやすかったからでしょう。 それが、 皆そうなってくるとおかしくなる、 というのか、 ばらばらになる。 家族すらばらばらになってくる。 あまり精神論の話ではないのですけれども、 やっぱりそこで価値観の変換ということから見方を振っていくことが求められているのかなと思った次第です。
Gさん:
私は行政の者です。 下河辺淳さんも今度リタイアされて、 いままでの反省に立って、 住民主体で地域連携軸でやっていって欲しいということを言われています。 ですから、 当然市民ですね。 市民といっても、 わがままな個人主義じゃなくて、 公共性のある自立した市民として行動して、 ビジョンを作り上げていくということがこれから大事です。 役所言葉で、 下河辺さんの用語でしょうけど、 地域連携軸を作り、 それが国土軸につながっていく。 ですから、 いままでとは逆転した発想です。 この五全総で、 もう全総という考え方は終わりだということを言われていました。 私はいま六甲山に関わっていますけれども、 小さな地域連携軸を作って、 ここから日本を変えるというぐらいの意気込みで皆さんと協力しあってやろうと思っています。
山手や下町のいろんな感覚があるでしょうけど、 私は尼崎の準工の感覚とか、 西宮の近商の感覚とか、 なかなか好きなんです。 森栗さんのご意見にも賛成やし、 といってたつみ先生のモダニズムも好きやし、 どれもええなあと思っています。
ヨーロッパ人の建築家は、 日本人の建築家がうらやましい。 好きなようにやっとる。 ヨーロッパは規制があって全然でけへんし、 十年も二十年もかかると言うてます。 ですから、 まあ、 あんまり悲観せんと皆で協力しあって、 その場その場で地域連携軸を作っていきましょうと。 県とか市とか、 そういった行政の枠を越えて、 自立した市民で、 有識者…専門家ばかりじゃなくて、 仮設の人、 おじいちゃん、 おばあちゃん、 昔のことを知っておられる人の話も聞きながら、 何か作っていきたいと思っております。 激しく戦いながら、 おもしろい日本にしていきたいと思っていますから、 がんばってもしゃあないけど、 がんばりましょう。
森栗:
大きい話で皆が一致して、 シャンシャンで終わってしまうととってもつまらないので、 武田先生に聞きたいんですが、 下からのビジョンということですね。 まあ、 がんばりましょうではだめなんで、 具体的にはどんなことをしていったらいいんでしょうね。 これをぜひ聞きたいんです。
武田:
有井さんの話に戻るんです。 要するに、 歴史を見るのに想像力がないと見られない。 想像力を培う学習をやってきたかという質問があったわけですね。 いま、 阪神間では、 区画整理とか再開発をやっているところでは、 学習をしています。 自分の家のことばかりを考えるわけではなく、 地域でやっている。 だから、 そこから結果は千差万別に出てくるでしょうし…。
森栗:
そうすると、 いろいろな学習をすることが大切なんですね。
武田:
いまは最高の学習のチャンスじゃないですか。
森栗:
長田だけにこもらないで、 時には東灘までね。
武田:
そうそう、 だと思いますよ。 東灘は東灘の問題があって、 住戸数は増えたのに、 まだ更地があるんです。 そこでどうするかという事を真剣にバトルをしないとまちはつくれないでしょ。 下からというのは、 地に足を着けて地域のことを考える。 俺が俺がと自分の権利だけを言われても困るわけで、 それが学習だと思うんです。 それが一つの例なんですね。 すべてがうまくいっているなんて決して言いませんけど、 いままで考えたことのない人が、 考えざるを得ないわけですから。
森栗:
そうです。 私は考えたことなかったです(笑)
武田:
だからいまは、 日本で一番突出した学習をしている地域が神戸じゃないかなと思いますが。
森栗:
そういう風に、 みんなで学習をお互いにやろうじゃないですか。 その中で、 もうちょっと具体的に議論を積み重ねていくというか、 そういうコーディネートをぜひよろしくお願いします(笑)。
武田:
そうなんです。 ワークショップですね。 うまくいっているとはいいませんけど、 未来を描くというのは難しいんですね。 建築家というのは、 それが仕事だからやっているんですけど、 難しい。 その時に、 たとえ公園一つでもああでもない、 こうでもないと考えている時に、 問題が見えてきたりします。 そういうことが、 歴史を読む想像力の発見だと思うんです。 僕は学校の教科書だけでは、 学校の先生を前にして申しわけないけど、 限界があると思うんですね。
竹山:
いまの言葉がまとめになるのかなと思います。 前回のシンポジウムは神戸高校の問題がかなり緊迫した状況にあって、 それが中心になったんですが、 一応震災後三年経って、 まちの景観とか復興というのが、 どこまでできて、 どこまでできていないかというのが見えてきています。 そういう意味では、 森栗さんとか武田さんの話にあったように、 やっぱり何らかの市民的なムーブメントにつながるような動きを再度つくっていくというのが必要になってくるのかなと思います。 たぶん武田さんあたりが何かするのかなとか、 あるいは、 森栗さんとか(拍手)。 まあ、 そういう動きに期待を寄せて、 協力すべきことは協力したいと思いますが、 まあ、 前を見て、 元気に進んでいければと思います。 では、 予定通り終わりたいと思います。